チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

大浦湾で始まった「付替道路」工事、大浦崎収容所の墓地が壊される!---工事を止め、まず遺骨の発掘を! 

2015年12月19日 | 沖縄日記・辺野古

 ここ数日のブログで、11月末から大浦湾のシュワブ沿岸で始まった「付替道路」(工事用仮設道路)の造成工事の違法性について説明してきた。この工事は、公有水面埋立法違反(設計概要変更申請未提出)、埋立承認の際の留意事項違反(県との事前協議なし)、赤土流出等防止条例違反、文化財保護法違反に違反しており、防衛局はただちに造成部分を撤去し、現状回復しなければならない。

 さらに、ここでは戦争犠牲者の埋葬遺骨の問題を指摘したい。

 キャンプシュワブの辺野古には、沖縄戦の組織的戦闘が終わった1945年6月から10月にかけて、本部、今帰仁や伊江村の人々を強制収容した大浦崎収容所があった。米軍資料では2万5千人以上が収容されていたという。一帯は焼き尽くされた不毛の土地で、人々は小さなかやぶき小屋を建てて雨露をしのいだが、食料不足やマラリアによって多くの人々が亡くなったと言われている。

 下の図は、名護市教委作成の『キャンプ・シュワブ内文化財調査報告書』からの引用だが、大浦崎収容所と「墓地」の位置が明記されている。今回の「付替道路」工事箇所はまさに大浦崎収容所の「墓地」(図の青色の部分)に隣接している。さらにこの一帯は、美謝川の切替え水路が造成される箇所であり、新基地建設事業により、この「墓地」は完全に破壊されてしまう。工事をただちに中止し、現状回復したうえで埋葬遺骨の発掘調査を行わなければならない。

(なお、「今帰仁区域の墓地は、今では米軍の水陸両用装甲車が出入りする大浦湾に面した砂浜近くにあった」という指摘もある(川満彰氏 2014.9.11 沖縄タイムス)。また沖縄県史にも「辺野古岬から13号線までの間には、---赤土の禿げた地べたに収容されて、あの広い不毛の地は死人を埋めた土饅頭で埋め尽くされていたという」(『沖縄県史9巻』P54)と記されている。) 

                       (大浦崎収容所 「今泊誌」より)

 この問題を訴え続けてこられた具志堅隆松氏は次のように述べられている。

「戦争の犠牲者の遺骨の上に、新たな戦死者を生む基地を造る。これ以上の死者への冒涜はない」(具志堅隆松)

(名護市教委の報告書によると右手の浜の後ろの丘に大浦崎収容所の墓地があったという。川満さんが指摘されている浜は、左側の米軍レジャービーチだろうか?)

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