ねェ~、ホント、12月で師走で、今日はもう16日で、あと2週間したらうま年で“おめでとうございます”で、2014年が始まるのです。
それにしても、です。今年、2013年はそれなりに、大げさに表現すれば、これまでの世の中のボンヤリとしていた動きが、制度的にもハッキリと方向づけられた、とても、とても、大きな転換点だったと思うのです。
そうです、あの“特定”されない、その他、その他、その他、その他、その他の文字が条文に頻繁に出現する、『特定秘密保護法』が成立したのです。
※当然ですが、この写真は本文とは関係ありません。未掲載でしたのでもったいないから載せました。
そして、国会終了後の総理記者会見で安倍総理は、
『・・・秘密が際限なく広がる、知る権利が奪われる、通常の生活が脅かされるといった懸念の声もいただきました。しかし、そのようなことは断じてあり得ない・・・』
と、にこやかに、具体的条文的な根拠を示さず、とても自信たっぷりに、述べておりました。たぶん、これは、彼のホンネで、嘘偽りの無い正直な言葉だと思います。本気でそう信じているのです。
与党幹部の発言として『普通の一般人に関係ない法案を、内閣支持率を下げてまで強引に成立させたのは疑問だ・・・』的な発言を新聞紙上で見かけました。
確かに、一般人には、表現の自由とか、知る権利とか、そんな事は、直接的に、今すぐに、どうのこうのは無いのです。それよりも明日の生活なのです。
そうなんです『特定秘密保護法が施行されると、自由な発言が制限されるとか、知る権利が奪われるとか、そして、そして、戦前の治安維持法の時代に逆戻りして、暗い時代にる』何てことを考えるのは、一部の方達だけなのです。
日本に置いては、批判したり、反対したりするのは、少数者で、異端で、悪い事で、賛成派は常に多数で、普通で、正しい事なのです。
時の政権に、反対する考えを抱いたり、反対を唱えたり、行動を起こさなければなければ、自由で、明るく、楽しく、暮らせるのです。
フツウの人は多数派に身を置いて、余計なこと、面倒なこと、そういう事からは距離を置く習性があるのです。悩まず、気楽が一番なのです。
“普通の人”がその恐ろしさを知るのは、最終段階の、どん詰まりの、破局をむかえたその時なのです。
治安維持法の時代も、“普通の人”は、戦争は勝った!勝った!バンザイ!バンザイ!で、喜び勇んで提灯行列に参加して、時の政権の尻を叩いたのでした。
そして、食料事情の悪さとか、身近な人が、軍隊に招集されたとか、戦死したとか、本土空襲が始り、生活の場が戦場になって、1945年の敗戦が近づいたころから、やっと、やっと、これは、おかしい?と気付き始めるのです。
そして敗戦、普通の人は悪政の犠牲者に変身です。身近に不都合がなければ、それは、それで、特に構わないのです。
あの時も、そして今も、本心では、あの戦争が“イケナイ”のではなく、戦争に“負けたこと”がイケナイのでした。
2013年、エネルギー政策が“フクシマ以前”に戻り始めたり、“国家安全保障会議法”が成立したり、“特別秘密保護法”が成立したり、集団的自衛権が容認されつつあったり、“共謀罪”の創設が検討され始めつつあったり、いろいろと着々なのです。
それにしても、この筋書きを書き、着々と推し進めている責任者は、いったいどこの誰なの? 安倍さんで無い事が、とても、とても、問題を、ややこしく、むずかしく、しているのです。
いろいろ書き飛ばしましたが、これを、本年の書き納めとします。
それでも、兎に角、2014年のお正月がもうすぐ来ます。
まあ、そんな事で、いまさら何ですが、一応・・・・・・。
“それでは、皆さん、良いお年をお迎え下さい”
それにしても、です。今年、2013年はそれなりに、大げさに表現すれば、これまでの世の中のボンヤリとしていた動きが、制度的にもハッキリと方向づけられた、とても、とても、大きな転換点だったと思うのです。
そうです、あの“特定”されない、その他、その他、その他、その他、その他の文字が条文に頻繁に出現する、『特定秘密保護法』が成立したのです。
※当然ですが、この写真は本文とは関係ありません。未掲載でしたのでもったいないから載せました。
そして、国会終了後の総理記者会見で安倍総理は、
『・・・秘密が際限なく広がる、知る権利が奪われる、通常の生活が脅かされるといった懸念の声もいただきました。しかし、そのようなことは断じてあり得ない・・・』
と、にこやかに、具体的条文的な根拠を示さず、とても自信たっぷりに、述べておりました。たぶん、これは、彼のホンネで、嘘偽りの無い正直な言葉だと思います。本気でそう信じているのです。
与党幹部の発言として『普通の一般人に関係ない法案を、内閣支持率を下げてまで強引に成立させたのは疑問だ・・・』的な発言を新聞紙上で見かけました。
確かに、一般人には、表現の自由とか、知る権利とか、そんな事は、直接的に、今すぐに、どうのこうのは無いのです。それよりも明日の生活なのです。
そうなんです『特定秘密保護法が施行されると、自由な発言が制限されるとか、知る権利が奪われるとか、そして、そして、戦前の治安維持法の時代に逆戻りして、暗い時代にる』何てことを考えるのは、一部の方達だけなのです。
日本に置いては、批判したり、反対したりするのは、少数者で、異端で、悪い事で、賛成派は常に多数で、普通で、正しい事なのです。
時の政権に、反対する考えを抱いたり、反対を唱えたり、行動を起こさなければなければ、自由で、明るく、楽しく、暮らせるのです。
フツウの人は多数派に身を置いて、余計なこと、面倒なこと、そういう事からは距離を置く習性があるのです。悩まず、気楽が一番なのです。
“普通の人”がその恐ろしさを知るのは、最終段階の、どん詰まりの、破局をむかえたその時なのです。
治安維持法の時代も、“普通の人”は、戦争は勝った!勝った!バンザイ!バンザイ!で、喜び勇んで提灯行列に参加して、時の政権の尻を叩いたのでした。
そして、食料事情の悪さとか、身近な人が、軍隊に招集されたとか、戦死したとか、本土空襲が始り、生活の場が戦場になって、1945年の敗戦が近づいたころから、やっと、やっと、これは、おかしい?と気付き始めるのです。
そして敗戦、普通の人は悪政の犠牲者に変身です。身近に不都合がなければ、それは、それで、特に構わないのです。
あの時も、そして今も、本心では、あの戦争が“イケナイ”のではなく、戦争に“負けたこと”がイケナイのでした。
2013年、エネルギー政策が“フクシマ以前”に戻り始めたり、“国家安全保障会議法”が成立したり、“特別秘密保護法”が成立したり、集団的自衛権が容認されつつあったり、“共謀罪”の創設が検討され始めつつあったり、いろいろと着々なのです。
それにしても、この筋書きを書き、着々と推し進めている責任者は、いったいどこの誰なの? 安倍さんで無い事が、とても、とても、問題を、ややこしく、むずかしく、しているのです。
いろいろ書き飛ばしましたが、これを、本年の書き納めとします。
それでも、兎に角、2014年のお正月がもうすぐ来ます。
まあ、そんな事で、いまさら何ですが、一応・・・・・・。
“それでは、皆さん、良いお年をお迎え下さい”