ちょっと飲み過ぎました。
文章を考えるのが面倒くさい。こんな日もあるさ。
オヤジの頃はやっぱり早稲田の方が偏差値も高かったし、人気もあったように思いますけどね。スポーツもそれなりに強かったし。。。
慶応は文系学部の入試でも文学部以外は数学が必須で偏差値も早稲田の次、「陸の王者」と言っている割にはスポーツも弱かった時代でした。
1浪した2年目早稲田の政経を合格しても振ってやろうと思っていたのに2年連続返り討ちにあったのは悔しかったな。。。(笑)
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<大学競争、早慶戦は慶応の圧勝 なぜ、早稲田は苦境に? 大学ジャーナリスト・石渡嶺司>
ニフティニュース THE PAGE配信 http://news.nifty.com/cs/ 2014年11月20日
最新入試データでは慶応に大敗
週刊ダイヤモンドは、「特集 最新 大学評価ランキング」のなかで、「私大の雄・早稲田の落日」というショッキングなタイトルの記事を掲載した(10月18日号)。また、代々木ゼミナールがまとめた「W合格者の入学先対決」データは、入学先判明者のうち、早慶両方に合格した人の入学先の割合を示すものですが、国際教養学部以外、早稲田大が慶応大に敗れています。
◇データ1:W合格者の入学者対決データ(2014年・代々木ゼミナール調べ)
早稲田大学(左の数字)/慶応義塾大学(右の数字)
政治経済学部44%/経済学部56%
政治経済学部18%/法学部82%
法学部10%/法学部90%
商学部33%/商学部67%
文学部40%/文学部60%
文化構想学部14%/文学部86%
国際教養学部73%/文学部27%
国際教養学部5%/法学部95%
基幹理工学部38%/理工学部62%
創造理工学部29%/理工学部71%
先進理工学部31%/理工学部69%
私大の2トップと言えば、早稲田大と慶応義塾大。昔も今も「早慶」と呼ぶのが一般的で、慶応関係者以外は「慶早」とは言いません。そして、昔から、良くも悪くも早稲田の方が目立つ存在で、志望者も多くいました。そんな早稲田大学は、なぜ「凋落」してしまったのでしょうか。
戦後は早稲田がリード
『早稲田大学百年史』によれば、1935年卒業者の東京・関東出身者の比率は31.8%でした。戦前の早稲田は地方出身者が中心の大学だったのです。戦後、早稲田大の東京・関東出身者の比率は東京の一極集中もあって、50%台から60%台に上昇します。それでも、地方高校生からの人気が低下したか、と言えばそんなことはなく、戦後から1980年代にかけて地方の高校生から早稲田大の人気は高いものがありました。
『早稲田と慶応』(橘木俊詔、講談社現代新書)には、「『野人の早稲田マン』になるために、地方から上京して早稲田に入学するのは自然な夢だったのである。(中略)慶応を目指す学生もいたが、どちらかと言えば慶応はシティ・ボーイが希望するとのイメージがあり、地方ボーイは早稲田に憧れた」とあります。早稲田への憧れもあり、当時は早稲田大の方が慶応大よりも偏差値は上でした。
慶応が逆転 ~SFCとバブル崩壊が分岐点に~
早稲田優勢が変化したのは1990年代です。まず、1991年、慶応義塾大が湘南藤沢キャンパス(SFC)に総合政策学部、環境情報学部の2学部を新設し、学力以外の熱意なども合わせて考慮するAO入試を導入します。英語やコンピュータ教育が注目され、慶応のイメージは「最先端の大学」に一変します。
さらに1991年以降のバブル崩壊と長引く不景気も慶応の追い風となりました。不景気になれば、各企業は新卒採用を抑制し、学生は少ない椅子を争うことになります。ところが、慶応の学生は善戦しました。慶応の卒業生が加入するOB会、通称、三田会が地域別、企業別などに組織され、現役学生の就職活動を手厚くフォローします。
三田会を通じて社会人との接点が多い慶応の学生は、相対的に自分に自信を持つようになります。慶応出身の元博報堂人事ディレクターで評論家の山本直人さんは、ブログで慶応生を「ゴキブリ」にたとえて、次のように分析しています。
「ワラワラと人気企業に群がってきて、しかも落そうにも結構しつこい。これは、僕の学生時代から言われていた。その一方で、慶応の学生は就活戦線で一定の強さを持っていることも事実だ。それは『根拠ない自信』によるものだと思っている。(中略)「根拠のない自信」を持つ学生は、採用側からすると大変落としにくいのだ。『なんだか、怪しい奴だが、競合に採られると嫌な気がする』」(山本直人ブログ「慶大生の伝統芸『根拠のない自信』」) http://www.naotoyamamoto.jp/blog/archives/2012/02/post-93.html#more-112
オシャレイメージが好まれる
慶応の善戦により、慶応の「イメージ」が上と見る受験生が増えました。1999年、都立本郷高校・進路担当教員はこう語っています。
「かつては早稲田のぐちゃぐちゃとした雰囲気が、大学らしいと生徒に受け入れられていました。でも今の子はそんなのを敬遠する傾向にありますね。それよりも慶應の方がオシャレでいいイメージを持っているんです」(サンデー毎日1999年5月22日号)
こうして、1990年代後半からは、早慶対決では、「慶応が上」、「早稲田凋落」との評価が広まっていきます。冒頭で紹介した、早慶のW合格者の入学者対決データ(早慶両方に合格した人が進学する割合)ですが、1993年と2003年を比べると以下のようになります。
◇データ2:1993年・2003年入試・W合格者の入学者対決データ(駿台予備学校調べ)
早稲田大/慶応義塾大(数字は1993年→2003年の順に比較)
第一文学部 65.1% →20.7%/文学部34.9% → 79.3%
法学部 48.1% → 17.1% / 法学部51.9% → 82.9%
政治経済学部 63.4% → 36.8% / 経済学部36.6% → 63.2%
商学部 31.9% → 12.0% / 商学部68.1% → 88.0%
理工学部 71.4% → 32.4% / 工学部28.6% → 67.6%
早稲田の大学改革も不発、今後はどうなるのか?
この状況を受け、早稲田大は大学改革を次々と実施します。地方出身で入試成績上位者を優遇する奨学金制度の創設、国際教養学部の新設、政治経済学部国際政治経済学科の新設、第一文学部・第二文学部の改編、理工学部の改編……。
しかし、奨学金制度で利益を受ける人は少なく、学部新設・改編もイメージを一変するほどのインパクトはありませんでした。慶応を逆転する有効な手段にはならなかったのです。
早慶対決は、今後も慶応優位が続くのでしょうか? 早稲田が「逆転」するとしたら、地方入試の実施は鍵になるでしょう。
地方入試は、2014年入試で志願者数日本一となった近畿大、その前年トップの明治大など多くの私大で導入しています。京都の立命館大は2014年度入試での志願者数は8万6935人。うち、近畿内外で分けると近畿4万1354人、近畿外4万4961人と大学所在地のエリア外の方が多くなっており、志願者を集める有力な施策となっています。仮に早稲田大が地方入試を実施した場合、会場数にもよりますが、4万人前後、あるいはそれ以上の志願者数を集め、慶応大への志願者の流出を食い止める手段となる可能性はあります。
もちろん、地方入試を実施したところで「慶応流出」を食い止められるかは別問題です。予備校や高校進路教員など関係者の間では「早慶対決だと当面の間、慶応有利は変わりそうにない」との見解で一致しています。かつての慶応大がSFCを設立したことでイメージを一変させたように、早稲田大も学部新設や教育支援策などでイメージを一変させない限り、慶応優勢の現状は変えられそうにありません。
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石渡嶺司(いしわたり・れいじ) 大学ジャーナリスト。大学、就活などを10年以上にわたり取材。著書に『就活のコノヤロー』(光文社新書)、『時間と学費をムダにしない大学選び2015』(共著、中央公論新社)など。
文章を考えるのが面倒くさい。こんな日もあるさ。
オヤジの頃はやっぱり早稲田の方が偏差値も高かったし、人気もあったように思いますけどね。スポーツもそれなりに強かったし。。。
慶応は文系学部の入試でも文学部以外は数学が必須で偏差値も早稲田の次、「陸の王者」と言っている割にはスポーツも弱かった時代でした。
1浪した2年目早稲田の政経を合格しても振ってやろうと思っていたのに2年連続返り討ちにあったのは悔しかったな。。。(笑)
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<大学競争、早慶戦は慶応の圧勝 なぜ、早稲田は苦境に? 大学ジャーナリスト・石渡嶺司>
ニフティニュース THE PAGE配信 http://news.nifty.com/cs/ 2014年11月20日
最新入試データでは慶応に大敗
週刊ダイヤモンドは、「特集 最新 大学評価ランキング」のなかで、「私大の雄・早稲田の落日」というショッキングなタイトルの記事を掲載した(10月18日号)。また、代々木ゼミナールがまとめた「W合格者の入学先対決」データは、入学先判明者のうち、早慶両方に合格した人の入学先の割合を示すものですが、国際教養学部以外、早稲田大が慶応大に敗れています。
◇データ1:W合格者の入学者対決データ(2014年・代々木ゼミナール調べ)
早稲田大学(左の数字)/慶応義塾大学(右の数字)
政治経済学部44%/経済学部56%
政治経済学部18%/法学部82%
法学部10%/法学部90%
商学部33%/商学部67%
文学部40%/文学部60%
文化構想学部14%/文学部86%
国際教養学部73%/文学部27%
国際教養学部5%/法学部95%
基幹理工学部38%/理工学部62%
創造理工学部29%/理工学部71%
先進理工学部31%/理工学部69%
私大の2トップと言えば、早稲田大と慶応義塾大。昔も今も「早慶」と呼ぶのが一般的で、慶応関係者以外は「慶早」とは言いません。そして、昔から、良くも悪くも早稲田の方が目立つ存在で、志望者も多くいました。そんな早稲田大学は、なぜ「凋落」してしまったのでしょうか。
戦後は早稲田がリード
『早稲田大学百年史』によれば、1935年卒業者の東京・関東出身者の比率は31.8%でした。戦前の早稲田は地方出身者が中心の大学だったのです。戦後、早稲田大の東京・関東出身者の比率は東京の一極集中もあって、50%台から60%台に上昇します。それでも、地方高校生からの人気が低下したか、と言えばそんなことはなく、戦後から1980年代にかけて地方の高校生から早稲田大の人気は高いものがありました。
『早稲田と慶応』(橘木俊詔、講談社現代新書)には、「『野人の早稲田マン』になるために、地方から上京して早稲田に入学するのは自然な夢だったのである。(中略)慶応を目指す学生もいたが、どちらかと言えば慶応はシティ・ボーイが希望するとのイメージがあり、地方ボーイは早稲田に憧れた」とあります。早稲田への憧れもあり、当時は早稲田大の方が慶応大よりも偏差値は上でした。
慶応が逆転 ~SFCとバブル崩壊が分岐点に~
早稲田優勢が変化したのは1990年代です。まず、1991年、慶応義塾大が湘南藤沢キャンパス(SFC)に総合政策学部、環境情報学部の2学部を新設し、学力以外の熱意なども合わせて考慮するAO入試を導入します。英語やコンピュータ教育が注目され、慶応のイメージは「最先端の大学」に一変します。
さらに1991年以降のバブル崩壊と長引く不景気も慶応の追い風となりました。不景気になれば、各企業は新卒採用を抑制し、学生は少ない椅子を争うことになります。ところが、慶応の学生は善戦しました。慶応の卒業生が加入するOB会、通称、三田会が地域別、企業別などに組織され、現役学生の就職活動を手厚くフォローします。
三田会を通じて社会人との接点が多い慶応の学生は、相対的に自分に自信を持つようになります。慶応出身の元博報堂人事ディレクターで評論家の山本直人さんは、ブログで慶応生を「ゴキブリ」にたとえて、次のように分析しています。
「ワラワラと人気企業に群がってきて、しかも落そうにも結構しつこい。これは、僕の学生時代から言われていた。その一方で、慶応の学生は就活戦線で一定の強さを持っていることも事実だ。それは『根拠ない自信』によるものだと思っている。(中略)「根拠のない自信」を持つ学生は、採用側からすると大変落としにくいのだ。『なんだか、怪しい奴だが、競合に採られると嫌な気がする』」(山本直人ブログ「慶大生の伝統芸『根拠のない自信』」) http://www.naotoyamamoto.jp/blog/archives/2012/02/post-93.html#more-112
オシャレイメージが好まれる
慶応の善戦により、慶応の「イメージ」が上と見る受験生が増えました。1999年、都立本郷高校・進路担当教員はこう語っています。
「かつては早稲田のぐちゃぐちゃとした雰囲気が、大学らしいと生徒に受け入れられていました。でも今の子はそんなのを敬遠する傾向にありますね。それよりも慶應の方がオシャレでいいイメージを持っているんです」(サンデー毎日1999年5月22日号)
こうして、1990年代後半からは、早慶対決では、「慶応が上」、「早稲田凋落」との評価が広まっていきます。冒頭で紹介した、早慶のW合格者の入学者対決データ(早慶両方に合格した人が進学する割合)ですが、1993年と2003年を比べると以下のようになります。
◇データ2:1993年・2003年入試・W合格者の入学者対決データ(駿台予備学校調べ)
早稲田大/慶応義塾大(数字は1993年→2003年の順に比較)
第一文学部 65.1% →20.7%/文学部34.9% → 79.3%
法学部 48.1% → 17.1% / 法学部51.9% → 82.9%
政治経済学部 63.4% → 36.8% / 経済学部36.6% → 63.2%
商学部 31.9% → 12.0% / 商学部68.1% → 88.0%
理工学部 71.4% → 32.4% / 工学部28.6% → 67.6%
早稲田の大学改革も不発、今後はどうなるのか?
この状況を受け、早稲田大は大学改革を次々と実施します。地方出身で入試成績上位者を優遇する奨学金制度の創設、国際教養学部の新設、政治経済学部国際政治経済学科の新設、第一文学部・第二文学部の改編、理工学部の改編……。
しかし、奨学金制度で利益を受ける人は少なく、学部新設・改編もイメージを一変するほどのインパクトはありませんでした。慶応を逆転する有効な手段にはならなかったのです。
早慶対決は、今後も慶応優位が続くのでしょうか? 早稲田が「逆転」するとしたら、地方入試の実施は鍵になるでしょう。
地方入試は、2014年入試で志願者数日本一となった近畿大、その前年トップの明治大など多くの私大で導入しています。京都の立命館大は2014年度入試での志願者数は8万6935人。うち、近畿内外で分けると近畿4万1354人、近畿外4万4961人と大学所在地のエリア外の方が多くなっており、志願者を集める有力な施策となっています。仮に早稲田大が地方入試を実施した場合、会場数にもよりますが、4万人前後、あるいはそれ以上の志願者数を集め、慶応大への志願者の流出を食い止める手段となる可能性はあります。
もちろん、地方入試を実施したところで「慶応流出」を食い止められるかは別問題です。予備校や高校進路教員など関係者の間では「早慶対決だと当面の間、慶応有利は変わりそうにない」との見解で一致しています。かつての慶応大がSFCを設立したことでイメージを一変させたように、早稲田大も学部新設や教育支援策などでイメージを一変させない限り、慶応優勢の現状は変えられそうにありません。
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石渡嶺司(いしわたり・れいじ) 大学ジャーナリスト。大学、就活などを10年以上にわたり取材。著書に『就活のコノヤロー』(光文社新書)、『時間と学費をムダにしない大学選び2015』(共著、中央公論新社)など。