旧 廿代橋通(にじゅうだいばしどおり)
----高知
高知城下町名今昔の立て札より引用
廿代の由来は大工頭加藤冶部の宅地の面積が二十代
(120坪)であったからとか、元の字名とか言われて
いる。寛永年間(1661-72)に大川筋の武家街との連絡
のため高知城の外堀に沿った南北の通りに廿代橋が
架けられた。昭和11年(1936)市内の町域整理のとき
廿代橋から追手筋までの南北の通りの東西が町域と
定められた。
----高知
高知城下町名今昔の立て札より引用
廿代の由来は大工頭加藤冶部の宅地の面積が二十代
(120坪)であったからとか、元の字名とか言われて
いる。寛永年間(1661-72)に大川筋の武家街との連絡
のため高知城の外堀に沿った南北の通りに廿代橋が
架けられた。昭和11年(1936)市内の町域整理のとき
廿代橋から追手筋までの南北の通りの東西が町域と
定められた。