今日は、素晴らしい快晴。糸満のうまんちゅ市場に買い物に行く途中、付近の戦跡を訪ねる。
アメリカ軍最高司令官・バクナー中将が、1945年6月18日、この付近を視察中、狙撃されて死んだ。アメリカの軍史上、司令官クラスの初の戦死者だったという。
司令官を殺されたアメリカ軍は、その報復として、日本軍に猛烈な攻撃をかけ、おびただしい犠牲者が出た。
(「白梅之塔」上の壕)
(「白梅之塔」下の壕)
県立第2高等女学校の白梅学徒隊が、負傷兵の手当にあたった下の壕。少し離れた上の壕は、保管庫や彼女らの仮眠場所として使われた。
6月21日、下の壕が「馬乗り」攻撃を受け、手榴弾や爆雷をしかけられて全滅。22日には、上の壕が火炎放射に見舞われた。この両日で、この壕に移ってきた16人の学徒のうち、10人が犠牲になったという。
下の壕のある広場には、「白梅之塔」が建てられ、第2高女の全戦没者を祀っている。
この付近を走っていると、道路の両側に次々と慰霊碑や壕が続き、次第に重苦しい雰囲気になってくる。今は、明るい日差しに緑が輝いているが、65年前のこの付近では、それこそ何万という兵士、住民らが死んでいったのだ。どこに行っても、ああこの辺りは、65年前はどんなだっただろうかと思う。