サンテレビ及び神戸新聞の報道で「瓦せんべい」の老舗「菊水総本店」が3月21日に
閉店することを知りました。
そこで3月17日(木)に瓦せんべいを買いに出かけ写真を撮りましたので紹介します。
神戸の「瓦せんべい」の老舗 菊水総本店まもなく閉店 (サンテレビの報道)
神戸の瓦せんべい「菊水総本店」21日に閉店 建物老朽化で150年の歴史に幕 | おでかけトピック | 兵庫おでかけプラス | 神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)
上の写真は1965年に建てた菊水総本店のビルの外観。住所は神戸市中央区多聞通3-3-5
湊川神社の前で明治元年(1868)に創業されたそうです。
上の写真は明治15年(1882)に発刊された銅版画集「豪商神兵 湊の魁」で
描かれた菊水吉助商店。菊水総本店のルーツである。
菊水饅頭、蒸菓子所、御料理、魚などの字が見られます。
明治元年(1868)に現在の場所に開業しました。湊川神社の創建はその4年後の
明治5年(1872)である。
菊水吉助が開業した時はまだ神社はなく楠木正成の墓と祠があると状況でした。
楠木正成の墓は西国街道に近く、幕末には街道を行く勤王の志士たちが必ず参拝する
聖地でありました。
上の写真は浮世絵師の長谷川小信によって描かれた錦絵の神戸古版画集で描かれた
楠正成公の墓碑の図です。江戸の後期には名所となっていた様子が判ります。
上記のように整備される前の姿は延宝8年(1680) 衣斐蓋子によって描かれた
海瀕舟行図がありこの中に楠公の塚があり横に梅の大木も描かれています。
徳川光圀公の墓碑建立は元禄5年(1692)のことです。
上述したように尊王攘夷の志士(吉田松陰、真木保臣、坂本龍馬、久坂玄瑞など)の
他に文久3年(1863)の政変で京都を追われた公家(七卿)たちも参拝し墓前で
再起を誓った。
話がちょっと横道にそれてしまいました。本題に戻ります。
上の写真は昭和30年(1955)当時の菊水総本店です。
上の写真は菊水総本店の入り口部
上の写真は菊水總本店の看板
上の写真は閉店のお知らせ文
上の写真は店内に併設の菊水茶廊 営業時間は9:00~18:00
平成18年(2006)に経営不振のためUCCの子会社となったが黒字化できずいったん清算。
しかし、元従業員の堀木さんら4人が平成22年(2010)3月に再開させた。
茶廊はUCCの指導によるものか?
上の写真は菊水茶廊のメニュー表
神戸新聞の記事によれば「かき氷」が人気であったとのこと。
上の写真は菊水總本店の瓦、焼き印などの店内展示
上の写真は和菓子の木型
上の写真は大型の?瓦せんべいの製造機
上の写真は当日、購入した瓦せんべい 18枚入り 864円(税込)
上の5枚の写真は瓦せんべいの包装紙の表示
上の写真は楠木正成の像の焼き印が入った瓦せんべい。
他に菊水マーク(楠木正成の家紋)の入ったものがあります。
創建者の菊水吉助は楠木正成の功績を伝えるため、瓦型の煎餅に正成の勇姿を焼き入れた
瓦煎餅を作りました。その功績により有栖川宮熾仁親王が菊水姓を下賜したそうです。
有栖川宮熾仁親王は舞子の別邸で60歳で崩御されました。
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