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山陽電車網干駅周辺散策記 その9 稲香村舎 誠塾

2020年01月20日 04時51分04秒 | 神戸市以外の兵庫県


山陽電車の広報誌「ESCORT]2019年12月号で山陽網干駅周辺の紹介記事があり
ダイセル異人館と龍門寺の紹介記事が掲載されていました。
これに触発され2019年12月27日(金)に山陽網干駅周辺を散策してきましたので
写真紹介していきます。
山陽網干駅の周辺には2017年11月5日に室津に午前中に訪問後、午後に訪問。
さらに魚吹八幡神社に2018-3-25、2019-3-30に訪問していますが今までブログ記事
にしていなかったのでこれらの訪問記を含めてシリーズとして紹介していきます。
今回はシリーズの第9回で稲香村舎 誠塾を紹介します。
過去の記事:
 第1回 ダイセル異人館

 第2回 龍門寺

 第3回 魚吹八幡神社

 第4回 旧網干銀行本店

 第5回 大覚寺

 第6回 長太郎石

 第7回 河野鉄兜生家と石碑 

 第8回 津の宮(魚吹八幡神社)お旅所

このシリーズの全目次

 山陽電車網干駅周辺散策記 その24(最終回) 網干湊跡 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 山陽電車網干駅周辺散策記 番外編 田捨女について - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

上の写真は誠塾の現状。撮影:2017-11-5 以下の写真もすべて同日撮影。

上の写真は庭に設置された石碑。

 

上の写真は現地説明板

若干の補足文書を追加して再筆する

嘉永6年(1853)6月、米国海軍のペリー提督が来航し、徳川幕府300年の鎖国政治に
夜明けを告げた頃、播州の幕末思想の花押と言われる河野鉄兜先生と河野東馬(香邨)
先生の兄弟が網干に居られた。この塾は東馬先生が長州軍に参加して蛤御門の変に
敗れ潜伏先の出石で出石藩に囚われますが大政奉還で赦され、故郷に帰った慶応4年
(1868)に開設した私塾が稲香村舎 誠塾(当初は稲香村舎(香邨書屋))である。
明治22年(1889)に私塾名を正式に「誠塾」としています。
その後、明治新政府が樹立され東馬先生は太政大臣より太政官判事として召されたが
塾生を守って出仕せず、その間、門弟500名を養成しその中でも枢密院書記官をつとめた
神楽江薫、衆議院副議長及び東京府知事を歴任した肥塚龍、政友会幹事長をした
改野耕三などといった人材を輩出しました。
昭和23年(1948)、この地に網干農学塾が開設され、農業技術、一般教養科目が教授
されたが、昭和38年(1963)閉塾した。近年、建物の老朽化が甚だしく倒壊寸前となり
神戸大学副学長多淵敏樹先生のすすめにより地元有志によって塾を買い受け、姫路市に
寄贈して復元修理し、姫路市指定重要文化財となった。
  平成4年12月21日 姫路市教育委員会
           網干地方史談会

 

上の写真は室内に掲示の元兵庫県知事の服部一三の書

 


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