この国では、ジェネラリストを求め過ぎる。
たとえば、今この日本で、アインシュタインのような
「理数系は天才だけど、アルファベットの読み書きは怪しい」
鬼才が現れたとしても、無能のレッテルを貼られて
干されてしまうことは想像に難くない。
この前こんな話題があった。
知的障害があり、お金の計算ができずに、
自治会の仕事を辞退するのが認められず、自殺に追い込まれたという。
以下、twitterからの引用だが、この国の病理を的確に言い表していると思う。
この国ではたとえ障害者でも、『特別扱いしない』し『容赦しない』し『できない事を許さない』。できないなら『できる様になるまでまで決して逃さない』。できる様にならなければ『容赦なく皆の前で恥をかかせて』ボコボコに『晒し首』にする。そしてときに命まで取る。
そう、「最低限のことをできない」のは、死をもって償うほどの
大罪とされている恐ろしい文化なのだ。
葛飾北斎のような「整理整頓」という概念がすっぽり抜け落ちた天才、
野口英世のような金銭感覚がハチャメチャな天才、
アルキメデスのように、法則発見の興奮のあまり全裸で町を走り回った奇才……。
現代日本が、こういった方々に居場所を与えるほどの器があるとは思えない。
※葛飾祖北斎は、掃除という概念もなく、
家が汚れたり散らかったりするたびに、引っ越していたという。
この国で「博士」の扱いがひどいのも根っこは繋がった問題だろう。
『スペシャリストよりも最低限のことを無難に
こなしてくれる人が欲しい』……どこの企業
もこのように価値観を画一化させることで、
日本はどんどんつまらなくなっていく。
「最低限のことを無難にこなす」なんて、
AIに任せてしまえばいいじゃん?
人間が努力してまで身につけるスキルではあるまい。
まず、初めの知的障碍者の自殺についてですが、新人いびりに似ている気がします。要するに「できない(困る)ことをわかっていながら」無理やりやらせて失敗するのを見て快感を得る、といった感じでしょうか。「1000円やるから何か買ってこい」とかに似ています。
やっている側は「指導のつもり」「なにくそと一念発起してほしい」でしょうが、指導ではなくパワハラだと思います。
カエル虐待の結果、「命の大切さやはかなさを学んだ」などという詭弁が語られることがありますが、しんじんいびりにも指導のつもり」「なにくそと一念発起してほしい」なんていう詭弁がつけらるのですね。
それを言ってしまったら、大震災を乗り越えて人は強く優しくなれた、と大震災さえも肯定できてしまいます……。