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多井畑厄除八幡宮の道標 in 月見山 on 2022-4-7

2022年05月01日 05時03分51秒 | 神戸情報

本日は月見山に建つ多井畑厄除八幡宮の道標を写真紹介します。

多井畑厄除八幡宮は多井畑厄神とか厄除八幡神社とか多井畑の厄神さんとか呼ばれますが

本ブログでは多井畑厄神と表記していきます。

上の3枚の写真が多井畑厄除八幡宮の道標の近遠景です。

道標には正面には「厄除八幡神社」と刻まれ、

    裏面には「明治十七年一月吉日 発起人 松尾二三口」

    右側面には「右 多井畑村迄距離三十三丁」

と書かれています。明治17年(1884)1月に道標が設置されたことが判ります。

現在の山陽電鉄の前身・兵庫電気軌道の兵庫~須磨間が開業するのは、明治43年(1910)

なので、その26年前に建てられていたことになります。

三十三丁は3.6Kmとなります。

現在の位置には昭和30年(1955)に道路拡張の際に移動されました。

上の写真は近くにあった地図の掲示で赤字現在地と書かれている場所が

多井畑厄除八幡宮の道標がある位置です。北が右側になっていますので注意。

住所表示は神戸市須磨区月見山本町2丁目5-1

上の写真は須磨区役所編の「須磨の近代史」Page107で紹介されていた須磨から多井畑への

道路を表したもので西国街道と多井畑村に行く道路の交点に道標が建てられています。

明治16年(1883)から大正12年(1922)まで須磨-多井畑は、この道が利用されていました。

また、この地点は西須磨村と東須磨村の境界地でもあります。

多井畑に通じる道の往来は過酷であったので明治14年(1881)から明治16年(1883)に

工事が施工され月見山から多井畑に至る新道が造られました。

この新道により荷車、人力車の通行が可能となった。

大正10年(1921)に出版された「武庫郡誌」に書かれている1月の厄除大祭に関する

記述を引用紹介します。「東須磨より多井畑厄除八幡宮まで33町の坂道は露店をもって

満たされ、その雑踏いわん方なし。この日における賽銭神符料など1,500円以上に及ぶ

第2次世界大戦前まで厄除大祭の日にはこのような光景が続いた。

上の写真は大正時代の月見山付近を示したものです。厄除八幡神社の道標が書かれています。

出典:須磨区役所編の「須磨の近代史」Page106

 

上の写真は須磨駅家~明石駅家の山陽道のルートを示したものです。

出典: 兵庫県教育委員会編 大田町遺跡発掘調査報告書
    神戸市大田郵便局等新築工事に伴う発掘調査報告書(1993) Page57

今回紹介した多井畑厄神の道標は旧西国街道と多井畑ルートの交点に設置されています。


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