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日本書紀に記載の三輪山伝説・箸墓伝説と箸墓古墳

2024年07月24日 04時45分12秒 | 奈良情報
三輪山の神(大物主神)と倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)との
ロマンスは日本書記に書かれており箸墓伝説又は三輪山伝説と呼ばれています。
本ブログではその内容 を紹介します。また箸墓古墳について概要を書いておきます。

倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)は大物主神(おおものぬしかみ)の妻となった。
神は、昼現れず、夜だけやってきた。
姫は「一度、美しいお姿をお見せ下さい」と頼んだ。
神は「分かりました。あすの朝、あなたの櫛笥(くしげ)に入っていましょう。
決して驚かないように」と答えた。
翌朝、姫が櫛笥を開けると、美しい小さな紐のような蛇がいた。
姫は驚いて叫んだ。蛇は人の形となり「あなたは我慢できずに声を上げ、私に
恥をかかせてしまった。報復としてあなたに恥辱を加えるだろう」と
御諸山(みむろやま)=三輪山に帰っていった。
姫は後悔した。急に座ったところ箸が陰部に突き刺さり命を落としてしまった。
姫は大市(おおいち)に葬られた。その名を名付けて箸墓といった。
箸墓は昼、人が作り、夜は神がつくった。大坂山の石を運んだ。
人々は一列に並び、手から手に渡して運んだ。
以上が伝承の内容です。
箸墓古墳は上記伝承から倭迹迹日百襲姫の「大市墓」として宮内庁が管理しています。

倭迹迹日百襲姫は巫女的な女性で当時の巫女的女性の権威の大きさを物語っている。
日本書紀には倭迹迹日百襲姫は第7代孝霊天皇の皇女であると記載。
古事記では夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命と名のみみえる。

箸墓古墳の基本情報
所在地:奈良県桜井市大字箸中
長さ:全長約280m 後円部径155m 全方部長125m 全方部前面の幅147m
高さ:30m(後円部)、16m(全方部)
段築:後円部は5段、全方部は4段の段築
造営年代:240年~260年(一説)、3世紀後半(一説)
被葬者(主な説):卑弥呼、台与(壱与)、ヤマト王権の初期大王(崇神天皇など)

 上の写真は箸墓古墳のレーザー照射(航空レーザー測量)による段築状態を示したものです。
後円部 5段 、前方部 4段築造
奈良県立橿原考古学研究所 西藤清秀さんが指揮 協力:アジア航測株式会社





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