歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

鎌倉へ行って来ました ④ 鎌倉に住みたい!利便性よりも不便性?に価値が!

2014年05月14日 | 鎌倉の風景
一昨日の続きです。

金沢街道を鶴岡八幡に向かって歩いています。

“鎌倉女子大学”前を通過します。鎌倉と女子大学の組み合わせがとても良いです。二階堂学舎もイイです。


鎌倉のお嬢様達が真面目にお勉強している、そんな雰囲気がしてきます。


公開講座です。時間があったら、ホント! 覗いて見たい。これまでの人生で、女子大に足を踏み入れたことはありません。


曰く因縁のありそうな“岐れ路”の表示。バスで浄妙寺に向かっているときに見かけて、それなりに気になっていました。調べて見たら、何と、何と、期待に反して、特に、何も、無いのでした。

古都鎌倉で、金沢街道で、岐れ路で、それなのに、それなのに、物語は何~も無し、思わせ振りな地名でした。


ふり返ります。でも、“わかれみち”には、それなりに、人それぞれに、いろいろな想いが・・・・・・。


別れ道に想いを残し、前に向かって進むと、美味しそうなパンが店先に、でも、これって本物? でも、これって不衛生、特に左側の“地下置き”のヤツは汚れていないか? もしかして、やっぱり、食品サンプル?


観光地として、この駐車場料金は、高くもなく、安くもなく、ほぼ適正価格?ですかね。


鶴岡八幡宮まで250㍍です。


金沢街道からお別れして裏道に入ります。


この辺りの町並は、東京の北千住、と、云っても、


東京向島の路地、と、云っても、


茨城県の土浦、と、云っても、


別に、不思議はなさそう。鎌倉の趣は市街地から離れ、切り通しを越えて、緑を背にしなければいけません。

鎌倉に住みたいと思う方は、駅が近いとか、スーパーが近いとか、学校が近いとか、病院が近いとか、銀行が近いとか、そんな利便性よりも、古都鎌倉の歴史と自然に魅力を感じるのです。

ですから、と云う事は、土地価格にも反映するのでは?きっと、土地価格は不便なところの方が高いかも? 因みに、土地価格は都内と変わらないそうです。

ホント!お金があったら、絶対に! 鎌倉に住みたい! そして、鎌倉女子大の公開講座に出席したい。

それで、こんな、一画もありました。


時間貸しの駐車場に、懐かしの“復刻版クラウン”が、東京は練馬のナンバーでした。観光客のようです。このタイプの一代前にはフロントガラスにセンターピラーがあったと思います。

昔、むかし、バッテリーが上がって、クランクシャフトでエンジンを始動していた、親父の姿を思い出します。

若宮大路に出ました。


これから、古都鎌倉のメインストリートを歩き、鶴岡八幡宮に向かいます。




それでは、また。


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鎌倉へ行って来ました ③ 杉本寺で“または”もしかして“行基”?

2014年05月12日 | 鎌倉の風景
鎌倉へ行って来たのが4日前で8日の木曜日でした。

前回綴ったように、初っ端から、待ち受ける感動に胸をらませ、歩みを進めて数十歩でドラマは終演。かなりの意気消沈で、鎌倉への興味も、期待も、薄らぎつつ、浄妙寺の山門へ戻ったのです。

兎に角、2時間半で、片道2千円弱で、辿り着いた古都鎌倉、堪能しなければと、浄妙寺の山門から本堂を眺めたのです。


しかし、入場料?ではなく、拝観料を払ってまで見るような、建築物でも、お庭でもなく、入り口から眺めるだけにしました。もしかして? それなりの仏像があるの? まあ、今回は“原節子さん”がメインでその他の事前準備はしていません。


兎に角、“原節子調査”は呆気なく終了したので、この後の予定は、先ずは鶴岡八幡宮、そして、鎌倉大仏の見学です。この二箇所しか予定していません。

それで、この二箇所を選択したことで、後々、鎌倉が・・・・・・で、かなり、・・・だったと、いまにして、思ったり、しているのです。

まあ、兎に角、それで、約2㎞の距離、徒歩で鶴岡八幡宮に向かったのです。浄妙寺参道にも紅毛碧眼の外国観光客の姿を見かけました。さすが鎌倉なのでした。彼らは、何を見て、何に感動するのでしょう。


国際的観光地鎌倉です。横文字表記のお店が、目立ちます、並びます。海外からの客を意識して?と云うよりも、明らかに国内客を意識しての、何となく古都で?、何となくお洒落で?と云った演出? 似合うのか?似合わないのか? 似合わない!


店名は横文字、メニューはカタカナ。


この道は、金沢街道と云うそうです。


見下ろすと、こちらは、とても、とても、古都鎌倉の趣が・・・。


家内手工業的で、素朴で、鄙びた、蒲鉾屋さんです。蒲鉾は新鮮!そうです。


初めて街道に面したお寺が見えて来ました。杉本寺です。


見上げると、ずっと、ずっと、ずっと、石段が、上へ、上へ、上へ、と続き、見ただけで、うぇ~!となり、登坂を断念。


傍らの案内板に眼を移すと、鎌倉最古、奈良時代、行基、の文字に食いつき、おャ、こりャ、やっぱり、参拝してみるか、と思い直したのです。


でも、しかし、“・・・本尊の十一面観音像三体は、国または市指定の重要文化財でうち一体は行基の作・・・”との説明文の「または」に、興味を削がれたのです。本日はとてもテンションが低いのです。

いつもは、昼食までの午前中はテンションが高く、午後の後半戦から、少しずつテンションが下がり、集中力が下がり、好奇心が下がり、体力が下がり、除々に帰宅モードに入るのです。

“国または市指定”ですか?「または」はないと思います。この表現には、“三体”の十一面観音像には、国指定の観音像、市指定の観音像、何処の指定も無い観音像の三体が祀られている?と考えたりして・・・。 

当然“行基の作とされている”観音像が国指定だと思います。“されている”は“もしかして行基作?”程度で、それにしても、行基が仏像を彫るの? 何となく、仏像としての美術的価値は低くいような?行基作に重点が置かれた指定のような?

それなりの物語があるほど、それなりに資料的な価値も、見る価値もあると思いますが、今日のテンションでは、「または」「されている」の文字で盛り下がり、観音像への参拝は、“またの機会”に!と決定。

金沢街道を進みます。70代の夫婦連れとすれ違います。十年先の後ろ姿?


今回は“下見”なのです。本番の為に、それなりの調査をしなければなりません。


それでは、また。


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鎌倉へ行って来ました ① はやる心を抑えて浄明寺へ

2014年05月09日 | 鎌倉の風景
昨日、行って来ました鎌倉。

予定どおり10時に鎌倉の駅頭に立ちました。

常磐線から日暮里で山手線に乗り換えの予定でしたが、京浜東北線が先にホームに入ったので、迷わず乗ったのです、品川迄なのでそれなりに奥の方に入って行くと、どうも様子が変なのです。

それとなくキョロキョロと見回すと男が居ないのです。立ってる人も、座っている人も、みんな、みんな、女性ばかり、一瞬、小さく“エッ!”と声を発してしまいました。目の前の窓に“女性専用車両”の文字。

ホントに、ホントに恥ずかしかったです。何なの!このオッサン!的な鋭い視線を放つ方は一人もなく、皆さん知らん顔をしてくれました。もちろん、次の鶯谷で隣の車両に移動しました。鶯谷までが長かった。

女性専用車両なんてモノは、頭の片隅にもありませんでした。やはり、京浜東北ではなく、予定どおり山手線に乗るべきでした。山手線には女性専用車両は無いようです。

初っ端からの混乱で多少動揺しつつ品川に到着。予定どおり9時10分発が入線。


ラッシュ時の下り電車ですから、当然ガラガラだと思っていたら、それなりに立って居る客がちらりほらり見受けられたのですが、停車してドアが開くとほとんどの客が降りたのです。

東京駅からここまで乗るの?と思ったのですが、東京駅始発ではなかったようです。最近はいろいろと乗り入れているようです。

それにしても、先日、同じ時間帯で高崎線で熊谷に行った時とは大違いです、あの時は一車両に数人でした。やはり、高崎線と横須賀線とでは違うようです。下りでもそれなりの乗車率です。

品川からは、西大井、武蔵小杉、新川崎、横浜、保土ヶ谷、東戸塚、戸塚、大船、北鎌倉、鎌倉で、品川から4駅で横浜で、10駅で鎌倉となります。駅間の距離が長い。

横浜過ぎた辺りから、そして、大船辺りから、明らかに鎌倉散策を目指す、それなりの年格好の、それなりの服装の、カップル、女性グループ、男性グループ、一人旅派が社内に目立ち始めました。

私の席の前に立つ70代の夫婦、奥さんは鎌倉のガイドパンフを手に、旦那に話しかけるのですが、旦那の方は車内の広告に目をやり知らんぷり、鎌倉散策には興味が無い様子。二人は北鎌倉で降りて行きました。

車内の鎌倉散策ムードに煽られ?何か、焦ると云うか、負けては?ならじと云うか、とても、とても、気持ちがソワソワするのでした。

鎌倉駅に到着。いっぱい、いっぱい、観光客が眼に入り、とても、とても、興奮するのです。気がはやるのです。


はやる心を抑え、先ずは、車内で飲んだボトルコーヒーの排泄と、乗車時に券売機で鎌倉まで買えなかったので、乗り越し料金の精算です。

駅頭に立ったのが10時05分。予定より4分遅れです。駅頭には、中高の修学旅行客、小学校の遠足、中高年の観光客でいっぱい。心が高鳴ります、はやります。


高鳴るこころを押さえ、先ずは、落ち着いて駅舎の全景をおさえます。


先ずは、あの“浄妙寺”を目指します。ここは時間を稼ぐためにバスと決めていて、発車時刻、バス乗り場も事前調査済み。10時05分の金沢八景行きか、10時15分のハイランド循環と決めていました。

05分は間に合わなかったので、15分のハイランド循環に乗車。


バスに乗るのは数年ぶり?整理券を取れと書いてあるのですが、整理券が出ません。まあいいかと座席に腰掛け、前方の“料金案内電光板”を見ると、最初ところには“なし”の表示。飲み込めました!


若宮大路を鶴岡八幡宮に向かって北上? 修学旅行?の中学生でしょうか?


バスは鶴岡八幡宮に突き当たって信号を右折、信号三回待ちでした。ホントに、ホントに、予想外の人出です。平日でこれです、さすがは日本を代表する観光地だと、改めて思い知ったのです。

10分弱で“浄明寺バス停”に到着。地名は浄明寺で、お寺は浄妙寺。


いよ、いよ、です。


それでは、次回。



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鎌倉を歩いて見たい ② 横須賀線に乗っていざ鎌倉へ!

2014年05月07日 | 鎌倉の風景
世間では連休が終わったようで、そろそろ、ホントに、鎌倉を歩きたくなり、いよいよ計画は実行段階を向かえつつあります。

先ずは、鎌倉への交通手段です。

鎌倉へ行くのには、やっぱり、あの“横須賀線”です。どう考えても“私の鎌倉”には横須賀線がぴったりなのです。“ヨコスカセン”この響きが、“カマクラ”の響きにピッタリ嵌るのです。

どうしても、横須賀線、鎌倉、大船、松竹大船、小津安二郎、そして、原節子と繫がるのでした。

鎌倉駅到着を10時頃を目途に検索してみたら、10時01分到着の電車がありました。

常磐線から、8時36分に日暮里で山手線に乗り換え、9時10分に品川で横須賀線に乗り換え、鎌倉駅到着10時01分です。乗車2時間15分で1940円です。

あの鎌倉が、ドア・ツー・ドア で約2時間半弱、小津安二郎が、原節子が、松竹大船の世界が、とても、とても、身近に感じるのでした。

それで、歩く、見る、食べる、ですが、いろいろ調べると、いろいろ見たくなるのですが、10時01分到着で、家に帰る時間を5時頃とすると、3時頃には鎌倉を後にしなければならず、そうなると、滞在時間はランチタイムを入れて5時間。

いろいろ見所の有り過ぎる鎌倉です。一度では無理です。実は、何を、隠そう、下見的に一人で一回、そして、二人連れでの2回目の訪問と、考えているのでした。

1回目は一人ですから、兎に角、あっち、こっら、ウロウロ、キョロキョロと、行き当たりばったりで方式で、鎌倉の町を歩き廻るのです。

でも、しかし、“目的”の浄妙寺、そして“目玉”の“鎌倉大仏”と、若宮大路から“八幡宮”の鉄板コースは、一応押さえてのウロキョロとなります。

今日は天気もイイし、何か、もう、書いているうちに、調べているうちに、もう、こころは鎌倉になって来ました。

たぶん、明日は、鎌倉駅頭に10時01分に立っている気がしてきました。

脇を見るとデジカメのバッテリー充電も完了したようだし、明日も天気は良さそうだし、横須賀線に乗って“いざ鎌倉へ”行って来るか!

それでは、また。



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鎌倉を歩いて見たい ① 原節子さんは浄明寺の何処かに?

2014年04月25日 | 鎌倉の風景
忘れていたと云うか、見逃していたと云うか、鎌倉!

鎌倉と云えば、鎌倉幕府で、大仏さまで、鎌倉文士で、そして、そして、私にとっては、何と云っても“原節子”なのです。


※1951年 成瀬巳喜男監督作品の『めし』

原節子は、いま現在も、鎌倉の地で、“会田昌江”として暮らしているかも?1920年6月17日の生まれですから、もうすぐ94歳になります。

原節子さんは、小津安二郎監督の葬儀に(昭和38年・・・1961年)に、会田昌江として姿を見せてから53年もの間、世間に顔を見せていないのです。すべての取材を断っているのです。

マスコミにその姿が載ったのは、昭和45年の週刊平凡、昭和50年のTBS、昭和53年の週刊文春、昭和58年のフォーカス、昭和60年のEnma、平成の12年のはフライデー、そして、平成14年の女性自身が最後でした。すべて隠し撮りです。

昭和54年(1979年)の週刊文春の写真、『めし』から27年後で、この時は58歳。今から36年も前の58歳としては、かなり、かなり、お若いと思います。


ホントに、余談ですが、ぱっと見、しぐさ、顔立ち、立ち姿が、ことしで65歳になった、私の連れ合いに似ているのです・・・・・・失礼しました。

それで、折角、鎌倉に行くのであれば、是非とも、“節子さん”のお住まいに、密かに接近し、近接した空間の、陽ざしを、空気を、風を、匂いを、音を、このからだで感じたいのです。

それで、いろいろ情報を集めて見て、複数の情報から、かなりの確度で、お住まいの場所を絞り込めました。

最初は、大仏から、鎌倉駅を挟んで、ちょうど反対側に位置する、ある“お寺”に近接する住宅地の一画との情報を見つけました。


次に、そのお寺は“浄妙寺”であるとの情報を見つけました。

※この地図の範囲に原節子さんのお家があると思います。

そして、浄妙寺の参道を左に折れた一画で、傾斜地で住宅はそれなりに密集して、裏手は山林との情報を見つけました。

でも、しかし、です。この居場所を探っていたら、どうも、この浄妙寺の近辺で暮らしていたのは、どうも平成14年あたり迄のようで、それ以降は、お身体の具合が悪く、東京の医療施設に移られたとの情報を見つけました。

でも、しかし、しかし、です。いゃ、現在も、この鎌倉の“浄明寺”の地にお住まいとの情報もあるのです。因みに、住所表示は“浄明寺”で、お寺の名称は“浄妙寺”と表記されます。お寺と同じ表記では、恐れ多いとの配慮のようです。

浄妙寺は、

『浄妙寺(じょうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派の仏教寺院。山号は稲荷山(とうかさん)。詳名は稲荷山浄妙広利禅寺という。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は足利義兼、開山(初代住持)は退耕行勇。鎌倉五山の第五位。鎌倉三十三観音第9番 創建年文治4年(1188年) 』・・・ウィキペディアより転載

と云う事で、それなりに由緒正しいお寺のようです。

ここまで判ると、歩いて見たくなってきました。

鎌倉はと云うと、湘南に近い。

鎌倉を歩いて見たいは、まだ続きます。

それにしても、ここまで辿り着くには、昨日から、それなりに時間が掛かったのです。


では、また。



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