歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

③ 円覚寺方丈の庭は枯れてない“枯れ山水”で時は止まります

2014年05月30日 | 鎌倉の風景
一昨日からの続きです。

円覚寺の方丈に居ます。

本堂を静かに抜け、


目指す裏庭に出ます。思わず、ホォ~~と静かに、ため息が・・・。


庭の緑が裏山へと続いています。静かです、爽やかです。


手前の白い玉砂利、緑の苔?、


ごつごつした大きな石、中くらいの石に囲まれた池、


禅寺によくある枯山水ではなく、“枯山水風”のお庭です。ホントに静かです。車の音も、横須賀線の電車の音も、人声も、何も聞こえづ、流れる風も静かで爽やか。時が止まり静寂。

この日は、少し身体を動かすと、額にうっすら汗をかく程度の気温。イスに座り、庭を眺め、風を感じ、涼しさを感じ、しばしウットリ。


木の家はイイです。手触りも、目触り?も、とても優しくて、美しいです。


じっと見つめていると、小枝のような、小さな木が、海に浮かぶ島の、大きな樹に見えてきました。


もっと、もっと、ずっと、ずっと、お庭を眺めていたかったのですが、円覚寺には大事な目的があります。そろそろイスから起ち上がって本堂で仏様にお参りです。



天井もイイ。照明もイイ。


戸帖(とちょう)もイイ。


失礼して裏側をチェック。京都の「神田法衣店」謹製。


京都の西陣織。はしたないのですが、ちょこっと調べたら、この大きさですと数百万円ほどでした。失礼しました。


久しぶりのお寺で、久しぶりのお庭を眺め、気分は癒され、新鮮、清らか、こころ爽やかに、それでは、方丈を後に、次は、あるお方の墓参りです。


鎌倉で、円覚寺で、“あるお方”の墓参りと云えば、もうお判りと思います。


それでは、また。


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② 円覚寺大方丈の御不浄はとても清浄で気持ちがイイ!

2014年05月28日 | 鎌倉の風景
一昨日の続きです。

総門を通り、三解脱門を通り、仏殿に向かいます。

円覚寺はこのように、いろいろな建物が点在する、大伽藍となっています。


仏殿は、円覚寺のご本尊が祀られている建物です。大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊、昭和39年(1964年)の再建、と云う事は再建までに40年間もの月日が流れているのです。現在の“円覚寺の威光”を持ってすれば数年で再建可能?


1964年の再建ですから?もちろん?鉄筋コンクリート製です。ところで、私、鉄筋コンクリートと云うと、どうしても、何故か、“テッキンカンコンクリート”と、頭の中で呟いてしまうのです。


キンキラキンの冠を被った釈迦像で“宝冠釈迦如来座像”です。ちょっとお顔が怖いです。それなりに時の流れを経過し、それなりのお方の作なのでしょうが、特に“重文”等の指定は無いようです。


見上げると天井から龍が睨んでいます。


描いたのは守屋多々志画伯で、“監修”したのが“前田青邨画伯”こう云う絵にも、作者とか、監修者とか、なんて事があるのです。守屋さんとしてはかなり微妙だった?

それで、天井に龍を見ると、何故か、思わず“手を叩いて”反響を試してしまいました。

連れ合いに“何やっての?こんなところで?”的な視線を向けらました。ここは円覚寺、日光東照宮ではありません、当然、龍は鳴きませんでした。

円覚寺大伽藍の中心である本殿ですが、何か、物足りない想いを残しつつ、本殿を後にしたのです。

本殿は歴史的遺物でも美術鑑賞品でもなく、現役の宗教施設なのだと、認識を改めつつ“方丈”に向かったのです。


門構えも、なかなかです。


方丈には庭園があるようです。


入って直ぐ左手にこの百観音が祀られています。


江戸時代に彫られ、境内に点在していたものを、


昭和58年に、すべてこの一画に移したそうです。一体、一体、じっくりと拝見したかったのですが、本日は、諸般の事情により全体を一望するだけにとどめました。


「方丈」とは、こう云う事でした。


靴を脱ぎ、帽子を脱ぎ、静かな方丈に足を踏み入れます。


丁度いいタイミングで、“東司”を発見、用足しをして行きます。


お寺のトイレは“不浄”ではいけません。


“清浄”でなければならないのです。信仰の修行は整理、整頓、清潔、清掃、から始まるのです。トイレの汚い宗教施設は怪しいのです。

さすが、禅宗の大本山です。円覚寺です、とても、とても、清潔です。


本堂に入ります。仏前では海外からの参拝者がガイドの説明を受けていました。


先ずは、お庭から拝見します。

この先は次回。


それでは、また。


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① 北鎌倉で“円覚寺と云う世界”に興奮しました

2014年05月26日 | 鎌倉の風景
円覚寺に行って来ました。

そうです、先週、23日の金曜日に、また、鎌倉に行って来ました。前回は5月8日ですから二週間ぶりの鎌倉です。

この日、円覚寺に直行した訳ではないのですが、兎にも角にも、円覚寺に興奮したので、円覚寺から話しを始めます。

何と云っても、“本格的なお寺?”は何十年かぶり?で、とても、とても、いっぱい、いっぱい、興奮して、拝観料を納めるとき、財布の所在が判らなくなるほどでした。

それで、円覚寺前の踏切からの北鎌倉駅の眺め、もう、ホント、小津の世界そのまんまです。


臨済宗大本山円覚寺。この石畳、この周りを囲む木々の緑、堪らないです。ホント!そこのお方!撮影の邪魔!でも、居なくなるまで待てないのです。


石段の高さと云い、石段の上の光と影と云い、山門と云い、堪らないです。ドキドキで、ワクワクです。


瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)。臨済宗円覚寺派の大本山で、鎌倉五山第二位、本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は弘安5年(1282年)無学祖元、だそうです。


こちらで拝観料を納めるのですが、ここでも驚き!拝観料300円が“Suica”でOKなのです。この日、私も駅でSuicaを購入していたのです。かなり遅まきながら、時代の変わったことを実感。


トイレの在りかをチェック。未だ大丈夫。


また石段があり、その先に山門が見えて来ました。


山門は、三門で、三解脱門で、“空・無相・無願”でした。かなりムズカシイのです。神社の鳥居と同じ様に、俗世界との境界のようです。


イイです!ホンモノは!


やはり、誰が、何と、云っても、木造建築です。鉄筋コンクリート製では、時が流れると、汚らしさが益し、みすぼらしさが益し、単なる廃墟になるだけです。まあ、世の中には廃墟マニアも居ますが。


この木組みが、


何とも、


何とも、


何とも、云えません。久しぶりです。


上ばかり見ていたら、足下で可愛い女の子の声が聞こえて来ました。社会科見学でしょうか?お寺の由緒謂われが書かれたプリントを、声に出して読み上げているのです。神社仏閣への興味は小学生ではチョット無理だと思います。

趣味が神社仏閣への参拝!なんて答える小学生が居たとしたら、これはチョット?いや、かなり・・・です。それで、女子1名、男子3名のこのグループのリーダーは女の子のようでした。身体も一番大きかったです。

それで、今日は、こちらも、女1名、男1名なのです。こちらも女子がリーダー? あまり、ウロキョロして、写真を撮りまくっていると、リーダーの姿を見失うのです。


それでは、急いで、仏殿に向かいます。こちらも立派な建物です。


これより、ご本尊に参拝です。


それでは、また。


※5月8日の下見話しは途中で中断し、興奮冷めやらぬままに、本番話しに突入です。下見話しは、そのうちいつか綴ります。


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鎌倉へ行って来ました ⑦ 鶴岡八幡宮は鉄筋コンクリートにペンキ塗りですか?

2014年05月21日 | 鎌倉の風景
前回からの続きです。

兎に角、鎌倉と云えば、由緒と歴史で、鶴岡八幡宮なのです。

一般観光客にとって、修学旅行にとって、遠足にとって、海外からの観光客にとって、鎌倉観光の中心なのです。私も、一般観光客の一人として、鶴岡八幡宮に参拝です。

鶴岡八幡宮と云えば、大石段に“大銀杏でした”


大銀杏と云えば、折れて倒れて、今はこのお姿。


記憶は薄らいできましたが、まあ、こういう事なのです。


倒れた根っこから、新しい芽が育ち始めています。まあ、数百年も経てば、それらしい景色に戻ることでしょう。


上から見ると、遺跡の発掘現場的?な風景。


八幡宮と掲げられた桜門。


どう見ても、どう考えても、残念ながら、


これは鉄筋コンクリート製で、朱色のペンキ塗り。


本宮は江戸時代の建築で国の重要文化財だそうです。太鼓を叩いている建物は参拝者が祈祷を受けるところで、ここも、本宮だそうですが、こちらも鉄筋コンクリートでした。

その奥に見えるのが、きっと正真正銘の本宮で、これこそ重要文化財なのでしょう。一般の参拝者は近づけないようです。


神社と云えば、お守りとおみくじです。お守りは千円です。さすが、国際観光都市の鶴岡八幡です。“身も心も美しく”だそうです。身は身体ではなく身だしなみ?


おみくじは、圧倒的に女性に人気があります。男はこの手のモノは信じないのです。


9月に行われる例大祭の御輿ですかね。


一通り見学し、本殿に二礼二拍手一礼してお賽銭を百円納めて、参拝を済ませました。

大石段から見る若宮大路。一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居が見渡せます。


大石段を下りる巫女さん。絵になります。


さあ、鎌倉駅に向かいます。そろそろお昼、何処かで、ランチです。



それでは、また。


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鎌倉へ行って来ました ⑥ 鶴岡八幡宮でキュウリと禰宜と巫女の二人連れ

2014年05月19日 | 鎌倉の風景
前回の続きです。

それでは、“三の鳥居”をくぐって神域に入ります。一の鳥居は由比ヶ浜の近く立っているそうです。


さすがに国際的な観光地、いっぱい、いっぱい観光客がぞろぞろ歩いています。思えば、これほどまでの観光地を訪れたのは久しぶりです。


目一杯観光地で、目一杯観光して、こちらのお二人は未だ昼前なのに、相当お疲れの様子。未だ陽は高い、これからですよお二人さん!


太鼓橋ナメで本宮をパチリ!思ったほどの効果はなし?


こちらが鶴岡八幡宮の境内案内図です。

※公式HPより転載。

プロぽっい方が撮影しています。


高校生の修学旅行と思われます。グループ毎に記念撮影。きっと、青春の想い出、卒業アルバムを飾る一コマ。それにしても、何故?こんな地味な石橋をバックに撮るの?


最近見かけるキュウリの一本漬けの屋台、1本200円です。高いのか?、安いのか?、適正なのか? オジサンとしてはキュウリが一本で200円は、とても高いと思います。

スーパーで一本30円位ですから、加工費を入れても原価は40円程度?粗利は160円として、平日のこの日、チョット見で販売本数は1時間で20~30本と推定、営業時間を9時から17時として、160円×25本×8時間=32000円/日。 

神域で、何と、まあ、下世話な、他人の懐勘定など・・・・・・、失礼しました。

他にも屋台では、イチゴ飴、ぶどう飴、ギンナン、タピオカなんてモノも売っていました。


本殿に真っ直ぐ向かわず、参道を右に折れます。こちらは、ぐっと落ち着いて、ひっそり静かで、人通りも疎らで、とても、とても、神域の趣。上の図で社務所前の通りです。


そんなところに、禰宜?と巫女さんが連れだって登場。


巫女さんが、何か、少しずつ距離を取り始めました。カメラを意識しだしたようです。


玉石積みの上に矢来垣、その奥には建仁寺垣、


建仁寺垣越しのツツジ、絵になります!


静かにツツジを愛でて、参道へと戻ります。

本宮の下に到着。この構図が、とても、とても、鶴岡八幡宮だと思っております。


本宮への参拝は次回。


それでは、また。


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鎌倉へ行って来ました ⑤ 若宮大路は段葛の謎とクズ石の哀れ

2014年05月17日 | 鎌倉の風景
前回の続きです。

金沢街道から裏道の住宅街を抜けて、鎌倉のメインストリートである、若宮大路に出ました。


こんな風な?方も歩いていました。何故か?ちょっと怪しい?妖しい?のでパチリ。


こちらは、まったく怪しくない、黄色い帽子を被った小学生です。孫と同じ5年生の遠足?それとも6年生の修学旅行?この頃は女の子の方が背が高いのです。ホント、中には、もう、オバサン的な貫禄の子もいます。


海外からの観光客です。サングラスが似合います。日本人は顔に凹凸が少ないので、ナカナカムズカシイのです。


でも、旦那は太りすぎです。奥さんもチョッピリ肥満領域に足を踏み入れた? 旦那より、奥さんは、かなり若そうに見えます。 


こちらは女子高生、ソフトクリームを食べながら鎌倉歩き、イイ想い出をつくって下さい。


右から左に書かれた看板に昭和初期の趣が、貝細工のおみやげ屋さんのようです。看板には製造卸となっていますが、小売りもしてるんですよね?湯浅商店さん?


こちらのお酒屋も昭和初期?


男より女は元気です。


居ました!人力車と車夫。国際観光都市には必須アイテム。母は、むかし、むかしの、その昔、母親と二人で乗ったことがあるそうです。いまから80数年も前のことです。


女子高生の修学旅行。ホントに、もう、輝いています。


若宮大路は、小学生で、中学生で、高校生で、いっぱい、いっぱい、輝いていました。ホントに羨ましい。


鶴岡八幡が見えてきました。


それで、この若宮大路の中央部分の“歩行者専用通路”ですが、きっと、道路を拡張した際に、車と人を分離し、混雑の改善、歩行者の安全、何て事で整備された、と、思っていました。


でも、しかし、だったのです。これは、鎌倉時代に造られていたのでした。幕府が置かれ人口が増え、山を削り住宅地を造成した為に山の保水力が低下。

保水力の低下は雨が降る度に、若宮大路に“ぬかるみ”を出現させたのでした。これでは、とっても、とっても、参拝者は歩き辛いとなり、解決策として道の中央部を一段高くしたのでした。

この一段高い部分を“段葛”と云うそうです。
何故に段葛なの?
段の付いた葛?とは如何に?

調べてみると、“葛石”(かずらいし)を積み上げて一段高くしたので、“段葛”と呼ばれているようです。

では、葛石とは? 神社仏閣の基礎部分の上端の縁にある、縁石(へりいし)を兼ねる長方形の石の事を云うそうです。

何で?基礎部分の上端の縁石を、葛石と云うのか?

ここからは、わたしの大胆にして緻密な、語源推定を申し上げると、葛は「カズラ」と云う読みと、“くず”とも読みます。

と、云うことは、基礎に使われる石は、石としては“屑”の部類に入る? 基礎は、まさしく縁の下の力持ちで、日陰で、目立たないので、外観はどうでもヨカッタのです。

外観の良い石は高価で、見てくれの悪い石は安価で、商売的にはクズ石なのです。でも、しかし、いくら何でも、クズと露骨に読んでは、クズの石が可哀想です、クズ石が聞いたら、ぜったいに気を悪くします。

そこで、植物の“葛”を充てて、葛石と表記し“かずらいし”と呼んだのです。

我ながら、なかなか、見事な推論でした。誰も褒めてくれないので、自分で褒める事にします。

石コロひとつにも、この心遣い、優しいと云うか、奥ゆかしいと云うか、思いやりがあると云うか、ワビ・サビと云うか、粋と云うか、ものの哀れと云うか、これぞ日本のこころなのです。

何か、鶴岡八幡宮を前にした所為か、とても、とても、大和こころが刺激されてしまったようです。

兎に角、これから、参拝です。


それでは、また。


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鎌倉へ行って来ました ④ 鎌倉に住みたい!利便性よりも不便性?に価値が!

2014年05月14日 | 鎌倉の風景
一昨日の続きです。

金沢街道を鶴岡八幡に向かって歩いています。

“鎌倉女子大学”前を通過します。鎌倉と女子大学の組み合わせがとても良いです。二階堂学舎もイイです。


鎌倉のお嬢様達が真面目にお勉強している、そんな雰囲気がしてきます。


公開講座です。時間があったら、ホント! 覗いて見たい。これまでの人生で、女子大に足を踏み入れたことはありません。


曰く因縁のありそうな“岐れ路”の表示。バスで浄妙寺に向かっているときに見かけて、それなりに気になっていました。調べて見たら、何と、何と、期待に反して、特に、何も、無いのでした。

古都鎌倉で、金沢街道で、岐れ路で、それなのに、それなのに、物語は何~も無し、思わせ振りな地名でした。


ふり返ります。でも、“わかれみち”には、それなりに、人それぞれに、いろいろな想いが・・・・・・。


別れ道に想いを残し、前に向かって進むと、美味しそうなパンが店先に、でも、これって本物? でも、これって不衛生、特に左側の“地下置き”のヤツは汚れていないか? もしかして、やっぱり、食品サンプル?


観光地として、この駐車場料金は、高くもなく、安くもなく、ほぼ適正価格?ですかね。


鶴岡八幡宮まで250㍍です。


金沢街道からお別れして裏道に入ります。


この辺りの町並は、東京の北千住、と、云っても、


東京向島の路地、と、云っても、


茨城県の土浦、と、云っても、


別に、不思議はなさそう。鎌倉の趣は市街地から離れ、切り通しを越えて、緑を背にしなければいけません。

鎌倉に住みたいと思う方は、駅が近いとか、スーパーが近いとか、学校が近いとか、病院が近いとか、銀行が近いとか、そんな利便性よりも、古都鎌倉の歴史と自然に魅力を感じるのです。

ですから、と云う事は、土地価格にも反映するのでは?きっと、土地価格は不便なところの方が高いかも? 因みに、土地価格は都内と変わらないそうです。

ホント!お金があったら、絶対に! 鎌倉に住みたい! そして、鎌倉女子大の公開講座に出席したい。

それで、こんな、一画もありました。


時間貸しの駐車場に、懐かしの“復刻版クラウン”が、東京は練馬のナンバーでした。観光客のようです。このタイプの一代前にはフロントガラスにセンターピラーがあったと思います。

昔、むかし、バッテリーが上がって、クランクシャフトでエンジンを始動していた、親父の姿を思い出します。

若宮大路に出ました。


これから、古都鎌倉のメインストリートを歩き、鶴岡八幡宮に向かいます。




それでは、また。


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鎌倉へ行って来ました ③ 杉本寺で“または”もしかして“行基”?

2014年05月12日 | 鎌倉の風景
鎌倉へ行って来たのが4日前で8日の木曜日でした。

前回綴ったように、初っ端から、待ち受ける感動に胸をらませ、歩みを進めて数十歩でドラマは終演。かなりの意気消沈で、鎌倉への興味も、期待も、薄らぎつつ、浄妙寺の山門へ戻ったのです。

兎に角、2時間半で、片道2千円弱で、辿り着いた古都鎌倉、堪能しなければと、浄妙寺の山門から本堂を眺めたのです。


しかし、入場料?ではなく、拝観料を払ってまで見るような、建築物でも、お庭でもなく、入り口から眺めるだけにしました。もしかして? それなりの仏像があるの? まあ、今回は“原節子さん”がメインでその他の事前準備はしていません。


兎に角、“原節子調査”は呆気なく終了したので、この後の予定は、先ずは鶴岡八幡宮、そして、鎌倉大仏の見学です。この二箇所しか予定していません。

それで、この二箇所を選択したことで、後々、鎌倉が・・・・・・で、かなり、・・・だったと、いまにして、思ったり、しているのです。

まあ、兎に角、それで、約2㎞の距離、徒歩で鶴岡八幡宮に向かったのです。浄妙寺参道にも紅毛碧眼の外国観光客の姿を見かけました。さすが鎌倉なのでした。彼らは、何を見て、何に感動するのでしょう。


国際的観光地鎌倉です。横文字表記のお店が、目立ちます、並びます。海外からの客を意識して?と云うよりも、明らかに国内客を意識しての、何となく古都で?、何となくお洒落で?と云った演出? 似合うのか?似合わないのか? 似合わない!


店名は横文字、メニューはカタカナ。


この道は、金沢街道と云うそうです。


見下ろすと、こちらは、とても、とても、古都鎌倉の趣が・・・。


家内手工業的で、素朴で、鄙びた、蒲鉾屋さんです。蒲鉾は新鮮!そうです。


初めて街道に面したお寺が見えて来ました。杉本寺です。


見上げると、ずっと、ずっと、ずっと、石段が、上へ、上へ、上へ、と続き、見ただけで、うぇ~!となり、登坂を断念。


傍らの案内板に眼を移すと、鎌倉最古、奈良時代、行基、の文字に食いつき、おャ、こりャ、やっぱり、参拝してみるか、と思い直したのです。


でも、しかし、“・・・本尊の十一面観音像三体は、国または市指定の重要文化財でうち一体は行基の作・・・”との説明文の「または」に、興味を削がれたのです。本日はとてもテンションが低いのです。

いつもは、昼食までの午前中はテンションが高く、午後の後半戦から、少しずつテンションが下がり、集中力が下がり、好奇心が下がり、体力が下がり、除々に帰宅モードに入るのです。

“国または市指定”ですか?「または」はないと思います。この表現には、“三体”の十一面観音像には、国指定の観音像、市指定の観音像、何処の指定も無い観音像の三体が祀られている?と考えたりして・・・。 

当然“行基の作とされている”観音像が国指定だと思います。“されている”は“もしかして行基作?”程度で、それにしても、行基が仏像を彫るの? 何となく、仏像としての美術的価値は低くいような?行基作に重点が置かれた指定のような?

それなりの物語があるほど、それなりに資料的な価値も、見る価値もあると思いますが、今日のテンションでは、「または」「されている」の文字で盛り下がり、観音像への参拝は、“またの機会”に!と決定。

金沢街道を進みます。70代の夫婦連れとすれ違います。十年先の後ろ姿?


今回は“下見”なのです。本番の為に、それなりの調査をしなければなりません。


それでは、また。


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鎌倉へ行って来ました ② 原節子さんと同じ空間で同じ空気?を吸いました

2014年05月10日 | 原節子
前回の続きです。

浄明寺バス停に到着し、浄妙寺に向かって参道を歩きつつ、外人観光客に目をやりつつ、期待と不安を抱きつつ、もしかして?バッタリと出会ったり?何て妄想を巡らしたり、何か、もう、呼吸も速くなったり、歩くスピードも速くなったり、心も脈も乱れたのです。


可愛らしい女子中学生の声に、少し平常心を取り戻しつつ・・・。それにしても、中学生が浄妙寺とは、かなり渋い選択です。


山門が見えて来ました。


浄妙寺です。


こんな感じのお寺さんです。今回の目的はここでは無いのです。一応一枚だけパチリ。


さあ、いよいよ、探索の開始です。予想探索時間を30分から1時間と考えていました。探索時間と探し当て時の感動は正比例するのです。それなりの探索時間があってこそ、それなりの感動が得られるのです。

参道を左に折れ住宅街に入ります。入って直ぐに、左に折れるか、直進するか、決断を迫られます。“緩やかな傾斜地で背後に山が迫っている”との、事前情報が頭に浮かび、直進することに決定。


そして、歩く事、数十歩、右手に“事前情報で見た門”とソックリな門を発見。


表札を見ると、“原節子さん”のお姉さんの旦那で、映画監督の熊谷の文字、現在は、原さんの甥っ子の名前になっていました。


えっ!もう!こんなに簡単に、こんなに呆気なく、こんなに短時間で、発見の喜びと云うか、発見の動揺と云うか、何とも、とても、残念な? とても複雑。

鎌倉に2時間も掛かって辿り着き、それでは、じっくりと、楽しもうと思っていたら、ドラマは一瞬にして終演。

事前に情報を調べすぎた事を反省したり、いゃ、“探索時間と探し当て時の感動は正比例する”と云っても、いくら何でも限界点があると、慰めてみたり・・・。

兎に角、思いを抱いて数年、計画を立てて数日、そして本日、2時間半掛けて鎌倉に到着し、バスに揺られること約10分、バスを降り探索を開始してから数分でした。

兎に角、あたりの風景を見回し、ここが彼女が暮らしてる?暮らしていた?風景なのかと、彼女が目にした、歩いた、呼吸した、同じ空間に、いま、自分も立っているのだと・・・、映像の中の笑顔を想い浮かべつつ、しっかりとこころに刻もうと、しばし見つめたのです。

敷地には二棟が建っており、情報に寄ると、手前が熊谷家、奥の方が原さんの住まいだそうです。


周囲は高く密集した生け垣で屋根しか見えません。


人通りのまったく無い住宅地で、いつまでも辺りを見回したり、撮影をしたり、佇んでいると、かなり怪しまれます。

門のところに戻り、もしや?もしや?と思いつつ、でもまさか?と思いつつ、どなたか引き戸を開けて現れないかと?でも、物音もせず、静かで、何も起こりませんでした。


後ろをふり返りつつ、原節子さん家を後にします。


なんとも、呆気ない結末でした。でも、長年の思いが、本日、実現したのです。現実はドラマのようには行きません。

兎に角、時間があります、気を取り直して鎌倉見物です。先ずは、徒歩で鶴岡八幡に向かいます。でも、何か、後は、オマケのようで、どうでもイイような気がしないでも・・・・・・。


それでは、また。


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鎌倉へ行って来ました ① はやる心を抑えて浄明寺へ

2014年05月09日 | 鎌倉の風景
昨日、行って来ました鎌倉。

予定どおり10時に鎌倉の駅頭に立ちました。

常磐線から日暮里で山手線に乗り換えの予定でしたが、京浜東北線が先にホームに入ったので、迷わず乗ったのです、品川迄なのでそれなりに奥の方に入って行くと、どうも様子が変なのです。

それとなくキョロキョロと見回すと男が居ないのです。立ってる人も、座っている人も、みんな、みんな、女性ばかり、一瞬、小さく“エッ!”と声を発してしまいました。目の前の窓に“女性専用車両”の文字。

ホントに、ホントに恥ずかしかったです。何なの!このオッサン!的な鋭い視線を放つ方は一人もなく、皆さん知らん顔をしてくれました。もちろん、次の鶯谷で隣の車両に移動しました。鶯谷までが長かった。

女性専用車両なんてモノは、頭の片隅にもありませんでした。やはり、京浜東北ではなく、予定どおり山手線に乗るべきでした。山手線には女性専用車両は無いようです。

初っ端からの混乱で多少動揺しつつ品川に到着。予定どおり9時10分発が入線。


ラッシュ時の下り電車ですから、当然ガラガラだと思っていたら、それなりに立って居る客がちらりほらり見受けられたのですが、停車してドアが開くとほとんどの客が降りたのです。

東京駅からここまで乗るの?と思ったのですが、東京駅始発ではなかったようです。最近はいろいろと乗り入れているようです。

それにしても、先日、同じ時間帯で高崎線で熊谷に行った時とは大違いです、あの時は一車両に数人でした。やはり、高崎線と横須賀線とでは違うようです。下りでもそれなりの乗車率です。

品川からは、西大井、武蔵小杉、新川崎、横浜、保土ヶ谷、東戸塚、戸塚、大船、北鎌倉、鎌倉で、品川から4駅で横浜で、10駅で鎌倉となります。駅間の距離が長い。

横浜過ぎた辺りから、そして、大船辺りから、明らかに鎌倉散策を目指す、それなりの年格好の、それなりの服装の、カップル、女性グループ、男性グループ、一人旅派が社内に目立ち始めました。

私の席の前に立つ70代の夫婦、奥さんは鎌倉のガイドパンフを手に、旦那に話しかけるのですが、旦那の方は車内の広告に目をやり知らんぷり、鎌倉散策には興味が無い様子。二人は北鎌倉で降りて行きました。

車内の鎌倉散策ムードに煽られ?何か、焦ると云うか、負けては?ならじと云うか、とても、とても、気持ちがソワソワするのでした。

鎌倉駅に到着。いっぱい、いっぱい、観光客が眼に入り、とても、とても、興奮するのです。気がはやるのです。


はやる心を抑え、先ずは、車内で飲んだボトルコーヒーの排泄と、乗車時に券売機で鎌倉まで買えなかったので、乗り越し料金の精算です。

駅頭に立ったのが10時05分。予定より4分遅れです。駅頭には、中高の修学旅行客、小学校の遠足、中高年の観光客でいっぱい。心が高鳴ります、はやります。


高鳴るこころを押さえ、先ずは、落ち着いて駅舎の全景をおさえます。


先ずは、あの“浄妙寺”を目指します。ここは時間を稼ぐためにバスと決めていて、発車時刻、バス乗り場も事前調査済み。10時05分の金沢八景行きか、10時15分のハイランド循環と決めていました。

05分は間に合わなかったので、15分のハイランド循環に乗車。


バスに乗るのは数年ぶり?整理券を取れと書いてあるのですが、整理券が出ません。まあいいかと座席に腰掛け、前方の“料金案内電光板”を見ると、最初ところには“なし”の表示。飲み込めました!


若宮大路を鶴岡八幡宮に向かって北上? 修学旅行?の中学生でしょうか?


バスは鶴岡八幡宮に突き当たって信号を右折、信号三回待ちでした。ホントに、ホントに、予想外の人出です。平日でこれです、さすがは日本を代表する観光地だと、改めて思い知ったのです。

10分弱で“浄明寺バス停”に到着。地名は浄明寺で、お寺は浄妙寺。


いよ、いよ、です。


それでは、次回。



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