恥ずかしながら、地元の神社にクレームの手紙を出したことがある。
もちろんオブラートに包んだ丁寧な言葉で、不満内容は明確に……。
今年の元旦のこと。
ダルマやお守り、お札、しめ縄などを手提げ袋に入れて、
お焚き上げをしようとしたところ、
神社のスタッフと思われる人がわらわら集まり、
いきなり袋を引ったくると、中身を取り出し、
「これは燃やしてOKなんだっけ?」と照合し合い出した。
そして、ダルマなどを機械的に勝手に火中に投入し出したのだ。
お焚き上げは、持ち主が
感謝を込めて投入することに意義があるのではないだろうか。
思わず唖然として、その場で不満を言う機会を逃した…………。
神社からは、ご丁寧なお返事をいただいた。
どうやら消防署から指導があり、神社に関係のないものを
燃やさないようにということだったようだ。
それにしても、やり方というものがある。
まるでDQN警官の違法職質みたいな勢いでやることには納得できなかった。
と同時に、ぬいぐるみや手紙などを
一緒に燃やそうとする人が多いことも伺えた。
日本には針供養、靴供養などの文化がある。
「物」にも魂が宿っていると考えるのは、
日本特有の神道(アニミズム)だ。
物を大量に消費する現代だからこそ、
「物を供養したい」という需要が高騰しているのではないか。
「物の供養」……
これって凄いビジネスチャンスでは!
誰か一緒にやりませんか(笑)
ビジネスと言ったけれど
かなりの廉価、ボランティアに近い値段でやらないと
あまり盛り上がらないと思う。
物を供養する「お坊さん」を集める必要もあろう。
さらに、たき火すら気軽にできないご時勢、
ダイオキシン問題をどうクリアするか。
これらがクリアできれば、
不要になった物を供養したり自然に帰したりという方法が定着し、
環境問題、ゴミ問題の解決への大きな一歩になるのではなかろうか。
そして、ここから先は超個人的な意見です。
神社さんには消防署の指導をうまく流して、
物を供養したい人の気持ちを容認する柔軟さが欲しかった。
幼児の頃から親しんできた神社が、
頭がちがちの、事なかれ主義に走るのは悲しかった。
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