(本部半島今帰仁村渡喜仁に残る陣地壕)
明日からは天候が崩れるということで、今日のうちに遠出をしようと、大慌てで、北部に車を走らせた。
名護から北西に走ると今帰仁村に入る。国道505号線から北東に向かうと、すぐに、道路横に大きな壕が見つかった。戦争当時、この近くの運天港は、特攻潜航艇の咬龍隊と第27魚雷艇隊が配置された重要な港だった。咬龍は、5人乗りの特攻潜航艇で、行動持続日数は5日間もあり、小型潜水艦並みの能力を持っていたという。この渡喜仁の壕には、咬龍を秘匿したと言われているが、真偽のほどは分からない。しかし、少なくとも、多くの魚雷が保管されていたという。
かなり大きな壕で、入るとすぐ左右に別れ、ずっと向こうに出口が見える。資料によれば、この壕が長さ200m、そして北側にあるもう一つの壕が、40mだという。壁には、つるはしの跡がくっきりと残り、掘削作業に徴用された地域の人々の労苦がしのばれる。
この壕は、きわめて重要な戦争遺跡だと思われるが、入口付近は、もうすっかりゴミ捨て場になってしまっているので呆れた。村として、もっときちんと管理し、説明のパネルなども設置してほしいものだ。
そして、帰宅して文献を調べて驚いた。この周辺では、大戦当時、日本軍により住民らが5名、虐殺されているのだ。この事実については、目取真俊さんののブログに詳しい。
帰途、今帰仁城に寄った後、本部町渡久地に向かった。ここは、鰹漁で有名だとのことで、港には、「鰹のぼり」がいっぱいぶらさげられていた。青い鰹をが風に揺れている様が愉快だった。