日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

巻頭言

2008-09-07 13:49:23 | メッセージ
召天者記念礼拝 あかし H・T

大阪教会では今日が召天者記念礼拝となっています。キリストを信じものは、たとい肉体が朽ちても天国で新しい命が与えられて生きるという確信をもって過ごしています。召された方は時を共有して天国で礼拝を捧げていますから、私たちも主日礼拝を捧げることを大事にしていたいと思ってやみません。

私が初めて教会を訪れたのは8歳のとき、父母に手を引かれて礼拝に導かれました。
私は昨年来、教会を離れた生活をしておりました。人が信じられなくなったわけです。そのような中、再びイエス様の元に戻してくれたきっかけというのが、帰省先の教会での召天者記念礼拝でした。そのときは天国の姉に手を引かれて礼拝へと導かれました。今思えば、そんな劇的なものではなかったと思いますが、確かに天国の姉が生きてイエス様とともに導いてくれたことだと私は信じております。

私は名前とは違って小さい頃からよっちゃんと呼ばれることに何の疑問もなかったわけですが、思春期になり、何でよっちゃんと呼ばれるのか、初めて母に問い掛けました。すると母からはこんな答えが返ってきました。
2歳になったばかりの女の子が弟の名前を呼ぼうとするが、なかなか発音できず、なんとか呼べるようになったのが“よっくん”だったわけで、母には忘れることのできない呼び名になったわけですね。
その女の子は私が生まれて5ヶ月目に天国のイエス様の元へ旅立っていきました。
よっくん、よっくんと読んでいた2歳半の子が突然いなくなるといった、受け入れたくない現実と、受け入れなければならない現実との狭間でどれだけ母は苦しんだことでしょう。絶望ですね。母親にとってはそれから60年以上も引きずって生き続けなければならなかったわけですから。私は独身で子も居ませんから、その心境は分かろうとしても分からない。今でも想像がつきません。
数年前に帰省したときのことですが、実家の部屋の上には、額に入った2歳の姉の写真(ちょうど、はしゃぎながらこっちに向かって走ってくる)がかけてあったのが、はずされて、小さい額に焼きなおして家族の写真の横に一緒に置かれているものに変わっていました。30年を経てようやく母の気持ちに一区切りついたのかもしれません。

あと2~30年の後に母が召されるとき、母は私を“寛”ではなく、“よっくん”と呼んで私よりも一足先に天国へ旅立っていくのだと思います。

キリストを信じ、従っていく限り、天国で再びイエス様の下に新しい命を得て共に生きて行ける。そしてその新しい次元に足を踏み入れる自由を神様は私に再び与えてくださいました。確かに、人生にはあらゆる苦難があります。それを認めます。しかしイエス様が十字架の死からよみがえられたその復活の力によって乗り越えて行くことが出来るのです。そして今も生きて皆さんにも働きかけてくださっているということを是非知ってください。その確信をもって前に進んでいこう、いきたいと思っています。

コメント
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