礼拝宣教 ローマ15章14~33節 神学校週間
今日は特に神学校週間を覚えつつ礼拝をお捧げしています。私は20代の時に聖書を学びたいとの一心で北九州小倉から全く知り合いのいなかったこの大阪に向かい、当時の大阪キリスト教短大神学科で学ばせて頂きました。入学金等の資金は3年間会社務めをしたわずかの貯金と車を売って工面し、生活費は大阪教会の駐車場のアルバイトで賄い、又授業料は当時大阪キリスト教短大神学科対象の大変ありがたい奨学金制度があり、その貴いご支援を受け、何とか神学科を卒業することができました。その後、さらに献身の思いが与えられ、大阪教会の推薦を頂いて福岡の西南学院大神学部に編入学し、4年間の学びと研修後、卒業。
初任地は福岡地方連合の糟屋バプテスト教会篠栗伝道所、後に教会組織した篠栗キリスト教会の牧師となり篠栗伝道所からを含めますと14年間かの地で務めさせて頂きました。その後、不思議な神さまのお導きによって、大変お世話になりましたこの大阪教会の牧師として2005年に招聘を受け、早今年で18年が経ちました。
ところで私が西南学院大神学部で学ぶ際も、その授業料と生活の一部を日本バプテスト連盟の奨学金(これが神学校献金にて充当されているものですが)を利用させていただきました。この連盟の奨学金制度がなかったら私はおそらく神学校で学ぶことができなかったと思います。その他にもこの大阪教会からのご支援が卒業するまで送られ、又出席し奉仕させていただく教会からのご支援もいただき、たいへんありがたかったです。神学生時代の4年間、私自身もキリスト教の幼稚園の御厚意で園児たちに聖話を語るお手伝いをさせて頂き、又、大学の御厚意で神学部の自然ゆたかな庭とその周辺の草刈りと剪定のアルバイトもさせていただきました。そういった様々な形でのご支援とお祈り、その背後に主の大いなるお働きがあったことを覚えますと、感謝の念に堪えません。
本日はローマ15章のところが読まれました。
今日は神学校週間を覚えてというテーマのもとで、ここからまず示されましたことは、パウロがここで自分の伝道、福音宣教の働きに携わって来たなかで大切にしてきたことを、次のように語るのです。
「キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、敢えて何も申しません。」
自分がどれだけ立派な成果をあげたとか、自分の働きについてではなく、恵みの神が自分をとおして働かれたこと以外は語らないというのです。福音宣教、伝道の業は、神の絶大な恵みからの感謝と喜び、聖霊の満たしによってなされるのであります。
すべてが神の恵みであることがわからなければ、パウロも傲慢になっていたかも知れません。
しかし自分がどのようなところから救われたのか。どのようにして神との和解を得られたのか。朽ちることのない命の希望がどのようにしてもたらされているのか。その驚くばかりの恵みを知るパウロでありました。だからこそ「キリストの僕」と言って、自分をとことんキリストに従わせるように努めたのです。
それは又、幾多の困難な折にも、又自分の力ではどうすることも出来ない状況に直面した折も、神のしるしや奇跡の力、神の霊の力によるお働きに与りながらエルサレムからイリリコン州(マケドニア州)まで巡り、キリストの福音をあまねく宣べ伝えた、というのです。それは又、当時のローマ帝国の支配にあって行くところができるすべての地域を回ったということを表していました。
パウロはこの長く遠い伝道の旅において、様々な問題も起こり、命の危険にさらされるような事も生じますが。自分の力ではどうすることもできないような時に唯主に信頼し、依り頼んで行く中で聖霊のゆたかなお働きと、不思議なる神のお取りはからいを経験してきたのです。
私自身、そして教会も又、大変困難と思える状況の中で、まさに弱さの中でこそ神の力、神が先立ち導かれる経験を幾度となく与えられてきました。「唯恵みの神が私たちを通して働かれてきたこと」を賛美する以外ありません。
このコロナ禍もそうでありました。生きている限り様々な問題や課題は尽きません。神への感謝と喜びが希薄になり、自分に不都合なこと、嫌なことが生じようとも、自分の思いや判断、又感情の赴くままに動こうとするのではなく、何が神の御心であるのか、何を神が喜ばれ良しとされるのか、それを切に求めていきたいと思います。主が栄光を顕してくださるように主に依り頼み、祈り求めていく時、主は不思議なる御力をもって臨まれ、祝福して下さるでしょう。「主は生きておられます」。救いの感謝と喜びをもって、日々新たに主に聴き従っていく毎日を主はゆたかにお働きくださるのです。
さて、そのパウロですが。ずっと自分の心のうちにあったことで、自分の力でどうにもできない願いごとがあったのです。パウロはそのために「共に祈ってください」とローマの信徒たちにお願いをします。私たちはどうでしょうか。自分のために祈ってください、とお願いすることがありますか。そこに教会のすばらしさがあります。
パウロの祈りのリクエストの一つは、パウロがローマの信徒たちのもとを訪れ、交流し、さらにヨーロッパの西の端イスパニア(現スペイン)への伝道が叶うことでした。22節以降に、「あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました・・・何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していた」と記されているとおりです。そこから、イスパニア伝道へ向うという計画でした。
二つ目は、パウロはローマ訪問の前に、マケドニアとアカイア州の信徒たちの献金をエルサレムの教会へ届けるので、その旅路の安全と健康のため。そうして無事にエルサレムの教会に献金を届けることができるように。また、その後にエルサレムの働きを無事終えてローマに行くことができるように、という事です。
それは、全く異なる場所、立場にある人たちがキリストの福音によってつながり、共に主から与えられた恵みと喜びを分かち合うおうとする試み、チャレンジでありました。パウロはその橋渡しとして用いて頂けるよう願うのです。
私たちがキリストの福音に触れ、その御救いに与ることができましたのは、主がだれかを、様々な仕方でお遣わしになられ、キリストのもとへと案内してくださったからではないでしょうか。
それは聖霊の降臨によってキリストを信じる一人ひとりが主に結ばれたエクレシア、教会が生まれ、さまざま人々のあかしを介して福音が持ち運ばれ、こうして2000年の時を経て今、なお救いは起こされ続けているのです。
私自身主の御救いに与るまでに、主がどれだけ多くの方を遣わし、その執り成しと祈りが捧げられてきたのかということを思い返しますと、感謝に堪えません。今日こうして神学校週間を覚えて、祈り、捧げていくということもまさにその一環でしょう。
私が神学校を卒業しする時、共に教会の牧会の場へと遣わされたのは10人はいたでしょうか。しかし、今現在牧会の働きを続けておられるのは半数です。様々な状況や事情から牧師を辞された方もいらっしゃれば、一旦去られた方、天に召された方もおられます。又、神学部に共に入学した時の仲間が12名おり神学部全体で40人くらいはいたかと記憶していますが。現在、西南学院大学神学部の1年から専攻科までの神学生が大変少ないことを知り驚きました。確かにこの3年あまりのコロナ危機の影響は大きいでしょう。又、現在日本バプテスト連盟の教会、伝道所のなかで、経済的にも厳しく、少数でなんとか礼拝を守っておられるところもこのコロナ危機によって増えてきているようです。諸教会において様々な課題が生じていることも確かです。
では、神の福音はこの時代の変化によって色あせてしまったのでしょうか。
否、むしろこういう時代だからこそ、福音を必要としている人たちが今、世界の中に確かにおられるように思えます。真理と救いを求める祈りは日増しに強くなっているのではないでしょうか。良き知らせ、福音があまねく世界に届けられていくことは急務です。
キリストにあって新しくされ、感謝と喜びを与えられた私たちです。弱さの中にあっても、そこにゆたかにお働きくださる主に心合わせ、あまねく世に福音が満たされますよう主に仕え、捧げ、主のみ業を仰いでまいりましょう。