2015年12月1日、阪神尼崎の南側の寺町及び尼崎城跡を奥様と2人で
散策してきました。
本日は散策記の第4回で大覚寺を写真紹介します。
過去2回の記事については下記を参照してください。
第1回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その1専念寺
第2回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その2 如来院
第3回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その3 長遠寺
大覚寺の基本情報
住所:尼崎市寺町9 TEL:06-6411-2705
宗派:律宗 山号:月峯山 御本尊:千手十一面観音
開創:推古天皇13年(605)に長洲(尼崎)に剣尾山を遥拝する灯炉堂を建立
中興:建治元年(1275)琳海上人により中興
公式HP:http://www.genki.or.jp/wp/archives/1909
http://amagasaki-daikakuji.com/
上の写真は山門。
南北朝・室町時代の延文4年(1359)12月23日、軍勢を率いて足利2代将軍
義詮が尼崎に来て以降半年間在陣し、 大覺寺城として政治 ・ 経済 ・ 文化 ・
軍事の権力を掌握していました。
後伏見上皇の中宮のご安産祈願を当寺で行い、量仁親王(光厳天皇) がめでたく
誕生され、大がかりな祝典があげられた記録も残されています。
上の写真は能・狂言の舞台と本堂の遠景
例年2月3日の節分に、豆まきに加え「大覚寺狂言」が上演されます
上の2枚の写真は本堂正面(上)と側面(下)
上の写真は上記「大覚寺狂言」の上演風景
上の写真は大物(だいもつ)橋の欄干と弁財天堂
上の写真は弁財天堂と縁起説明書き
弁財天堂は棟札より慶長20年(1615)の建築。大覚寺市庭の鎮守神です。
覚一検校(かくいちけんぎょう)は覚一本・平家物語の著者です。
上の写真は玉水の井戸
上の写真は契沖の歌碑
契沖は尼崎の生まれで、近世国学の祖
上の3枚の写真は尼崎中央図書館の南側の契沖の顕彰碑
上の写真は薬師堂と南側の石造物
上の写真は経堂と鎮守
上の写真は芦刈島の説明板
上の写真は毎月1日と16日例祭 地蔵菩薩例祭、 歓喜天例祭
上の写真は歓喜天尊の石碑
上の写真は境内社
上の写真は聖天堂。
上の写真は地蔵尊。
上の写真は墓所
散策してきました。
本日は散策記の第4回で大覚寺を写真紹介します。
過去2回の記事については下記を参照してください。
第1回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その1専念寺
第2回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その2 如来院
第3回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その3 長遠寺
大覚寺の基本情報
住所:尼崎市寺町9 TEL:06-6411-2705
宗派:律宗 山号:月峯山 御本尊:千手十一面観音
開創:推古天皇13年(605)に長洲(尼崎)に剣尾山を遥拝する灯炉堂を建立
中興:建治元年(1275)琳海上人により中興
公式HP:http://www.genki.or.jp/wp/archives/1909
http://amagasaki-daikakuji.com/
上の写真は山門。
南北朝・室町時代の延文4年(1359)12月23日、軍勢を率いて足利2代将軍
義詮が尼崎に来て以降半年間在陣し、 大覺寺城として政治 ・ 経済 ・ 文化 ・
軍事の権力を掌握していました。
後伏見上皇の中宮のご安産祈願を当寺で行い、量仁親王(光厳天皇) がめでたく
誕生され、大がかりな祝典があげられた記録も残されています。
上の写真は能・狂言の舞台と本堂の遠景
例年2月3日の節分に、豆まきに加え「大覚寺狂言」が上演されます
上の2枚の写真は本堂正面(上)と側面(下)
上の写真は上記「大覚寺狂言」の上演風景
上の写真は大物(だいもつ)橋の欄干と弁財天堂
上の写真は弁財天堂と縁起説明書き
弁財天堂は棟札より慶長20年(1615)の建築。大覚寺市庭の鎮守神です。
覚一検校(かくいちけんぎょう)は覚一本・平家物語の著者です。
上の写真は玉水の井戸
上の写真は契沖の歌碑
契沖は尼崎の生まれで、近世国学の祖
上の3枚の写真は尼崎中央図書館の南側の契沖の顕彰碑
上の写真は薬師堂と南側の石造物
上の写真は経堂と鎮守
上の写真は芦刈島の説明板
上の写真は毎月1日と16日例祭 地蔵菩薩例祭、 歓喜天例祭
上の写真は歓喜天尊の石碑
上の写真は境内社
上の写真は聖天堂。
上の写真は地蔵尊。
上の写真は墓所