CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

林仔(ラムチャイ)でのランチ on 2016-3-24

2016年03月25日 05時29分38秒 | 神戸情報
2016年3月24日(木)西舞子の林仔(ラム チャイ)でランチをいただきました
ので写真紹介します。

ラムチャイ Lam Zhai の料理ジャンルは中華料理 広東料理です。

林仔の基本情報
住所:神戸市垂水区西舞子2-12-54 フォーエバー林 1F
TEL:078-781-3963  定休日は火曜日

 公式HP:http://ramuchai.kyoumi.biz/
EOグルメでの紹介記事:http://eonet.jp/gourmet/data/3050569_1391.html

Goo地図を下記サイトで掲載しています。
  http://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/068aa3868d56d7febb5948dfddd01c2d

当日は950円(税込)のAコースを注文しました。


まず、オードブル、スープ、ザーサイ、揚げ物、中華がゆが出てきます(上の写真)


上の写真はメインの八宝菜


上の写真はメインの酢豚


上の写真は蒸し物


上の写真はデザート


上の写真はランチのAセットとBセットの内容説明


上の写真はメインのメニュー表 14種類の中から選択します。



上の写真はお店の外観です。

お店からのこだわり情報
 1)プーアル茶とジャスミン茶のオリジナルブレンドを使用
 2)お米は群馬県契約農家 中野さんから「ひとめぼれ」を取り寄せ
 3)金針菜(きんしんさい)=ユリ科の花のつぼみを炒めものに使用


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神戸西神中央そごう内の東天閣でのランチ on 2016-3-5

2016年03月24日 07時10分55秒 | 神戸情報
2016年3月5日に神戸西神中央そごう内の東天閣でランチをいただきましたので
写真紹介します。

東天閣西神店の基本情報
住所:神戸市西区糀台5-9-4 そごう西神店5階 TEL:078-991-1122
 公式HP



私は炒飯をメインとしたランチ定食 1,620円(税込)を選択(上の写真)


奥様は焼きそばをメインとしたランチ定食 1,620円(税込)を選択(上の写真)


当日は西神中央駅の前の広場で馬の試乗会が行われていました(上の写真)


当日、西神中央に出かけたのは神戸市埋蔵文化財センターの第6回歴史講演会を
聴講することでした。(上の写真に内容が書かれています)



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鳥光 須磨本店でのランチ on 2016-3-23

2016年03月24日 05時01分30秒 | 神戸情報
2016年3月23日に鳥光須磨本店でランチをいただきましたので写真紹介します。

鳥光須磨本店の基本情報
住所:神戸市須磨区行幸町1丁目1−39  TEL:078-731-5855
 公式HP
 営業時間:11:30~22:00 (ラストオーダー21:30)
休業日:年末年始を除き無休


現地の地図は下記ブログ記事に掲載しています。
 鳥光 須磨本店でのランチ on 2014-11-6


上の写真は私が注文したそぼろ弁当 880円(税込)


上の写真は奥様が注文した串焼き盛合せ定食 1,000円です。




上の写真はお店の外観です。
真田家の家紋「六文銭」が目立ちます。

鳥光の歩み

明治25年(1892)初代真田二三吉が京都(円山公園・伏見稲荷大社付近)で開業

昭和9年(1934)2代目真田太郎が家業を継ぎ神戸市長田区六間道に焼鳥屋「鳥光」

昭和32年(1957)長田区六間道から現在地に移転

昭和43年(1968)3代目真田弘が社長を継ぎ 真田修が専務となり多店舗展開

昭和45年(1970) 鳥光サンプラザ店オープン
         鳥光三木店開店(鳥光より暖簾分け)

昭和47年(0972)鳥光東門店開店

昭和50年(1975) 鳥光センタープラザ店が開店

昭和52年(1977) 鳥光尼崎店を開店
         鳥光ラジオ関西店を開店

昭和62年(1988) 鳥光須磨本店新装開店

平成3年(1991) 4代目真田修が社長就任
        センタープラザ店、東門店、ラジオ関西店を閉店 

平成12年(2000) 鳥光沖縄店を開店(鳥光より暖簾分け)

平成14年(2002) 5代目真田益充が社長就任




上の写真は布袋尊 背後には灯籠もあります。


上の写真は鳥光さんと直接関係はありませんが須磨水族園に関連して歩道に
「亀」の絵が埋め込まれています。

関連ブログ

 鳥光 サンプラザ店でのランチ on 2012-11-4

鳥光 須磨本店でのランチ on 2013-2-22

鳥光 サンプラザ店でのランチ on 2013-10-1

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垂水 寿司 大将でのランチ on 2016-3-22

2016年03月23日 07時09分22秒 | 神戸情報
2016年3月22日にJR&山電垂水駅前のすし屋さん「垂水 寿司 大将」でランチ
をいただきましたので写真紹介します。

注文したのはランチ 1,080円(税込)です。

寿司 大将の基本情報
住所:神戸市垂水区天ノ下町1-1-170  TEL:078-708-1550
料理ジャンル:寿司
営業時間:11:00~14:00 17:00~20:00
定休日:木曜日







上の写真が当日のメニューです。
にぎりが5貫 巻寿司が3貫 箱寿司が2貫
茶碗蒸しとフルーツのデザートがつきます。


上の写真はお店の外観です。



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神戸外国人居留地跡の碑と旧居留地47番

2016年03月22日 04時56分54秒 | 神戸情報
大丸神戸店(42番)の西側に、1967年4月神戸港開港100年を記念して建立
された神戸外国人居留地跡の碑があります。それと神戸旧居留地95番の北側
にも神戸外国人居留地跡の碑があります。写真で紹介していきます。


この碑が建つ場所は旧神戸外国人居留地の42番にあたり明治元年(1868)
9月10日第1回の競売が行われ42番はオランダのコルト・ハウスが1坪
8.05分(2.4ドルから5.0ドル)で落札したのでこの地に建てられたのか?

第1回の競売で旧居留地全体の4分の1が落札されたとのことである。
  (撮影日:2011-2-4)


上の写真は神戸外国人居留地跡の碑の中にある旧居留地の設計図で1870年
Plan  of the Kobe foreign settlement と記載されています。
設計者は英国の土木技術者 J.W.ハートである。
尚、旧居留地は明治32年(1899)まで存続した。
開港は1868年1月1日。
全9条からなる大坂兵庫外国人居留地約定書=Arrangement relative to
The foreign settlement at the port of Hiogo and at Osaka)が
旧居留地の根拠となる協定書である。


番地などが読みづらいので田井玲子氏著の外国人居留地と神戸 -神戸開港150年
によせて-より引用し居留地の地番を示しました(上の写真)







上の3枚の写真は神戸旧居留地95番の北側にある神戸外国人居留地跡の碑です
 (撮影日:2016-3-13)

説明版が読みにくいと思いますのでそのまま引用させていただきます。
「この地より南西一帯にかけて、外国人居留地が慶応3年12月7日(1868年)の
兵庫開港とともに計画され、明治32年7月17日(1899年)まで存続していた
この居留地は、開港に際して活躍した英国人技師ジョン・ウィリアム・ハート
(1836年-1900年)により整然とした都市計画がたてられ、美しい街並みが
形成された。この敷地の95番は明治3年に英国人ジョン・ホットソンに競売
され、外国商館が建てられた。なお、旧居留地内は神戸市により都市景観形成
地域に指定されている。 昭和60年3月」



上の写真は上記碑の遠景です。(撮影日:2016-3-13)

これまでに神戸旧居留地の面影をテーマにいろいろと写真紹介していますが
47番地を紹介したことがないので簡単に紹介していきます。






上の3枚の写真は現在の47番です。 撮影日:2016-3-6
ニッケや有名ブランドの「Gucci」が入っています。



上の写真は日本毛織の看板がかかっているビルの入り口の説明版
昭和12年(1937)に竣工したと書かれています。


上の写真はさらに奥に入ったところに掲示の説明版で関西学院大学の創始者の
ウォルター・R・ランバス(1854-1921)が1886年に日本に赴き47番から
布教活動や関西学院大学の設立活動をした旨が描かれた説明版です


上の写真は明治時代中期の47番が写ったものです(説明版より)


上の写真は昭和15年(1940)の47番地付近の旧居留地。
(神戸市立博物館に展示の模型より)

47番地の入居者について簡単に記しておきます。

1870年(明治3年)5月16日  英国エルマン 競売にて獲得 約323坪

1877年(明治10年) R.Richter

1886年(明治19年) ヨウロッパホテル旅館
          エ・ヲエストマン(A.Oestmann)
           ハンボルグ・ブレメン火災保険会社代理

1897年(明治30年) エ・エストマン商会 館主:A.Oestmann 番頭:北村鶴三郎
           A.Oestmannの住居も兼ねる
                 
1905年(明治38年) エ・エストマン商会(独)
        営業種目 輸入:電機諸機械、毛織物、カタン糸、製革、
              金物類、護謨、器械、時計、紙其の他小間物類 
             輸出:天産物
           L.Bobsienの住居も兼ねる
1919年(大正8年) 大正汽船株式会社

1937年(昭和12年) 日本毛織株式会社 本社ビルを建設

1991年(平成3年) 本社事務所を移転 この地、47番は登記上の本店となる

1993年(平成5年) BLOCK47


上の写真は明治30年(1897)の47番地付近の旧居留地。
(神戸市立博物館に展示の模型より)
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兵庫新川 米商会所 

2016年03月21日 06時29分47秒 | 神戸情報

「豪商神兵 湊の魁」という明治15年(1882)発行の商店紹介絵図のPage69
に本日紹介します兵庫新川 米商会所 が載っていますので簡単に紹介します。



兵庫米商会所は明治10年(1877)に兵庫津の北風正造(北風荘右衛門貞忠)
が元締めとなって設立されました。発起人12人、米穀商300人が参加。

上の写真の左手の屋上には旗を振って相場を伝達している旗振り通信の様子
が描かれています。

相場は諏訪山で受けて東側では金鳥山などへ繫がれ堂島へと通じた。
堂島からは逆コースで岡山方面まで伝達された。

その頃既に電話が開通していたが相場伝達に利用されるようになるのは明治末
から大正にまでかかった。

明治の初期には全国16箇所ある米穀取引所があり主な米商会所は以下の
とおりであった。東京、堂島、赤間関、兵庫、金沢、名古屋、高岡

明治の中期(明治28年)には114の取引所に発展していった。

明治10年(1877)に設立の兵庫米商会所は明治22年(1889)10月5日から
神戸取引所と改称され明治23年(1890)1月5日に初立合が行われた。

神戸取引所では一部:米、雑穀、石油、肥料
       二部:諸株、諸公債     を扱っていた。

  理事長:池田貫兵衛 理事:沢野定七 他会員22名
  仲買人:46名

明治24年(1891)6月に東川崎町から兵庫鍛冶屋町11番邸に移転

大正8年(1919)神戸取引所は株式会社 神戸取引所に改称
  時期は不明であるが旧居留地の播磨町に移転している。

昭和9年(1934)朝日ビルが完成する頃には神戸証券取引所と発展していくが
第2次世界大戦中には取引が一旦中断し、昭和24年(1949)再開。
昭和42年(1967)10月に廃止されるまで存続した。

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川崎製鉄跡地の碑 on 2016-3-17

2016年03月20日 10時32分06秒 | 神戸情報
HAT神戸の一画、脇浜の遊歩道に本日紹介する川崎製鉄跡地の碑が建っています。




上の写真が川崎製鉄跡地の碑


上の写真は川崎製鉄跡地の碑の内部

内部には 「現象としての風景」 作者:福地拓磨 造形作品が展示されています。


また川崎製鉄の葺合工場のかっての写真も展示(上の写真)されています。


上の写真は説明パネル。

川崎製鉄(現JFEスチール)と言えば初代社長である西山弥太郎 (1893 - 1966)
の名前が浮かぶ。

昭和25年(1950)年8月。西山は社長就任3ヶ月後の1950(昭和25)年11月、通産省に
請願書を提出。千葉に総工費163億円規模の銑鉄一貫工場建設の計画が示された。
東京湾の一角を埋め立てての工場建設という思い切った計画を立て実行した。
新日鉄とともに製鉄の双璧となるJFEスチールの基礎を築いたと言っても過言
ではない。

西山弥太郎を顕彰する西山記念館が1975年から2011年まで存在していたが
解体され現在はマンションとなっている。

偉大な経営者に敬意を表します。
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神戸臨港線跡とその周辺散策記 on 2016-3-17

2016年03月19日 17時56分09秒 | 神戸情報
1907年(明治40年)8月20日~2003年(平成15年)11月30日まで港町神戸を
支えてきた神戸臨港線が運行していました。

2016年3月17日(木)に臨港線跡とその周辺を歩きましたので写真紹介
します。


上の写真は昭和39年(1964)5月時点の神戸臨港線の路線図です。
出典:神戸築港資料館の展示

今回歩いた範囲は現在の灘駅の南側のミュージアムロードと神戸臨港線が交わる
点を起点として旧神戸港駅までです。

まず平成21年(2009)10月には神戸臨港線(東海道本線貨物支線)の跡地を
遊歩道として整備された道の写真を紹介していきます。



上の写真は起点付近に掲示されている説明板。
大正15年(1926)の地図については拡大して添付しました。

説明については読みづらいと思いますのでそのまま転記しました。(一部加筆)

「近代において、船舶は最も優れた大量輸送機関で、湊で陸揚げされた貨物を
内陸へと運ぶには、鉄道が重要な役割を果たしていました。大規模な港では
港湾施設の一部とも言える存在でこれが各地の港に敷設された臨港鉄道です。
1869(慶応4)年に開港した神戸港は、大型汽船は沖泊まりで艀(はしけ)に
よる荷揚げが行われていました。
1907(明治40年)にようやく東海道本線に貨物駅として灘駅(現在の灘駅より
東側にありました)ができ、ここから分岐した小野浜駅で、貨物の取扱を
始めました。その後、神戸港の整備が進み、1922年(大正11年)には
4本の突堤が完成し、小野浜駅からそれぞれに引き込み線が延長され、その後
神戸港駅(現神戸震災復興記念公園=現みなとのもり公園)と改称し市民の
交通手段にもなりました。
大正から昭和時代に最盛期を迎えましたが時代は鉄道からトラック輸送へと移行し、
神戸の近代化に寄与した臨港線も2003年(平成15年)にはすべて廃止
されました。市道・臨港線は鉄道の廃止後、鉄道竣工から100年の歴史を感じ
つつ、誰もが健康づくりを楽しみながら、歩くことができる桜並木として
生まれかわりました。」


これから示す写真は出発地の地図に①から⑧の番号をつけた地点の写真です
(下に添付)


①出発地






上の写真は出発点付近の整備後の臨港線の跡地。

②100mから200m地点

上の写真は100mの表示


上の写真は平成21年(2009)5月に架橋された庄境架道橋付近


上の写真はジョギング、ウォ-キングコースの案内板


上の写真は灘駅側から観た整備後の臨港線の跡地



上の写真はトレーニングの道具とその説明版
体操のできる場所は今後も続きますが今後の写真は省略します。


上の写真は神戸朝鮮初・中級学校の運動場と校舎を臨む風景

③250m付近

上の写真は堂の川架道橋(平成21年9月架橋)付近の風景


上の写真は山側(北側)を臨む風景


上の写真は浜側(南側)を臨む風景

④300mから500m付近

300mの標識付近より臨む



上の写真はミニ鉄道用の線路と標識
神戸市立科学技術高等学校の鉄道研究会が作製したミニSL用の線路で、
同校の鉄道研究会により年数回運転を行うイベントが開催されており、
近隣の保育園の園児や市民が試乗会に参加しているそうです。


上の写真は400m付近から臨む風景


上の写真は500m付近から臨む風景

⑤600m付近(住友ゴム工業付近)

上の写真は平成21年10月架橋の橋本架道橋付近から臨む風景





⑥750m付近(阪神国道架道橋付近)










⑦750mから1,000m付近
阪神架道橋を渡ると神戸臨港線の雰囲気を彷彿させる風景になります。









ここにも神戸臨港線の説明板が設置されています(上の写真)

⑧1Km付近

上の写真は灘駅方面(東側)を臨む風景


上の写真は北側を臨む風景 少し歩けば阪神「春日野駅」


上の写真は西側を臨む風景


ここで神戸臨港線から離れて南側に進み海沿いの遊歩道へ進んで行きます

-----------------------------------------------------------------------------
これからは番号がつきません。






なぎさ小学校を左手に見ながら南の游歩道へ進んで行きます


上の写真の川崎製鉄跡地の碑を右手(西側)へと進んでいきます。


海沿いの遊歩道を歩いて行く途中の海側の風景


上の写真は遊歩道の中間点にあるペチュニア(神戸市中央区の花)の絵
地面に描かれています


海沿いの游歩道の西端には上の写真の様な石が積まれた磯があり海鳥が
魚採りや休息をしている光景に出くわしました。


対面には海面清掃船兼油回収船 Dr.海洋が停泊していました。

遊歩道をあとに一般道路に入って行きます平成14年(2002)1月完成の
HAT脇の浜橋を過ぎて信号を横断し南側に進むと小野浜ポンプ場の建設現場
(下の写真)にたどりつきます。




道路側の塀には上の写真のような芸術的な絵を観れます。

左手(東側)には国土交通省近畿地方整備局、神戸港湾事務所などの入った
建物や神戸築港資料館(PIER6)があります。(下の3枚の写真)
ここで展示物の見学をほぼ1時間かけてしました。




ここから西へしばらく歩いていくと本日の最終目的地のみなとのもり公園に
到着します。下の3枚の写真はみなとのもり公園周辺の風景
神戸臨港線の神戸港駅の跡地になります。








神戸臨港線の神戸港駅に関わる展示もありましたので写真で示します。











---------------------------------------------------------------------
以上で当日の散策記は終わりです。



上の写真は大正7年(1918)神戸港沿岸利用状況調査図 内務省神戸土木出張所蔵
の地図で同じく臨港線が通っていた経路を確認できる地図です。
鈴木商店の名前や神戸製鋼の埋立地、川崎造船所の工場埋立地、葺合港などの
名前が目につきます。


上の写真は大正~昭和初期に撮られた港湾貨物を積み替えて輸送する貨物鉄道
神戸臨港線の様子を示したものです。 写真:神戸港振興協会
出典:神戸市制120周年記念 神戸あの町、あの時代 Page3より


1873年(明治6年)、加納宗七は当時の神戸港が台風によって大きな被害を受ける
ことに対処すべく、生田川の河口に「加納港」と呼ばれる避難港を建造した。
この避難港は1915年(大正4年)に埋め立てられ、国鉄神戸臨港線神戸港駅が
建設された。大正6年(1917)には神戸港駅に扱い所が開設されました。


上の写真は昭和32年(1957)4月の臨港線
出典:平岡徳太郎氏撮影


上の写真は昭和32年(1957)10月の臨港線
出典:平岡徳太郎氏撮影


上の写真は兵庫県立図書館作製の臨港線の解説
撮影:2015-4-14









 





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海面清掃船兼油回収船 Dr.海洋 on 2015-3-17

2016年03月18日 16時20分09秒 | 神戸情報
新港東埠頭北側、神戸港湾事務所北側に停泊中の海面清掃船兼油回収船 
「Dr.海洋」の写真を撮りましたので紹介します。

Dr.海洋の基本情報

Name: DR.KAIYO

IMO: 8731265

MMSI: 431301823

Call Sign: JD2325

Flag: Japan [JP]  所属:国土交通省

AIS Type: Other  海面清掃船兼油回収船


Gross Tonnage: 196 トン

Length Overall x Breadth Extreme: 33.5m × 12m

Year Built: 2007年3月28日 IHIアムテック


Read more at
   http://www.marinetraffic.com/en/ais/details/ships/shipid:663220/mmsi:431301823/imo:8731265/vessel:DR_KAIYO#WBxczcgtYMcLmmlb.99


上の写真がDr.海洋です。




上の2枚の写真は神戸築港資料館の展示のDr.海洋の模型と基本仕様

Dr.海洋(ドクター・かいよう)は国土交通省が所有する海のゴミや油を回収し、
海洋環境を改善するための船舶で神戸港を母港として大阪湾を中心に清掃作業
並びに水質観測、災害時における被災状況伝達の業務に従事しています。



関連サイト:
 IHI技報 Vol.48 No.1(2008-3)

 海洋環境整備

 海洋環境整備船

 日本全体の環境整備船を解説
   11隻の海洋環境整備船が稼働して任務にあたっているそうです。




上の2枚の写真は神戸築港資料館の展示(説明パネル)

 



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神戸港に世界最大級の豪華客船「QUANTUM OF THE SEAS」が入港 on 2016-3-17

2016年03月17日 16時38分16秒 | 神戸情報
2016年3月17日(木)の午後、世界最大級の豪華客船16万8,666トンの
「QUANTUM OF THE SEAS(クァンタム・オブ・ザ・シーズ)」が神戸港に入港
しました。現地(ポートターミナル)ではたくさんの人出で賑わっていました。

クルーズ客は約4,000人だと思われます。

到着したのが14時過ぎと遅かったので入港時の歓迎風景などの写真はありません。


上の写真はポートライナーから撮ったものです。

2015年8月28日に「クァンタム・オブ・ザ・シーズ」が神戸港に初入港予定
でしたが、残念ながら台風の影響で中止になってしまいました。






上の3枚の写真はポートターミナルの駅からです。



上の写真はバスで近くの観光に出かけるクルーズ船客。

23:59に出航予定なので大阪半日、六甲と酒蔵、オプションツアーなどで
行先は近場が多いようです。


上の写真は歓迎デッキより。




船から降りるお客様の写真。

米国の世界最大の船会社であるロイヤル・カリビアン・インターナショナルが
ドイツのパペンブルグにある造船会社マイヤー・ヴェルフトに世界で指折りの
超豪華大型客船を2014年11月就航を予定して発注していた。
その船がクァンタム・オブ・ザ・シーズ(Quantum of the Seas)で、
ニューヨーク発着のカリブ海クルーズを終えた2015年7月から上海母港の
アジアクルーズに配置転換され、神戸や横浜、広島、那覇、長崎、境港(鳥取)、
博多、釜山などの港に寄港するクルーズが組まれています。

クルーズの内容は下記サイト
   http://www.best1cruise.com/user_data/tokusyu/quantum.php


上の写真は今回のクルーズの寄港地など。


上の写真は掲示されていた写真











上の5枚の写真は神戸大橋より。










上の5枚の写真はポートアイランドより撮ったものです。

Quntum of the seasの基本情報


IMO: 9549463

MMSI: 311000267

呼出符号: C6BH8

船籍国: Bahamas [BS]

AIS Type: Passenger


総トン数: 168666

載貨重量トン: 12000 t

Length Overall x Breadth Extreme: 347m × 50m

建造年: 2014

さらに詳細は Read more at http://www.marinetraffic.com/jp/ais/details/ships/shipid:1026965/mmsi:311000267/imo:9549463/vessel:QUANTUM_OF_THE_SEAS#ASU1ErE7fUpRlumY.99

QUANTUM OF THE SEASの現在位置は下記サイト

 http://www.marinetraffic.com/jp/ais/details/ships/shipid:1026965/mmsi:311000267/imo:9549463/vessel:QUANTUM_OF_THE_SEAS










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