小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

湖西の旅 ~石山寺から大津絵を追って~ その3

2011-12-30 21:59:37 | 旅行
湖西の旅 ~石山寺から大津絵を追って~ その3


ペンタックスK5 Zeiss 100mm macro

一回りして本堂にもどってきました。結構な道のりがあります。このお寺は半日くらいかけてゆっくり味わうことが良いかもしれません。


ペンタックスK5 Zeiss 100mm macro


ペンタックスK5 Zeiss 100mm macro

本堂は長い柱を多数立てて床を支える懸造(かけづくり)となっていて、手が込んでいます。新しい豊清殿もそうでした、たいしたものです。清水の舞台が懸造作りの親玉です。


ペンタックスK5 ペンタックス 35mm limited macro


ペンタックスK7 ペンタックス15mm limited

東大門を出てすぐのところで、琵琶湖名物、シジミの釜めしをたべました。釜めしもそうですが、湯葉のお刺身がおいしかった。


ペンタックスK7 ペンタックス15mm limited

石山寺から15分くらい、瀬田川にそって歩きます。ボート部の宿舎がならんでいます。


ペンタックスK7 ペンタックス15mm limited
瀬田の唐橋 中州


ペンタックスK5 Zeiss 100mm macro


ペンタックスK5 ペンタックス 35mm limited macro

瀬田の唐橋に着いたのですが、日本三名橋も工事中で、なんとも残念。欄干の塗り替えです。


ペンタックスK5 ペンタックス 35mm limited macro


ペンタックスK7 ペンタックス 15mm limited
瀬田の唐橋中州

琵琶湖から流れ出る川は瀬田川しかないというのも、とても不思議ですが、その川にかかる橋が瀬田の唐橋で、大昔から、戦いが繰り返されてきた橋です。都を守る軍と攻める軍がこの橋で決着をつけることになるのです。なんといっても、壬申の乱(じんしんのらん)、天武天皇元年(672年)に起きた日本古代最大の内乱が興味深い。天智天皇がなくなってから、後を継いだ太子、大友皇子(おおとものみこ)に対し追い出された皇弟・大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえし、反乱者である大海人皇子が勝利する。大友皇子は自決する。大海人皇子は吉野に逃れており、その後、美濃から兵を起こす。天智天皇は百済を救援して、白村江(はくすきのえ/ハクソンコウ)の戦いで、新羅・唐連合に敗れ、百済難民を受け入れた。天智天皇は近江宮遷都を行い、百済人は琵琶湖周辺にその影響を多く残すことになる。現在よりはるかに大陸からの恐怖をひしひしと感じていた時代、天智天皇の激動の時代から、その息子のクーデターと続くわけである。白洲正子の琵琶湖周辺の物語にはそのあたりの事情が続々と登場する。静かな琵琶湖にしては、血なまぐさい瀬田の唐橋である。


京阪線の石山寺駅に向かう途中に、面白い瓦屋さんがありました。東本願寺の瓦も作っているようです。なかなか歴史を感じる街並みです。石山寺から京阪線で、浜大津の一つ先、別所に向かいます。大津市歴史博物館に大津絵が展示されているとガイドブックに書いてあったからです。大津絵探検です。


ペンタックスK5 ペンタックス 35mm limited macro


K5 ペンタックス 35mm limited macro



コメント
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