平城宮跡(奈良市、国特別史跡)のうち、天皇や皇太子の宮殿があったとされる
東院地区で大型建物跡がみつかった。奈良文化財研究所(奈文研)が6月30日に発表した。
上の写真は発掘現場の概略位置を示したものです。 平城宮の案内図に書き入れたものです。
撮影:2016-10-5
上の写真は発掘現場 出典:なぶけんチャンネル
上の写真は現場付近 推定復元図 平城宮の説明板より 撮影:2016-10-5
平城宮は約1Km四方の敷地と東側に東西約250m、南北750mの張り出し部を持ち、
その南半分の南北350mの範囲を東院地区と呼んでおり皇太子がいる時はその居所
「東宮」として、いない時は内裏に準ずる天皇の居所「東宮」、「東院」、「東内」
として利用され、神護景雲元年(767)に完成した東院玉殿(瑠璃色の瓦を葺き彩色)
宝亀年間(770~780)には「揚梅宮(やまもものみや)」に改造
高麗福信(*1)が造営卿として造営を担当
瓦片や土器などから奈文研は奈良時代の749~770年の建物と判断。
孝謙天皇、淳仁天皇、称徳天皇(孝謙天皇が再即位)の在位時期に当たる。
東西9柱間(約27メートル)、南北4柱間(約12メートル)と大型で、東院地区の中軸線上
にあることから天皇が住んだ宮殿の中心的な建物とみられる。
宮殿としてはこれまで、「内裏」や称徳時代に建てられた「西宮(さいぐう)」の
遺構が確認されている。
直径30〜50センチの柱50本が並んでいた床張りの建物で、屋根を檜皮などで
葺いたとみられる特徴から、役所などの施設ではなく、宮殿の居住施設だったと推定される。
孝謙天皇は聖武天皇と光明皇后の娘。749年に即位し、752年に東大寺大仏の開眼供養を営んだ。
文献によると、東院で役人らを集め宴会や儀式、法要を開いたとの記述もある。
僧・道鏡を重用したことでも知られる。
続日本紀には天平勝宝6年(754)1月7日46代女帝孝謙(48代称徳)天皇(2度即位)は
東院で五位以上の役人と宴会(後の白馬の節会に相当)をしたこと、さらに
神護景雲3年(769)1月17日、宝亀1年(770)1月8日にも宴会が開催された
記録が残っています。また種々の儀式もこの時期平城宮東院で挙行されていました。
49代光仁天皇(在位770-781)の時代にも773年に完成した東院・揚梅宮で
宴会が行われたことが上述の続日本紀で記載されています。
報道例1 NHK 平城宮跡 孝謙天皇の宮殿か 大規模な建物の跡見つかる|NHK 関西のニュース
報道例2 読売新聞 平城宮跡で大型建物跡が出土、孝謙天皇の宮殿か…専門家「天皇の日常空間」 : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)
報道例3 毎日新聞 平城宮跡に8世紀の大型建物跡 天皇の別邸か 土地利用の変遷示す | 毎日新聞 (mainichi.jp)
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平城宮跡東院地区の発掘調査(平城第593次調査) で台所跡などが見つかる - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
平城宮跡の東院庭園 on 2016-10-5 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
Youtubeの「なぶけんチャンネル」で調査の内容が公開されています。
平城第633次 平城宮東院の発掘 プロローグ編
633次平城宮東院の発掘調査 第2章
平城第633次平城宮東院地区の調査 第3章50人柱プロジェクト
平城第633次平城宮東院の発掘調査第4章現場検討会編
最後に平城宮跡資料館春期企画展の様子についてなぶけんチャンネルよりGooで共有
平城宮跡資料館春期企画展 研究員による展示解説
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