鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

ハイソフト「日本の美しい橋」第8橋

2021-03-14 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 2 月 1 9 日 ( 金 )

午 後 3 時 0 5 分

職 場 に て



職場のもぐもぐタイム。



私のおやつはもちろん、森永ハイソフトです。
キャラメル12個をひとりで食べるのはきついので、同僚におすそ分けします。

さて本日のカードは・・・



夜桜に彩られた、重厚なアーチ橋
山のふもとに明かりを灯す建物が、どことなく雅な感じがしますね。



9番、浅野川大橋!
おお、この橋は渡ったことがありますよ~。
そしてこの写真の画角も知ってますよ、1本川下側に架かっている歩行者用の橋からのものです。




浅野川大橋は、浅野川に架かる石川県金沢市の道路橋です。
橋の長さは55メートル、幅は17メートルあります。

文禄3年(1594年)加賀藩の藩祖・前田利家北国街道の橋として架けたのが最初といわれています。
現在の橋は大正11年(1922年)に架けられたもので、3径間連続固定アーチ構造という独特の構造をとるアーチ橋となっています。
昭和41年(1966年)までは北陸鉄道金沢市内線の路面電車が通行していました。
平成12年(2000年)12月、市街南部を流れる犀川(さいかわ)に架かる犀川大橋と時同じくして、歴史的建造物として登録有形文化財に登録されています。



浅野川大橋が架かっているところは、大橋を間に挟んで斜向かいに、ふたつの茶屋街があります。



浅野川の北東にそびえる卯辰山
そのふもとに、雅なる灯りを煌かすひがし茶屋街



私も、平成23年(2011年)12月に訪れています。
しんしんと静まり返る雪国の茶屋街に、優しい明かりが灯っていました。

浅野川大橋

カードと同じ撮影スポットと思われる場所からの浅野川大橋。
この画像の右側に建ち並ぶのが、

主計町茶屋街

もうひとつの茶屋街・主計町(かずえまち)茶屋街



主計町茶屋街の小径のひとつ・明かり坂
金沢で一番のお気に入りの場所です。



最後に金沢に行ってから、10年近くになります。
わが女王様第2王子が金沢を相当気に入っているらしく、やたらと「金沢推し」してくるのにはちょいと閉口していますが・・・
その「推し」に乗っかって、また金沢を訪れるのも悪くはないですね。

あの忌まわしきコロナ禍が、一刻も早く息災することを祈願して――。





ハイソフト「日本の美しい橋」第7橋

2021-03-14 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 2 月 1 4 日 ( 日 )

午 後 1 2 時 0 5 分

茨 城 県 守 谷 市

コ メ ダ 珈 琲 守 谷 高 野 店



一足早めの小春日和。
この日は天候に恵まれたので、ママチャリさんにまたがって12km離れたコメダ珈琲まで足を運んだわけです。



その途上で開封した森永ハイソフトから、取り出だしたる本日の一枚。



晴れ渡る秋の晴天に彩りを添える、朱塗りの太鼓橋。
しかしその傍らには、三途川とありますなぁ。

おそらくここは、人生の終着地
死者の魂が集まるという、北斗の霊場・・・。



3番、恐山太鼓橋!
どうでしょうマニアにとっては、闘痔の旅の終着地。
まさに「痔・エンド」の地ですね。




恐山太鼓橋は、三途川に架かる青森県むつ市の歩道橋です。
三途川は正式名を正津川といい、恐山にある宇曽利(ウソリ)山湖から流れ出る唯一の川です。
恐山は、カルデラ湖である宇曽利山湖とそれを取り囲む外輪山をあわせた総称で、単独で「恐山」という山があるわけではありません。

この太鼓橋の先に恐山菩提寺があり、その境内は三途の川向こうの「あの世」の景色が広がっています。
ただし恐山には開山期間が定められており、5月1日から10月中旬以外の時季には入山することができません。



恐山には4つの湯小屋があり、入山料を支払えば自由に入浴することができます。
どうでしょう班は大泉洋氏の痔の治療という名目で数々の湯治場(闘痔場?)を回り、最後に恐山にやってきたのですが・・・

「痔・エンド」。
恐山は閉山時季に入っていたため、どうでしょう班は菩提寺の山門で門前払いを食らってしまったのです。


わが傍らの女王様も、かつて恐山を訪れたことがあるそうです。
その山門前で売っていたソフトクリームが、殊の外、お気に召さなかったそうです。



そういえば、今回はあまり橋のことに触れていないような気がしますね。





ハイソフト「日本の美しい橋」第6橋

2021-02-28 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 2 月 7 日 ( 日 )

午 後 5 時 0 0 分

千 葉 県 柏 市

本 拠 地 に て



季節外れの温暖な一日。



小腹が空いていたので、ストックにあった森永ハイソフトを開封。



この橋は何度も渡ったことがありますね。
歩いて渡ったことも、自転車で渡ったことも、車で渡ったことも。
本邦の道は、ここがスタート地点とされているんですよね。



6番、日本橋!
威厳に満ちた2連アーチの石橋は、さすがに本邦を代表する風格を顕していますね。




日本橋【国指定重要文化財】は、日本橋川に架かる東京都中央区の道路橋です。
長さは49.1メートル、通行幅は27.3メートルです。

江戸幕府の街道整備計画のさきがけとして造られることとなり、慶長8年3月3日(1603年4月14日)に完成しました。
翌年には五街道の基点と位置付けられ、以後江戸で最もにぎわう場所となっていきます。
しかし火事による焼亡10回を数えるほか、のべ18回もの架け替えがなされ、現在の橋は明治44年(1911年)4月3日に完成したものです。
その後は東京大空襲にも耐え、平成11年(1999年)国の重要文化財に指定されました。





橋自体は西洋風のデザインですが、欄干に据え置かれた青銅製の麒麟像、松や榎木の柱模様などに、東洋や日本のモチーフが加えられています。
まごうことなき日本の名橋なのですが、上空はきわめて残念といわざるを得ませんね。

しかし昭和39年(1964年)に開通した首都高速道路1号線(現在は都心環状線)は、施設の老朽化のために建て替えが必要になってきています。
そこで現在、日本橋エリアの首都高速を地下化しようというプロジェクトが立ち上がっています。
首都高速が地下に潜り、日本橋から空が見えるようになるのは、早くても20年後のことのようです。


そのころには、私は還暦か・・・・・・・考えるのはやめよう。
それよりまずは「日本の美しい橋」カードのコンプリート、これにまい進していきましょう。





ハイソフト「日本の美しい橋」第5橋

2021-02-11 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 2 月 1 日 ( 月 )

午 後 6 時 0 5 分

職 場 に て



この日はおやつタイムに続き、



お帰りタイムにも森永ハイソフトを開封しました。



この橋は知っていますよ~。
たしか大月の水色の師匠たいまつ持って走った橋ですよね。



7番、猿橋!
めずらしい刎橋(はねばし)という構造をもっていた「日本三奇橋」のひとつです。




猿橋は、桂川(相模川)に架かる山梨県大月市の歩行者専用橋です。
長さは30.9メートル、通行幅は3.3メートルです。

最初に猿橋が架かった年代は不明ですが、推古天皇の御代の610年ごろに百済の渡来人の志羅呼(しらこ)という人物が建造したといいます。
志羅呼は、猿が互いに体を支え合っているさまを見て、猿橋を造ったといいます。
時代は下り、江戸時代に江戸から甲府まで甲州街道が整備されると、猿橋は街道の一部を構成することとなりました。
周囲の渓谷とともに「甲州街道随一の名勝」とうたわれました。
現在の橋は昭和59年(1984年)に再建されたもので、刎橋構造を装飾にしている「刎橋風」の橋となっています。





両岸の岩盤に支えとなる柱を埋め込み、中空に突き出します。(これを刎ね木といいます)
最初は短めに突出し、その上にさらに長い刎ね木を同様に設置していきます。
その上にはさらに長い刎ね木、さらにその上にはより長い刎ね木をこしらえていきます。
両岸の刎ね木の間隔が短くなっていったところで、刎ね木の上に橋を架けていく構造が刎橋です。

文章で説明するよりも、猿橋の画像を見たほうがわかりやすいと思います。

刎橋は、猿橋のように橋脚を設けることが困難な場合に用いられていた構造です。
現在は純粋な刎橋はなく、猿橋も橋げたに刎ね木(のような装飾)をくっつけているだけであり、刎ね木が橋を支えている構造ではありません。



そういえば聖火を掲げて猿橋を渡った三遊亭小遊三師匠は、令和3年の東京オリンピックでも聖火ランナーを務めるようです。
東京オリンピック・・・開催できるのでしょうか?





ハイソフト「日本の美しい橋」第4橋

2021-02-11 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 2 月 1 日 ( 月 )

午 後 3 時 0 5 分

職 場 に て



ハイソフトとの闘いが始まって2週間。
かつてのように連日というわけでもなく、無理なく無駄なくキャラメルを賞味しています。


さて今回も、職場でのおやつタイムでハイソフトを開封します。



岩ですか?
ああ、これも橋なんですか。
どこの橋だか皆目見当もつかないので、裏面の解説を参照・・・



12番、帝釈峡雄橋!
読みは「たいしゃくきょう おんばし」です。




雄橋は、帝釈川に架かる広島県庄原市の橋です。
中国山地有数の渓谷・帝釈峡に鎮座する巨大な石灰岩が、川の浸食作用によって下の部分が貫通するに至り、橋のようになったといいます。
長さは90メートル、通行幅は18メートルで、世界最大級の天然橋といわれています。
帝釈峡全域が国の名勝に、また雄橋も国の天然記念物に指定されています。
雄橋は、帝釈川を挟んだ地域の生活道の一部となっていたほか、「神が架けた橋」あるいは「鬼が架けた橋」との伝承もあり、地域住民の信仰の対象にもなっていました。



カードの画からはよくわからなかったのですが、この雄橋の「天井」から帝釈川の水面までは18メートルほどもあるそうです。
このことを踏まえあらためてカードを見ると、



なるほど「鬼が架けた橋」という伝承も頷けそうですね。
ちなみに、雄橋(おんばし)と対になる雌橋(めんばし)というのもあるそうです。



Google Mapで位置を確認してみると・・・やっぱりというか、なんというか、山の中ですね。

鉄道が主な移動手段である私が、帝釈峡に行こうとするならば・・・
まずJR芸備線 東城駅で下車するのですが、ここまで行くのが大変。
上り列車が1日6本、下り列車に至っては1日3本しかありません。
そして駅からは1日4本の路線バスに乗車する必要があります。
このバス、休日は運行していないようです。

私が雄橋を訪れる機会は、果たしてあるのでしょうか???





ハイソフト「日本の美しい橋」第3橋

2021-02-11 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 1 月 2 2 日 ( 金 )

午 後 3 時 0 5 分

職 場 に て





2橋目で早くもダブリを引いてしまった私。
この日はたまたま持っていた、もうひとつの森永ハイソフトを開封し、リベンジを図ります。
そして・・・



これはパッケージにも描かれている橋じゃないですかねぇ。



5番、二荒山神社神橋!
ここは見たことがありますよ~。




二荒山神社神橋は、大谷(だいや)に架かる栃木県日光市の橋です。
長さは28メートル、通行幅は7.4メートルの歩行者専用橋で、国の重要文化財に指定されており、また世界遺産「日光の社寺」を構成しています。

奈良時代の末期、日光山中禅寺を開いた勝道(しょうどう)上人が、山に入る際に大谷川の急流に行く手を阻まれてしまいます。
上人が神仏に加護を求めたところ、2匹の蛇が現れ、その背から山菅(やますげ)が生えて橋になったといいます。
この伝説から「山菅橋」「山菅の蛇橋」とも呼ばれています。

日光山に東照宮が創設されると、寛永13年(1636年)朱塗りの橋に架けかえられました。
その橋は明治35年(1902年)の洪水で流されてしまい、明治34年(1904年)に再建された橋が現存しています。



神社にある神橋は、神域と俗世とをつなぐ橋という意味合いがあります。
二荒山神社の神橋も、日光山の玄関の役割を果たしてきたのですね。

私自身、日光には何度も訪れたことがあります。
しかしこの橋を歩いて渡ったことはないので、日光を訪れる機会があれば、この橋を渡ってからじっくりと参拝していきたいですね。





ハイソフト「日本の美しい橋」第2橋

2021-02-11 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 1 月 1 9 日 ( 火 )

午 後 8 時 5 0 分

千 葉 県 柏 市

本 拠 地 に て



前日に続き、この日も森永ハイソフトを開封します。



なんだか、どこにでもありそうな普通の橋のようにも見えます。
ここは裏面の解説を見ることにしましょうか。



16番、愛本橋!
う~ん、存じ上げませんなぁ。




愛本橋は、黒部川に架かる富山県黒部市の橋です。
長さは130メートル、通行幅は8.6メートルの道路橋です。

寛文2年(1662年)3代加賀藩主前田綱紀の命により、北陸街道をつなぐ橋として架けられました。
江戸時代においては、国境に近い河川には領地防衛の観点から橋を架けないことはよくあるケースでしたが、綱紀は往来の利便性を優先し、家臣の反対を押し切って架橋を命じたといいます。
黒部川はたびたび増水し橋脚を立てるには適していなかったため、川の両岸から大木を突き出して橋を支える刎橋(はねばし)の構造で架けられました。
それでも橋は幾たびも架け替えがなされ、大正9年には鉄骨製のトラス橋、それが流失した後の昭和47年(1972年)には12代目の橋としてアーチ橋が架けられて現在に至ります。

刎橋という珍しい構造から、「日本三奇橋」のひとつに挙げられています。
刎橋ではなくなってしまった現在もなお「日本三奇橋」とされています。




ここで「刎橋」「トラス橋」「アーチ橋」という用語が出てきましたが、このあたりの説明は後ほどとさせていただきましょう。
橋の構造についての学習も必要なハイソフトとの闘い、まだまだ序盤戦です。




1 月 2 2 日 ( 木 )

午 前 1 1 時 3 4 分

職 場 に て




16番、愛本橋!
2橋目で、早くもダブリを引いてしまいました。





ハイソフト「日本の美しい橋」第1橋

2021-02-11 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 1 月 1 8 日 ( 月 )

午 後 9 時 3 9 分

千 葉 県 柏 市

本 拠 地 に て



わが本拠の近所のスーパーから、突如始まったハイソフトとの闘い



森永さんが選んだ「日本の美しい橋」、最初の1橋は・・・



むむむ・・・どこの橋だかまったく見当もつかない。
城には興味があっても橋にはあんまり興味がないもので。



カードの裏を見ると・・・8番、蓬莱橋!・・・っていうんですね。
今回のシリーズは、裏面に解説がしっかりと記述されています。
その代わり、メッセージカードの機能はなくなってしまったんですね。



蓬莱(ほうらい)は、大井川に架かる静岡県島田市の橋です。
長さは897.4メートル、通行幅は2.4メートルの木造歩道橋です。

江戸時代は架橋が許されなかった大井川に、明治12年(1879年)牧之原台地と東海道の島田宿(島田市)を結ぶために架けられた橋です。
牧之原の農地開拓のために当地の農民の出資によって架けられた橋なので、関係者以外からは通行料金を徴収しました。
これは現在も続いており、本邦でも数少ない賃取橋(ちんとりばし)で、通行料金は大人100円、小人10円です。
自転車で渡る場合は、さらに100円の追加料金となります。
架橋の経緯から、現在も法令上は農道の一部となっているそうです。
大井川の氾濫によって蓬莱橋は幾度となく流されたため、昭和40年(1965年)の架け直し以降、橋脚だけはコンクリート製となっています。

平成9年(1997年)12月30日に、「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてギネスブックに認定されました。
長い木=「長生き」の橋、897.4=「やくなし(厄無し)」の橋として、パワースポットにもなっているのだそうです。



裏面の解説文をそのまま載せるのでは芸がないので、島田市のサイトなどを参考にしながら編集しました。

島田といえば、続日本100名城の諏訪原城【国指定史跡】がある地。
登城ついでに立ち寄ってみるのもいいかもしれませんね。



ハイソフトとの闘いは、まだまだ始まったばかりです。





普段は行かないスーパーにて

2021-02-11 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 1 月 1 8 日 ( 月 )

午 後 9 時 1 8 分

千 葉 県 柏 市

近 所 の ス ー パ ー マ ー ケ ッ ト に て



この日は、女王様第2王子とともに、普段は行かない近所のスーパー「B」にいました。


第2王子JR南流山駅にクルマで迎えに行く。
帰路の途上にあるコンビニ「M」で、女王様がソフトクリームをお召しになる。
さらに適当にスーパーに寄って、買い物をする。
第2王子を家まで送ってから、本拠地に戻る。


私の生活の中で、心ならずもこの流れが定着しつつあります。
いや、ここでは何も言うまい・・・。



普段は行かないスーパーに立ち寄ると、私が決まってすることがふたつあります。

ひとつは、サバ缶の確認
この店には、どのメーカーのサバ缶があるのだろう。
そして価格は・・・。
ひととおり確認しますが、サバ缶は一切買いません。

だって、もう一生分のサバの水煮は食べちゃったもん。
サバ缶食べ比べはもうやりません、ここで断言します!


・・・取り乱して失礼しました。

そしてもうひとつは、キャラメルの確認です。
キャラメルの確認、というより森永製菓 ハイソフトキャラメルの有無をチェックするのです。
さらにいえば、ハイソフトに入っている“おまけ”のカードをチェックするのです。

“おまけ”のカードは、「日本の名城」シリーズになってから5年近くたちます。
そろそろ新しいシリーズの“おまけ”が登場するのではないだろうか。
そう思って、ハイソフトのパッケージをチェックしていたのでした。



「日本の名城」シリーズのコンプリートから3年半。
ついに新しいシリーズが登場しました。
ほうほう、「日本の美しい橋」ですか。



3年半のブランクを経て、みたびハイソフトとの闘いが幕を開けたのです。



ハイソフトとの闘いにおいて、私は以下のようなルールを設定しました。


一、カードはなるべく自力で集めるべし。

自力でカードを集める、すなわちハイソフトを自分で買い、そこで得たカードのみ集めるのが原則です。
つまりは、赤の他人からもらったり、メルカリなんかで買ってはいけない、ということです。
まぁ、ネットオークションに出品するような人はいないとは思いますが。
しかし「なるべく」・・・原則に例外は付き物です。
私がカードを集めていることを知っている知人から、善意で提供されたカードはOKということにします。
ただあくまで善意に限るものとし、私からカードの提供を要求することはありません。

一、カードの内容を事前に知るべからず。

どの橋がカードに採用されているかをネットで検索することを自主規制します。
パッケージに記載のある3橋以外は、ハイソフトを開けてからはじめて知ることとします。

一、キャラメルを廃棄するべからず。

かつてのビックリマンチョコ、昨今では恵方巻きの大量廃棄と、フードロスが社会問題となって久しいです。
ハイソフトとの闘いではカードが主目的なのですが、だからといって商品本体であるキャラメルを絶対ないがしろにしないことをここに誓います。
ハイソフトは1箱に12粒のキャラメルが入っていますが、それを全部食べます!
このように言いたいところですが・・・・・・。

一、キャラメルを無理に食べるべからず。

さすがにハイソフトを連日食べていくと、私の血糖値に問題が生じてしまいます。
なのでキャラメルは全部食べず会社の同僚とシェアする、毎日は食べずに週2食程度にするなど、無理なく闘いを繰り広げていこうと考えております。
私も年をとったものでねぇ。





それでは森永ハイソフトキャラメル、いざ開封!





北日本完全制覇!?・あとがき

2017-10-08 | 日記


2 0 1 7 年 1 0 月 8 日 ( 日 )

午 後 4 時 5 6 分

千 葉 県 柏 市

本 拠 地 に て



私の城攻め旅史上最大の旅が終わってから、1年以上がたちました。
旅日記も話数が膨らんでいき、気がつけば80話になっていました。


さて第15弾の「北日本完全制覇」
じつは途中でタイトルがマイナーチェンジしています。
それは・・・・・・

北海道に渡る前は、「北日本完全制覇!」。
北海道に渡った後、「北日本完全制覇?」。

このことは理由がありまして・・・
私の100名城スタンプ帳を見ていただければ、おわかりになると思います。



まず1ページ目。
1番・根室半島チャシ跡群から6番・盛岡城まで、すべてのスタンプをゲットできました。
まさに完全制覇です(*^^)v



2ページ目・・・1箇所目立つブランク。
9番・久保田城(秋田県)だけゲットできていません。
これでは北日本完全制覇とはいえません。


今回の旅は「北日本完全制覇」のタイトルどおり、北海道と東北地方の100名城を制覇するつもりでした。
それを念頭に計画を立てていたのですが、予定日数の制約上久保田城、根城、松前城、五稜郭のいずれかの登城を断念せざるを得なかったのです。
久保田城の登城はまた今度・・・ということになったのでした。



そこで、いつになるかはわかりませんが、「北日本完全制覇・完結編」と銘打って、久保田城の登城を敢行しようと思っています。






こんな結びで締めくくるつもりでした。
平成29年4月6日、「城の日」を迎えるまでは。







平成29年4月6日、「北日本完全制覇」の旅日記を編集している私に、衝撃的なニュースが舞い込んできました。



日本城郭協会、「続日本100名城」を選定。

今回の旅では、100名城の久保田城を積み残しました。
そのうえ、描く都道府県の続100名城が追加されました。
もはや「北日本完全制覇」なんて言えないレベルになってしまいました。

私の旅日記のメインは「100名城登城」ですが、今回の続100名城選定により「続100名城登城」もわがライフワークとなりました。
「北日本完全制覇」は先の話になりそうですが、それでも必ずや成し遂げてまいりたいと思っています。



期間限定の弘前城の姿を拝むことはできましたが・・・
やっぱり真の弘前城の姿を見たい!
できれば桜に囲まれる天守の姿が見たいですね。



振り返ると、ああすればよかった、こうすればよかったという思いはありますが、それを思い起こせばきりがないので、このあたりで筆を置くこととします。



日本100名城登城の旅・第15弾「北日本完全制覇?」 完

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