本日は林子平(1738-1793)が著した海国兵談を取り上げます。
海国兵談は全16巻で天明6年(1786)に脱稿、寛政3年(1791)に刊行。
海国兵談
思えば江戸の日本橋より唐阿蘭陀(カラオランダ)まで
境なしの水路也
海に囲まれた日本の海防の緊急性を説き、仮想敵国としてロシアの脅威に言及した。
寛政4年(1792)、この本は幕府により発禁処分となり、著者の林子平は蟄居の罰を受けた。
林子平著 寛政3(1791)年成立
天保6(1835)年写/高田屋顕彰館
上記文書は展示説明文(下の写真)をそのまま転記しました。
上の2枚の写真は「海国兵談」の展示
高田屋顕彰館・歴史文化資料館の展示より 撮影:2023-6-14
安政3年(1856)7月、幕府は「海国兵談」の再刊を許しています。
海国兵談の現代語訳の書籍(家村和幸 編著)が発刊されています。
本の内容で最も有名な言葉があります。
「江戸の日本橋から中国・オランダまで国境など無し水路で繋がっている」
現在、(幕府は)長崎には大砲を配備しているが、(江戸に近い肝心の)
安房・相模にある海に面する港には(武装するなりの)対策をとっていない。このことは実に不可思議だと幕府の政策を批判。
海国兵談の発刊から60余年、ペリー率いる黒船艦隊の再来航を前に
「大砲を数多く製造し、これらを陸地に設置する」という林子平の発想が
品川台場として実現しています。さらに外国船に打ち勝つ方策を学んだ攘夷の
志士たちは「黒船恐れるに足らず」との自信を持ち、それが維新の原動力と
なっていきます。
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