昨日は、“石川さゆり”の「天城越え」での“正面睨み付け”ポーズから、“ちあきなおみ”の、“おいでおいで”の「夜へ急ぐ人」を思い出し、二人とも、芸の興味が歌から芝居へと、すこしずつ移っていく過程がとても似ていると書きました。
番組のなかで、最近、「飢餓海峡」という、一人芝居をしている話しが出て、その舞台の一場面が流れ、“石川さゆり”は、「歌芝居」と呼んでいると、楽しそうに、生き生きと、語っていました。
その“歌芝居”なのですが、“ちあきなおみ”の一人芝居に、似ているのです。“ちあきなおみ”は、引退する頃は、歌よりも、芝居に重心が移って行きました。
“歌は演じるように、台詞は歌うように”に見たいな言葉がありました。歌を演じていると、段々と、芝居にはまってしまうようです。
彼女の曲は後半、ドラマチックになり、劇的になり、唄っていると云うよりも、まさに演じていると云った歌い方に変わっていき、そして、いつしか、一人芝居に辿り着いたようです。
ホントに怖い歌を、怖い表情で唄っていました、まさに、“霊媒師的”な、特異な個性の歌手でした。
感情表現が過剰で、演じることに酔っている、まさに、観客を忘れた“一人相撲”、いや、“一人芝居”でした。
自分の唄いたい歌、自分のやりたい舞台、そんなことが可能になると、そうとう危険なのです。観客の“聞きたい・観たい”と、ズレが生じて来るのです。
「ちあきなおみ」は、そのへんのズレが嫌になって消えて行ったような気がします。ですから、さゆりちゃん、歌芝居は、ホントに“ほどほど”にしないと・・・・・・、とても心配です。
観客は、むかし懐かしい、想い出の曲を聴き、懐かしいあの頃に思いを馳せるのですが、唄う方は、単なる懐かしい存在ではなく、いま現在を生きている訳で、あたらしい事もやりたいのです。ムズカシイのです。
それで、なんだっけ?
兎に角、女性の演歌歌手は、40代の頃から、いろいろとムズカシクなり、50代で、ほとんど“懐かしい存在”になり、60代で、ほとんど過去の人になってしまうのです。
“石川さゆり”も、わたしにとって、最近まで“さゆりちゃん”だったのですが、何か、ついに、とても、“ちゃん”とは、呼べない現実を、先日の“ショータイム”で見てしまった気がして、ちょっぴり寂しい気持ちになったのです。
この際です「ちあきなおみ」のように、そして「原節子」のように、やりたい事だけやって、引退を宣言することなく、いつの間にか伝説になる・・・・・・・。
いや、“さゆりちゃん”は、まだ、まだ、現役バリバリで、これからもいけます。スタジオ撮影の際は、前日の睡眠に、化粧に、特に照明には、十二分に気を付けて下さい。
「ちあきなおみ」の筈が、「石川さゆり」で終わってしまった。
きょうも、ホントに暑い!
それでは、また明日。