小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

ペンタックス、オールドレンズとリコーGXR+マウントA12で遊ぼう その1

2012-07-19 20:22:18 | 日記
ペンタックス、オールドレンズとリコーGXR+マウントA12で遊ぼう その1

7月14,15,16日の三連休は、がんばって毎日撮影散歩です。
14日は地味公園(目黒自然教育園)に再度チャレンジ
15日は行田へ古代ハス見学
16日は昭和記念公園に7月の花を求めて

記憶に新しい方から書きましょう。昭和記念公園というのは、東京以外の方は知らないかもしれませんが、すごい公園なのです。戦後米軍が旧陸軍施設を接収した立川基地が返還されて、約30年前に作られた国営の公園で、180ヘクタールというから半端な広さではないですよ。京都府立植物園の7.5倍の広さです。一日で全部を利用しつくすことはまず無理です。

ペンタックスK5+ツアイス100mm macro, ペンタックスK7+ツアイス・ディスタゴン18mm 、リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm F4.0に三脚を持って頑張っています。15日に軽装備で出かけて、はがゆい思いをしたので、16日は気をいれています。
西立川入口から入って、水鳥の池の淵に置いてあるハスから撮影。


ペンタックスK5、ツアイス100mm macro


ペンタックスK5、ツアイス100mm macro


ペンタックスK5、ツアイス100mm macro


ペンタックスK5、ツアイス100mm macro


ペンタックスK5、ツアイス100mm macro


ペンタックスK5、ツアイス100mm macro


ペンタックスK5、ツアイス100mm macro


ペンタックスK5、ペンタックスSMC 150mm


ペンタックスK5、ペンタックスSMC 150mm


リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm


リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm


リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm

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リコーGXR+マウントA12 活用術 その5 (最終回)

2012-07-13 19:14:32 | 日記
リコーGXR+マウントA12 活用術 その5 (最終回)

ペンタックス・オールドレンズの試写を続けます。たまたま日比谷公園のそばに用事があったので、ついでに試写を行いました。梅雨の合間のよい天気。公園のベンチは本を読む人、昼寝をする人、当方みたいに風に吹かれてぼーっとしている人。 今日はいい風がふいていて、木陰でウトウトするには最高の日和です。

ペンタックス・オールドレンズ SMC 150mm F4とSMC 28mm F2.8をペンタックスK5とリコーGXR+マウントA12に付けて、途中でレンズを交換して、いろいろ撮ってみました。なんと、今日はリコーGXR+マウントA12の圧勝だったのです。



リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm F4


リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm F4


リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm F4


リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm F4


リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm F4


リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm F4


リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm F4


リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm F4


リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm F4

親カモにEVFで焦点を合わせで撮りました。近くの子カモも撮れるとおもいましたが、ピントがずれました。ペンタックスSMC 150mm F4のピントは思ったよりずっとシビヤーです。


リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm F4


リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm F4

ペンタックスSMC 150mm F4はピントがシビヤーなだけあって、ボケが魅力的です。


リコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm F4

今日はリコーGXR+マウントA12+ペンタックスSMC 150mm F4の組合せが結構いい線いってます。ホワイトバランスを調節して、黄色みを減少させました。EVFの威力が発揮されています。SMC150mmはピント合わせがシビアーで、ライブビューを使ったペンタックスK5+ SMC150mmはすべて失敗しました。液晶のライブビューでピントを合わせて、ファインダーで構図を合わせてシャッターを切るということを行ったのですが、ライブビューからファインダーに移るときに少々位置がずれるとそれがもろに出ます。リコーのEVFの圧倒的勝利です。ペンタックスには三脚が必須でした。なんで皆さんがEVFの充実を声を合わせて要望しないのか、当方にはまったく理解不可能です。エプソンさんはすでにいいEVFを開発しているのです。ペンタックスがなぜ、EVFにそっぽを向いているのか理解不能です。いらない人はそれでいいのです、EVFは外付けでいいのです。


ペンタックスK5+ペンタックスSMC 28mm F2.8


ペンタックスK5+ペンタックスSMC 28mm F2.8


ペンタックスK5+ペンタックスSMC 150mm F4


ペンタックスK5+ペンタックスSMC 150mm F4

ペンタックスSMC 28mm F2.8はとんでもなくいいレンズですよ。ペンタックスSMC 150mm F4も全然OKです。 ペンタックスオールドレンズは本当にいい買い物でした。


画質を手直しすればリコーGXR+マウントA12も使えるかもしれない。 マウントA12はさすがにオールドレンズに強い。チープ、オールドレンズを使ったリコーGXR+マウントA12の利用法はいかがでしたか。

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リコーGXR+マウントA12 活用術 その4

2012-07-12 20:34:12 | 日記
リコーGXR+マウントA12 活用術 その4

最近気に入っている丹波焼をちょっと紹介します。正式には丹波立杭焼(たんばたちくいやき)というらしい。兵庫県篠山市今田町付近で焼かれる陶器、器。主に生活雑器を焼いてきた。起源は平安時代にまで遡るといわれ、信楽焼、備前焼、瀬戸焼、常滑焼、越前焼と並び六古窯の一つに数えられる。「古丹波」ともよばれる当時の作は、赤銅色に焦げた素地(きじ)に濃緑色の自然釉(ゆう)がかかった質実な大壺(つぼ)に特色がよく示されている。昔だったらその辺にゴロゴロしたような大壺ですが、何にも<見手の受け>をねらっていない、純粋な迫力があります。まさに柳先生が好む民芸、実用品です。


民芸 1997年12月号よりコピー


民芸 1997年12月号よりコピー


民芸 1997年12月号よりコピー


民芸 1997年12月号よりコピー


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited

日本民芸館の向かいには東大の先端科学技術研究センターがあります。ここでは色々いい研究がおこなわれています。


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited

駒場東大前から日本民芸館までの道には立派な御屋敷やセンスのいい住宅がずらりと並んでいます。


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited

この住宅の塀には陶器がはめ込まれていて、いいセンスです。


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited
この脇道の右の住宅の塀に陶器が埋め込まれているのです。

日本民芸館を出て、駒場東大前駅に戻る途中にある、駒場野公園に入ってみました。
駒場野公園の説明です。<この一帯は、かつて人の背ほどもある笹が一面に生え、ところどころに松林がしげる広い原野で、駒場野と呼ばれていました。
明治になると、農業の近代化を図るため、この広い原野を利用して駒場農学校が開校し、近代農業の総合的教育・研究の場となりました。明治14年この農学校にドイツ人ケルネル氏が農芸化学の教師として着任し、土壌や肥料の研究を行って大きな成果をあげました。 園内にある水田はこの実験を行った場所で、農学発祥の地「ケルネル田んぼ」と呼ばれ、稲作は筑波大学付属駒場中・高校の生徒さんによって今でも行われています。>


ペンタックスK5+ペンタックスSMC 150mm F4 <ケルネル田んぼ>  

たしかに高校生か中学生か田んぼの世話をしていました。


ペンタックスK5+ペンタックスSMC 150mm F4


ペンタックスK5+ペンタックスSMC 150mm F4


ペンタックスK5+ペンタックスSMC 150mm F4


ペンタックスK5+ペンタックスSMC 150mm F4


ペンタックスK5+ペンタックスSMC 150mm F4


ペンタックスK5+ペンタックスSMC 150mm F4

ペンタックスSMC 150mm F4は問題なく、撮れているようです。



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リコーGXR+マウントA12 活用術 その3

2012-07-11 19:15:17 | 日記
リコーGXR+マウントA12 活用術 その3

日本民芸館のパンフレットから、抜き書きしてみましょう。<民芸>という新しい美の概念の普及と<美の生活化>を目指す民芸運動の本居地として、思想家の柳宗悦により企画され、実業家の大原孫三郎氏をはじめ多くの賛同者の援助を得て、1936年に開設されました。本館の設計は細部まで柳が手掛け、栃木から大工を呼び寄せて作られました。所蔵品は陶磁・染織、木漆工、絵画、金工、石工、編組など柳の審美眼により選ばれた古今東西の諸工芸品約17000点。
入館料1000円、所蔵品目録はなくて、民芸という日本民芸協会の会誌に少しずつ所蔵品の写真が載っているだけ。一冊850円だからいろいろ買うと結構な値段になる。当方はバーナード・リーチの作品と丹波焼の写真が載っている2冊を購入。ブログで一部紹介しています。柳先生の思想をお伝えするためということで、ご容赦ねがいます。

展示品の大半は作家の名前がなく、館の方針で説明書きも最小限。民芸品ですから、ただ感じ取ってほしいということです。これは結構、難しいことですよ。人は無意識のうちに、作家の名前から作品を感じたり、記憶したりするので、名前がないと記憶がすぐ四散してしまいます。なんども足を運ぶか、会員となってのめりこんで行く必要があるようです。なにか、この民芸思想には引きずり込まれる不思議な魅力があります。千と千尋の神かくしのような、この館は違う世界の入り口のような気がするのです。


ここから先、今日の写真はすべて、リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limitedで撮影しています。やっとリコーでペンタックス15mm limitedが使えるようになりました。 問題なく使えます。よかったよかった、感激です。


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited


リコーGXR+マウントA12+ KIPONアダプターリング+ペンタックスDA 15mm limited

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リコーGXR+マウントA12 活用術 その2 (バーナード・リーチ編)

2012-07-10 20:38:02 | 日記
リコーGXR+マウントA12 活用術 その2 (バーナード・リーチ編)

オールドレンズの試写をしたいのですが、今日は雨が降りそう。行く先もきまらずに、とりあえず、東大駒場前からすぐの日本民芸館に向かいました。 ここは、当方の師匠である柳宗悦(むねよし)1889-1961の記念館というべきところでしょうか。柳師匠の集めた民芸品が広い古民家の館に展示されています。 柳先生を師匠といいますが、時代もちがうし、直接も間接も師事したことはまったくありません。 ただ、いつのまにか当方の考えていることが、柳先生が考えていたこととほとんど同じであることに気がついて、柳先生の軌跡をたどることが多くなったということです。 ウイリアム・モリス、バーナード・リーチ、浜田庄司、河合寛次郎、富本憲吉、 沖縄壺屋の連中、大津絵、丹波焼、韓国の焼き物、当方の心にふれるものたちはどれもこれも柳先生の息のかかった世界なのです。                 
今日は、たまたま、バーナード・リーチ(1889-1979)の作陶100年記念展示会が開催されていました。バーナード・リーチは目的でなかったのですが、この展示会のおかげで、バーナード・リーチの本当の姿を知ることが出来ました。この後かれの作品の写真をのせますが、取り上げられるのは東洋と西洋の融合的作品が多い。ところが彼の作品の中には、ほとんど日本人の作といっていいほどの日本的作品があるのです。 ほとんど完全に日本を理解していた人と思われます。いい作品です。絵も上手いし、掛け軸も書いています。米国コロラドの風景を描いた掛け軸に家内がとっても興味をもっていました。確かに希少価値があるといえば、そう言える。

バーナード・リーチをウイキペディアでひいたら,書いてあることがあまりに面白いので、ノーカットで以下に載せます。
1887年(明治20年)、植民地官僚だったイギリス人の父とイギリス人の母の間に香港で生まれた。母は出産で死去したため日本にいた母方の祖父に引き取られ、関西に住んだ。祖父は京都の第三中学校や彦根中学校で英語教師をしていた。来日から4年後、植民地官僚だった父の再婚にともない香港に戻ったが、1895年、父の転勤でシンガポールへ移った。1897年、英国本土に移され教育を受ける。
1903年、芸術家を志してロンドンのスレード美術学校に入学するが翌年父が死んだため銀行員となり、1907年からロンドン美術学校でエッチングの技法を学んだ。そのとき、ロンドン留学中の高村光太郎と知り合って日本に郷愁を抱くようになり、1909年(明治42年)、日本へ戻って東京・上野に居を構えた。彼は生涯の友となる柳宗悦をはじめ白樺派の青年達と知り合いになり、彼らの本拠である我孫子で版画指導を行ったほかイギリスで起こったウィリアム・モリスらのアーツ・アンド・クラフツ運動など西洋芸術についての議論を通して手仕事の復権や日用品と美の問題などを語り合った。またバーナードは富本憲吉と知り合い、彼とともに訪れた上野の博覧会会場で楽焼の絵付けを始めたことをきっかけに茶道や茶道具に惹かれた。1912年に6代尾形乾山に陶芸を学び、中国から戻った1917年、我孫子の柳の家に窯を開いて陶芸家としての一歩を踏み出した。後に7代乾山の名を免許された。
この時リーチたちのもとを訪れた陶芸家の濱田庄司と友人になり、バーナードは1920年に濱田とともにイギリスのセント・アイヴスに移り日本の伝統的な登り窯を開き、1922年には「リーチ・ポタリー」(Leach Pottery)という名の窯を開いた。彼らはセント・アイヴスで西洋と東洋の美や哲学を融合させた陶磁器を作り朝鮮や日本、中国の日用陶器に注目したほかスリップウェアや塩釉といったイギリスやドイツの忘れられつつあった伝統的な日用陶器にも着目してその技法をマスターした。
彼らは陶磁器を芸術、哲学、デザイン、工芸、そして偉大な生活様式の融合したものと見ていたが西洋人の多くは陶芸を一段低い芸術と考え、彼らの作品を当時の洗練された工業製品に比べて粗野で下手なものとみなしていた。1934年、バーナードはイギリスでの陶芸全般の評価に失望し再び来日し日本民藝館設立を目指していた柳に協力した。イギリスに戻って1940年に出版した『A Potter's Book』(陶工の書)はバーナードの職人としての哲学や技術、芸術家としての思想を明らかにした本で彼の名を知らしめるもとになった。
バーナードは実用より美学的関心を優先させた純粋芸術としての陶芸に対し、実用的な日用陶器を作ることを擁護した。彼は陶磁器に重要なのは絵画的な絵柄でも彫刻的な装飾でもなく、日用品としての用を満たす器の形状や触覚だと考えた。このため、彼の制作スタイルは1950年代から1960年代のミッドセンチュリーのアメリカ合衆国でカウンターカルチャーやモダニズム・デザインに大きな影響を及ぼした。バーナードは近代的で協同組合的なワークショップを運営して、一般大衆向けの手作り陶磁器のラインナップを制作することを切望していた。世界中からリーチ・ポタリーに陶芸家が弟子にやってきて、リーチの様式と信念を世界に広げていった。例えば、カナダから来た見習い陶芸家達は1970年代にかけてバンクーバーを中心としたカナダ西海岸に活発な陶芸シーンを形成した。アメリカ人の弟子たちの中にはウォレン・マッケンジー(Warren MacKenzie、彼もミネソタ大学で多くの後進の陶芸家に影響を与えた)やバイロン・テンプル(Byron Temple)、クラリー・イリアン(Clary Illian)、ジェフ・ウェストリッチ(Jeff Oestrich)といった陶芸家がいる。ニュージーランドの陶芸の第一人者レン・キャッスル(Len Castle)も1950年代半ばにイギリスへ旅しバーナードと働いて大きな影響を受けた。また長年バーナードの助手だったマイケル・カーデューやオーストリアで陶芸を修めた後にナチスから逃れてイギリスに渡りリーチの影響を受けたルーシー・リーらは、リーチと協力しあるいは競いながらイギリス陶芸の地位向上に努めた。またたびたび来日し各地で作陶したほか、『Unknown Craftsman』(知られざる職人)などの書を通して民芸運動やその関連作家をイギリスに紹介、展覧会も開きその理論を解説した。
バーナードは1940年、アメリカ人画家マーク・トビーとの交友を通じバハーイー教に入信していた。1954年、イスラエルのハイファにある寺院に巡礼に行ったバーナードは「東洋と西洋をより一つにするため東洋に戻り、バハーイ教徒として、またアーティストとして私の仕事により正直になろうと努力したい」との感を強くした[1]。
彼は1972年まで制作を続け、なお世界を旅して回ることをやめようとしなかった。また、彼は視力を失っても陶芸に関する著述をやめなかった。1963年に大英帝国勲章(Order of CBE)を受章。1974年には国際交流基金賞を受賞した。ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館は1977年に彼の大規模回顧展を開いたが、彼はその2年後逝去した。リーチ・ポタリーは今なおセント・アイヴスに残り、バーナードやその関係者たちの作品を展示する美術館を併設している。

今日はリコーではなくて、バーナード・リーチ一色です。


バーナード・リーチ展のパンフレットからのコピー


バーナード・リーチ展のパンフレットからのコピー


バーナード・リーチ展のパンフレットからのコピー


バーナード・リーチ展のパンフレットからのコピー


バーナード・リーチ展のパンフレットからのコピー


バーナード・リーチ展のパンフレットからのコピー


バーナード・リーチ展のパンフレットからのコピー


バーナード・リーチ展のパンフレットからのコピー


民芸 2004年10月号からのコピー


民芸 2004年10月号からのコピー


民芸 2004年10月号からのコピー


民芸 2004年10月号からのコピー


民芸 2004年10月号からのコピー


民芸 2004年10月号からのコピー


民芸 2004年10月号からのコピー


民芸 2004年10月号からのコピー
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