2021年11月20日(土)、播磨町で初めて国登録有形文化財となった梅谷家住宅
(4代目の梅谷七右衛門清政の子孫宅)の写真を撮りましたので写真紹介します。
上の2枚の写真は北西側から撮った梅谷家住宅
梅谷家住宅の主屋・離れ・北塀及び西塀が令和2年(2020)4月3日、国登録有形文化財に
登録されました。
主屋は昭和13年(1938)10代目の梅谷美方氏が跡取りの孫(12代目)が播磨小学校
(旧阿閇小学校)に通うのに便利なように建設された住宅です。
以下、文化庁のデータベースよりの引用です。
所在地住所は兵庫県加古郡播磨町宮北一丁目408-5(現在は播磨町宮北1丁目1-20)
所在地のGoo地図を添付しておきます。
梅谷家住宅主屋:木造平屋建、瓦葺、建築面積94㎡ 昭和13年(1938)に建造
登録番号:28 - 0738
解説文:喜瀬川右岸の小学校前に通学用の別宅として建てた。
敷地北東に建つ木造平屋建で、寄棟造と入母屋造を組み合わせた屋根をかける。
北東端に玄関を配し、南に書斎と居間を並べる。書斎は洋室で漆喰塗天井に
シャンデリアを吊る。別宅の必要機能をまとめた住宅。
梅谷家住宅離れ:木造2階建、瓦葺、建築面積76㎡ 昭和14年(1939)頃/昭和40年代改修
登録番号:28-0739
解説文:主屋の西側に建つ木造二階建、入母屋造桟瓦葺で、外壁を焼杉の
竪板張とする。一階は床、棚、付書院を備えた八畳の主座敷と六畳の座敷の
南に広縁を付し、北に茶室を配す。二階は座敷が三室で南に縁を付す。
良材を駆使した上質な離れ。
梅谷家住宅西塀・北塀:木造、瓦葺、総延長35m 昭和初期(1926-1945)に建造
登録番号:28-0740
解説文:敷地北面と西面を囲む塀で、北塀の中央付近に木戸を開く。
半間おきに柱を立て腕木で桁を支え、屋根は桟瓦で葺く。
外側は焼杉の竪板張で上部を真壁漆喰塗とし、内側は北塀が
真壁漆喰塗、西塀が竪板張で、大谷石の支柱で支持する。
宅地外周部の景観を形成する。
上の写真は登録有形文化財の証書銘板です。
上の写真は兵庫県が景観形成重要建造物として第13次指定(令和2年度)したことを
証明する銘板
上の写真は北側から撮った梅谷家住宅
上の写真は北東側から撮った梅谷家住宅
上の写真は梅谷家住宅の玄関
住宅の内部の状況については下記サイトに詳述されています。
梅谷家4代目の梅谷七右衛門清政は篤志家として著名です。清政(1683-1762)の略歴を
記しておきます。
16歳の若さで庄屋を継ぎましたが、その当時村は決して豊かではありませんでした。
打開策として新田開発を志し、その成功によって村の困窮を救うことになります。
その後魚問屋(八幡屋)を開業して財を成し。その財を活用して地域の神社や寺を立て直し、
感謝されています。(菩提寺の蓮花寺本堂は正徳2年(1712)に本堂を修復、阿閇神社
の修復や新しい神輿を作り神事を復活させたのは享保15年(1730))
さらに喜瀬川の治水工事にも貢献しています。
意外に質素な暮らしぶりの中で地域には惜しみなく金銀を使い、困った人にはできる
限りの世話をしました。古宮組大庄屋の今里十三郎死去に伴い大庄屋代として今里家を支えました。
梅谷七右衛門清政についてはその遺構と共に調査して纏めていきたいと考えています。
最後に播磨町郷土資料館館長の井上珠彦さんが解説された動画をGooで共有して筆を置きます
東播フォーカス第59回「梅谷七右衛門清政とゆかりの文化財」
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