2022年5月18日、姫路市の曹洞宗の寺院「景福寺」の境内幼稚園の敷地内にある姫路藩主酒井家
墓所を見つけましたので写真紹介します。
五輪塔型3基の墓碑
⇦西 東➡
上の写真は五輪塔型三基は下記の藩主の正室の墓碑で東(右)から
1)姫路藩酒井家五代藩主酒井忠学(ただのり)正室の喜代(きよ)姫(1818-1868)
2)姫路藩酒井家六代藩主酒井忠宝(ただとみ)正室の喜曽(きそ)姫(1834-1870)
3)姫路藩酒井家八代藩主酒井忠績(ただしげ)正室の婉(えん)姫(1826-1867)
姫路藩酒井家の歴代藩主は以下のとおりです。
1代:忠恭 、2代:忠以、 3代:忠道、 4代:忠実、 5代:忠学
6代:忠宝 、7代:忠顕、 8代:忠績 、9代:忠惇、 10代:忠邦
1)酒井忠学の正室の喜代姫について
上の写真は酒井忠学の正室の喜代姫の解説
出典:津山邦寧 景福寺山史跡保存会編著「景福寺とその周辺の史跡」Page96
写真は筆者が2022年5月18日に撮影したものを添付
十一代将軍・家斉には一妻二十妾(しょう)の間に、五十五人の子どもをもうけたが四十三人目の喜代姫(25女)が、姫路藩の酒井忠学との結婚の儀(1832年輿入)がなった。
喜代姫(1818~1868)は姫路の地を踏むことはなかったが、ここ景福寺に墓がある。
没年の1868年は明治元年です。
酒井忠学(さかい ただのり、1808~1844)は、江戸時代後期の大名。播磨姫路藩第5代藩主。雅楽頭系酒井家宗家13代。墓所は群馬県前橋市紅雲町の龍海院。夫婦は別れ別れです。
姫路お城まつりのハイライト大名行列では千姫、督姫と共に清姫が駕籠に載って登場します。
2)酒井忠宝の正室の喜曽姫について
上の写真は酒井忠学の正室・喜曽姫の解説
出典:津山邦寧 景福寺山史跡保存会編著「景福寺とその周辺の史跡」Page96
写真は筆者が2022年5月18日に撮影したものを添付
3)酒井忠績の正室・婉姫について
上の写真は酒井忠績の正室・婉姫の解説
出典:津山邦寧 景福寺山史跡保存会編著「景福寺とその周辺の史跡」Page95
写真は筆者が2022年5月18日に撮影したものを添付
上の3枚の写真は現地の説明板
円頂方形型6基の墓碑
今迄、記述してきた姫路藩の藩主・酒井家の正室の五輪塔型3基の墓碑の東側には円頂方形型6基の墓碑があります。(下の2枚の写真)
⇦西 東➡
上の写真は現地説明板による6基の解説
東より順番に俗名、没年、享年、碑文を記載しておきます。説明板も添付
1)酒井駉(まき)之助、宝暦11年5月6日、5歳で病死、梅樹院殿玉露一滴大童子
説明板なし
2)酒井輿曾(よそ)、寛延3年(1750)12月5日、0歳で早世、示現院殿如水泡身第童女
3)酒井鎚(つち)、天保3年(1832)11月8日、2歳で没、浄香院殿蘭渓妙秀大童女
4)酒井紓(じょ?)、天保2年(1831)11月27日、0歳で早世、恵琳院殿球巖貞寶大童女
5)酒井鋋(せん?)、文久3年(1863)6月27日)、0歳9ヵ月で没、蓮窻院殿夢端露香大童女
6)酒井忠恭9女、宝暦4年(1754)5月25日没、0歳で早世、浄池院殿蓮開妙薫大童女
法華塔
五輪塔型の3基の墓碑の西側には法華塔がありますので現地説明板とともに写真紹介します(下の2枚の写真)
最後に、景福寺の基本情報を添付して筆を置きます
景福寺の基本情報
住所:姫路市景福寺前7-1 TEL:079-292-4807
宗派:曹洞宗 山号:瑞松山 御本尊:釈迦牟尼
創建:応安2年(1369)一径永就和尚により兵庫県猪名川町に草創。開山は永就の師で総持寺5世通幻寂霊禅師
中興:慶長5年(1600)池田輝政から姫路の坂田町に寺地を与えられ池田家の家老「荒尾隆重が景福寺の建立に関与した。
現在地への移転は宝暦4年(1754)
猪名川町、姫路市、岡山市、鳥取市にある4箇所の景福寺を合わせて曹洞宗四景福寺と呼ばれています。
上の写真は景福寺を紹介した現地説明板
所在地のGoo地図は下記のとおりです。
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