CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

神戸 旅行ガイド Youtube動画で紹介された神戸の見どころ

2022年04月17日 05時58分27秒 | 神戸情報

神戸の魅力を伝えるYoutube動画を見つけましたので紹介します。

Gooで共有させていただきました。

【兵庫】神戸の人気観光スポット15選【女子旅にも人気な神戸】

【神戸観光】異人館やハーブ園、神戸のおしゃれ観光スポットを1日で効率的に巡る方法を地元民が紹介します

【神戸観光】今年の海外旅行はここだ! 神戸旧居留地

 

【兵庫】観光の際に宿泊したい!神戸の人気おすすめホテルTOP12

 

[おとなの神戸 ハイカラ紀行] 4K | 神戸でカフェ・グルメ・おしゃれ旅 (語り 濱田マリ) | Travel to Kobe, Japan | BS4K8K | NHK - YouTube

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三宮センター街2丁目のストリートミュージアムの作品 on  2022-4-11

2022年04月17日 04時57分41秒 | 神戸情報

2022年4月11日に三宮センター街2丁目ストリートミュージアムの作品の写真を
撮りましたので紹介します。

今回、取り上げたのは2022年4月2日に新たに追加された高橋 禎彦先生の第17期作品「謎」

の収蔵式典が行われ作品の数が23作品となったのを機に纏めておこうと考えたからです。

 

 

今回写真を撮ったのは上の地図のトアロードから生田筋に展示の23作品
西から東に向かって撮った順番に番号をつけましたのでその順番で紹介します。

作品群は生田筋の4つを除いてすべて通路の中央に設置されています。

①ステンドグラス 港俯瞰

 作者は地元神戸の版画家 川西英 設置年:2004年12月4日 6番目に設置 

 1936年5月20日の作品をベースにステンドグラスの作品に造形されました。

上の写真はステンドグラスの作品。

道路に埋め込まれた作品は③と④の間にあります。(下の写真)

 

②ホワイトカナイ White Kanai  
  作者:沖縄 大嶺實清 設置年:2011年5月7日 12番目に設置


作者からのメッセージ
未来へ発信する。
「何をしたか」ではなく「何をするか」が最重要課題である。
常に未来へ向けて創造し続ける。
その様な思いを強くしながら「パートⅡホワイトカナイ」を設置して頂くことにしました。

③十五夜

作者:桑原 巨守   設置:2008年4月8日  第3期 9番目に設置

④HOUSE  
  作者:扇田克也 設置年:2007年3月  第2期 8番目に設置

 

⑤篠痕(じょうこん)のある石
  作者:山口牧生 設置年:2013年4月6日 第8期モニュメント 14番目に設置

娘(山口さとこ)からのメッセージ
父は生涯に亘って、丸い石、四角い石などを多数作りました。
この「條痕のある石」は、表面にノミ跡を残し、その上から機械で切り込みを
入れ、くぼみにはベンガラ(酸化鉄)をすり込んであります。
父は日中、仕事場で汗を流し、日暮れには家に帰り、
作ったばかりの石を眺めて晩酌を楽しみました。
そのような日々に、父は心から満足しているようでした。
ひとつひとつの石には、父が確かに生きたことの証が刻まれています。
どうか、この石に刻まれた書物を紐解き、
この石の上に流れた時間を父と共にたどり、
今もそこにいる父と、心ゆくまで語り合ってください。

⑥聖なるもの

作者:富山県 畠山耕治 設置年:2020年4月4日 第15期 21番目に設置

 作者からのメッセージ

「青銅という太古からの記憶を持つ素材を、小さな剣という形で神聖な気配として

存在させてみたかったのです。地中に眠る小さな剣が、ここ神戸の銅鐸と呼応し合い、

微力ながら聖なる気配を醸し出せればと思っています。」

⑦紅色浮遊像 Floating Rainbow Figure
  作者:神戸 一井弘和 設置年:2015年 4月4日 第10期 16番目に設置

作者からのメッセージ
遥か宇宙からやって来た太陽光は、雨上がりの地球で水滴と出会い虹色を
生み出しました。虹色浮遊像はこの神戸でそんな奇跡的な出会いが沢山生まれ、
沢山の素敵な虹がかかる事を願っています。

⑧謎

 作者:東京 高橋禎彦(よしひこ) 設置年:2022年 4月2日 第17期 23番目に設置

⑨珊瑚文焼

 作者:國吉 清尚 設置年:2017年4月8日 第12期モニュメント 18番目に設置

⑩SU-ZUからの贈り物 

 作者:武田 享恵  設置年:2018年4月7日 第13期モニュメント 19番目に設置 

⑪神戸サンカクノココロ

  作者:加藤 委  設置年:2016年4月2日 第11期モニュメント 17番目に設置  

 作者からの言葉:生きる力を表現しました

⑫絆 K・I・Z・U・N・A  
  作者:市野雅彦 設置年:2014年4月5日 第9期モニュメント 15番目に設置

作者からのメッセージ
お互い足りないことだらけ。だけど、一つになれば百万力。
ひとりじゃ何もできないけれど、いろんな力が合わさればできないことも
可能になる。
「絆」って、すばらしい。
人間って、すばらしい。
そんな想いをこめました。

⑬ヤーヌスの誕生 The Birth of Yanus
  作者:家住利男 設置年:2012年4月7日 第7期モニュメント 13番目に設置

作者からのメッセージ:
「ヤーヌス」は過去と未来に向いた二つの顔を持つことから、年の始まり一月を
司る神と言われます。この透明な「ヤーヌス」も二つの顔を持ちますが、未来を
見つめる顔はおぼろです。しかし、内側では過去と現在の光が渾然と混ざりあい
「未来の顔」は生まれつつあります。
足許にある歴史が私たちを作り上げている事、より豊かな未来は歴史によって
生まれる事、を信じてこの作品を作りました。
内側がより豊かでありますように。

 

⑭愛蓮 Love Lotus
  作者:三輪華子 設置年:2010年5月8日 第5期モニュメント 11番目に設置

作者からのメッセージ
神戸の地に愛の蓮が咲きました。
1995年の阪神大震災で破壊された神戸の街が人々の知恵と生命力によって、
見事に再生されました。蓮は古代より生命力と再生のシンボルであり、
また清浄な心の世界を例える花でもあります。
この二つの花を同時に開花させた双頭蓮は、愛と和合を意味する吉祥の花です。
ここに生きる皆様とこの地を訪れる皆様が、活力に満ちた心豊かな日々を
送られますように愛を込めて制作いたしました。

⑮古代から2020

作者:伊賀 谷本 景 設置年:2021年2月6日 第16期モニュメント 22番目に設置

 

 

⑯落白花

作者:富山 若杉聖子 設置年:2019年4月6日 第14期モニュメント 20番目に設置

⑰環境モニュメント「雲の中の海」エスキース習作
  作者:吉田隆 設置年:2006年3月23日  7番目に設置

メッセージ
この作品は阪神淡路大震災のゴミ、吸い殻の散乱等について考える為、
2003年5月30日に環境モニュメントとして三宮センター街がこの場所に
設置した「雲の中の海」のエスキースです。
当初このエスキースに見られるように上部に吸い殻の捨て口が、下部に
ゴミ捨て口が設けられており、モラルの向上が見られた時にその口を閉じて
完成されるという意図を持って作られました。
多くの方々の御理解と御協力のもとに、2年後にそれらの口は閉じられ
現在の完成作品としてセンター街1丁目東入口(フラワーロード側)に
設置されています。

⑱背山眺望
  作者:川西英  設置年:2004年12月4日  5番目に設置

ステンドグラスの作品の写真を撮っていないので後日追加予定。

⑲ブルーニライ Blue Nirai
  作者:大嶺實清 設置年:2009年5月9日  10番目に設置

作者からのメッセージ
沖縄ブルー。
琉球の昔からはるか海の彼方より平和と安寧、五穀豊穣がもたらされる
というニライカナイ伝説がある。
私はその伝説が好きである。
兵庫、神戸鎮魂の祈りを捧げ未来都市神戸に作品ブルーニライを贈る。

⑳未来に行く者達
  作者:吉田隆  設置年:2000年1月1日  2番目に設置

メッセージ
アートストリート構想の第2作目として2000年1月1日午前0時に除幕
されました。

㉑水のある星
  作者:吉田隆  設置年:2001年1月1日  3番目に設置

メッセージ
21世紀を迎える2001年1月1日0時に除幕された第3作目

 

㉒讃太陽 
  作者:桑原巨守 設置年:1996年11月4日 最初(1番目)に設置

メッセージ
 阪神淡路大震災を追悼する1年目で除幕され、アートストリ-ト構想の
 スタートとなった作品です。

㉓花の少女
  作者:桑原巨守 設置年:2001年7月7日 第2期モニュメント 4番目に設置

メッセージ
2001年7月7日地下鉄海岸線の開通を記念して設置された4作目です。
この作品はブルガリアの首都ソフィアにも設置されています。

関連ブログ&サイト

 三宮センター街2丁目のストリートミュージアムの作品 on 2016-3-13 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 三宮センター街二丁目 (centergai2.com)

 足元にアートのある商店街 神戸・三宮のストリートミュージアムに新たな作品が仲間入り|まいどなニュース (maidonanews.jp)

 神戸・三宮センター街2丁目の地面にアート作品収蔵 15作品目 - 神戸経済新聞 (keizai.biz)

 三宮センター街の地面にアート作品収蔵 16作品目は銅鐸イメージした作品 - 神戸経済新聞 (keizai.biz)

 三宮センター街2丁目ストリートミュージアム作品収蔵除幕式 - 神戸三宮センター街1丁目 スタッフブログ (kobe-sc.jp)

 

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神戸市兵庫区 豊国稲荷神社への訪問記 on 2022-4-5

2022年04月16日 05時11分44秒 | 神戸情報

2022年4月5日、神戸市兵庫区平野町字獺谷401-2にあった豊国稲荷神社の跡地と

新しく大山咋神社の境内に遷座された宮を訪問し、写真を撮ってきましたので

写真紹介します。

豊国稲荷神社は地元では豊国さんと親しまれています。

豊国稲荷神社の基本情報

住所:神戸市兵庫区山王町1丁目6-5 (大山咋神社) TEL:078-531-2707

御祭神:豊国大神(ほうこくたいしん=豊臣秀吉公)、豊受大神(とようけのおおかみ)
    稲倉魂大神(いなくらたまのおおかみ)

創建:不明であるが豊臣秀吉が没した慶長3年(1598)以降であることは確か

 

豊国稲荷神社の跡地

上の写真は2022年4月5日に撮影した豊国稲荷神社の跡地

跡地の住所表示の兵庫区平野町字獺谷(うそだに)の現在の表示は兵庫区湊山町となります。

豊国稲荷神社は明治まで兵庫城内に鎮座していました。明治に入ると、兵庫城があった

場所には初代の兵庫県庁が置かれることとなります。明治元年(1868)9月に県庁は

神戸地方裁判所がある中央区橘通に移転。さらにその6年後の明治6年(1873)5月には

現在の県庁、中央区下山手通の地に移されます。兵庫城内にあった豊国稲荷神社も、

県庁とともにその都度、移転を重ねますが、公的な役所の中に神社があるのはおかしい

のではないかということで、明治7年(1874)1月21日に兵庫県庁から兵庫区平野町字獺谷

の地に移されることとなります。

 以上の文は兵庫県神社庁神戸市支部編著「神戸の神社」(2000)Page90より引用

上の写真は豊国稲荷神社の鳥居

豊国稲荷神社が神戸市兵庫区平野町字獺谷401-2にあった頃の様子を下記ブログで

紹介されていますのでリンクさせていただきます。

 神戸・豊国稲荷神社。 - 神戸の空の下で。~街角の歴史発見~ (goo.ne.jp)

 

現在の豊国稲荷神社

上の写真は現在の豊国稲荷神社。大山咋神社の末社で6柱の内、左から2番目が豊国稲荷神社

となります。

6柱を全部記載すると、左より塞神社、豊国稲荷、春日神社、天照皇大神宮、金刀比羅神社

瑜侞神社となります。

上の写真は豊国稲荷神社の部分を撮ったものです。

上の写真は大山咋神社の拝殿の写真

大山咋神社については別にブログ記事を作成しようと思っています。

豊国稲荷神社の遷座

上の写真は現地に掲示してあった説明書きで平成28年(2016)10月4日に豊国稲荷神社の

御神体を大山咋神社末社に遷座した様子が写真と共に説明されています。

 

上の写真は平成28年(2016)10月4日の豊国稲荷神社の遷座の様子。

 

関連動画

神戸の山中に眠る「豊国稲荷神社」と廃墟群(兵庫区獺谷)

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カフェ・レストラン 神戸望海山でのランチ on 2022-4-11

2022年04月15日 04時21分59秒 | 神戸情報

2022年4月11日、EKIZO29階にあるカフェ・レストラン 神戸望海山でランチを

頂きましたので写真紹介します。初めて訪問するお店です。

カフェ・レストラン 神戸望海山の基本情報

住所:神戸市中央区加納町4丁目2−1 EKIZO神戸三宮 29F 

TEL:078-599-9581   050-5890-0242(予約)

営業時間:モーニング 7:00~10:30  ランチ 11:30~15:00
     ディナー  17:00~23:00

定休日:なし(無休 施設の休みに準ずる) オープン日:2021年4月26日

運営会社:株式会社MYU(東京都港区元赤坂1-2-5 赤坂見附アネックス4F)

インスタグラム:カフェ・レストラン 神戸望海山<のぞみやま>(@nozomiyama.kobe) • Instagram写真と動画

公式サイト:【公式】カフェ・レストラン 神戸望海山<のぞみやま> | 神戸三宮駅と直結したホテルのパノラマの最上席で本物をeasyに愉しむ贅沢 (kobe-nozomiyama.com)

 

【公式】カフェ・レストラン 神戸望海山<のぞみやま> | 神戸三宮駅と直結したホテルのパノラマの最上席で本物をeasyに愉しむ贅沢

【公式】カフェ・レストラン 神戸望海山<のぞみやま> | 神戸三宮駅と直結したホテルのパノラマの最上席で本物をeasyに愉しむ贅沢

ホテル最上階から神戸の海や山すべてが見渡せるカフェレストラン。朝食から営業し、ランチ・ディナーも素材と技にこだわるメニューを多数取り揃えております。また、レスト...

【公式】カフェ・レストラン 神戸望海山<のぞみやま> | 神戸三宮駅と直結したホテルのパノラマの最上席で本物をeasyに愉しむ贅沢

 

上の写真は当日、私が選択したランチセット明石漁港直送 鮮魚のポワレ 2,200円(税込)

ドリンクバー300円(税込)を含めて 2,500円(税込)の予算

上の写真はランチセットあらびきハンバーグ&ナポリタンパスタ 1,950円(税込)

ドリンクバー300円(税込)を含めて 2,250円(税込)の予算

上の写真は最初に出てくるサラダ

上の写真は当日注文したものが掲載のメニュー表

上の写真は当日注文したものが掲載のメニュー表(拡大版)

 

レストランからの眺望

上の写真は海側の眺望

上の写真は山側の眺望

 

 

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村上帝社と琵琶塚 on 2022-4-7

2022年04月14日 05時48分33秒 | 神戸情報

山陽電車須磨駅から国道2号線沿いに東に歩くと赤い鳥居の横に「村上帝社 琵琶達人師長」

と書かれた石碑があります。(下の2枚の写真 赤鳥居の左下の石碑 撮影:2022-4-7)

これより添付した写真は特別注記しないかぎり2022年4月7日の撮影です。

2022年4月7日、上述の村上帝社と山陽電鉄の線路北側に現在は市立須磨の浦地域福祉センター

の敷地内に琵琶塚の碑があります。もともと前方後円墳がありその形が琵琶の楽器の形に

似ていたことから琵琶塚と呼ばれるようになったという説があります。

本日は村上帝社琵琶塚をテーマに書いていきます。

村上帝社

 所在地住所:神戸市須磨区須磨浦通4

 村上帝社は「天暦の治」と称される天皇親政で知られる村上天皇(在位946~67年)

 が祀られています。

まず、概要を把握するために西須磨協議会が現地説明板を作成されていますので添付。

(下の写真)

この社(やしろ)にはつぎのような伝説があります。その伝説のひとつが謡曲
絃上(げんじょう)」(玄象)でうたい語られ、広く世に知られております。
『平安期の末期、太政大臣藤原師長(ふじわらのもろなが)は琵琶の名人で
あったが、さらに奥義をきわめたいと入唐の志をもってこの須磨の地まで来ました。
ところが村上天皇と梨壷女御(なしつぼのにょご)の神霊が現れて、琵琶の
妙手を授けたので入唐を思いとどまり帰京した。』といわれております。
一説に『籠宮から師長に捧げた琵琶の名器〈獅子丸〉を埋めた場所である。』
とも伝えられています。いずれにしても、村上天皇にまつわる
伝説からこの地に村上天皇を祀り、神社としたもので、この地はもと前方後円墳が

あり、その形が琵琶に似ているのでこのような伝説に結びついたとも言われています。
帝社への参道の左角に古い標石が建っており、それには、正面に
『村上帝社琵琶達人師長』と刻まれています。
村上天皇の命日にあたる五月末には例祭が行われます。西須磨協議会

ここで琵琶の名手として知られる藤原師長(ものなが)(1138~1192)について簡単に

触れておきます。村上帝社の本当の主役は村上天皇ではなく藤原師長である。

日本大百科全書(ニッポニカ)「藤原師長」の解説(一部改変)

平安後期の政治家、音楽家。左大臣頼長(よりなが)の長男で、1156年(保元1)父に連坐(れんざ)して土佐に流されたが、のち召還され、1177年(治承1)に太政(だいじょう)大臣の位まで昇るが、79年には平清盛によって追放され、尾張(おわり)で出家した。法名理覚。世に妙音院(みょうおんいん)太政大臣という。源家(げんけ)と並ぶ郢(えい)曲の流派の一つ藤家(とうけ)の出身で、音楽的才能にも恵まれ、『十訓抄(じっきんしょう)』や『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』には早くから管絃(かんげん)や歌曲に長じたことが記されている。箏(そう)と琵琶(びわ)の名手で、箏では『仁智要録(じんちようろく)』、琵琶では『三五要録(さんごようろく)』という各12巻からなる譜集を編纂(へんさん)し、抄出した『仁智要略』『三五要略』とともに後世に伝えられる。また今様(いまよう)は源資時(すけとき)と並ぶ後白河(ごしらかわ)法皇の後継者、声明(しょうみょう)と朗詠(ろうえい)では新しく妙音院流をおこした。

 

 

上の写真は村上天皇を祀った村上帝社の祠

上の写真は村上帝社の本社の左手にある末社の天降稲荷神社

「天下りの稲荷」と解釈されるような名前です。 すなわち定年を迎えた官僚が、良い

天下り先に恵まれるようにと・・・お参りにどうぞ来てください。

多分実際は神様が天から降りてこられると解釈すろのでしょうが----

謡曲「玄象」(絃上)と村上帝社

上の写真は謡曲「玄象」(絃上)と村上帝社についての現地説明板

そのまま転載します。

琵琶の名手太政大臣藤原師長は、唐(中国)に渡りなおも奥儀を極めたいと願い、

都を出立して須磨の汐汲みの老夫婦の塩屋に宿る。夫婦の奏でる秘曲「越天楽」の

「感涙もこぼれ嬰児も躍るばかり」の神技に感じ入った師長は、渡唐を思い留まった。

この老夫婦は、名器絃上の所持者村上天皇と梨壷の女御が、渡唐を止めさせる為に

師長の前に現れた精霊であった。やがて村上天皇が本体を現わし、龍神を呼んで

今一つの名器獅子丸の琵琶を持参せしめて師長に授け、喜びの舞をなし給うという、

国威宣揚を意図して描かれた曲である。村上帝社は、摂関政治を抑え、文化の向上や

倹約を旨とされて「天暦の治」として名高い天皇らしい社である。師長の名器獅子丸を

埋めた琵琶塚は、もと境内にあったが今は線路で二分されている。

                        謡曲史跡保存会

 

琵琶塚

 所在地住所:須磨区千守町1丁目1−20 (須磨浦地域福祉センター)

 

上の2枚の写真は須磨浦地域福祉センターの前にある琵琶塚の石碑の遠景と近景

田辺眞人著 伝説の須磨のPage30、31より琵琶塚の伝説について要約引用する。
今から800年ほど前、京の都に太政大臣藤原師長(もろなが)という琵琶の名人が
いました。彼はもっと上手になることを願い唐の国に行って勉強しようと考えました。
藤原師長が使用していた琵琶は「獅子丸」と呼ばれる立派なものでした。
藤原師長がそれを持って京より須磨へやってきた時あたりはもう暗くなってある漁師の
家にとめてもらうことになりました。
その夜、漁師の夫婦にたのまれ藤原師長が琵琶を弾いていると老夫婦の姿がぼおっと揺れ
たちまち別の人の姿に変わってしまいました。
それは200年ほど昔にいた村上天皇と梨壺女御(なしつぼのにょご)のお姿でした。
2人は「師長、そなたにすばらしい琵琶の腕前をあげよう。その代わりに唐の国に行くのは
やめて、ここから都に帰りなさい」と言いました。
藤原師長は驚いているうちに2人は消え、また藤原師長が琵琶を弾いてみると自分でも
驚くぐらい自分の腕前があがっていました。
藤原師長は自分の腕前に満足し「獅子丸」をこの地に埋めここから京の都に帰って行った
ということです。
西須磨の村人はその漁師の家のあとに村上天皇を祀る小さな神社を建てました。

琵琶塚は神戸市兵庫区の史跡清盛塚の敷地内にもあります。

平敦盛の兄で琵琶の名手であった平経正の琵琶塚です。(下の写真 撮影は2008年8月頃)

従前にあったお地蔵様

上の3枚の写真は以前、村上帝社の右手にあったお地蔵様等の写真です。撮影は2007年

何時どこに移設されたかは未調査で不明。

最後にこのブログを書くきっかけになった資料名を添付して筆を置きます。

 1)神戸市立中央図書館 KOBEの本棚 第99号 2021年11月20日

   ランダム・ウォーク・イン・コウベ99 「村上帝社と琵琶塚」

 2)渋谷武弘 歴史と神戸 第61巻第1号 350号 2022年2月1日 Page42-48

   「村上帝社と藤原師長 -琵琶の名手の数奇な生涯-」

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ネイチャースタジオ(旧湊山小学校跡地)への訪問記 on 2022-4-5

2022年04月13日 04時43分07秒 | 神戸情報

2022年4月5日、旧湊山小学校跡地に建設されているネイチャースタジオを訪問

しましたので写真紹介します。

ネイチャースタジオ(Nature Studio)は本年、7月のグランドオープンに向けて

急ピッチで工事が進められています。

尚、4月1日に北館(North)3階の小規模保育園「かえで」及びコネクトスクール、

2階の湊山学童保育センターが運用開始し、プレオープンとなっています。

ネイチャースタジオ(Nature Studio)の基本情報

住所:神戸市兵庫区雪御所町2−1  神戸市立湊山小学校の跡地

開館時間:9:00~19:00  休館日:不定期

公式サイト:NATURE STUDIO(ネイチャースタジオ)

 

2022年4月8日(金)17:00からのサンテレビ「キャッチ」で紹介されていました。

 詳細はキャッチプラス | サンテレビ (sun-tv.co.jp)

 

道路沿いの横断幕

 

ネイチャースタジオの平面図

 

プレオープンの案内

北館(North)の案内板

 

上の写真は北館2階の湊山学童保育コーナーの案内パネル

グンドオープン時の主な施設

みなとやま水族館などの主な施設が7月にグランドオープンとなります。

湊山小学校の表札看板

工事中の西館(EAST)

北館(NORTH)3階から駐車場などを臨む風景

雪見御所旧跡の碑

上の2枚の写真は雪見御所旧跡の碑の近遠景

上の写真は現地説明板

判り難いので現地説明板を要約して転記しておきます。
雪見御所(ゆきみのごしょ)
平安時代末期、平家一門が日宋貿易の港である大輪田泊を見晴らす福原の地を領有し、
ここに多くの邸宅を構えた。
治承4(1180)年、政権の強化を図った平清盛が孫の安徳天皇を奉じて都造りを
はかったのが「福原遷都」である。
しかし都造りは中途で頓挫、半年で平安京に遷都したため実態としての都は完成しなかった。
「平家物語」などには、平清盛が福原の地にいくつかの邸宅を持っていたことを伝える。
そのひとつが「雪見御所」で、その名を伝える雪見御所町に所在した可能性が高い。
ただし町名のもとになった古い字「雪御所」の範囲は湊山町南半が過半を占める。
西が石井川、東および北は天王川の西のほとりを北上し、そして西へと弧状にのびる
古道により画される範囲になる。
南限は湊山小学校の敷地を北東隅から南西隅に横切る方向にのび、その南は
「川原」という字名になる。この範囲には一町(約109メートル)四方の屋敷地が収まる。
当事の貴族の邸宅は広い屋敷地の北寄りに建てられるのが一般的で、南に庭園が広がる。
したがって雪見御所の屋敷建物が存在するのは湊山小学校の敷地よりも北側ということになろう。
1986年に湊山小学校の校舎建設に先立ち行われた発掘調査(雪御所遺跡第一次発掘調査)
で確認された石垣のひとつはこの南の字境に一致する。
これは雪見御所の南を画する石垣、またはそれを踏襲する字境の石垣である
可能性が考えられる。
雪見御所の北に安徳天皇が「福原遷都」の半年を過ごした「本皇居」=「平野殿」
のあったこと、また、清盛邸の近隣に子息宗盛邸のあった可能性が当事の貴族の日記の
記述などから知られる。
発掘調査によっても雪御所町の東にある上祇園町の祇園遺跡で平安時代末期の
貴族の邸宅あとの庭園の存在が確認されている。
古記録と発掘調査の成果から、この地に「福原京」の時期を中心とする平家の邸宅が
いくつも存在することを推測することができる。
ここ「平野」の地はまさにその名の示すとおり「平」家の本拠があった「フィールド(野)」
といえるだろう。
この「雪見御所旧跡」の石碑は、明治39年に湊山小学校の校庭より掘り出された、
往時の御所の庭造りに使用されていたと考えられる石に、明治41年に湊山小学校
三代校長篠崎三郎氏が、生田神社宮司田所千秋氏の揮毫を得て、設置したものである。

雪見御所は神社の三合思想により西の位置(酉)の夢野八幡神社、東北の位置(丑)の
祇園神社、東南の位置(巳)の荒田八幡神社の3点を結んだ領域の真ん中に位置して
おり吉相の場所に造営されたと岡山大学の曽我とも子氏はその研究報告で述べられて
います。

上の2枚の写真は現地説明板の写真の拡大版

上の写真は雪見御所旧跡の碑のある位置を示したものです。
その周辺の平家の屋敷群についても記載しました。

前の地図とダブリますが神戸史談264号平成元年1月号48ページに服部晃氏により

雪見御所の推定位置が推定されていましたので引用添付させていただきます。

上の写真は福原京の全体像を把握するのに便利なので参考資料として添付

出典:福原京復原推定図 (山田邦和案をもとに作製されたもの)

①平清盛邸 (安徳天皇皇居)
②平重衛邸 後半期の高倉上皇御所 雪御所
③湯屋
④後白河法皇三条殿
⑤小松家邸?
⑥越前中守平盛俊邸?
⑦楠・荒田町遺跡(邸宅跡)
⑧楠・荒田町遺跡(二本の堀遺跡)
⑨平頼盛邸(前半期の高倉上皇御所)
⑩新造内裏
⑪新造内裏の陣中
⑫藤原忠親新邸
⑬平時忠新邸予定地
⑭楠・荒田町遺跡(邸宅跡)
⑮藤原邦綱宇治新邸?
⑯後白河法皇夢野殿?
⑰平教盛邸(後白河法皇籠御所)?




平家物語の第7巻の福原落に下記の記述があります(現代語訳)
全軍が福原の旧里で一夜を明かしました。季節は初秋で、月のころは下弦の月、
この月の出が遅い。月の昇らぬ今夜は、何事もなく静かな夜であり、更けゆくに
つれてますます静けさを増して行きました。屋内に入れぬ人々は草枕にて野宿をし、
その枕は涙にために濡れ、秋の夜露も涙に劣らずしっとりと草葉に落ちて、
ただ見る物、聞く物、すべて悲しみの種になってしまいました。
いつ帰れようとも思われないで、亡き入道相国清盛公がその権勢に任せて都を遷し、
乱の兆によって造営中途にして捨てられた都福原ではありますが、今こうして
再びこの福原の地を訪れ、所々を見てみると、春は花見の岡の御所、
秋は月見の浜の御所、その他、泉殿・松陰殿・馬場殿、二階の桟敷殿、雪見の御所、
萱の御所、偉い方々の多くの館、五条大納言邦綱卿が命を受けてお造り申された
仮の皇居とされた里内裏などがあります。鴛鴦(おしどり)の形の瓦、
玉を敷き詰めたような石畳、それらどれもが三年の放置を経て荒れ果て、
年経た苔が生して道を塞ぎ、秋の草が門を閉じていました。瓦からは忍草が
顔を覗かせ、垣に蔦が生い茂り、高楼の台は傾いて苔がむしています。
御簾も朽ち果てて寝屋が丸見えとなってしまっています。かように荒れ果てた
室内で眠りを取る人々に、静かに松風が吹きつけ、月の光だけがさしこんで
いるのでありました。

そんな夜が明けての翌朝、福原の旧都に火を放って、天皇をはじめとして
人々はみな船に乗り移りました。都を離れる時ほどではなかったのですが、
この福原の旧都にもそれなりの名残が惜しまれました。海上より燃える火を
眺めるに、塩をとる海人の焚く藻の夕煙、尾根で明け方に鳴く鹿の声、
そこここの渚に寄せる波の音、涙で濡れた袖にかかる月の光、草叢に集まって
鳴く蟋蟀の声、すべて目に見えるもの耳に聞こえてくる音、どれ一つとして
感慨を起こさせ、悲しい思いをさせないという事がありません。

寿永二年(1183)七月二十五日、平家全く、都を落ちる。

平家の一族が家族とともに西国に落ちていく場面で、荒れ果てた福原京の様子と
かって様々な壮麗な屋敷が立ち並んでいた頃のことを回顧している場面が描かれて
います。また、福原が焼かれた場面も描かれています。

さらに、Wikipediaから雪見御所の解説を引用させていただきます。

雪見御所(ゆきみのごしょ)は、平安時代末期に摂津国福原京(現兵庫県
神戸市兵庫区雪御所町)にあった平清盛の邸宅。雪之御所、雪御所とも。

仁安3年(1168年)に出家した清盛は遁世生活に入り、福原に別荘である
雪見御所を構えて日宋貿易拡大の拠点とした。
『山槐記』治承4年(1180)11月21日条に安徳天皇の「本皇居」を
「禅門(清盛)の家、雪御所の北なり」と記している。

明治時代に礎石や土器類が多数発掘され、現在湊山小学校の校庭に
「雪見御所旧跡」の碑が建てられている。
1978年の小学校建て替えに伴う調査では平氏時代と断定出来る遺物は
発見されていない。

二宮金次郎像

上の2枚の写真は二宮金次郎像の近遠景

 

湊山小学校の写真

上の写真は湊山小学校閉校時の写真

 出典:2022年4月8日(金)17:00からのサンテレビ「キャッチ」

上の2枚の写真は2014年4月に湊山小学校で行われた最後の入学式

 出典:2022年4月8日(金)17:00からのサンテレビ「キャッチ」

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【速報】岸田首相が記者団にコメント 神戸で研究施設など視察

2022年04月12日 05時41分00秒 | 神戸情報

【速報】岸田首相が記者団にコメント 神戸で研究施設など視察

 

関連ブログ:

 川崎重工業株式会社の水素基地 on 2021-10-31 と川重の橋本康彦社長 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

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金星観測記念碑 in 諏訪山公園 on 2022-4-5

2022年04月12日 04時36分22秒 | 神戸情報

2022年4月5日、諏訪山公園にある金星観測記念碑の写真を撮ってきましたので

写真紹介します。金星台の住所は神戸市中央区山本通5-1

諏訪山公園がある場所では明治7年(1874)12月9日、太陽と金星、地球が一直線に

並ぶ現象「金星の太陽面通過」をフランスの天文学者ジャンセンらの観測チームが観測。

日本人も参加し、最先端の技術を学んだという。

この出来事は「金星台」や隣接する「ビーナスブリッジ」の名前の由来となりました。

また、観測から100年後の1974年(昭和49年)に金星観測記念碑が設置されました。

上の3枚の写真は諏訪山公園の金星観測記念碑の近景、中景、遠景

金星観測記念碑の石材は生田神社の折れた鳥居が利用されています。

生田神社の折鳥居(形式:明神鳥居)は江戸時代に建立されたが、安政元年(1854)の

大地震で支柱を残して崩壊、その残骸が生田の森に安置された。

「生田の折鳥居」と呼ばれ、交通安全のご利益があると信仰されたらしい。

折れた笠木と島木が一体となった石の半分は金星台に移転された。

上記の鳥居が下の写真の鳥居の残骸(折鳥居)である。(撮影日は2010-8-13)

上の2枚の写真は2022年3月に改訂された金星観測記念碑の解説版

解説版は平成16年(2004)6月8日にもこの場所で金星の太陽面通過を観測できる

ことを記念して金星台に神戸市が説明板を設置しています。

上の2枚の写真は解説板の写真を拡大したもの

金星観測に使用された望遠鏡と観測の様子が判ります。

上の写真は金星観測記念碑の表面に書かれている内容(解説板を拡大したもの)

上の2枚の写真は金星観測記念碑の背面と記載内容(解説版より)

上の写真は金星観測記念碑の場所を示した案内板

北が下になっていますので注意が必要。JR三宮駅から神戸市バス7系統で諏訪山公園前で

下車します(上の地図では花と緑のまち推進センターの所)

上の写真が明治7年(1874)フランス観測隊の「金星の太陽面通過」観測チームの

記念写真

 

金星の太陽面通過の歴史についてWikipediaより調べてみました。
1631年 12月7日 ケプラーが金星の太陽面通過を予見
     詳細は http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_1631/

1639年 12月4日 ホロックとクラブトリーにより金星の太陽面通過を初観測
1761年 6月6日  Lomonosov, Chappe d'Auterocheらがロシアで観測
1769年 6月3日-4日 Cookがタヒチに観測隊を派遣し金星の太陽面通過を観測
1874年 12月9日 イタリアのPietro Tacchiniの指導でインド及びニュージーランド
              などで金星の太陽面通過の観測
1882年 12月6日 世界各地で観測
2004年 6月8日  世界各地で観測

金星の太陽面通過に関して今後の予測も含めて下記サイトで詳細に紹介されています。
http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_1882/

明治の金星観測から138年後にあたる2012年6月6日にも金星の太陽通過があり、

私も観測をトライしました。その時に書いたブログにリンクしておきます。

 6月6日(水)は金星が太陽を横切る「金星の太陽面通過」 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 

2022年3月4日、日本天文学会の「日本天文遺産」に長崎:長崎市と横浜:個人とともに

神戸市が認定されました。認定に合わせて金星観測記念碑の解説板もリニューアルされた。

日本天文遺産は天文学、暦学関連の歴史を次世代に伝えるため2018年度から天文学会が

認定しておりこれまでに10件が認定されています。

詳細は下記サイトを参照してください。

 日本天文遺産 認定一覧 - 公益社団法人 日本天文学会 (asj.or.jp)

 

上の写真は横浜、神戸、長崎で明治7年(1874)12月9日に行われた金星の太陽面通過の

観測に関して纏められた資料

 出典:徳島中央高校 西條敏美氏が纏めた資料

 

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凡蔵でのランチ on 2022-4-8

2022年04月11日 03時25分05秒 | 神戸情報

本日は2022年4月8日に訪問した凡蔵での食事を写真紹介します。
凡蔵は讃岐うどんの名店でコシのある麺が特徴です。

ぶっかけうどんが好きでよく食べます。ぶっかけうどんの神戸における三大名店を
勝手に命名しています。本日紹介する「凡蔵」もその一角で、他に「こと平
よつ葉」としています。

凡蔵の基本情報
住所:神戸市須磨区妙法寺字上の界1182-1
TEL:078-741-9124
営業時間:ランチ 11:00~14:30 夜は17:00~20:45
定休日:月曜日

所在地のGoo地図と過去の訪問記は下記ブログで書いています。

 凡蔵でのランチ on 2021-9-24 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

上の写真は当日私が注文した「かき揚げうどん」880円(税込)

上の写真は「かき揚げうどん」が掲載のメニュー表

 

上の写真は奥様が注文した「えび天うどん」 1,100円(税込)

上の写真は「えび天うどん」が掲載のメニュー表

 

上の4枚の写真はその他のメニュー表

最後に凡蔵の麺の特徴が書かれたものを添付して筆を置きます(下の2枚の写真)

 

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神戸市須磨区多井畑 真言宗正蔵院への訪問記 on 2022-3-29

2022年04月10日 05時40分48秒 | 神戸情報

2022年3月29日に多井畑(神戸市須磨区)の正蔵院を訪問し写真を撮ってきました

ので紹介します。

前にも訪問したことがあるのですがブログ記事とするのは初めてです。

正蔵院の基本情報

住所:神戸市須磨区多井畑字西所18 TEL:078-741-0003

宗派:真言宗 山号:福聚山 創建:建久9年(1198)

御本尊:昔は如意輪観世音菩薩であったが大火で焼失し現在は薬師如来坐像

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

正蔵院は旧多井畑村の地域で現存する唯一の寺院です。

天保9年(1838)3月2日の多井畑村の大火で本尊や建物、古文書が焼失しています。

弘化2年(1845)11月に56坪の本堂が再建されました。昭和61年(1986)に改築。

江戸時代、多井畑は備中浅尾藩の蒔田氏の領地であった。岡山県総社市に陣屋があった。

明治16年(1883)1月調査の多井畑村の戸数は81戸、人口396人(男210人、女186人)

出典は「兵庫懸地誌」八部郡地誌・多井畑村誌

上の写真は道路から観た福聚山 正蔵院の外観

上の写真は境内の中景

上の写真は境内の弘法大師立像

上の写真は境内社

上の写真は墓地(前所墓地)の無縁墓碑 江戸時代に建立されたと思われる一石五輪塔が多い

一石五輪塔は源平合戦の霊を鎮魂するためのものと言われています。

この墓地には多井畑地区の名家である鷲尾家、兼弘家、岩井家、森本家、大塚家、中野家

渋谷家などの墓碑があります。

 

上の写真は墓地から観た多井畑地区の家並

中央の背後は多井畑厄神。奥に横尾山も写っています。

 

 

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