礼拝宣教 Ⅰコリント15・1-22,57-58
今日は復活についてのお話でありますが。
キリストは死を通られました。それによって復活があらわされたのです。
3年以上にも及ぶコロナ禍が続き、葬儀の形態も近親者のみの一日葬で行われるところも増え、その形式も変わってきました。
私の母はコロナ禍の折、救急病院に搬送され亡くなりました。コロナ禍で面会もできず、最期の看取りができませんでした。母は北九州におりましたから、2年間、毎月一度は様子を見に行きました。その際母はキリスト教式の葬儀で送られることを望んでおりましたので、それが適ったことは感謝なことでした。だれしもこの肉の体は朽ちてゆきます。その時がいつなのかは誰にもわかりません。ただ全能の神さまだけがご存じなのです。
教会では今年1月にAさんが天に召されました。98年という地上でのご生涯でした。
キリストを信じてクリスチャンになられたのは62歳の時であったそうです。それからの36年間、キリストの救いによって神の愛につながり、福音の喜びが滲み出るそのお姿を通して、証しを立ててゆかれました。歩けなくなる93歳まで電車を乗り継いで礼拝に出席なさるお姿には、私も大変励まされました。愛にあふれる姉妹との主にある霊的な交流を思い出される方も多いことでしょう。Aさんはそうして地上の歩みを全うされ、主のもとにご召天なさいました。私たちも復活の希望の中でお見送りいたしました。
命ある者はみな、生まれる時も、地上の生涯を終える時も、自分の力でその時を動かしたり延ばしたりすることはできません。唯、全能の神だけが命の時を司っておられるのです。
イエス・キリストはローマの支配下の動乱の世に生まれ、33歳ほどの若さで神の御心により死なれました。この苦い杯を取り除いてくださいと、血の汗を滴らせ願われましたが。神に従い神の時に生き、また死なれたのです。それは全身全霊をもって、神と人を愛し抜くご生涯でありました。
人は、自分も例外なく人生を終える時が来ることを覚えるとき、今をどう生きるかを問われます。キリストにある者にとって復活の命は、まさにそのところから始まっているのです。
「復活のキリストとの出会い」
さて、先ほど読まれましたⅠコリント15章1-8節までには、復活されたキリストが、そのお姿を表されたことが記されています。
その中で「最も大切なこと」として伝えられているのは、「キリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また聖書に書いてあるとり、三日目に復活したこと」であります。この聖書というのは旧約聖書のイザヤ書を指し、パウロはキリストによって旧約聖書に記されたことが実現した、と言っているのです。
先に申しましたようにキリストも又、死を経験されました。その死は私たちの罪を贖うためでした。さらにキリストは黄泉(ハデス)にまで下られ、三日後に死よりよみがえられたのです。
その5節以降には、「復活されたキリストが、ケファ(シモン・ペトロ)に現れ、その後12人(弟子)に、次いで500人以上もの兄弟に同時に現れました」とあります。
さらに7節-8節には、「次いでヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました」と記されているとおり、パウロにも復活のキリストが現れたのです。
ただ、彼は弟子たちのように生前のキリストとの出会いはなく、キリストがどのような人であったか知りませんでした。十字架に磔にされてキリストが死なれるのを見たわけでもありません。さらに、キリストが復活後40日間に亘って、そのお姿を人々に現わされた時も、パウロはそこにいませんでした。
にも拘わらず、パウロは「復活のキリストが自分にも現れた」と言っているのです。
パウロはどうして、そのように断言できたのでしょうか。
イエス・キリストと出会う前まで、パウロはユダヤ教徒として生きていました。神の選びの民としての誇り。神の律法の戒めに対する厳守と忠誠心。指導者としての強い使命感。彼はそれらによって熱心に神に仕えていたのです。
先週は聖霊降臨、ペンテコステの礼拝をおささげしましたが。パウロが熱心なユダヤ教徒であったその当時、キリストの内に働かれていた聖霊が降臨し、「イエスは主なり、救い主である」と、信仰告白へと導かれてクリスチャンとなる人たちが急激に増えていきました。
パウロは、イエスをキリスト、すなわち救い主、メシアと信じる信徒たちを激しく迫害します。
クリスチャンは神を冒涜する邪教だと考えたからです。
そのある日、ダマスコ(現シリア)へ向かう途上で、突然、「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」という天からの御声が彼に臨みます。これこそが、パウロの言う「復活のキリストが現れた」という出来事であったのです。
パウロは、神への忠誠心からクリスチャンたちを迫害していた事が、実はこれまで愛し敬って来た神ご自身を迫害することだったのだと茫然自失となり、心打ち砕かれ、復活のキリストとの出会うのです。
けれども復活のキリストは、ご自身に敵対し迫害するそのパウロの罪を完全に贖われました。
キリストはパウロの罪を担い、十字架の苦難と死をもってあがない、救いの道を拓いて下さった。パウロはその救いの恵みを、聖霊のお働きによって知る者とされるのです。
パウロは、その大いなる神の愛によって雷に打たれたように回心し、心の底から神に立ち返って、悔い改めたのです。
こうして彼は後に、異邦人のための福音の使徒としてすべてを献げ、良き知らせ、神の大いなる愛を伝えていくこととなるのです。そのパッションと原動力は、この自らの救いの体験と聖霊のお働きにありました。
バプテスマを受けた皆さまは、聖書のことばを通して、また救いに与った人の証しを通してキリストと出会われたことでしょう。
たとえ肉眼でそのお姿を見ることがなかったとしても、主が言われた「見たから信じるのか。見ないで信じる者は幸いである。」とのお言葉に信頼する人。日毎聖書のみことばに親しみ、主の呼びかけに応えつつ、救いの恵みを確認し、感謝をもって礼拝に与る人。そのようなお一人おひとりに聖霊はお働きくださるのです。また聖霊がお働き下さるからこそ私たちは主の救いの恵みを知って体験するものとされているのです。復活の主は今日も信じる者と共に生きておられます。
「死者の復活」
今日のもう一つのお話は、「死者の復活」についてであります。
12節「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」
当時コリントの教会には、死者の復活を否定する人たちがいました。彼らの中には32節にあるように、「死者が復活しないとしたら、食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」などと考え、人があきれるほどの不道徳な行いをしていた人たちまでいたのです。
パウロはそのような状況が起こっていることを痛烈に批判しました。
救いに与り新しい命に生かされて、神の愛の楽園に立ち返ることができているはずの彼らは、早くもエデンの園を追放されたアダムとエバのように神との関係性を損なっていたのです。
彼らは今一度、最も重要なことを再確認しかければなりませんでした。
それが冒頭の、「キリストが私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、三日目に復活したこと」であり、このことを通して与えられている「救いと復活の希望」です。
パウロはここで、「死者の復活」を信じないのであれば、あなたがたの信仰はむなしく、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったことになる。この世の生活で、キリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です」(17-19)と、彼らの不信仰を嘆きます。
そこで再確認しておかなければならないのは、20節「キリストが死者の中から復活し、眠りについた者の初穂となられた」ということです。
この「初穂」とは、果物や穀物のうちで、その年の最初に実ったものを指します。初穂は収穫の始まりであり、そこから次々と実りの収穫がなされていくのです。
死から復活されたキリストは、復活の命の初穂となられ、キリストにある者も、朽ちる体から「キリストに似たものとして」に復活するのです。
22節以降にはこう記されています。
「死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべて人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」
アダムは罪により神との関係性を損なって死をもたらしましたが、キリストは神との和解を私たちに与え、死と滅びから私たちを解放して下さったのです。
たとえ、この肉の体は朽ちるとしても、パウロはこう言います。
57-58節「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に感謝しよう。わたしたちの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の御業に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの労苦が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」
そうです、キリストの死における贖いによって救われた私たちは、キリストの復活にも結ばれており、恵みに応えて生きる今、この時も、すでに復活の命に生かされているのです。
この驚くべきキリストの救いに、今日も喜びと感謝をささげつつ、与えられた一日一日を大いなる神に依り頼みながら、大切に歩んでまいりましょう。お祈りします。