連盟総会に出席して思ったこと
今年も連盟の定期総会が14日(水)~16日(金)まで伊豆・天城山荘で開かれた。出席教会は197と昨年より10教会増加したが、まだ3分の1の教会が欠席ということに痛みを覚えた。今回は22の議題すべてが可決された。昨年の総会もすべての議案が可決されたようだが、それは確かに問題もなく素晴らしいように思える。
しかし、否決を奨励するつもりはないが、もっと継続審議となる案件もあっておかしくないと思った。かえって全部の議案が可決されていくことに不自然さというか違和感を覚えた。総会が1年ごとの開催、又3日間という限られた内で協議しなければならない制約もあろうが、どこかそれらの事情が、ともに語り合い、協議するという事柄よりも優先されてしまうなら、何のための総会ということになりかねない。
継続審議や否決となることは、確かにすっきりしないかたちとなるが、しかしそれはそのままマイナスでなく、真剣な協議の中でこういう道筋が出ることもあり得る。
例えば、今回の議案の中で「全国支援・地域協働プロジェクト支援の件」が可決されたが、継続審議としてもっとその内容について時間をかけて検討し、整えられていく事柄があるのではないかと率直に思った。
というのはこれが最初のケースとなり、バプテスト教会の消滅と合同(合併)という事柄について、プロジェクト支援側(連盟)と当該教会の理念づけや規約の整備がまだ不十分なまま、船出していいものかと思ったからだ。かえってそのことが(先になすべきことをなさず)後になって合同の前の状態の方がよかったなどという事になっても、もう後戻りはできないだろう。もっと時間をかけて審議してもよいのではないかと思った。
そういう中でうれしいニュースもあった。今回3つの教会(神戸新生教会、郡山コスモス通り教会、別府国際教会)の連盟加盟が承認されたこと。このために時間をかけて十分な審議がなされた。それぞれの教会の歴史や特色を見せて戴いたり、又教えられたり励まされたりと、豊かな時となった。
こういう分かち合い、開かれていく時を共有できるのがやはり総会の醍醐味ではなかろうか。やはり、連合や連盟、又対外的な集まりに足を運ぶことによって、自分の立ち位置に気づき、刺激を受けて新鮮にされる事は多い。(俊)
今年も連盟の定期総会が14日(水)~16日(金)まで伊豆・天城山荘で開かれた。出席教会は197と昨年より10教会増加したが、まだ3分の1の教会が欠席ということに痛みを覚えた。今回は22の議題すべてが可決された。昨年の総会もすべての議案が可決されたようだが、それは確かに問題もなく素晴らしいように思える。
しかし、否決を奨励するつもりはないが、もっと継続審議となる案件もあっておかしくないと思った。かえって全部の議案が可決されていくことに不自然さというか違和感を覚えた。総会が1年ごとの開催、又3日間という限られた内で協議しなければならない制約もあろうが、どこかそれらの事情が、ともに語り合い、協議するという事柄よりも優先されてしまうなら、何のための総会ということになりかねない。
継続審議や否決となることは、確かにすっきりしないかたちとなるが、しかしそれはそのままマイナスでなく、真剣な協議の中でこういう道筋が出ることもあり得る。
例えば、今回の議案の中で「全国支援・地域協働プロジェクト支援の件」が可決されたが、継続審議としてもっとその内容について時間をかけて検討し、整えられていく事柄があるのではないかと率直に思った。
というのはこれが最初のケースとなり、バプテスト教会の消滅と合同(合併)という事柄について、プロジェクト支援側(連盟)と当該教会の理念づけや規約の整備がまだ不十分なまま、船出していいものかと思ったからだ。かえってそのことが(先になすべきことをなさず)後になって合同の前の状態の方がよかったなどという事になっても、もう後戻りはできないだろう。もっと時間をかけて審議してもよいのではないかと思った。
そういう中でうれしいニュースもあった。今回3つの教会(神戸新生教会、郡山コスモス通り教会、別府国際教会)の連盟加盟が承認されたこと。このために時間をかけて十分な審議がなされた。それぞれの教会の歴史や特色を見せて戴いたり、又教えられたり励まされたりと、豊かな時となった。
こういう分かち合い、開かれていく時を共有できるのがやはり総会の醍醐味ではなかろうか。やはり、連合や連盟、又対外的な集まりに足を運ぶことによって、自分の立ち位置に気づき、刺激を受けて新鮮にされる事は多い。(俊)