日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

キリストのからだ

2010-03-14 07:59:15 | メッセージ
宣 教  Ⅰコリント12:12-26  
 
使徒パウロは教会をキリストの体であると表現します。12節「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である」。体に頭・目・耳・手・足とありそれが一つの体を形成していると同様にキリストの体なる教会も様々な個性をもった人たちで構成され、一つの主にある共同体としての命があるということです。このコリントの教会には重大な問題が起こっていました。体に例えるなら病んでいるとも言える状況に陥っていました。ある人たちは自分に与えられた賜物や立場といったものを誇り、そのおごりが高じて排他的になり、弱い立場におかれた人への無理解や無関心によって弱い立場の人たちが置き去られ、痛みを覚えるようなことになっていたのです。それは教会にとって病巣となっていました。 
 
私たち人間のからだには表皮細胞(皮膚等)というものがあり、その数は成人で50兆個、新生児で2兆個あり、何と2週間に一度の割合でそれらの細胞は死に新しいものが生まれるということが繰り返されているそうです。又、私たちの体内には常に一分間に4200CCという新鮮な血液が流動し、20秒間に体内を一周しているということです。それらの小さく見えないところがもし病気になり、機能しなくなると大変です。からだのすべての器官にも影響を及ぼし、他の器官との連携がうまくいかなくなり、からだ全体が崩れていくことにもなります。又忍の臓器ともいわれる肝臓は、隠れた体内にあって過酷で、しかも大変重要な解毒や分解といった働きをしています。そういった隠れているところこそ、からだにとってなくてはならない重要な部分であります。この個所を読むうえで、22節「からだの中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」との、それは弱いのではなく、弱く「見える」と記されているところに注意を払う必要があります。   
コメント
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