CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

魚食菜 「ひらじぃ」でのランチ on 2016-3-16 

2016年03月17日 04時14分01秒 | 神戸市以外の兵庫県
2016年3月16日、明石のみや古で釜めしを食べようと思って出かけたが
みや古が休みであったので急遽、魚の棚商店街の中のひらじぃでランチを
いただきましたので写真紹介します。
ひらじぃへは初訪問です。

ひらじぃの基本情報
住所:明石市本町1丁目5-19  TEL:078-939-2477
料理ジャンル:明石の魚、地鶏、和牛を使用した手作り料理(和食)
営業時間:11:30~14:30 17:30~22:30
定休日:木曜日


公式HP:http://hirajii.com/

私は焼き穴子丼 900円、奥様は海鮮丼 1,000円を注文しました。税抜き価格


上の写真は焼き穴子丼。


上の写真は海鮮丼(酢飯)。

奥様はやや不満を漏らしていました。


上の写真はメニュー表


上の写真はお店の外観です。


魚の棚の商店街に入る前に明石銀座商店街の皆様が明石商業の春の選抜初出場
を祝福する幟を掲示されていました(上の写真)
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マリンピア神戸 Tooth Toothでのランチ on 2016-3-15

2016年03月16日 16時21分24秒 | 神戸情報
神戸市垂水区にあるアウトレット モール マリンピア神戸 Tooth Toothでの
ランチを写真紹介します。 撮影:2016-3-15

マリンピア神戸のグルメ処では一押しの場所です。


Tooth Toothの基本情報 

正式の名称はTooth Tooth paradise kitchen
カタカナではトゥーストゥース
住所:神戸市垂水区海岸通12-2-9010 ポルトバザール1F
TEL:078-706-5731


公式HP:http://www.toothtooth.com/index.html

Facebook:https://www.facebook.com/TOOTHTOOTH.ParadiseKitchen

私はTOOTH TOOTHサラダプレート 1,600円(税抜) 奥様は手ゴネハンバーグ
1,600円(税抜)を注文しました。


上の写真は最初に出てくるスープ。


相変わらず欲張りなパンの取り方です。


上の写真は奥様が注文したハンバーグステーキランチ


上の写真は私が注文したTOOTH TOOTHサラダプレート


上の写真はランチメニュー。
私たちが注文したものに矢印をつけています。


上の写真は明石海峡大橋を入れたマリンピア神戸からの景色です。
当日は快晴でした。

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pisola(ピソラ)垂水学園南町店でのランチ on 2016-3-14

2016年03月16日 14時23分14秒 | 神戸情報
2015年10月26日に開店して間もないパスタ、ピザ、リゾットのチェーン店
pisola(ピソラ)垂水学園南町店でランチをいただきましたので写真紹介します。
ピソラは大阪を中心として9店舗を展開するチェーン店です。
訪問日:2016-3-14(月)

PISOLA(ピソラ)垂水学園南町店の基本情報
住所:神戸市垂水区多聞町868-790  TEL:078-647-8582
営業時間:11:00〜24:00
料理ジャンル:パスタ、ピザ、リゾット
定休日:なし
公式HP:http://pisola.jp/
公式FB:https://www.facebook.com/pisola2010


今回で4回目の訪問です。
平日のランチ(税抜き1,100円)を注文するのは3回目


上の写真は私が注文したナスベーコンモッツアトマト味のパスタです。


上の写真は奥様が注文したウニ、海老、茸の和風リゾット

当日のチョイスは合点がいったようで奥様も満足顔でした。



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三宮センター街2丁目のストリートミュージアムの作品 on 2016-3-13

2016年03月15日 16時54分04秒 | 神戸情報

2016年3月13日、神戸市立博物館に行く用事があり出かけたついでに
本日紹介する三宮センター街2丁目ストリートミュージアムの作品の写真を
撮りましたので紹介します。
三宮センター街2丁目のHPで確認したら抜けもあったようですが取り敢えず
アップします。


今回写真を撮ったのは上の地図のトアロードから生田筋に展示の16作品で
西から東に向かって撮った順番に番号をつけましたのでその順番で紹介します。

①ホワイトカナイ White Kanai  
  作者:沖縄 大嶺實清 設置年:2011年5月7日



作者からのメッセージ
未来へ発信する。
「何をしたか」ではなく「何をするか」が最重要課題である。
常に未来へ向けて創造し続ける。
その様な思いを強くしながら「パートⅡホワイトカナイ」を設置して頂くことにしました。

②十五夜 The night of a full
  作者:桑原巨守 設置年:2008年4月8日



メッセージ
桑原は彼の著書の中で「想い出は、子供の頃が一番美しいようです」と述べて
います。彼は故郷をとても愛していました。特にお盆やお祭りは楽しみに
していました。夏休みは彼の彫刻制作には最も大切な時期でしたが、
毎年3~4日帰郷し、先祖のお墓を訪れたりお祭りに出かけたり、又出身の
学校や市街を巡り、野山の風に吹かれたり毎年同じような事を楽しみに
大満足の様子で戻ってきました。
彼はそのような胸に焼きついた事象を対象にして「彼が心に描いた故郷」を
多く作品に纏めています。
今回神戸にお納めした「十五夜」もその一つです。
暑い暑い夏の日の黄昏、お祭りを楽しむ彼はとても大切にしていました。
彼が若し神戸で生まれ育ったら、どのような想い出がありどのような作品を
作ったか、余計な事ですが興味が湧きました。

③港俯瞰 Bird's eye view of the port
  作者:川西英  設置年:2004年12月4日

 

ステンドグラスの作品がトアロードから三宮センター街2丁目の入り口にあるが
写真は当日撮らなかったので後日、補充する予定です。


④HOUSE  
  作者:扇田克也 設置年:2007年3月



⑤篠痕(じょうこん)のある石
  作者:山口牧生 設置年:2013年4月6日

娘(山口さとこ)からのメッセージ
父は生涯に亘って、丸い石、四角い石などを多数作りました。
この「條痕のある石」は、表面にノミ跡を残し、その上から機械で切り込みを
入れ、くぼみにはベンガラ(酸化鉄)をすり込んであります。
父は日中、仕事場で汗を流し、日暮れには家に帰り、
作ったばかりの石を眺めて晩酌を楽しみました。
そのような日々に、父は心から満足しているようでした。
ひとつひとつの石には、父が確かに生きたことの証が刻まれています。
どうか、この石に刻まれた書物を紐解き、
この石の上に流れた時間を父と共にたどり、
今もそこにいる父と、心ゆくまで語り合ってください。




⑥紅色浮遊像 Floating Rainbow Figure
  作者:一井弘和 設置年:2015年 4月4日



作者からのメッセージ
遥か宇宙からやって来た太陽光は、雨上がりの地球で水滴と出会い虹色を
生み出しました。虹色浮遊像はこの神戸でそんな奇跡的な出会いが沢山生まれ、
沢山の素敵な虹がかかる事を願っています。

⑦K・I・Z・U・N・A  
  作者:市野雅彦 設置年:2014年4月5日



作者からのメッセージ
お互い足りないことだらけ。だけど、一つになれば百万力。
ひとりじゃ何もできないけれど、いろんな力が合わさればできないことも
可能になる。
「絆」って、すばらしい。
人間って、すばらしい。
そんな想いをこめました。

⑧ヤーヌスの誕生 The Birth of Yanus
  作者:家住利男 設置年:2012年4月7日


作者からのメッセージ:
「ヤーヌス」は過去と未来に向いた二つの顔を持つことから、年の始まり一月を
司る神と言われます。この透明な「ヤーヌス」も二つの顔を持ちますが、未来を
見つめる顔はおぼろです。しかし、内側では過去と現在の光が渾然と混ざりあい
「未来の顔」は生まれつつあります。
足許にある歴史が私たちを作り上げている事、より豊かな未来は歴史によって
生まれる事、を信じてこの作品を作りました。
内側がより豊かでありますように。

⑨愛蓮 Love Lotus
  作者:三輪華子 設置年:2010年5月8日


作者からのメッセージ
神戸の地に愛の蓮が咲きました。
1995年の阪神大震災で破壊された神戸の街が人々の知恵と生命力によって、
見事に再生されました。蓮は古代より生命力と再生のシンボルであり、
また清浄な心の世界を例える花でもあります。
この二つの花を同時に開花させた双頭蓮は、愛と和合を意味する吉祥の花です。
ここに生きる皆様とこの地を訪れる皆様が、活力に満ちた心豊かな日々を
送られますように愛を込めて制作いたしました。

⑩背山眺望
  作者:川西英  設置年:2004年12月4日


ステンドグラスの作品の写真を撮っていないので後日追加予定。

⑪環境モニュメント「雲の中の海」エスキース習作
  作者:吉田隆 設置年:2006年3月23日


メッセージ
この作品は阪神淡路大震災のゴミ、吸い殻の散乱等について考える為、
2003年5月30日に環境モニュメントとして三宮センター街がこの場所に
設置した「雲の中の海」のエスキースです。
当初このエスキースに見られるように上部に吸い殻の捨て口が、下部に
ゴミ捨て口が設けられており、モラルの向上が見られた時にその口を閉じて
完成されるという意図を持って作られました。
多くの方々の御理解と御協力のもとに、2年後にそれらの口は閉じられ
現在の完成作品としてセンター街1丁目東入口(フラワーロード側)に
設置されています。

⑫ブルーニライ Blue Nirai
  作者:大嶺實清 設置年:2009年5月9日


作者からのメッセージ
沖縄ブルー。
琉球の昔からはるか海の彼方より平和と安寧、五穀豊穣がもたらされる
というニライカナイ伝説がある。
私はその伝説が好きである。
兵庫、神戸鎮魂の祈りを捧げ未来都市神戸に作品ブルーニライを贈る。

⑬讃太陽 
  作者:桑原巨守 設置年:1996年11月4日


メッセージ
 阪神淡路大震災を追悼する1年目で除幕され、アートストリ-ト構想の
 スタートとなった作品です

⑭水のある星
  作者:吉田隆  設置年:2001年1月1日


メッセージ
21世紀を迎える2001年1月1日0時に除幕された第3作目

⑮未来に行く者達
  作者:吉田隆  設置年:2000年1月1日


メッセージ
アートストリート構想の第2作目として2000年1月1日午前0時に除幕
されました。
 

⑯花の少女
  作者:桑原巨守 設置年:2001年7月7日


メッセージ
2001年7月7日地下鉄海岸線の開通を記念して設置された4作目です。
この作品はブルガリアの首都ソフィアにも設置されています。


 彫刻のまちでもある神戸に相応しい作品が展示されています。

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神戸市中央区北野周辺の安藤忠雄建築 on 2016-3-11

2016年03月14日 13時28分33秒 | 神戸情報
神戸市中央区北野の観光インフォメーションセンターでコピーしていただいた
下に添付の資料を携行して北野周辺の安藤忠雄建築の写真を撮ってきましたので
紹介します。 撮影日:2016年3月11日(金)


番号をつけましたのでその順番に写真紹介します。

上の地図の拡大版はこちら

まず異人館通(下の写真)に面した3件の安藤忠雄建築の建物を紹介します。



①ローズガーデン Rose Garden




上の2枚の写真がローズガーデンの建物です。 1977年に建設
所在地:神戸市中央区山本通2-8-5

②北野アレイ Kitano Alley





上の3枚の写真が北野アレイの建物です。1977年に建設
所在地:神戸市中央区山本通2-9-13
なかではステンドグラスの店や小物の店が入っています。

③北野TO Kitano TO







上の4枚の写真が北野TOの建物です。 1986年に建設
2棟の安藤作品が並んでいます。東側が WALL SQUARE 、西が Fix 213
所在地:神戸市中央区山本通2丁目13

次にハンター通りに面した2件の安藤忠雄建築の建物を紹介します。


④Oxy北野(現 Wall Step)


上の写真がOxy北野の建物です。 1986年に建設
所在地:神戸市中央区山本通2丁目12-18


⑤リランズゲート Riran's Gate





上の3枚の写真がリランズゲートの建物です。 1986年に建設
所在地:神戸市中央区山本通2丁目4-24



上の写真はリランズゲートのテナントとして入っているギャラリー島田
北野アイビーテラス KITANO IVY TERRACEの入り口

次に北野坂に面した安藤忠雄建築の2件を紹介します。

⑥リンズギャラリー Rin's Gallery



上の2枚の写真はリンズギャラリーの建物です。1981年に建設
所在地:神戸市中央区北野町2丁目7−18
林さんの個人宅でもあります。

⑦ウォールアベニュー Wall Avenue





上の2枚の写真はウォールアベニューの建物です。1989年に建設
所在地:神戸市中央区山本通1−7−17

GALLERY北野坂がテナントで入っておられます。







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ノーティカ号の概要と現在位置 神戸港への入港 on 2016-3-11

2016年03月13日 06時48分25秒 | 神戸情報
2016年3月11日(金)の8:00に客船「ノーティカ号」が神戸港中突堤B/Cバース
に接岸する予定です。

3月10日に広島を出航して現在(4:50)は小豆島の東の海上にいます。
5:20に淡路島の西北海上。

現在情報の詳細はGoogle検索で「Nautica 現在位置」の下記サイトで確認
できます。

http://www.marinetraffic.com/jp/ais/details/ships/shipid:711476/imo:9200938/mmsi:538001665/vessel:NAUTICA

これから明石海峡大橋を通過するところの写真を撮りに行きます。


前に撮ったノーティカ号の写真は下記サイト

http://seiyo39.exblog.jp/20086097/  









上の写真は当日撮ったNautica号です。

入港風景を撮りたっかったのですが入港時刻が8:00から6:50に変更さらに
入港場所が中突堤から4突に変更になったため停泊中のものしか撮れません
でした。 


神戸港ポートターミナル(通称:4突、4Q)でのNautica号


上の動画は神戸市垂水区の垂水灯台沖を走行するノーティカ号です。
2016年3月11日6時5分頃に撮ったものです。いかなご漁が3月7日に解禁と
なりいかなご漁に向かう船やいかなご漁をしている漁船も写っています








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阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その11(最終回・完) 尼崎城跡

2016年03月10日 17時14分28秒 | 神戸市以外の兵庫県
2015年12月1日、阪神尼崎の南側の寺町及び尼崎城跡を奥様と2人で
散策してきました。

本日は散策記の第11回で尼崎城跡の写真を紹介します。
 今回で最終回とします

過去10回の記事については下記を参照してください。

第1回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その1専念寺

第2回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その2 如来院

第3回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その3 長遠寺

第4回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その4 大覚寺

第5回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その5 法園寺

第6回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その6 善通寺

第7回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その7 甘露寺

第8回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その8 廣徳寺

第9回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その9 本興寺

第10回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その10 全昌寺

尼崎へ入封した戸田氏鉄が元和3年(1617)に築城したのが尼崎城である。
本丸の位置は、中世の絵図を参考にすれば、本興寺の故地に当たる。

3重の堀をもち、本丸には2重の付櫓を2棟付属させた複合式の四重天守と
3棟の三重櫓が上げられた。

明治6年(1873年)の廃城令により建物は一部を除き取り壊された。

Wikipediaより歴代藩主を添付しておきます。

戸田家

譜代 5万石 (1617年 - 1635年)
1.氏鉄


青山家

譜代 5万石→5万4千石→4万8千石 (1635年 - 1711年)
1.幸成
2.幸利
3.幸督
4.幸秀


松平〔桜井〕家

譜代 4万8千石→4万石→4万5千石 (1711年 - 1871年)
1.忠喬
2.忠名
3.忠告
4.忠宝
5.忠誨
6.忠栄
7.忠興



上の写真は三の丸の石垣を想定して再現された石垣の現況です。
三の丸の位置には尼崎市の中央図書館が建設されています。


上の写真は尼崎の寺町のパンフレットに添付されているかっての尼崎城の全容です。





上の4枚の写真は尼崎城跡公園として整備されたかっての三の丸付近の
模擬復元された石垣および土塀です。

今回、本丸跡とされる尼崎市立明城小学校の敷地には行かなかった為
その付近の写真はありません。



上の写真は尼崎城址公園から撮った尼崎レンガ倉庫(阪神電鉄旧尼崎発電所)

4層の天守閣はミドリ電化の創業者の安保詮さんが10億~最大15億円拠出
して再現されることになっています。
建設予定地は本来の本丸から北西の公園内に復原される予定になっています。

また、明治時代の古い写真には伏見城から移築された伏見櫓も写っています。

これにてこのシリーズを終了させていただきます。



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松帆銅鐸の展示 in 兵庫県立考古博物館 on 2016-3-8

2016年03月09日 16時44分21秒 | 神戸市以外の兵庫県
南あわじ市の株式会社マツモト産業加工工場で2015年4月8日銅鐸7点が
発見され大きな話題となりました。

発見された銅鐸は出土地から松帆銅鐸と命名されました。松帆銅鐸は全国で初めて
音を鳴らすための青銅の棒「舌(ぜつ)」と舌のつりひもが同時に見つかった
点で銅鐸の創生期に近い歴史を探る上で貴重であり注目されています。

兵庫県立考古博物館の特別公開イベントで2月27日(土)~3月27日(日)の期間
展示されており私は3月8日に訪問し写真を撮らせていただいたので紹介します




上の写真が7個の銅鐸です。(写真パネル展示)5号銅鐸は破損。
今回、兵庫県立考古博物館での展示は3号・4号銅鐸を除く5点であった。

1号・2号銅鐸、3号・4号銅鐸及び6号・7号銅鐸は対になっており入子と
呼ばれる。銅鐸と青銅製の舌が近くで見つかったのは、鳥取県の「池ノ谷第二遺跡」と
兵庫県南あわじ市の中ノ御堂の2例(3点)で今回が3例目で全国的にも貴重。


上の写真は鳴らす銅鐸の模式図(パネル展示)


上の写真は説明パネル展示です。

1号銅鐸は菱環鈕(りょうかんちゅう)2式 ・・弥生時代前期 約2300年前

2号銅鐸から7号銅鐸は外縁付鈕(がいえんつきちゅう)1式で弥生中期 
                              約2100年前

銅鐸の出土数としては、島根県の加茂岩倉遺跡(39個)、滋賀県大岩山24点
兵庫県の桜ヶ丘14点に次ぎ4番目である。

入れ子状態が確認されているのは他に加茂岩倉遺跡(島根県雲南市)からで
12組の入子の銅鐸が発掘されています。 
発掘された39個の銅鐸は平成20年7月10日に国宝に指定されました



上の写真は2015年5月19日兵庫県教委と南あわじ市教委が発表の資料からで
銅鐸の形式分類が書かれています。

弥生時代の前期、中期、後期について諸説があり確定していないが下記と
定義します

  前期 2400年前~2200年前

  中期 2200年前~2000年前

  後期 2000年前~1700年前




上の写真は1号銅鐸


上の写真は2号銅鐸


上の写真は5号銅鐸


上の写真は6号銅鐸


上の写真は7号銅鐸

松帆銅鐸の2号と4号と松帆地区で1686年に出土した中の御堂銅鐸
(南あわじ市・日光寺蔵)が同笵(どうはん)銅鐸であると同定されています。
御堂銅鐸(日光寺銅鐸)の4区袈裟襷文(けさだすきもん)左下にはシカの
絵が描かれており4号銅鐸で同じシカの絵が確認できたそうです。

神戸新聞2016年3月3日 朝刊19面で松帆銅鐸についてかなりの紙面を
割いて詳細に解説されており参照させていただきました。


上の写真は舌の展示と舌3の紐の拡大写真






上の5枚の写真は今回展示されていない3・4号銅鐸を中心とした説明パネルです。


上の写真は淡路島の松帆銅鐸の出土地などの関連地をピックアップしたパネル




上の2枚写真は銅鐸の全般説明と類型分析。

Wikipediaによる銅鐸の解説を引用させていただきます。

銅鐸(どうたく)は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。
当時の呼び方は不明。
中国で鐘を「鐸」と言うことから明治以降「銅鐸」と呼ばれるようになった。
横になった状態で出土することが多く、その姿が蛹に似ていることから、
江戸時代は「蛹(さなぎ)」と呼ばれた。

銅鐸は、紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって作り用いられた祭器である。
これまでに出土した銅鐸は全国で約500個である。
主な出土数は以下の通り(平成13年3月末 文化庁調べ)

兵庫県 56点
島根県 54点
徳島県 42点
滋賀県 41点 和歌山県 41点








上の3枚の写真は兵庫県立考古博物館の常設展示で巫女が銅鐸を持って豊作の
祈祷をしている場面でバックには土器が並べられています




上の写真は同じく兵庫県立考古博物館の常設展示で氣比と桜ヶ丘の銅鐸(複製)



上の写真は銅鐸の鋳型で三田市の平方遺跡から出土のもの





上の2枚の写真は1966年と69年、現在の南あわじ市松帆古津路で発見された
古津路銅剣(弥生時代中期)14本の内5本の展示と説明パネル。
他の9本は説明パネルに記載のように国立歴史民俗博物館が所蔵しています。
 型式は中細形銅剣b類13

この銅剣は2016年3月3日付けで兵庫県指定文化財となった。
同日、ほかに重要有形文化財に指定すれたのは、▽名草神社社務所(養父市)
▽木造阿弥陀如来立像(県立歴史博物館管理)▽銅製経箱(きょうばこ)
(神戸市立博物館管理)▽鉦鼓(しょうこ)(加東市)。
また、洲本市の旧益習館(えきしゅうかん)庭園を名勝に指定された。

県指定文化財は計848件となったそうです。


参照サイト&参考文献:
  http://enkieden.exblog.jp/19582730/

  論題 昭和44年度発掘調査出土の古津路銅剣について
   著者: 大平 茂. 種定 淳介
    兵庫県立考古博物館研究紀要 / 兵庫県立考古博物館 編.(2009.3)

 


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神戸市立博物館の銅鐸展示 on 2016-3-6

2016年03月08日 04時28分13秒 | 神戸情報
昨日(2016-3-6)、神戸市立博物館の特別展 須磨の歴史と文化展
―受け継がれる記憶―の関連イベントの展覧会担当学芸員による講演会
『物語と風景の狭間 描かれた須磨』 / 学芸員 勝盛典子氏を聴講するために
神戸市立博物館におりました。

そのついでに本日紹介する銅鐸の展示写真を撮りましたので紹介します。

まず、Wikipediaによる銅鐸の解説を引用させていただきます。

銅鐸(どうたく)は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。
当時の呼び方は不明。
中国で鐘を「鐸」と言うことから明治以降「銅鐸」と呼ばれるようになった。
横になった状態で出土することが多く、その姿が蛹に似ていることから、
江戸時代は「蛹(さなぎ)」と呼ばれた。

銅鐸は、紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって作り用いられた祭器である。
これまでに出土した銅鐸は全国で約500個である。
主な出土数は以下の通り(平成13年3月末 文化庁調べ)

兵庫県 56点
島根県 54点
徳島県 42点
滋賀県 41点 和歌山県 41点


これから紹介する写真は特記がないものは神戸市立博物館の展示物です。


上の写真は青銅の祭器(Ceremonial Bronze Implements)の説明書きです。




上の2枚の写真は銅鐸の起源をテーマとした展示と説明パネルです。

日本の銅鐸は中国大陸を起源とする銅鈴が朝鮮半島から伝わり独自に発展
したというのが定説である。

展示の写真は中国漢代の銅鈴(複製品)や朝鮮式の小銅鐸


上の写真は韓国の入室里遺跡出土の小銅鐸(3世紀、複製品)


上の写真は福岡県の浦志遺跡出土の朝鮮式舌付き小銅鐸(複製品)


上の写真は企画展「神戸考古学 BEST50」 平成18年7月22日発行
神戸市教育委員会文化財課発行 神戸市埋蔵文化財センター編集のPage1より引用
昭和39年(1964)12月に神戸市灘区桜ヶ丘町の丘陵で土取り工事中に出土したもので、
 袈裟襷文(けさだすきもん)が11口
 流水文(りゅうすいもん)が3口 
桜ヶ丘銅鐸と呼ばれています。

大きさは一番大きい6号で高さ64.1cm、一番小さい14号で高さ21.3cm
他は高さ43cm前後のものが多いようです。
1,2,4,5号銅鐸には人物、鹿などの動物、昆虫などが描かれた絵画銅鐸です。
銅戈(どうか)7本は長さ27.1~28.9cmでほぼ大きさがそろっており、樋(ひ)を
複合鋸歯(きょし)文で飾った大阪湾型銅戈である。

大きさのデータは文化庁監修重要文化財28考古1昭和51年毎日新聞発行より引用

昭和45年(1970)5月25日 国宝に指定 神戸市立博物館蔵

上記の桜ヶ丘銅鐸及び銅戈は平成24(2012)年7月14日~ 9月2日の44日間
神戸市立博物館「開館30年記念特別展 国宝桜ヶ丘銅鐸の謎に迫る」の特別展で
展示されました。
 関連サイト:
   http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2012/06/2012062184502.html

   http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2012_02dotaku.html



上の写真は銅鐸の各部名称の説明パネル。

弥生時代は2400年前から1700年前の約700年間である。
最近は佐倉市の国立歴史民俗博物館が2003年頃から提唱されている説で
500年くらい古い年代から弥生時代が始るということも言われています。
ここでは下記のように前期、中期、後期の年代を規定します。
また縄文晩期を弥生時代に入れるという説もあります。
  前期 2400年前~2200年前

  中期 2200年前~2000年前

   後期 2000年前~1700年前


上の写真は銅鐸と桜ヶ丘銅鐸と銅戈の説明パネル




上の2枚の写真は桜ヶ丘1号銅鐸(国宝)流水文と説明パネル




上の2枚の写真は桜ヶ丘2号銅鐸(国宝)流水文と説明パネル
岸和田市神於【このの】遺跡(京都大学保管)出土の銅鐸と同笵




上の2枚の写真は桜ヶ丘3号銅鐸(国宝)流水文と説明パネル


上の写真は桜ヶ丘4号銅鐸(国宝)袈裟襷文


上の写真は神戸市埋蔵文化財センターの銅鐸の鋳型に関する展示です。
写真の右側は桜ヶ丘4号銅鐸の模造品を製作する際につくられた土の鋳型です。


上の写真は神戸市立埋蔵文化財センターの屋外に展示されている銅鐸の
複製品です。桜ヶ丘4号銅鐸を複製したものだそうです。


の写真はその銅鐸のアップ写真です。(A面) 形式は袈裟襷文。
4号銅鐸のA面には右上に魚をくわえた水鳥、左上に水を飲んでいるような動物と
アメンボウ、左下には工字状器具をもつ人物、右下に弓を持ちシカを捕らえている
人物が描かれている。
B面にはクモまたはアメンボウ、カマキリ、トンボ、イモリまたはトカゲ、スッポン
またはカメが描かれ、両面とも裾(すそ)にシカの親子が描かれている。


上の写真は桜ヶ丘5号銅鐸(国宝)袈裟襷文




上の2枚の写真は桜ヶ丘6号銅鐸(国宝)袈裟襷文と説明パネル


上の写真は神戸市埋蔵文化財センター館内ロビーの展示物です。
この銅鐸は桜ヶ丘6号銅鐸と同じ成分で複製されているとの解説文がありました。
銅鐸は銅を主成分として鉛と錫を加えた合金で写真のように作製直後は金色に
輝いています。


上の写真は桜ヶ丘7号銅鐸(国宝)袈裟襷文


上の写真は桜ヶ丘8号銅鐸(国宝)袈裟襷文


上の写真は桜ヶ丘9号銅鐸(国宝)袈裟襷文


上の写真は桜ヶ丘10号銅鐸(国宝)袈裟襷文




上の2枚の写真は桜ヶ丘11号銅鐸(国宝)袈裟襷文と説明パネル


上の写真は桜ヶ丘12号銅鐸(国宝)袈裟襷文


上の写真は桜ヶ丘13号銅鐸(国宝)袈裟襷文


上の写真は桜ヶ丘14号銅鐸(国宝)袈裟襷文



上の写真は銅戈(どうか)の展示 銅戈:Halberds
 弥生時代 中期 


上の写真は投ケ上(なげし)銅鐸 袈裟襷文 東京国立博物館蔵(複製)
昭和3年(1928)に神戸市垂水区舞子坂3丁目で出土したものです。
時代は弥生中期


上の写真は生駒銅鐸 袈裟襷文 東京国立博物館蔵(複製)
昭和39年(1964)神戸市東灘区本山北町から出土したものです。
時代は弥生中期


銅鐸名    所在地         出土数発見年&形式
森銅鐸   東灘区森北町6丁目   1口 昭和33年(1958)袈裟襷文
生駒銅鐸  東灘区本山北町    1口 昭和39年(1964)袈裟襷文
本山銅鐸  東灘区本山南町    1口 平成2年(1990) 袈裟襷文
渦森銅鐸*2 東灘区渦森台1丁目   1口 昭和9年(1934) 袈裟襷文
桜ヶ丘銅鐸 灘区桜ヶ丘町神岡   14口 昭和39年(1964) *1
伝大月山銅鐸 灘区大月山     1口  不明     袈裟襷文
投上銅鐸  垂水区舞子坂3丁目  1口 昭和3年(1928) 袈裟襷文

*1 1~3号銅鐸 流水文  4~14号銅鐸 袈裟襷文

*2 銅鐸の写真


上の写真は神戸市埋蔵文化財センター常設展示の銅鐸で、神戸市東灘区本山南町
から1990年に出土した本山銅鐸です。
解説文をそのまま引用させていただきます。
「この銅鐸は吊り手の一部がなくなっていますが、もとの高さは22cmほどの小型
のものです。表面は三角形や格子目などの幾何学文で飾られたもので、見つかった
時は赤銅色をしていました。作りそこねてできた穴の部分は、丁寧に補修されて
います。その様子はレントゲン写真で良く見えます。」





上の写真は銅鐸出土地の分布及び銅鐸の鋳型が発見された製造所
及び大阪湾型銅戈の出土地の分布図です


小生が作製した関連ブログ:  

 渦森銅鐸(渦ケ森銅鐸)出土の記念碑 on 2012-9-20

 神戸市立埋蔵文化財センターの銅鐸展示 on 2011-11-17

   古代の神戸 その3 弥生時代 神戸市埋蔵文化財センターの展示から

  神戸市の国宝

  神戸市埋蔵文化財センター2015年春の企画展「弥生時代のムラ・古墳時代のムラ」

  南あわじ市で発見された銅鐸7点について










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神戸花時計 on 2016-3-4 さくら

2016年03月06日 05時40分47秒 | 神戸情報
2016年3月4日、神戸市役所2号館の北側にある神戸花時計の絵柄が
さくらになっていました。

2016年のこれまでの神戸花時計の展示は以下のとおりです。

干支の「さる」   2015年12月8日~2016年1月13日

神戸空港開港10周年 2016年1月14日~2016年3月2日

さくら       2016年3月3日~2016年4月下旬





上の写真は神戸花時計「さくら」の近景と遠景です。
展示期間:2016年3月3日~2016年4月下旬



上の写真は「さくら」の神戸花時計デザインの説明です

日本で初めて設置された神戸花時計について少し説明します。

第13代神戸市長の宮崎辰雄氏(1911-2000)の欧米視察経験に基づき発案され
スイス・ジュネーヴのイギリス公園に設置されていた花時計をモデルにした日本初の
花時計が製作されることになった。
神戸市民や神戸市内の企業はこの計画に好意的な反応を示し、多額の寄付金が
寄せられた。この寄付金を元に花時計の製作が進められ、
市民有志から神戸市への寄贈という形で設置されることになった。

花時計の製作は神戸市役所の新庁舎(現在の2号館)建設に合わせて進められ、
新庁舎完成と同時期にその北側に設置された。1957年4月6日午前、
新庁舎開庁記念式典に続く形で始動式が行われ、花時計は稼働を開始した。

花時計は昭和32年(1957)に完成し51年間時を刻んできましたが、平成21年
(2009)2月に100件の寄付と募金箱による650万円の寄付により更新されました。
製造、施工はセイコータイムシステム(株)です。


神戸市のサイトで過去の神戸花時計のデザインを見れます。
 http://www.city.kobe.lg.jp/culture/leisure/mark/hanadokei/kako/index.html

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