鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

第78回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記・前編~東京を避けて横浜へ

2020-10-21 | 鉄道の旅


令 和 2 年 ( 2 0 2 0 年 ) 8 月 7 日 ( 金 )

午 前 5 時 4 6 分

千 葉 県 柏 市

J R 柏 駅 西 口



令和元年の年末大会から8ヶ月。

例年ならばゴールデンウィークに面々が集うのですが、令和2年は周知の如く、赤い国からの災厄により大会中止を余儀なくされたのでした。

そして8月。
外出自粛から打って変わって、GO TO キャンペーンが始まりました。
とはいえ災厄の脅威が完全に拭い去られたわけではなく、密閉・密集・密接の「3密」を避けるという生活習慣は根付きつつあります。





兎にも角にも、やってきたのは早朝の柏駅
今回は災厄の脅威を少しでも回避しながら、大会会場の横浜へと向かいます。
3密のひとつ・密集、人出の多いところを避けていく・・・・・・すなわち東京を通らないで横浜に行こうというわけです。



今回の旅の御供は、青春18きっぷ
公共の交通機関で、東京を通らないで横浜へ。


東京を通らないの「東京」は、どの領域を指すのか。

GO TO キャンペーンの対象除外とされていた東京都と考えるのが自然でしょうか。
そうだとすると、千葉→埼玉→群馬→長野→山梨→静岡→神奈川という、かなりの遠回りをすることになります。
常磐線各駅停車→武蔵野線→京浜東北線→高崎線→信越本線→JRバス→しなの鉄道線→小海線→中央本線→身延線→東海道線
JR線だけに限ると、千葉→埼玉→群馬→新潟→長野→山梨→静岡→神奈川と、1日で横浜に到達することはできません。
(高崎から上越線→飯山線→篠ノ井線→中央本線→身延線→東海道線、甲府からの身延線が終わってしまう)

そこで、都内でもとりわけ感染者の多い東京23区を通らないこととします。
これならば少しの遠回りで済みますし、途中でお城に立ち寄るくらいの余裕もできます。




横浜へ向かう旅・最初の電車は、6時02分発 常磐線 各駅停車 向ヶ丘遊園行きです。
東京メトロ千代田線、さらには小田急小田原線まで直通している電車ですが、



柏から3駅の新松戸駅で下車。



6時09分発 武蔵野線 各駅停車 府中本町行きに乗り換えます。



この日は、平日とはいえ連休前。
そしてなにより早朝の時間帯ということで、乗客もそれほど多くはありませんでした。
武蔵野線の西側は未踏区間でもあったので、「城攻め」もこなしていきます。



この日最初の「城攻め」は、道場城
鎌倉幕府の御家人・畠山重忠の居館だったとされています。

ほかに滝の城北秋津城山口城を攻略し、



西国分寺駅で下車しました。



武蔵野線で終点の府中本町駅まで向かっても、接続先の南武線は東京23区を通らないので、西国分寺で下りる必要はありません。
ですが旅に寄り道はつきもの、ということで・・・



7時19分発 中央線 各駅停車 高尾行きに乗り換えて、



八王子駅に到着しました。



【柏→八王子の鉄道乗車記録】

JR東日本 [JL28]柏駅 1番線 6時02分発
[JL]常磐線 各駅停車 小田急線直通 向ヶ丘遊園行き 10両
[JL25]新松戸駅 2番線 6時09分着

[JM15]新松戸駅 3番線 6時14分発
[JM]武蔵野線 各駅停車 府中本町行き 8両
[JM33]西国分寺駅 3番線 7時16分着

[JC17]西国分寺駅 2番線 7時19分発
[JC]中央線 各駅停車 高尾行き 10両
[JC25]八王子駅 4番線 7時39分着

*所要時間 1時間37分(移動時間 1時間29分 乗換時間 8分)
*移動距離 74.4km
*運賃   青春18きっぷ使用(使用しない場合、IC運賃 1,265円)








午 前 1 1 時 5 3 分

J R 八 王 子 駅 北 口




JR八王子駅から、横浜への行軍は再開。その前に・・・



富士山もり、うまい!
ちゃちゃっと昼メシを済ませるならば、やっぱり蕎麦ですね。




八王子から横浜へは、横浜線一本で行けます。
大会会場へは途中の新横浜駅で地下鉄に乗り換えるので、横浜駅まで行ってくれない横浜線12時20分発 各駅停車 東神奈川行きで問題ありません。



ですが、途中の橋本駅で下ります。





ここから2度目の寄り道へ。
12時39分発 相模線 各駅停車 茅ヶ崎行きへと乗り換えて、横浜からは離れていきます。



相模線でも「城攻め」
磯部城を皮切りに、座間城海老名城厚木館を攻略しました。



13時35分、茅ヶ崎駅に到着。





茅ヶ崎からは、13時41分発 東海道線 普通電車 熱海行きに乗車。
横浜とはまるっきり反対方向です。


小田原駅を過ぎて、小田原城を右手に見やり、



静かな早川駅に到着。



ここからの徒歩が、城攻め旅史上一、二を争うキツさでした・・・・・・。



【八王子→早川の鉄道乗車記録】

JR東日本 [JH32]八王子駅 5番線 12時20分発
[JH]横浜線 各駅停車 東神奈川行き 8両
[JH28]橋本駅 1番線 12時33分着

橋本駅 4番線 12時39分発
相模線 各駅停車 茅ケ崎行き 4両
茅ケ崎駅 2番線 13時35分着

[JT10]茅ヶ崎駅 6番線 13時41分発
[JT]東海道線 普通 熱海行き 15両
[JT17]早川駅 1番線 14時13分着

*所要時間 1時間53分(移動時間 1時間41分 乗換時間 12分)
*移動距離 69.5km
*運賃   青春18きっぷ使用(使用しない場合、IC運賃 1,166円)








午 後 4 時 2 9 分

J R 早 川 駅


時刻は夕方を迎え、そろそろ大会会場へ。



16時40分発 東海道線 普通電車 上野東京ライン・宇都宮線直通 小金井行きに乗車。



魚籃(ぎょらん)大観音に見送られ、東へ。




戸塚駅で地下鉄に乗り換え、大会会場へと向かっていきました。



【早川→戸塚の鉄道乗車記録】

JR東日本 [JT17]早川駅 2番線 16時40分発
[JT]東海道線 普通 上野東京ライン宇都宮線直通 小金井行き 15両
[JT06] TTK 戸塚駅 2番線 17時30分着

*所要時間 50分
*移動距離 45.1km
*運賃   青春18きっぷ使用(使用しない場合、IC運賃 858円)



【今回の「城攻め」成果】

[JM]武蔵野線
(6時14分 [JM15]新松戸駅発車)
6時49分 [JM27]西浦和駅  道場城を攻略。
6時55分 [JM28]北朝霞駅  滝の城【埼玉県指定史跡】を攻略。
7時06分 [JM31]新秋津駅  北秋津城山口城【埼玉県指定旧跡】を攻略。
(7時16分 [JM33]西国分寺駅到着)

相模線
(12時39分 橋本駅発車)
12時54分 下溝駅(橋本から5駅)  磯部城を攻略。
12時58分 相武台下駅(橋本から6駅) 座間城を攻略。
13時04分 海老名駅(橋本から8駅) 海老名城厚木館を攻略。
(13時35分 茅ケ崎駅到着)





境線に乗ってみた・復路~鬼太郎さんによる各駅案内

2020-10-21 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 無 月 廿 日 ( 日 )

午 後 八 時 五 十 九 分

鳥 取 県 境 港 市

J R 境 港 駅





妖怪うごめく夜の境港を愉しみ、JR境港駅に戻ってきました。



駅の腰掛けにたたずんでいる鬼太郎さんたちに別れを告げ、現世へと還ります。



境港から米子・・・いやいや鬼太郎からねずみ男へと戻る列車は、21時23分発の普通列車



今回も「ねこ娘列車」です。



ねこ娘さんが笑みを浮かべるボックスシートに腰掛けて、境線の旅を愉しみましょう。


「皆さん・・・JR境線にようこそ・・・ゲゲゲの鬼太郎です・・・
父さんとねこ娘と一緒に、終点の境港までご案内します・・・」




「境港駅は、『鬼太郎駅』って愛称名があるのよ」

「これからワシらが終点まで各駅を紹介していくぞ。
楽しみにしておるのぢゃぞ」





午 後 九 時 二 十 三 分

鬼 太 郎 駅 を 発 車


「次は~ 馬場崎町~ 馬場崎町です・・・」

NO PHOTO

「愛称名は、『キジムナー』です」

むぅぅ、しょっぱなから撮影し損ねた妖怪が出るとは・・・。
キジムナーは、名前の響きから想像できるとおり沖縄地方の妖怪で、全身が毛におおわれている丸っこい古木の精霊だそうです。



「次は~ 上道(あがりみち)~ 上道です・・・」



「愛称名は、『一反木綿』ぢゃ」

光の加減でよく見えませんが、たしかに一反木綿さんです。
こちらは鬼太郎軍団ですから、忘れずにカメラに収めておきました。



「次は~ 余子(あまりこ)~ 余子です・・・」

 

「愛称名は、『こなきじじい』です」

爺様は影絵も合わせて2枚。
鬼太郎軍団ですから、当然カメラに収めておりますよぉ。



「次は~ 高松町~ 高松町です・・・」

NO PHOTO

「愛称名は、『すねこすり』ぢゃ」

すねこすり・・・撮っていません。
雨の降る夜に狭い道を慌てて走っていると、犬のようなものが足に絡んで転びそうになるといいます。
その足に絡んだ妖怪が、すねこすりなのだそうです。



「次は~ 中浜~ 中浜です・・・」

NO PHOTO

「愛称名は、『牛鬼』です」

またしても画像なし・・・これは境港リベンジも考えなきゃいけませんね。
牛鬼は石見地方(島根県西部)に伝わる妖怪で、顔が牛で体はクモの姿をしています。
見てくれだけでも怖いのですが、夜の浜辺に現れて浜辺の人を襲って食べてしまうのだそうです。
浜辺に現れるということで、中浜駅は「牛鬼駅」になっているようですね。



「次は~ 米子空港~ 米子空港です・・・」



「愛称名は、『べとべとさん』ぢゃ」

彼は鬼太郎軍団ではなかったのですが、カメラに収めておりました。
夜道を歩いている人間の後をつけてくるといわれていて、「べとべとさん、先へお行き」と言うと、べとべとさんの足音はなくなるのだそうです。
まあるい体に大きな口、そして足というシンプルな姿の妖怪で、境港の「妖怪の国」ではお口にお賽銭が入れられていました。



「次は~ 大篠津町~ 大篠津町です・・・」

NO PHOTO

「愛称名は、『砂かけばばあ』です」

鬼太郎軍団、痛恨の撮りこぼし・・・。
それはそうと、駅名がなんとも当同好会の皆様の興味をひきそうですね(内輪ネタ失礼)。
でも読みは「おおしのちょう」です。



「次は~ 和田浜~ 和田浜です・・・」

NO PHOTO

「愛称名は、『土転び』ぢゃ」

NO PHOTO が続いております・・・。
土転びは、峠から転がって下りてくるだけで、とくに悪さはしない妖怪だそうです。
旅人を守る神様だという説もあります。



「次は~ 弓ヶ浜~ 弓ヶ浜です・・・」



「愛称名は、『小豆洗い』です」

こちらは駅名標を撮ってありました。
私事ながら、私の元の同僚が弓ヶ浜に実家があるということで、忘れずにとっておいた1枚です。
さて小豆洗いですが、川のほとりでショキショキと小豆をといでいるような音を立てる妖怪です。
しかし人がこれを面白がって近づくと、必ず川に落ちてしまうのだとか。



「次は~ 河崎口~ 河崎口です・・・」



「愛称名は、『傘化け』ぢゃ」

「からかさ小僧」とも呼ばれる愛嬌たっぷりの妖怪、傘化けさん。
「ゲゲゲの鬼太郎」でも登場し、なんと鬼太郎に勝負を挑んでちゃんちゃんこを強奪するという意外な強さを見せます。



「次は~ 三本松口~ 三本松口です・・・」

NO PHOTO

「愛称名は、『袖引き小僧』です」

残念、NO PHOTO です・・・。
袖引き小僧は夕暮れ時に現れる妖怪で、道行く人間の袖を引いてちょっかいを出して喜ぶのだそうです。
それでいて、これといった悪さはしないのだとか。



「次は~ 後藤~ 後藤です・・・」

NO PHOTO

「愛称名は、『どろたぼう』ぢゃ」

どろたぼう・・・こちらも画はナシ。
漢字で書くと「泥田坊」なので、田んぼに関係するお方です。
放蕩三昧のために田畑を他人に取られた男が、夜な夜な耳にする声。
「田を返せ~ 田を返せ~」
この声の主こそ泥田坊であり、その正体は田畑を遺して死んだ放蕩息子の父なのだそうです。



「次は~ 富士見町~ 富士見町です・・・」



「愛称名は、『座敷わらし』です」

座敷わらしは岩手県に伝わる妖怪で、普段は座敷にたたずんでいるものの、その家人には見えないのだそうです。
まれに座敷わらしが見えることがあり、出会った人には幸運が訪れるといわれています。
座敷わらしが住んでいる家は繁栄し、わらしが去った家は衰退していくといわれています。



「次は~ 博労町(ばくろうまち)~ 博労町です・・・」



「愛称名は、『コロポックル』ぢゃ」

コロポックルは、アイヌの伝承に登場する小人で「ふきの葉の下の人」という意味だそうです。
水木ロードのブロンズ像も、なにやら葉っぱを傘代わりにしてたたずんでいますね。



「次は~ 終点の・・・米子~ 米子です・・・」



「愛称名は、『ねずみ男』です」

ねすみ男は「ゲゲゲの鬼太郎」に登場するオリジナルの妖怪です。
人間に対してしばしば詐欺をはたらいて金品を巻き上げる、鬼太郎をあっさり裏切って悪事に加担する、そして鬼太郎やねこ娘に懲らしめられるという、軍団の中では異色の存在です。
通常時は戦闘能力はほぼないに等しいのですが、その悪知恵が戦況逆転のきっかけになることも。
そしてねずみ男の最大の能力は悪臭で、口臭が10メートル離れたハエを落とすほどだとか。
さらに放屁は、あの鬼太郎すらも失神させるほどだといいます。

「ワシらの案内、楽しんでいただけたかのぅ。
また、会おう!」





午 後 十 時 七 分

鳥 取 県 米 子 市

ね ず み 男 駅 に 到 着








ねずみ男駅・0番線ホームから、



「よにゃ~ご駅」へ。


今宵のお宿は松江にとってありますので、さらに先へと進んでいきます。



この日最後の列車は、22時28分発 山陰本線 普通列車 西出雲行きとなります。



若手の探偵さんが描かれた列車ではなく、シンプルすぎる黄色の列車で、神々の集う国へ。



列車は定刻どおり発車し、島根県に入ります。

 

安来駅では十神山(とかみやま)
揖屋(いや)では春日城をそれぞれ攻略。




令 和 元 年 神 在 月 廿 日 ( 日 )

午 後 十 時 五 十 五 分

J R 松 江 駅 に 到 着




今回の城攻め旅・最終目的地、松江へ。
目的はもちろん、国宝・松江城です。
時刻は日付が変わろうかという午後11時、当然お城には入れませんので・・・



松江駅南口から徒歩10分弱のところにある、3泊する予定のビジネスホテルへと歩き出したのでした。




【今回の鉄道乗車記録】

JR西日本 境港駅(鬼太郎駅) 1番線 21時23分発
[C]境線 普通 ねこ娘列車 米子行き 1両ワンマン
米子駅(ねずみ男駅) 0番線 22時07分着

米子駅 4番線 22時28分発
[D]山陰本線 普通 西出雲行き 2両ワンマン
松江駅 4番線 22時58分着

*所要時間 1時間35分(移動時間 1時間14分 待ち時間 21分)
*移動距離 46.8km
*運賃   秋の乗り放題パス使用(使用しない場合、860円)



【今回の「城攻め」成果】

[D]山陰本線
(22時28分 米子駅発車)
22時35分 安来駅(米子から1駅)  十神山城を攻略。
22時47分 揖屋駅(米子から3駅)  春日城を攻略。
(22時58分 松江駅到着)





境線に乗ってみた・往路~ねこ娘列車

2020-07-26 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 無 月 廿 日 ( 日 )

午 後 五 時 五 十 分

鳥 取 県 米 子 市

J R 米 子 駅



米子城【国指定史跡】の登城を終えて、



JR米子駅に戻ってきました。

米子駅の真ん前にあって、夜になると緑色にきらめく横から見たハマグリのようなオブジェ。
とっても気になるこのオブジェは、(こめ)ッ子合掌像」という作品だそうです。
ハマグリではなく米粒を表していて、米子に来る人々を合掌して出迎える・・・という意味なのだとか。

米子駅前にはもうひとつのオブジェがあります。



これは・・・ジェットコースター???
そうではなく、「山陰鐡道発祥之地」の時計塔だそうです。
蒸気機関車が客車を引っ張って天駆ける・・・これって「銀河鉄道999」ですね。


さて駅ナカへ。
小腹が減ってきたということで、



米吾(こめご)という食事処へ。
大きく掲げられている「吾左衛門鮓」は屋号ではなく商標で、鯖、カニ、穴子などの押し寿司のようです。
この店舗は「米吾」の直営店で、当然ながら吾左衛門鮓も食べられるのですが・・・



券売機にたった2文字で書かれている「そば」に惹かれてしまい、そば(380円)を注文しました。



気になった「そば」は、のり1枚とねぎがまぶしてありました。
要するに、かけそばですね。



「そば」、うまい!

すなば&スタバ以来の食事。
ランチがそこそこ軽めだったので、このときはやや空腹ぎみだったのですが、夕食は港町の境港で食べようと考えていた私は、「そば」のみでごちそう様といたしました。
思えば、サバ寿し(2切320円)くらいは食べておけばよかったですね。



米子駅からの列車は、



18時30分発 境線 普通列車 境港行きです。

境線は米子駅を発し、中海の湾口を塞ぐ砂州である弓ヶ浜半島を縦断して港町の境港駅を結ぶ、長さ20km弱の短い路線です。
境線の終点・境港は、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげるが幼少期を過ごした地。
これにちなんで、境線では「鬼太郎列車」が運行され、境線の各駅は愛称(副駅名)に妖怪の名が採用されています。



よにゃ~ご駅・・・
「ゲゲゲの鬼太郎」にねこ娘というのがいましたが・・・「よにゃ~ご」は妖怪ではありませんね。



境線が発着する0番線ホームにきました。



コンコースへと至る階段には、ねずみ男氏とともに「ねずみ男駅」の愛称が表示されています。
目玉のオヤジさんもいらっしゃいます。



私を妖怪の国境港へといざなう、ねこ娘列車がスタンバイしています。
近年のねこ娘さんはやたら可愛くなっておられますが、列車のねこ娘は古き良き時代?の画ですね。



ねずみ男駅の駅名標。
次はコロポックルですか。



そろそろ発車時刻。
一旦木綿さんに見送られ、ねずみ男駅を発ちました。




午 後 六 時 三 十 分

ね ず み 男 駅 を 発 車


境港までの短い路線ではありますが、列車は意外と混雑していました。
地元の方々が帰宅される時間帯だったのでしょう、お立ちの方もそれなりにいらっしゃいました。



ねこ娘列車の座席。
こちらのねこ娘さんは、やや近代化されていますね。


「皆さん・・・JR境線にようこそ・・・ゲゲゲの鬼太郎です・・・
父さんとねこ娘と一緒に、終点の境港までご案内します・・・」


あれ? 鬼太郎ってもっとハキハキしゃべってるイメージだったんですが・・・
現在の鬼太郎の声優は5代目で、沢城(さわしろ)みゆきさん。
私の知る鬼太郎の声の人は2代目で戸田恵子さん、アンパンマンの人です。

「米子駅は、『ねずみ男駅』って愛称名があるのよ」

ねこ娘さんの声優は、庄司宇芽香さん。
・・・・・・ごめんなさい、私はあまりアニメを見ないので、声優さんがどの作品の誰の声を担当しているか、よくわからないのです。

「これからワシらが終点まで各駅を紹介していくぞ。
楽しみにしておるのぢゃぞ」


悟空だ!
アニメに疎い私でもすぐにわかるこの声の主は、重鎮・野沢雅子先生。
田の中勇氏が他界された後をうけ、2代目の目玉の親父の声を担当されています。


「次は~ 博労町(ばくろうまち)~ 博労町です・・・」
「愛称名は、『コロポックル』です」

鬼太郎さんが、ちょいと弱弱しい声で駅名を案内。
次いでねこ娘さんが愛称名を案内していきます。
愛称名は、奇数番目の駅がねこ娘、偶数番目の駅が悟空目玉の親父の声となります。

「後ろのドアは、境港以外の駅では開きませんので、ご注意ください。
運賃、きっぷは、整理券と一緒に、運転席後ろの運賃箱にお入れください。・・・」


事務的な内容は、鬼太郎一味ではなくプロの方・・・いや鬼太郎一味もプロなんですけど・・・とにかくワンマン列車専門の方?の声となっています。





ねずみ男駅から8駅の砂かけばばあ駅
正式名称は大篠津町駅で、ここまでが米子市内。
この次の駅は米子空港駅(べとべとさん駅)ですが、米子市ではなく境港市となります。



砂かけばばあ駅から5駅、一反木綿駅
正式名は上道(あがりみち)
終点まであと2駅です。




午 後 七 時 十 四 分

キ ム ジ ナ ー 駅 発 車 後


「次は~ 終点の・・・境港~ 境港です・・・」
「愛称名は、『鬼太郎』です」
「ワシらの案内、楽しんでいただけたかのぅ。
また、会おう!」


鬼太郎さんたちのご案内のあと、おねえさんが事務的なことを言って、境線の往路は〆。
19時17分、

 

定刻どおり境港駅に到着しました。



ねこ娘列車から降りる、和服の女性。
なんとなく画になりますねぇ~。





境港駅の出口、そして妖怪の国の入口へと足を踏み入れます。



【今回の鉄道乗車記録】

JR西日本 米子駅(ねずみ男駅) 0番線 18時30分発
[C]境線 普通 ねこ娘列車 境港行き 1両ワンマン
境港駅(鬼太郎駅) 1番線 19時17分着

*所要時間 47分
*移動距離 17.9km
*運賃   秋の乗り放題パス使用(使用しない場合、330円)





山陰本線を往く・第3章~鳥取県横断

2020-07-12 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 無 月 廿 日 ( 日 )

午 後 一 時 四 十 七 分

J R 鳥 取 駅



 

鳥取城【国指定史跡】の登城に2時間以上かけ、その後のランチでカフェをハシゴしてしまった私。
次の目的地に向かうべくJR鳥取駅に着いたのは、午後2時前になっていました。


次に向かうお城は、若桜(わかさ)鬼ヶ城【国指定史跡】。
当初の計画では、

JR西日本 鳥取駅 12時21分発
[B]因美線 普通 若桜鉄道若桜線直通 若桜行き
若桜鉄道 若桜駅 13時08分着

ということで、山城の若桜鬼ヶ城を上り下りするに十分な時間がとれているはずでした。
しかし時刻は午後2時前、当然12時21分発の列車に乗ることはできません。
この時間から若桜へ向かうには、

JR西日本 鳥取駅 14時22分発
[B]因美線 普通 若桜鉄道若桜線直通 若桜行き
若桜鉄道 若桜駅 15時09分着

となってしまいます。
もうすぐ夕刻という時間帯での山登りスタートは危険ではないか・・・・・・というわけで、

若桜鬼ヶ城の登城、断念・・・。


思えば前夜のゲストハウスで手持ちの時刻表の確認を怠り砂丘から戻るバスに乗ることができなかったのがすべてです。
わが100名城の城攻め旅は、鳥取県の山の中に大きな大きな積み残しができてしまったんですね。


若桜鬼ヶ城に行かないことで生じる、空白の時間。
これを埋め合わせるために、私は西へと向かいます。



「秋の乗り放題きっぷ」最終日。
本来は必要ないのですが記念ということで、鳥取駅の改札のおねいさんから検印をいただきました。
そういえば鳥取駅って、今もなお自動改札が導入されていないんですね。



利用するのは因美線ではなく、山陰本線
東西に長い鳥取県・・・といっても静岡だったり島根ほどではないのですが・・・をそのまま横断していきます。
今回乗車するのは、14時02分発 快速「とっとりライナー」 米子行きです。



こちらの車両・キハ121系気動車に乗って、鳥取県の西端・米子まで一気に向かいます。
銀色中心の車体は新しい感じがしますが、意外にも「電車」じゃないんですね、パンタグラフがついてないですし。
よくよく見れば、鳥取駅には構内に架線がないようなので、鳥取駅には「電車」が来ないんですね。



酸いも甘いも味わった鳥取を後にします。



午 後 二 時 二 分

鳥 取 駅 を 発 つ


列車に乗っかってしまったので、できることといったら車窓を眺めること、そして「城攻め」することぐらい。



そういえば鳥取駅発車前に、妙見山城を攻略してました。



鳥取駅のお隣・湖山駅では、布勢天神山城【鳥取県指定史跡】と新山城を攻略。
布勢天神山城は、因幡国(鳥取県東部)の戦国大名・山名氏の本拠である城でしたが、のちに本拠を鳥取城に移したため廃城になっています。



湖山駅から2駅の末恒(すえつね)では、防己尾(つづらお)を攻略。
防己尾城の城主として羽柴秀吉と戦った吉岡定勝さんを登用しました。


末恒駅からさらに5駅の松崎駅
「まんざき」と読む成田市内の駅とは違い、こちらは普通に「まつざき」と読みます。

 

ここでは羽衣石(うえし)【鳥取県指定史跡】を攻略。
南条宗勝・元続・元忠の南条三代を登用できました。

南条宗勝は、尼子経久・晴久による伯耆侵攻によって羽衣石城を奪われてしまいますが、約20年後に毛利元就の支援を得て奪回、さらに東伯耆(鳥取県中部)に勢力を伸ばしました。
その子・元続は、毛利家と手を切って織田信長・羽柴秀吉に鞍替えし、鳥取城の戦いでは羽衣石城を堅守して毛利軍の兵糧輸送をシャットアウト、これが「鳥取の渇殺し」の一因になりました。
南条家は時流を的確に読んで所領を守ってきましたが、孫の元忠は関ヶ原の戦いで西軍についたため所領を失い、大坂の陣で豊臣方に参加したものの、徳川方に寝返りを図って失敗し、切腹させられてしまいました。


松崎駅を出ると、



稲わらの山が整然と並んでいます。その奥の方・・・



中華皇帝の庭園を主題とする燕趙園というテーマパークの建物です。
燕趙園の中国庭園は日本最大で、また道の駅も併設されているのだそうです。



14時53分、倉吉駅へ。
東伯耆(鳥取県中部)最大の街・倉吉にある唯一の駅なのですが・・・この旅での特記事項はナシ。
そういえば鳥取県って、東の鳥取、中部の倉吉、西の米子に境港と、市は4つしかないんですね。


倉吉から2駅、



コナン駅こと、由良駅
「名探偵コナン」の作者・青山剛昌氏の出身地にちなんだ愛称で、駅周辺にはコナンの銅像などのオブジェが立ち並んでいるのだそうです。



「コナン」よりも私の興味を惹く、由良駅の次の駅・・・



次は浦安
あれれ、前の駅は南行徳じゃなかったよな・・・いや、快速だから西船橋・・・でもない。
葛西でもなく、東陽町でもない・・・。

間違いなく、山陰本線由良駅の次の駅は、浦安駅です。

開業は明治36年(1903年)で、当時は八橋(やばせ)でした。
その後東八橋駅に、そして昭和24年(1949年)当時の浦安町にちなんで浦安駅に改称されました。
昭和29年(1954年)合併により浦安町はなくなってしまうのですが、駅名は現在まで残っています。

ちなみに千葉県の浦安駅は、昭和44年(1969年)営団地下鉄(東京メトロ)東西線の全線開通に伴って開業しました。
千葉県の浦安は以後ベッドタウンとして急速に発展し、昭和58年(1983年)にはあの 夢の国 が開園し、浦安といえば千葉県というイメージが定着してしまいました。
鳥取県の浦安駅は、「『じゃない方』の、浦安。」という自虐ポスターまで作成しているようですが、本家の浦安駅はあくまで鳥取県側です。



15時08分、浦安駅に到着。
ここから 夢の国 へは約750km、寝ずに歩いても7日かかります。

 

夢の国から離れた浦安の地でも、「城攻め」
八橋(やばせ)【琴浦町指定史跡】、槻下豪族館【琴浦町指定史跡】と船上山城【国指定史跡】を攻略。
八橋城主となった杉原盛重を家臣に加えることができました。

船上山城は、鎌倉幕府討幕に失敗して流されていた後醍醐天皇が幽閉先の隠岐から脱出した際に、伯耆の豪族・名和長年に迎えられて一時滞在した所で、「船上山行宮(あんぐう)ともいいます。
ここで鎌倉幕府軍を迎え撃った長年は、奮戦の末に幕府軍を撃退。
これより討幕の機運が一気に高まっていきました。





右の車窓から見える日本海
かすかに見えるのは、後醍醐天皇が幽閉されていた隠岐島
あんなところから脱出して討幕運動を繰り広げるのですから、後世の評価はさておき、後醍醐天皇のバイタリティは並外れたものだったんでしょうね。




午 後 三 時 四 十 七 分

米 子 駅 に 到 着




乗車時間1時間45分を経て、山陰本線では鳥取県最西端の米子駅に到着しました。
隣駅のやすぎ(安来)駅は、島根県となります。


このまま安来、松江方面へは向かわず、この米子駅で下車します。



「海、山、旅のドラマは米子駅から」
米子駅さんがこうおっしゃっております。




訪問を断念した若桜鬼ヶ城に代わる新たな目的地に向けて、旅のドラマを米子駅から紡いでいきましょう。



【今回の鉄道乗車記録】

JR西日本 鳥取駅 4番線 14時02分発
[A]山陰本線 快速 とっとりライナー 米子行き 2両ワンマン
米子駅 2番線 15時47分着

*所要時間 1時間45分
*移動距離 92.7km
*運賃   秋の乗り放題パス使用(使用しない場合、1,690円)



【今回の「城攻め」成果】

[A]山陰本線
13時58分 鳥取駅  妙見山城を攻略。
(14時02分 鳥取駅発車)
14時05分 湖山駅(鳥取から1駅)  布勢天神山城【鳥取県指定史跡】と新山城を攻略。
14時12分 末恒駅(鳥取から3駅)  防己尾(つづらお)を攻略、吉岡定勝を登用。
14時16分 末恒駅・宝木駅間     大崎城富吉城を攻略。
14時26分 浜村駅(鳥取から5駅)  会下(えげ)を攻略。
14時42分 泊駅 (鳥取から7駅)  河口城【湯梨浜町指定史跡】を攻略。
14時46分 松崎駅(鳥取から8駅)  羽衣石(うえし)【鳥取県指定史跡】を攻略。
                  南条宗勝南条元続南条元忠を登用。
(14時53分 倉吉駅到着)
14時58分 下北条駅(倉吉から1駅) 堤城を攻略。
15時08分 「じゃない方の」浦安駅(倉吉から3駅)
                  八橋(やばせ)【琴浦町指定史跡】、槻下豪族館【琴浦町指定史跡】と船上山城【国指定史跡】を攻略。
                  杉原盛重を登用。
15時29分 御来屋(みくりや)駅(倉吉から8駅) 富長城【大山町指定史跡】を攻略。
15時36分 淀江駅(倉吉から11駅)  淀江城尾高城【米子市指定史跡】を攻略。
(15時47分 米子駅到着)





山陰本線を往く・第2章~砂の国へ

2020-05-30 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 無 月 十 九 日 ( 土 )

午 後 三 時 十 五 分

兵 庫 県 豊 岡 市

全 但 バ ス 出 石 営 業 所





出石城【豊岡市指定史跡】を登城し、「但馬の小京都」・出石の城下町を後にします。



全但バス出石営業所に戻ってきました。
ここからは、15時33分発 豊岡駅・豊岡病院行きのバスに乗車します。




出石の城下町を後にしたバスは、しばし出石川ぞいを進んでいきます。
この日はあいにくの雨、出石川の水量もかなり増えているようでした。

出石川は、やがて本流の円山川に合流します。



バスは円山川を渡り、豊岡の市街地に入ります。
かなり強い雨が降っています。
山陰本線は運行しているのでしょうか・・・。


悪天候の中、全但バスさんはほぼ定時運行で進み、
「次は、豊岡駅前です」
私は「とまります」のブザーを押し、バス停で下車しました。



おおぅ、全但バスさんは豊岡駅のロータリーで停まっています。
どうやら「豊岡駅前」「豊岡駅」は別のバス停だったようです。



豊岡駅前バス停から、雨の中を歩いて豊岡駅に到着しました。



【今回のバス乗車記録】

全但バス 出石営業所 15時33分発
出石豊岡線 出石特別支援学校・神美(かみよし)経由 豊岡病院行き
豊岡駅前バス停 16時09分着

*所要時間 36分
*運賃   590円




午 後 四 時 十 五 分

J R 豊 岡 駅


豊岡駅から先へは・・・



山陰本線でさらに西を目指します。
乗車する列車は、次発の17時ちょうど発 普通列車 浜坂行きになります。
先発の特急列車は、2駅先の城崎温泉止まり。
城崎温泉に立ち寄って日帰り入浴をしていこう・・・なんて気力は失せてしまったので、40分ほど豊岡駅でじっと待つことにしました。



とりあえず豊岡駅で「城攻め」をし、豊岡城久美浜陣屋を攻略。



田結庄是義(たいのしょうこれよし)宮部継潤(けいじゅん)を家臣に加えました。
田結庄是義は「山名四天王」と称される山名家の重臣のひとりで、同じ「四天王」の垣屋続成(つぐなり)と争ってこれを殺害しますが、のちに子の光成によって滅ぼされてしまいました。
宮部継潤ははじめ浅井長政に仕えましたが羽柴秀吉に帰順し、山陰地方の攻略や九州征伐に大功を挙げた武将です。

時刻は夕方、車窓を楽しむにも限りがある時間帯。
やれることといったら「城攻め」をこなしていくこと・・・それくらいでしょうか。



16時40分前、浜坂行きの列車が入線してきました。
今回乗り込む車両はキハ47形という気動車です・・・って、私にはさっぱりわからないんですけどね。
座席はボックスシートなので、窓際でゆったり車窓を眺められます。
見えるかどうかはともかく、私は日本海を見たかったので、進行方向右側の座席に腰を下ろしました。




午 後 五 時 ち ょ う ど

豊 岡 駅 を 発 車




列車はしばし、但馬地方を潤す円山川にそって進みます。









円山川の下流域は、特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約(ラムサール条約)に登録されている湿地なのだそうです。
このあたりは、絶滅危惧種に指定されているコウノトリの良好な生息地となっているそうです。



17時17分、城崎温泉駅に到達。
ここでは下車せず、先を急ぎます。



大谿(おおたに)と、両岸に立つ柳。
風情のある城崎温泉の旅館街を、チラリと垣間見ることができました。



城崎の温泉街から外れたところにある池は、桃島池というそうです。
この池も、円山川の下流域としてラムサール条約に登録されている湿地とされています。
この池の下流には、どうでしょう班が宿泊した「大西屋水翔苑」というお宿があるそうですが、山陰本線からは見えませんでした。


17時31分、城崎温泉の隣駅・竹野駅を過ぎたところで・・・

 

日本海だぁ~~~!
「北日本完全制覇!?」の小樽へ向かう函館本線以来、3年ぶりに日本海さんにお目通りすることができました。
しかしながら時はすでに日の入りを過ぎ、車窓から光が失せていきます。




17時38分、佐津駅到着前。
佐津川という川にかかる佐津川橋のライトアップが始まっています。




17時43分、柴山駅付近。
リアス式海岸を構成している小さな柴山湾の風景を、辛うじて見ることができました。




17時49分、香住駅に到着。
改札口に架かっているカニさんはベニズワイガニで、香住近辺で漁獲されるものは特に「香住カニ」というそうです。




18時00分、山陰本線随一の車窓・・・を誇る余部橋梁を通過。
車窓を楽しむのは、ここが限界のようです。



18時11分、



この列車の終点・浜坂駅に到着しました。




午 後 六 時 十 二 分

兵 庫 県 美 方 郡 新 温 泉 町

J R 浜 坂 駅


「ケビン・コスナーじゃん」
「エアーウルフだね」「トップガンみたい」


浜坂駅のあるこの地は「新温泉町」。
読み方はいたって普通の「しんおんせんちょう」。
温泉町という名前の通り、この町には湯村温泉があります。
湯村温泉・・・どうでしょう藩士にとっては有名な、かの大泉洋ヘリ嘔吐事件の地でもあります。

「・・・君は、トップガンにはなれないね」

現在はヘリコプターの運航は行っておらず、ヘリ嘔吐事件の現場となった湯村温泉ヘリポートも廃止されています。



この日最後となる列車にお乗り換え。
18時16分発 山陰本線 快速列車 鳥取行きで、はじめての山陰地方上陸へ。



浜坂から4駅、鳥取県に入って2駅目の岩美駅にて、

 

この日最後となる「城攻め」で、桐山城二上山城を攻略し、



二上山城の城主であった垣屋光成を登用できました。
光成さんは父を討った田結庄是義を逆襲して滅ぼし、以後は時流を的確に読んで織田信長羽柴秀吉につき、垣屋家の所領を守り抜きました。
光成の死後、子の恒総(つねふさ)は関ヶ原の戦いで西軍についてしまったために滅亡し、桐山・二上山の2つの城は廃城となったそうです。



19時03分、



列車は定刻どおり鳥取駅に到着しました。



【今回の鉄道乗車記録】

JR西日本 豊岡駅 3番線 17時00分発
[E][A]山陰本線 普通 浜坂行き 2両ワンマン
浜坂駅 3番線 18時11分着

浜坂駅 1番線 18時16分発
[A]山陰本線 快速 鳥取行き 2両ワンマン
鳥取駅 1番線 19時03分着

*所要時間 2時間03分(移動時間 1時間58分 乗換時間 5分)
*移動距離 81.9km
*運賃   秋の乗り放題パス使用(使用しない場合、1,520円)



【今回の「城攻め」成果】

[E][A]山陰本線(豊岡駅~浜坂駅)
16時22分 豊岡駅  豊岡城久美浜陣屋を攻略。
          田結庄是義宮部継潤を登用。
17時07分 玄武洞駅(豊岡から1駅)  轟城を攻略。
17時49分 香住駅 (豊岡から6駅)  大野城を攻略。

[A]山陰本線(浜坂駅~鳥取駅)
18時19分 浜坂駅  温泉城を攻略。
18時38分 岩美駅 (浜坂から4駅)  桐山城二上山城を攻略、垣屋光成を登用。





福知山から出石へ

2020-05-06 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 無 月 十 九 日 ( 土 )

午 前 十 一 時 六 分

京 都 府 福 知 山 市

J R 福 知 山 駅





福知山城の登場を終え、少しばかり雨に降られながらもJR福知山駅に戻ってきました。



再び山陰本線で、西へ。
11時12分発 普通電車 豊岡行きに乗車します。


お次の目的地は、出石(いずし)【豊岡市指定史跡】有子山(ありこやま)【国指定史跡】です。
(有子山城は、大雨のため登城を断念しました)
但馬(たじま)の小京都」とも称される出石へは、いったん豊岡駅まで行ってから、バスに乗り換えます。

予定では、豊岡駅に12時32分に到着し、バスの発車時刻が12時50分、出石へは13時20分到着予定となります。



しかしこの日、兵庫県北部を豪雨が襲来していたのです。
画像の時刻は11時35分になっていますが、筋状の雨雲がのべつ幕なしに、これから向かう豊岡市付近にかかっています。



天候に不安を抱きながらも、定刻どおりに福知山駅を発ちました。





福知山の市街を抜け、山あいの集落へ。
牧川という川をわき目に見つつ、電車は兵庫県をめざします。


11時30分ごろ、福知山駅から2つ目の下夜久野駅へ。
上りの特急列車の通過待ちをするため数分停車するとのことですが、ここで車掌氏より・・・

「特急列車は、現在約25分遅れで運行しています」

なんと・・・特急の通過待ちをするとなると、豊岡駅に到着するのは30分ほど遅れるかもしれません。
そうなると、出石行きのバスの発車時刻に間に合わなくなってしまいます。

しかしその後すぐに・・・

「特急列車の通過待ちをせずに、このまま発車いたします」

おそらくはJR西日本指令部の決断に助けられ、それほどの遅れもなく発車することになりました。
しかし兵庫県北部地方の大雨の事実に変わりはなく、私が乗っている電車もいつ運転を見合わせるかわかりません。





山あいの地を通り抜けて、電車はいつしか兵庫県に入っていました。







本日3回目、通算4回目の和田山駅へ。
今回は途中下車することなく、和田山駅を通過させていただきます。




和田山駅から先の山陰本線は、未踏の領域となります。
ここからは、城攻めアプリ「ニッポン城攻め旅」を起動しながら進みます。
車窓からでもすぐにわかる、強めの雨・・・。



養父(やぶ)八鹿(ようか)までのほぼ中間、大屋川円山川の合流付近で、朝倉城【養父市指定史跡】を攻略できました。
朝倉城は鎌倉時代のお城なのですが、この地より越前国(福井県)に移って戦国大名となった朝倉氏の発祥の地だそうです。



電車は12時19分、



定刻に後れること5分、八鹿駅に到着しました。



【今回の鉄道乗車記録】

JR西日本 福知山駅 3番線 11時12分発
[E]山陰本線 普通 豊岡行き 2両ワンマン
八鹿駅 1番線 12時19分着(遅れ5分)

*所要時間 1時間07分
*移動距離 42.7km
*運賃   秋の乗り放題パス使用(使用しない場合、770円)




午 後 十 二 時 廿 三 分

兵 庫 県 養 父 市

J R 八 鹿 駅




八鹿駅で下車しました。
どことなくレトロな雰囲気を醸し出している駅舎ですね。



駅の案内表示にも、大きく「山陰本線 大雨 列車の遅れ」とあります。
そのため豊岡駅まで行くのを早々にあきらめ、この八鹿駅から出石に向かうルートを採用しました。



駅前のロータリーには、全但バス八鹿営業所が面しています。
ここから出石行きのバスが出ていることは、事前にチェック済みでした。



待合所にもなっている八鹿営業所でバスを待ちます。
今度の出石行き(出石福祉ゾーン行き)は12時52分発と、待ち時間はそこそこあります。



この日のランチは、出石でガッツリ食べる予定・・・ではありますが、

 

朝食がニチレイさんだけだったので、繋ぎの軽い食事でもしておきたいところ。
GoogleMapで調べてみましたが、20分程度で往復&食事までできそうなお店はなさそうです。
駅の裏にミニストップがありましたが、駅から直接に行ける道はなく、思った以上の距離があるようです。

とはいえ空腹には勝てず、とりあえず駅近くを歩いてみることに。



近くを流れている小さな川。
水流の激しさからも、降水量の多さがわかります。
それよりも不思議に思ったのが、画像奥に架かっている橋の上には・・・家が建っているのでしょうか?
この橋&家(スーパーハウス?)、GoogleMapには記載されていません。
まったく謎の橋です・・・・・・河川法上の占用許可を得ているのでしょうか?



橋を渡った先にある、田中酒店さん。
酒店か・・・でも酒の肴になりそうな食料品くらいはあるだろう・・・。



この日のランチ(仮)。
田中酒店さんから購入したパン2個と、八鹿駅の自販機にあったアイスモナカを食べて、バスの到着を待つことにしました。




午 後 十 二 時 五 十 五 分

出 石 行 き バ ス に 乗 車




出石行きのバスがやってきました。
定刻より3分ほど遅れてはいますが、この悪天候を考えればまったくの許容範囲と言えます。
方向表示は「出石(いずし)」ではなくて「出(いずし)石」なんですね。


兎にも角にも、出石行きバスは発車。



円山川を渡ります。
相変わらずの強い雨です。



円山川の支流・出石川を渡れば、「但馬の小京都」と称される街並みももう少し。



13時21分、



全但バス出石営業所に到着しました。
豊岡駅経由の到着予定時刻とほぼ変わらない時刻で、この出石に到着することができました。
運賃も570円で、豊岡駅からのバスより20円安く済みました。



出石に着いたところで、まずは真の昼食をガッツリ味わうこととします。



【今回のバス乗車記録】

全但バス 八鹿営業所 12時52分発
出石八鹿線 出石行き
出石営業所 13時21分着

*所要時間 29分
*運賃   570円



【今回の「城攻め」成果】

[E]山陰本線
12時16分 養父駅(和田山から1駅)・八鹿駅間  朝倉城を攻略。





竹田から出石へ・・・

2020-04-12 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 無 月 十 九 日 ( 土 )

午 前 七 時 四 十 三 分

兵 庫 県 朝 来 市

竹 田 城 跡 料 金 所



竹田城の登城を終え、料金所まで戻ってきました。
これより山を下り、JR竹田駅へ。



約15分で登山道ゲートまで到達。



最後の坂道もなかなかに急なので、油断なく下りていき・・・



無事にふもとの城下町までたどり着くことができました。
夜明け前に来たときはわかりませんでしたが、路傍の水路ではコイたちが悠然と泳ぎまわっていたんですね。



竹田の城下町、竹田寺町通りを後にして・・・



竹田駅に戻ってきました。
夜明け前はよく見えませんでしたが、こちらも城下町の雰囲気にあった風情ある駅舎ですね。




午 前 八 時 六 分

J R 竹 田 駅




駅の中にも、100名城スタンプが設置されていました。
夜明け前に着いたときには、ここを見落としていたようです。



竹田駅からは、手荷物を預けてある和田山駅まで戻ります。
わずか1駅の播但(ばんたん)のたびが始まります。





8時18分、播但線の朱色の車両・キハ40形2046番がやって来ました。





竹田の城下町を潤す円山川に沿って、朱色の列車は進みます。







やがて川が遠ざかり、



代わって山陰本線の線路が合流してくると、終点まではあとわずかです。




午 前 八 時 廿 四 分

J R 和 田 山 駅


わずか6分の播但線の旅の末、



和田山駅に到着しました。



待合室前にあるコインロッカーで、手荷物を回収し、次なる地へ向かいます。



次なる地・・・・・・当初の計画では、兵庫県北部にある出石(いずし)城・有子山(ありこやま)の予定でした。

出石の城下町に出石城があり、その背後にある有子山の頂上に有子山城があります。
室町時代後期に有子山城が築城され、時代が経過して安土桃山時代に城の機能をふもとに下ろした出石城が築かれた関係で、この2城はセットで扱われることが多いようです。
続100名城の選定でも、「出石城・有子山城」が162番となっています。

そうなれば、出石城だけ行って、スタンプをゲットしておしまい!というわけにはまいりません。
当然ながら、有子山城にも登城してはじめて162番は完結というべきでしょう。
しかしここで重大な問題が発生していました。

兵庫県北部、大雨警報発令。

山登りには大敵の雨、それも大雨が降るというのです。
これによって、当初の計画は修正を余儀なくされました。

たとえ大雨だとしても、出石城には行こう。
出石城は平城だから、雨でも行けないことはないだろう。
有子山城は・・・残念だが、登城は断念せざるを得まい。
有子山城の登城時間を穴埋めできる、ほかの城が近くにないだろうか・・・・・・?



ここだ!
和田山から山陰本線一本で行ける、福知山城
本日のお宿がある鳥取からは逆方向になってしまいますが、福知山城も平城だし、駅から離れていないので、登城時間もそれほどかからないはずです。



今度の電車は、8時54分発 山陰本線 普通電車 福知山行きと決まったところで、待ち時間を利用して駅周辺をぶらりとしましょうか。



山陰本線の線路の向こうにある建物は、旧和田山駅機関庫だそうです。
明治45年(1912年)に機関庫として建造され、その後車両整備工場に転用され、平成3年(1991年)まで現役だったそうです。
現在は屋根がなくなってしまい、ただ朽ち果てるのを待つ廃墟のようですね。



1・2番ホームからの機関庫。
長期間風雨に晒されながらも、煉瓦造りの機関庫は健在のようですね。
屋根の部分を見てしまうと、かなり残念なのですが・・・。





8時54分、福知山行きの電車がやってきました。






山陰本線は山川を縫うように進み、



9時41分、定刻どおり福知山駅に到着しました。



【今回の乗車記録】

JR西日本 竹田駅 2番のりば 8時18分発
[J]播但線 普通 和田山行き 1両ワンマン
和田山駅 5番のりば 8時24分着

和田山駅 1番のりば 8時54分発
[E]山陰本線 普通 福知山行き 2両ワンマン
福知山駅 5番のりば 9時41分着

*所要時間 1時間22分 (移動時間 52分 待ち時間 30分)
*移動距離 36.3km
*運賃   秋の乗り放題パス使用(使用しない場合、680円)





山陰本線を往く~麒麟が来た!

2020-02-24 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 無 月 十 八 日 ( 金 )

午 後 四 時 八 分

滋 賀 県 近 江 八 幡 市

J R 安 土 駅



観音寺城【国指定史跡】の登城が不完全燃焼に終わってしまい、失意のうちに安土駅に戻ってきたのでした。
1,200段の石段を上り下りした私の脚は、限界寸前のところまできていました。

・・・予定では、この旅で連日山城を上ることになっているのですが、私の脚は大丈夫でしょうか?

そんな心配をするようになってきました。
そして早いトコ宿に行って、さっさと寝てしまおう、明日も早いことだし。
そう考えて無駄な寄り道は一切せず、予約を入れた宿へ向かうこととしました。




安土駅からの電車は、16時20分発 琵琶湖線 普通電車 網干行きです。
京都駅から快速電車となって京都線に入り、大阪駅から神戸線に直通し、姫路を過ぎて網干駅まで進むロングラン列車です。
ま、私は京都駅で下りてしまうんですけどね。



安土駅から今宵の宿までも、「ニッポン城めぐり」の「城攻め」でお城と武将を集めていきます。
安土駅で電車を待っているときに「城攻め」をし、京極高次さんを登用しました。
高次さんの奥さまは、「浅井三姉妹」の次女・
またお姉さまは、豊臣秀吉の側室・竜子ということで、高次さんは「女の七光り」で出世した「蛍大名」と揶揄されたそうです。
しかし高次さん自身も決して無能ではなく、関ヶ原の戦いでは大津城に籠って西軍の大軍を引きつけ、本戦に間に合わせなかった大功を立てています。



16時20分、電車は定刻どおり安土駅を出発。


16時23分、安土駅のお隣・近江八幡駅にて「城攻め」。

 

長光寺城後藤館を攻略。
戦国時代の建築業界では有名人の田中吉政さんを登用しました。
田中さんは岡崎城柳川城の城主となり、それぞれ大規模な城下町形成を行って、現在にも残る街並みの礎を築きました。
また関ヶ原の戦いでは、西軍の首魁・石田三成を捕らえる大功を立てています。



長光寺城を攻略したことで、ご当地にちなむ異名・「瓶割り柴田」を獲得しました。


織田信長観音寺城を攻略した後、六角軍は南部の甲賀に逃げてゲリラ戦を展開していました。
その後信長は信長包囲網を敷かれ、周囲が一斉に敵となる状況に陥ります。
六角軍もこの機に乗じ、信長の重臣・柴田勝家が守る長光寺城に攻め寄せてきました。
六角軍は長光寺城の水利に難があることを見て取り、水源を絶ってきたのです。

このとき勝家は、城兵に水瓶を割らせて決死の覚悟をもたせ、城から打って出たのです。
柴田軍は死に物狂いで戦い、見事六角軍を撃退したそうです。



・・・ということなのですが、この話は伝説の域を出ていないのだとか。
「かかれ柴田」の異名をもつ猛将・柴田勝家らしいエピソードではあるのですが。


16時34分、守山駅にて・・・



金ヶ森城を攻略し、3名の武将を登用しました。
中でも長束(なつか)正家は、「豊臣五奉行」のひとり・・・



「豊臣五奉行」、集結!
甲府で浅野長政、彦根で石田三成
大垣で前田玄以、清洲で増田長盛
そして守山で長束正家を登用し、5名勢揃いとなったわけです。


16時50分、



瀬田川を渡りました。
瀬田川の向こうは、日本一の湖・琵琶湖です。
また瀬田川は滋賀県限定の名称で、京都府では宇治川、大阪府に入って淀川と名を変え、大阪湾に注ぐのです。



電車は滋賀県の県庁所在地・大津を通り過ぎ、京都に入ります。
そして17時06分、



ついに京都駅に到着。
ここで電車を下りました。




午 後 五 時 八 分

京 都 市 下 京 区

J R 京 都 駅


京都から先に進む電車は、



17時39分発 嵯峨野・山陰線 快速電車 福知山行きです。
嵯峨野線が発着するホームは、32番・33番のりばで、0番のりばの片隅にたたずんでいる場所、悪くいえばはじっこに追いやられているホームなのです。
先発の電車は、途中の亀岡止まりなので、福知山のさらに先に宿をとった私は次発の電車を待つことになります。

30分以上の待ち時間があるので、



京都駅のうどん屋さん・「麺家+さがの」で夕食とします。
この屋号の「+」って、なんなんでしょう?

券売機を見て、「きざみうどん」(410円)というものに興味を惹かれた私。
「きざみ」??? 関東では見ない表記です。刻まれた何かがトッピングされてでてくるのでしょうけど・・・?



きざみうどん、うまい!
刻まれていたのは油揚げでした。
きつねうどんのお揚げを細かく切ったやつか・・・と思いましたが、きつねとは違い、きざみのお揚げは味付けがされておりません。
そして、薬味となっている九条ネギも細かく刻まれていますね。

ダシの文化が根付いている関西ならではのおうどんです。
この旅のテーマに掲げた「土地土地のものを食べる」に合致するメニューといえるでしょう。うむうむ。


きざみうどんをいただきながらも、「城攻め」



「剣豪将軍」足利義輝が幕下に加わりました。



京都駅からは・・・



17時39分発 嵯峨野・山陰線 快速電車 福知山行きに乗車します。
山陰本線・・・京都駅から日本海側を進んで山口県の幡生(はたぶ)までの673.8kmを結ぶ、日本一の長距離路線です。
京都駅から園部駅までは、「嵯峨野線」という愛称がついています。

これまでは、日本第2位の路線・東海道線で京都までやってきました。
これからは、山陰本線という日本一の路線と真っ向勝負する旅となりますね。



17時39分、山陰本線の旅が始まりました。


京都駅から3駅目、快速だと京都の次の停車駅となっている二条駅にて。



日本100名城・第53番、二条城攻略!



織田家きっての名官吏・村井貞勝、室町幕府最後の将軍・足利義昭
そして「龍造寺四天王」のひとりである木下昌直・・・あんた、九州人じゃないのか?!
木下さんは元は京都出身だと考えられており、肥前の木下氏の養子となったのだといわれているそうな。



将軍様もわが幕下に加わりました・・・セリフはいたって普通、将軍様らしくありませんな。



二条から快速で3駅、亀岡駅へ。



丹波地方の重要な拠点であった丹波亀山城余部城田能城を攻略し、



麒麟が来た~!
令和2年(2020年)大河ドラマ「麒麟が来る」の主人公・明智光秀さんです!
そのお隣には、関ヶ原の戦いで東軍を勝利に導いた小早川秀秋さんもいらっしゃいます。
いわゆる「日本三大裏切者」のうちの二人と、この亀岡の地で顔を合わせることとなりました。
(秀秋さんは端っから東軍についていたから裏切っていないともいい、また光秀さんには本能寺冤罪説という説があります)
このお二人は、偶然にも丹波亀山城の城主を務めていたという経歴があるのです。

アクの強いお二人と、その間に挟まれる溝尾茂朝さんも登用していきます。



「石ころのような身分から・・・」
光秀さん独自のセリフですが、この出典元は『明智家法』という明智家臣団に対する軍法です。
そのあとがきに「石ころのような身分から引き立てていただき、過分な恩賞をいただいた。一族郎党は子孫に至るまで信長様への御奉公を忘れてはならない」とあるのです。
『明智家法』が記された1年後に、本能寺の変が起きてしまうのは、なんという皮肉でしょうか。
あるいはこの記述が、本能寺冤罪説の根拠のひとつともなっています。



18時17分、



園部駅に到着、こちらで車両4両が切り離しとなります。
終点の福知山駅までは2両編成となります。



19時35分、



続日本100名城・第158番、福知山城攻略!
そして、



終点の福知山駅に到着しました。

ちなみに駅名標の「いさ」は、福知山駅のひとつ前の駅です。
漢字で書くと石原、こんなの読めねえよ。




午 後 七 時 三 十 七 分

京 都 府 福 知 山 市

J R 福 知 山 駅




この日最後となる電車は、19時40分発 山陰本線 快速電車 城崎温泉行きです。
「快速 玄武洞通過」号ではないようですが・・・この快速電車の通過駅は玄武洞駅のみ。
私はその前の途中駅で下りてしまうので、実質各駅停車ですね。



レトロな感じの電車です。
113系電車115系電車? 私にはよくわかりませんが、これに乗って京都府を脱出します。




午 後 八 時 十 八 分

兵 庫 県 朝 来 市

J R 和 田 山 駅


福知山から5駅、



和田山駅に到着。
この日の鉄道の旅は、これにて終了。




雨降りしきる和田山駅。
信号機は縦型になっていますが、但馬地方は意外な豪雪地帯なのでしょうか。




駅から徒歩約10分、今宵のキャンプ地は~こことする!



【今回の乗車記録】

JR西日本 (A18)安土駅 3番線 16時20分発
[A]琵琶湖線(東海道線) 普通 京都線直通 網干行き 10両
(A31)京都駅 5番線 17時06分着

(E01)京都駅 33番線 17時39分発
[E]嵯峨野・山陰線 快速 福知山行き 6両
(E16)園部駅 4番線 18時17分着 後4両切離し
福知山駅 2番線 19時36分着

福知山駅 1番線 19時40分発
[E]山陰本線 快速 城崎温泉行き 2両ワンマン
和田山駅 4番線 20時18分着



*所要時間 3時間58分 (移動時間 3時間21分 乗換時間 37分)
*移動距離 161.8km
*運賃   秋の乗り放題パス使用(使用しない場合、3,020円)



【今回の「城攻め」成果】

[A]琵琶湖線(東海道線)
16時11分 JR-A18 安土駅  京極高次を登用。
16時23分 JR-A19 近江八幡駅  長光寺城後藤館を攻略、田中吉政を登用。
             「瓶割り柴田」の異名を獲得。
16時27分 JR-A20 篠原駅  星ヶ崎城桜生城を攻略。
16時29分 JR-A20・21 篠原駅・野洲駅間  永原城小堤城山城を攻略。
16時34分 JR-A22 守山駅  金ケ森城を攻略。
             長束正家河田長親金森長近を登用。
16時37分 JR-A23 栗東(りっとう)駅  芦浦観音寺館青地城を攻略。
16時44分 JR-A25 南草津駅 瀬田城を攻略。
16時53分 JR-A28 膳所(ぜぜ)駅  膳所城を攻略。
16時57分 JR-A29 大津駅  大津城を攻略。
17時00分 JR-A30 山科駅  山科本願寺を攻略。

[E]嵯峨野・山陰線
17時23分 JR-E01 京都駅  吉祥院城を攻略、足利義輝一色藤長を登用。
17時43分 JR-E03 二条駅  二条城【日本100名城・第53番】と小泉城を攻略。
             村井貞勝木下昌直足利義昭を登用。
17時51分 JR-E08 嵯峨嵐山駅  嵐山城高雄城を攻略。
17時59分 JR-E11 亀岡駅  亀山城(丹波亀山城)余部城田能城を攻略。
             明智光秀小早川秀秋溝尾茂朝を登用。
18時05分 JR-E13 千代川駅 八木城を攻略、内藤如安を登用。
18時18分 JR-E16 園部駅  園部城橋爪城を攻略。
18時34分 鍼灸大学前駅(園部から3駅) 塩貝城今宮城を攻略。
                   蜷川親長を登用。
19時00分 安栖里(あせり)駅(園部から7駅)  出野城を攻略。
19時12分 山家駅 (園部から9駅)  八田城を攻略。
19時23分 綾部駅 (園部から12駅)  綾部城を攻略。
19時30分 石原駅 (綾部から2駅)  石原城を攻略。
19時35分 福知山駅到着前       福知山城【続日本100名城・第158番】を攻略。
                   有馬豊氏小野木重次明智秀満を登用。
20時00分 下夜久野駅(福知山から2駅) 鳴岩城を攻略。





続・東海道線城攻め旅~治部少輔、石高を圧迫す

2020-02-09 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 無 月 十 八 日 ( 金 )

午 前 十 一 時 三 十 五 分

岐 阜 県 大 垣 市

J R 大 垣 駅



夜明け前に横浜を発った私は、なおも東海道線で西へ。
「城攻め」をしつつ、美濃、そして近江へと進んでいきます。

しかしここで問題が。



尾張は織田信長公の天下布武の戦いで名を上げた武将の宝庫。
出会った武将を片っ端から登用し、さらには信長公ご本人を幕閣にお迎えしたために、石高が不足気味になってきました。

そろそろ課金で石高を得る手段も講じなければならないのか・・・?





さてさて今度の電車は、11時42分発 東海道線 普通電車 米原行きです。
いよいよ関ヶ原を越え、東国から西国へと突入しますが、その前に・・・

 

続100名城・第144番、大垣城
大垣駅で「城攻め」を行い、信長の宿老・池田恒興、豊臣五奉行・前田玄以ら5名を登用。
ああ、ここでも武将が5名・・・石高が底を尽きそうです。



電車は定刻どおりに発車し、



11時55分、関ヶ原駅へ。
駅ホームにでかでかと掲げられている「古戦場の町 関ヶ原」のボード、もうおなじみになっちゃいましたね。

家康、三成らのメジャーな武将とともに名が挙げられている竹中重門平塚為広2名のマイナー武将。
石高も1万石前後にもかかわらず名が挙げられているのは、為広が垂井城、重門が岩手城と、それぞれ地元・西美濃地方にゆかりがあるからでしょう。
竹中重門は軍師・竹中半兵衛の嫡子で、関ヶ原の戦いでは西軍の首魁である小西行長を捕らえるという大功を挙げています。



関ヶ原駅で「城攻め」すると、2人の居城ではなく不破の関・・・城なのか?!
(ちなみに垂井城は、赤坂支線荒尾駅付近を通過中に攻略できました)



関ヶ原では、竹中さんのみ登用できました。
(平塚さんは、垂井城攻略と同時に登用しています)




雲霧の立ちこめる美濃・近江国境を越えて、



米原駅に到着。
その直前に、



続日本100名城・第156番、鎌刃城



武将が4人・・・石高が足りなくなってきたか・・・ ひとまず登用を見合わせます。
石高が足りない場合は、課金するか、これまでせっせと貯めてきた貫高(ポイントに該当します)を石高に換えるかの手段を講じる必要がありますが・・・。

4人のうちのひとりは、丹羽長重
関ヶ原で西軍についたため所領を没収され、後に大名に復活した武将です。
信長の野望やこの「城攻め」ゲームでも能力値はパッとしませんが、彼はお城業界ではなかなかの有名人。
陸奥白河(福島県)で大名に返り咲いた彼は、居城の白河小峰城を改築しています。




午 後 十 二 時 十 八 分

滋 賀 県 米 原 市

J R 米 原 駅


米原駅からは、18きっぱーの救世主・新快速が出ていますが、これには乗りません。



今度の電車は、12時29分発 琵琶湖線 普通電車 加古川行きです。
京都から先は快速電車となり、大阪、神戸、明石を経て加古川まで行く電車ですが、今回は京都まで行きません。



いよいよ目的地が近づいてきました。
このあたりで軽い食事をとっておきます。
ここのかき揚げは、相変わらずあと乗せサクサク方式ですなぁ・・・。



12時29分、普通電車は西へ向けて発車。
私は、進行方向右側の席を確保しました。



米原駅のお隣、彦根駅付近。
彦根といえばもちろん、ひこにゃん城です。
右側の車窓から、ひこにゃん城天守【国宝】が・・・・・・小さく見えます。
ここでも「城攻め」を行い、



誰かさんには過ぎたるもの・佐和山城攻略!



日本100名城・第50番、彦根城攻略!



石田三成・10万石! 島左近・3万石! 蒲生さんは1万石。
治部少輔主従が合計14万石の石高を要求してきたため、石高は完全に不足してしまいました。
やむを得ません、課金・・・貫高を石高に換えて対応し、保留中の8名全員を登用しました。




ランダムで出会える武将・呂宋助左衛門に出会ってしまいました。
石高をねん出して登用・・・。



12時52分。横浜を発って7時間超。



今回も、安土駅で下車。
この旅最初の目的地へ向かいます。



【井土ヶ谷・横浜→安土の乗車記録】

KEIKYU 京急電鉄 (KK42)井土ヶ谷駅 2番線 5時13分発
(KK)京急線 エアポート急行 羽田空港行き 8両
(KK37)横浜駅 2番線 5時20分着

JR東日本 [JT05] YHM 横浜駅 6番線 5時28分発
[JT]東海道線 普通 小田原行き 15両
[JT16]小田原駅 4番線 6時21分着

[JT16]小田原駅 3番線 6時22分発
[JT]東海道線 普通 熱海行き 5両
[JT21]熱海駅 4番線 6時45分着

JR東海 [CA00]熱海駅 3番線 6時49分発
[CA]東海道線 普通 浜松行き 6両
[CA34]浜松駅 4番線 9時18分着

[CA34]浜松駅 3番線 9時24分発
[CA]東海道線 普通 豊橋行き 3両
[CA42]豊橋駅 7番線 9時57分着

[CA42]豊橋駅 6番線 10時02分発
[CA]東海道線 快速 大垣行き 8両
[CA77]大垣駅 5番線 11時32分着

[CA77]大垣駅 1番線 11時42分発
[CA]東海道線 普通 米原行き 4両
[CA83]米原駅 2番線 12時17分着

JR西日本 (A12)米原駅 3番線 12時29分発
[A]琵琶湖線(東海道線) 普通 京都線直通 加古川行き 10両
(A18)安土駅 3番線 12時52分着

*所要時間 7時間39分 (移動時間 6時間53分 乗換時間 46分)
*移動距離 447.5km
*運賃 京急 IC運賃 157円
    JR  秋の乗り放題パス使用(使用しない場合、7,340円)



【今回の東海道線における「城攻め」成果】

[JT]東海道線
6時23分 [JT16]小田原駅  北条氏尭を登用。

[CA]東海道線
7時18分 [CA05]原駅   興国寺城【続日本100名城・第145番】攻略、曽根昌世を登用。
             「どちへんなし」の異名を獲得。
10時05分 [CA42][CA43]豊川放水路橋梁(豊橋駅・西小長井駅間)
             牛久保城攻略。
10時14分 [CA47]蒲郡駅  上ノ郷城を攻略、鵜殿長持鵜殿氏長を登用。
10時19分 [CA49]三ケ根駅 深溝城山中城を攻略。
10時24分 [CA52]岡崎駅  渡辺守綱を登用。
10時28分 [CA52][CA53]矢作川橋梁通過後(岡崎駅・西岡崎駅間)
             安祥城桜井城を攻略。
10時35分 [CA57]野田新町駅  重原陣屋知立城を攻略、水野信元を登用。
             廻国異能の者・近衛前久を登用。
10時39分 [CA59]逢妻駅  刈谷城緒川城を攻略、水野勝成を登用。
10時40分 [CA60]大府駅  吉川城を攻略。
10時48分 [CA63]大高駅  鷲津砦大高城丸根砦を攻略、佐久間信盛を登用。
10時49分 [CA63][CA64]笠寺駅到達前  星崎城鳥栖城を攻略。
10時54分 [CA66]金山駅  古渡城荒子城を攻略。
             織田信包佐久間盛政柴田勝政を登用。
10時58分 [CA68]名古屋駅 日比津城を攻略。
             前田利政・利長林秀貞豊臣秀次織田信光を登用。
11時03分 [CA69]枇杷島駅 清洲城を攻略。
             津川義冬斯波義銀毛利長秀(ばん)直政を登用。
11時05分 [CA69][CA70]清洲城のそば(枇杷島駅・清洲駅間)
             織田信長公をお迎えする。
             織田信雄福島正則増田長盛梁田政綱も登用。
11時06分 [CA70][CA71]清洲駅通過後  下津城を攻略。
11時11分 [CA72]尾張一宮駅  一宮城苅安賀城野府城を攻略。
             毛受(めんじゅ)勝照塙団右衛門を登用。
11時15分 [CA73]木曽川駅 黒田城を攻略。
11時18分 [CA73][CA74]木曽川橋梁通過(木曽川駅・岐阜駅間)
             伏屋城川手城加納城を攻略。
             徳山則秀堀秀治を登用。
11時20分 [CA74]岐阜駅  織田秀信斎藤龍興堀秀政を登用。
11時27分 [CA76]穂積駅  墨俣城を攻略、日根野弘就を登用。
11時35分 [CA77]大垣駅  大垣城【続日本100名城・第144番】を攻略。
             氏家行広不破光治・直光池田恒興前田玄以を登用。
11時44分 [CA77][CA78]美濃赤坂支線荒尾駅付近(大垣駅・垂井駅間)
             長松城御茶屋屋敷を攻略、稲葉貞通を登用。
11時48分 [CA78]垂井駅  垂井城を攻略、平塚為広氏家卜全を登用。
11時55分 [CA79]関ヶ原駅 不破の関を攻略、竹中重門を登用。
12時01分 [CA80]柏原駅  長比城八講師城西高木家陣屋を攻略。
             遠藤直経京極高吉を登用。
12時06分 [CA81]近江長岡駅  横山城を攻略。
12時16分 [CA83]米原駅  太尾山城鎌刃城【続日本100名城・第156番】を攻略。
             丹羽長重百々(どど)綱家小川祐忠山﨑片家を登用。

[A]琵琶湖線(東海道線)
12時34分 JR-A13 彦根駅  佐和山城彦根城【日本100名城・第50番】を攻略。
             蒲生頼郷磯野員昌(かずまさ)石田三成島左近を登用。
12時38分 JR-A14 南彦根駅 敏満寺城荒神山城を攻略。
             廻国異能の者・呂宋助左衛門を登用。
12時44分 JR-A16 稲枝駅  目加田城を攻略。
             後藤高治毛屋武久後藤賢豊蜂屋頼隆を登用。
12時47分 JR-A17 能登川駅 佐生日吉城を攻略、六角義賢六角義治を登用。





東海道線城攻め旅~清洲にて魔王と出会う

2020-02-09 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 無 月 十 八 日 ( 金 )

午 前 四 時 五 十 八 分

横 浜 市 南 区

京 急 井 土 ヶ 谷 駅





今回の旅立ちは、京急井土ヶ谷駅から。



最初の電車・横浜駅方面の電車を待ちます。



5年前の「はじめての四国」でも、横浜のよね先生のお宅であらかじめ一泊してから、西へと向かいました。
当時は横浜市営地下鉄ブルーライン戸塚駅に向かい、そこから長い長い東海道線の旅が始まったのですが・・・
地下鉄の始発を待つよりも京急の始発に乗ったほうが、この先の目的地に30分も早く到着できることが分かったのです。



なかなかに冷える、秋の夜明け前。
日が昇る前の5時05分、普通電車 品川行きがやってきました。
横浜駅で待ち時間が生じるので、この電車はパス。
次の5時13分発 エアポート急行 羽田空港行きに乗りました。
エアポート急行って、こんなに早い時刻に運行しているんですね。



5時20分、横浜駅に到着しました。




午 前 五 時 廿 三 分

横 浜 市 西 区

J R 横 浜 駅


京急の改札を出て、JRの改札へ。



ここで今回のお供の者・「秋の乗り放題パス」が登場します。

「秋の乗り放題パス」は、「青春18きっぷ」の秋バージョンと考えるとわかりやすいでしょう。
しかし18きっぷとは大きく異なる点があります。
それは、使用開始日から3日間連続に限り乗り放題となることです。
18きっぷが、使用可能期間内の任意の5日分乗り放題になることに比べると、柔軟な権利行使ができなくなっています。
使用開始日は購入時に決めなければならないので、計画性をもって、日付を誤らないようにする必要がありますね。

ともかく駅係員のいる改札口で検印を受け、



5時28分発 東海道線 普通電車 小田原行きに乗り込みます。
東海道さんは朝から15両編成で動いていますねぇ、おかげで余裕をもって座席を確保できます。
このあたりは何度も往来しているので、睡眠時間に充てました。





6時21分、小田原駅に到着しました。




午 前 六 時 廿 一 分

神 奈 川 県 小 田 原 市

J R 小 田 原 駅


小田原駅からの電車は、6時22分発 東海道線 普通電車 熱海行きです。
乗換時間はわずか1分!・・・発車標などの撮影時間はありません。
編成は15両から5両へ・・・なんと3分の1。
この日は平日だったので、通勤通学の乗客も増えてきており、席をめぐる闘いが早くも勃発しました。

私はロングシートの座席を確保し、電車は発車しました。


小田原駅といえば、小田原城【国指定史跡・日本100名城】の最寄駅。
日々のログインも兼ねて、「ニッポン城めぐり」を起動します。
東海道線沿線では、愛知県の豊橋まで「城攻め」をしてはいますが、いちおうここでもやっておきます・・・



この日最初の武将・北条氏尭を登用できました。
以前小田原城をゲットしたときは彼を登用できなかったのですが、どうも氏尭さんは新たに加えられた武将のようです。
氏尭さんは「信長の野望」にもあまり登場しないマイナー武将なのですが、この方は北条氏康の弟で、兄とともに長尾景虎(上杉謙信)の関東侵攻を防衛し、外交では伊達晴宗政宗の祖父)との交渉を担当していたそうです。



ロングシートに着席したので車窓はあまり楽しめませんでしたが、乗車時間が短いので居眠りすることもなく、



6時45分、熱海駅に到着しました。




午 前 六 時 四 十 六 分

静 岡 県 熱 海 市

J R 熱 海 駅


熱海駅からの電車は・・・



6時49分発 東海道線 普通電車 浜松行きです。
東西に長い静岡県の東から西まで、1本の電車で進んでしまおうというわけです。
どうでもいいことですが、熱海駅の発車標は記述が少々やかましく感じますなぁ。



右のJR東日本の車両に対し、今度乗車するJR東海の車両。
211系電車というそうですが、いかにも古そうな面構えです。
なんとなく格差を感じますなぁ。



電車は定刻どおり発車、三島、沼津といった大きな駅へ。
時刻はそろそろ通勤通学の時間帯、乗客が入れ替わりながらも増えていきます。
そんな中、沼津から2駅の原駅へ。

 

続日本100名城・第145番、興国寺城攻略!
そして曽根昌世という、なかなかに能力値の高い武将を登用できました。
曽根さんも「信長の野望」ではあまり登場しなかったマイナー武将ですが、武田信玄からは真田昌幸とともに「わが両眼」と評されていたそうです。



興国寺城を攻略したことで、城主を務めた天野康景にちなんだ「どちへんなし」の異名を獲得しました。
「どちへんなし」とは、慎重でそつがないということを表しているそうです。


7時36分、



富士川を渡りました。


静岡駅で通勤ラッシュが一段落し、



8時40分、大井川を通過。



茶畑が広がる牧之原台地へ。



均整のとれた、美しい茶畑。



電車はつつがなく天竜川を渡り、



9時18分、浜松駅に到着しました。




午 前 九 時 廿 一 分

浜 松 市 中 区

J R 浜 松 駅


浜松駅から先に進む電車は、



9時24分発 東海道線 普通電車 豊橋行きです。
うなぎも餃子も食べることなく、まっすぐ西へと向かいます。



車両は変わって、313系電車
3両編成ですが座席はクロスシートなので、車窓を楽しむことができますね。



電車は浜松駅を発ち、浜名湖へ。





今回もあまりいい画は撮れませんでした。
私が浜名湖を渡るときは、決まって天気が悪いのです。う~む。





9時57分、あっさりと豊橋駅に到着しました。




午 前 十 時 〇 〇 分

愛 知 県 豊 橋 市

J R 豊 橋 駅




今度の電車は、10時02分発 東海道線 快速電車 大垣行きです。
スムーズに移動する快速がようやく登場。
そしてこの先は「城攻め」の空白地帯、取りこぼしのないように地図をこまめに参照しながら進みます。



車両がまた変わって、今度の電車は311系電車というそうです。
座席は嬉しいクロスシート、車窓を楽しめそうですね。
お城好きの人間ならば、必ず進行方向右側の座席を確保したいものです。



豊橋駅を出発して、最初の「城攻め」です。



この日最初の城は、牛久保城
東海道線としばし並行する飯田線が別れる直前、豊川放水路の橋梁上で攻略できました。


その後も東海道線沿線の諸城を順調に攻略し、電車は徳川家康生誕の地・岡崎へ。



岡崎駅を過ぎ、矢作川を渡って、岡崎城から離れていきました。
岡崎城の最寄駅は愛知環状鉄道中岡崎駅か、名鉄東岡崎駅
東海道線から岡崎城を「城攻め」することはできませんでした。


野田新町駅を通過中に「城攻め」すると、

 

ランダムで登用できる近衛前久に出会いました。
近衛さんは関白の職にありながら越後に赴いて上杉謙信と盟約を結び、公家とは思えない凄まじい行動力で謙信の関東進出を支援したといいます。
のちに都に戻ると、室町幕府13代将軍・足利義輝の横死後に義栄よしひでを14代将軍と認めたために、のちに上洛して将軍となった足利義昭に追放されてしまいます。
義昭が京都から追放されると、天下人・織田信長と良好な関係を築いたようです。


逢妻あいづま通過中に「城攻め」して、

 

刈谷城を攻略し、その城主であった猛将・水野勝成を登用しました。
先陣に立って軍功を重ねた武将らしく、登用時のセリフは勝成独自のもののようです。
天下泰平が成ると安芸国(広島県)福山藩の藩主となり、福山城の建造や福山の城下町を造成し、発展の礎を築いた名君となりました。


大高駅通過中に、

  

大高城、丸根砦、鷲津砦・・・桶狭間の戦いの前哨戦があった3つの拠点を攻略。



織田家の武将で「退き佐久間」と謳われた用兵の名手・佐久間信盛を登用しました。
ちなみに信盛は、桶狭間の戦いにおいては善照寺砦の守りを任されており、同族の佐久間盛重(大学)が丸根砦を守って戦死しました。
このとき丸根砦を陥落させた武将は、松平元康・・・のちの徳川家康です。


東京で分かれた東海道線と中央本線が再び合流する金山駅では・・・

 

古渡ふるわたり荒子城を攻略しました。
古渡城は織田信長が元服をした城で、一説にこの城で誕生したともいいます。(ただし有力な説ではないそうです)
荒子城は前田利家が誕生した城です。



信長公も利家公もいらっしゃいませんでしたか・・・
信長公の弟・織田信包のぶかね、佐久間信盛の同族で「鬼玄蕃」の異名を持つ猛将・佐久間盛政、盛政の弟で柴田勝家の養子となった勝政を登用。


10時58分、名古屋駅に到達。



前田利家の子・利長利政林秀貞豊臣秀次と、表示が隠れてますが織田信光を登用しました。
林秀貞は織田家の筆頭家老で、近年までは「林通勝みちかつとされていましたが、松永久秀の家臣に林通勝という人物がいて、その者との混同により長年本名が誤って流布されていました。


名古屋駅を発った快速電車の次の停車駅は尾張一宮ですが、



名古屋駅の隣駅・枇杷島駅通過中に、清洲城を攻略しました。
清洲城は青年期の信長の居城で、桶狭間の戦いへもこの城から出陣したのです。
ということは、いよいよ信長公とご対面か!?



・・・ここにもいないのか?



電車は進み、車窓には清洲城模擬天守が見えてきました。
ここで「城攻め」すれば・・・!

 

「第六天魔王」織田信長公、発見!
さすがは天下人、能力値は両方とも90超です。
さらに要求される石高も、最大の15万石・・・・・・あかん、石高が足りなくなりそうだ。
ですがここで信長公をあきらめるわけにはいきません、もちろん登用します。



う~む、セリフはいたって平凡だなぁ。



快速電車は「木曽三川」を順番に渡っていきます。



まずは最も東を流れ、三川の中では最長である木曽川
これを渡りきると、岐阜県に入ります。

尾張一宮の次の停車駅・岐阜駅に近づく頃、右側の車窓に・・・



日本100名城・第39番、岐阜城・・・が見えてきます。
しかし駅から城まではそれなりに離れているため、東海道線に乗車したままの「城攻め」攻略はなりませんでした。



それでも、「名人久太郎」の異名を持つ知勇兼備の将・堀秀政や、羽柴秀吉に信長死後の後継者として奉られた「三法師」織田秀信らを発見しました。



岐阜駅を発った電車は、



木曽三川の2番目・長良川を渡っていきます。
そしてほど近くにある穂積駅で、



墨俣一夜、攻略!
信長の美濃攻めに際して、秀吉が土豪の蜂須賀小六の助力を得て、敵方の目を盗んで一夜で築城したという墨俣城。
『信長公記』によると、信長の命令で墨俣に砦が築かれたようですが、それが秀吉の手によるものなのかはわからないそうです。

墨俣城の攻略により浪人を発見できましたが、秀吉さんも小六さんもいらっしゃいませんでした。




電車は最後の三川・揖斐川を渡り、



終点・大垣駅に到着しました。