鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

嵐の大瀬崎

2022-09-15 | 公園・庭園


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 1 2 月 2 5 日 ( 土 )

午 後 3 時 4 0 分

静 岡 県 沼 津 市

あ わ し ま マ リ ン パ ー ク 船 着 場





あわしまマリンパークを発つ頃、厚い雲に隠れていた富士の高嶺がその姿を現しました。



この日の静岡地方の日没時刻は、16時40分ごろ。
国立天文台からの情報をもとに、私はとある場所をGoogle Mapで調べます。

距離は・・・約15km。
経路は・・・つづら折りのカーブの多い道。
所要時間は・・・30分弱。

日没までには間に合いそうです。


午前3時起きの身に襲いかかる、睡魔。
私の中では、その眠気よりも「夕陽に赤く染まる富士山が見たい!」という望みが打ち克ちました。
運転手の経路選定権限を行使して、Google Mapで調べた場所・・・大瀬崎おせざきへと向かいます。


大瀬崎は、伊豆半島の北西端から駿河湾に突き出ている岬です。
岬には引手力命ひきてちからのみこと神社(大瀬神社)が鎮座しています。
神社の先にはビャクシンの樹林が生い茂り、樹林の中にある神池は海に極めて近いにもかかわらず淡水をたたえています。



伊豆半島を地図で見ると、北西部は北から西に向かって直角に曲がるところがありますね。
そのカクっと曲がるところ、そこが大瀬崎です。




午 後 3 時 4 8 分

和 菓 子 屋 「 松 月 」


大瀬崎に向かう前に・・・



某学園アイドルアニメにも登場したという、沼津の名店・松月しょうげつへ。
こちらはご当地の名産品・寿太郎みかんを用いた和菓子が有名で、



私は「松月のみかんどら焼」を購入。



なんだかかわいらしい・・・?



みかんのあんこが詰まってますなぁ・・・うまい!


どら焼のおかげで、しばしの間睡魔は退散していきました。
そしてこのどら焼が、沼津での昼ごはんとなってしまったのでした。




午 後 4 時 3 3 分

大 瀬 崎 に 到 着


海沿いを往く道。
九十九里浜のような砂浜沿いの道ではなく、険しい崖っぷちの道です。
急カーブと急こう配のアップダウンの連続は、眠気をかかえる運転手にはかなり堪えます。

そして・・・



大瀬崎に到着しました。
赤く染まる富士山は雲の襟巻きを巻いていました。

車から出てみると・・・・・・なんという強風!!

あまりの強い風に、第2王子は帽子を飛ばされそうになりました。
私は・・・ただただ笑う始末。
あまりの困難に遭ってしまったときは、人間って笑ってしまうものなのですね・・・いや、それは私だけか?

そして女王様はふたりの様子を目の当たりにして、車から一歩も出ようとしませんでした。




雲の流れは速いものの、富士山からはなかなか離れそうにもありません。
嵐のような強い風の中で、大瀬崎の散策にはとても行けそうにありません。
あと2、3分で日没を迎えるので、このまま引き上げることにしました。



帰路へ―――。

何度か仮眠をとりつつ、沼津市内を後に。
結局食事らしい食事をすることなく静岡県を退去。
海老名SAの売店で購入したお弁当を車中で食べて、この日のディナーとしたのでした。




1 2 月 2 6 日 ( 日 )未 明

柏 に 帰 還


久しぶりの長時間運転に、少しばかりの達成感と甚大なる疲労感を覚えていた私。
そんな私に、第2王子が浴びせた言葉・・・・・・

「次は金沢にドライブしましょう♪」

日付はクリスマスをとうに過ぎ、柏へ。
別居している第2王子の居宅へ、彼を送り届けたのでした。



クリスマスは沼津で・最終話「嵐の大瀬崎」 完

金沢へドライブする?!

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第81回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記~シャレにならない?

2022-09-15 | 鬼ヅモ同好会


令 和 4 年 ( 2 0 2 2 年 ) 9 月 某 日

午 後 8 時 1 5 分

千 葉 県 柏 市 某 所

ま っ た り と 顛 末 記 を 記 す ・・・



関内で二郎を食した私は、これから闘牌をすべくよね先生宅へと向かう・・・

その流れで日記は始まるはずでしたが、時は流れて令和4年の夏。
GWには大会は開催されませんでしたが、お盆休み前の大会はオンラインながら開催されました。
お盆休みの大会、すなわち第82回大会の模様はのちほど記すこととして・・・
令和3年の年末大会の模様を記すのに、なぜ令和4年の夏まで待たなければならなかったのか。

それは、かつ会長とよね先生の、いわば名誉に関わると考えたからです。

令和3年年末大会の後、かつ会長はご自分のブログにて事の次第を明らかにされました。
そして令和4年夏の大会にて、よね先生よりお許しをいただきました。
そのため、この日記を公にすることができるとの考えに至り、第81回大会の様子をここに明らかにしていこうと思います。



・・・・・・・・・それでは、時計の針を令和3年12月28日、午後11時に戻していきましょう・・・・・・・・・





令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 1 2 月 2 8 日 ( 火 )

午 後 1 1 時 0 0 分

横 浜 市 某 所

大 会 会 場







ねんがんの関内二郎を食し、闘いの準備は調いました。
今回も大会会場となるよね先生宅へと赴きます。


到着すると、かつ会長が先着していました。
赤き国からの災厄がはびこって以来、2年ぶりにご対面。
私とたか副会長も来場して、今大会は久しぶりにじゃんたまではない麻雀ができます。




だからといってすぐさま闘牌をするのではなく、まったりとサブコンテンツに興じます。
今回は、よね先生が取り寄せた北海道全市町村のパズル
しかもこれは、平成の大合併以前の市町村のもので、全212市町村あります。

212で思い出すのは・・・「カントリーサインの旅」
そして「十勝二十番勝負」も212市町村時代の企画でしたね。

麻雀が始まる前のまったりタイムで、このパズルに着手。


 

今回も地酒と肴を引っ提げて、たか先生登場。
本日の肴は、さばのへしこというもの。
「へしこ」ってなんだろう? なんとなく美味そうな響きのある言葉だなぁ。

その前に、兎にも角にも麻雀です。
日付が変わって午前0時半ごろ、闘いが始まりました。
北海道パズルも一時中断です。



そういえば、麻雀牌をさわるのは久しぶりです。
対面で麻雀するのも同様。
あまりにも麻雀から離れていたのか、麻雀の画を撮るのも忘れてしまったのです。



この日の対戦結果~。



なんだか和了れなかったなぁ。
それでも大負けというわけでもない。
まぁよい、最終日に一気に逆転しよう。

私は捲土重来を誓いつつ、



たか先生が持ってきた地酒を飲んでいましたが、午前4時ごろには眠りにつきました。




1 2 月 2 9 日 ( 水 )

午 前 6 時 ご ろ


鬼ヅモ同好会が発足して以来、最大の危機が起きていました。



よね先生、救急搬送!!



私とたか先生が眠りについた後も、会長とよね先生は引き続き飲み明かしていたようです。
二人は小学校以来の盟友、それが2年ぶりの再会とあっては、深酒になるのも無理もありません。

私が一時目を覚ますと、二人は数学の「公理」について激論を闘わせているもよう。
うんうん、これもわが同好会の定番ともいえる光景。
コロナ禍によって失われていたものが、徐々に戻りつつある・・・そう思いながら私は再び眠りについたのでした。


そして再び私が目を覚ますと、会長が電話をしています。
どうやら会場の住所を伝えている・・・なんらかの宅急便でも依頼しているのだろうか?
しかしその電話にて・・・

「トイレでうずくまったまま、動いていません」
「意識はあります」


これはおかしい・・・そういえばよね先生の姿が見えない・・・!!

会長の電話から約15分後くらいだったでしょうか。
3名の救急隊が会場にやってきたのでした。
よね先生はなおもうずくまっていましたが、救急隊の方と会長の助力と本人の気力でなんとかトイレを脱出。

会長は自責の念もあってか、病院まで付き添う旨申し出ておられましたが、コロナ禍のご時世がそれを許しませんでした。
救急隊の方の強い説得もあり、我々は救急車をお見送りすることしかできませんでした。



午後2時ごろ、よね先生ご帰宅。
みなとみらいの病院にて治療を受けられたようです。
よね先生はタクシーをもって自力で戻られましたが、体調は万全といえるものではありませんでした。

この日の麻雀は中止。
会長はこの日をもって帰宅され、このまま大会は終了となったのでした。




1 2 月 3 0 日 ( 木 )

よ ね 先 生 、 快 方 へ




そういえば途中でやめてしまったこのパズル。
リセットして最初から挑戦していきます。



外枠から埋めていくのが、パズルのセオリー。
この場合だと、沿岸部の市町村をはめていくのが常道なのですが・・・内陸の十勝地方がやたらと埋まっていきます。
上ノ国町猿払村興部町も一発でビシッと埋められちゃいます。
鹿部町・・・「鹿部はこっちだ」とばかりにピースを置いていく・・・。



初挑戦の私は、完成までに1時間ほどかかってしまいました。
そのあとでよね先生もトライしてみると、約20分ほどで完成。
さすがは持ち主・・・よね先生が快方に向かっていることが確認できて、まずはひと安心といったところでした。



今回の騒動があって、



「さばのへしこ」はその存在をすっかり忘れられてしまい、我々の口に入ることはなかったのでした。



第81回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記 完

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