昨日の続きです。
「深川めし屋」を後にした時は、12時を少し回っていました。兎に角、今日は「カツ丼」と「堅い決意」を胸に抱き、好さそうな「店」を探しながら、「清澄通り」を一本入った、「裏道・路地」を通って「浅草方面」に向かいました。
お腹も「少し空いて」きました。頭の中で「カツ丼!カツ丼!」と繰り返しながら歩いていると、「うん。何じゃ! アレは? もしかして?」
やっぱり。もしかしての「シーラカンス」でした。何故?どうして?ここに居るの? 「でも、兎に角、面白いから」とシャッターを切りました。「西深川橋」の袂です。
そうです。昼飯の「カツ丼」です。森下の商店街で好さそうな「そば屋」を見つけ、戸を開けた瞬間「臭い!」と感じ、直ぐに退散しました。「タバコの煙」です。
「タバコの煙」はホントに困ります。普段は家に居て「タバコ」と接触する機会がない為、外出したときの「タバコ」の煙は「大変」に「不快」です。
私は21世紀に入った年の1月1日よりタバコを吸っていません。やめてからは「煙」に対して敏感になり、数十㍍離れていても気になるのです。
食事する場所では「全面禁煙」にすべきです。これまで「パカパカ」吸って、他人に迷惑をかけていた私ですが・・・・・・・。
兎に角。タバコは良くない煙を出すな!
それで、「カツ丼」を探しなから清澄通りに出ました。新大橋通りとの交差点付近でこの「瀬戸物屋さん」を発見。
店内は薄暗く、商品は埃をかぶり、人影はなく、ひっそりとしていました。商品を置く台は「煤けた」ように「変色」しています。
店の端には「日差し」で「劣化」「変色」したダンボール箱が積まれ、ポリ袋に包まれた「ゴミ」なのか?「商品」なのか? 判別不明の「物体」が並んでいます。
店の周囲は人通りもある賑やかな場所です。どうしたのでしょうかね? 旦那が「病に伏し?」、「年老いた奥さん?」が一人、店の切り盛りをして?・・・・・・そんな事を「妄想」してしまう、「寂れ感」「うらぶれ感」タップリの「瀬戸物屋さん」でした。
両国に近づくにつれて、「カツ丼」への「堅い決意」が少しずつ「変化」してきました。それは、「カツ丼」は店によって「味の差」が大きいからです。
前日に、NHKの「ためしてガッテン」で「美味しいカツ丼」の作り方を見たので、「期待度」が高く、もし、それを「裏切られた」ならば、そのときの「絶望感」は「想像を絶する」のでは・・・・・・・。そんな「不安」が脳裏を横切りました。
そこで、急遽「カツ丼」から「方針転換」を行い、「カツ丼」との「共通点」から、「肉・ご飯・丼」、そして「味」に「当たり」「ハズレ」のない「チェーン店」との結論に達したのです。
そして、その方針に基づき両国駅近くの「吉野家」に入り、「牛丼大盛り・480円」を注文しました。
「狂牛病」の「恐怖」を感じながら食べる「牛丼大盛り」旨かったです!「BSE問題」で販売を「停止」していたので「2年ぶり?」の再会でしょうか。写真を見ていると又食べたくなります。
「紅生姜タップリ」に「七味唐辛子」を振りかけて、一気にかき込む旨さ。若い時はホントに「吉野家さん」に「お世話」になりました。
牛丼を食べ満足して両国駅前に向かいました。駅前の「力相撲」と書かれた「石像」を記念に一枚。
家に帰り、写真を見て「ビックリ」。力士像の脇を「立派」な「力士体型」の女性が写っていたのです。ホントに「偶然」です「狙った」ものではありませんよ! ホントに「偶然の悪戯」です。
今日はここまでとします。明日がシリーズ最終回の予定です。
それではまた明日。。。。。。。
昨日の続きです。
「採茶庵」の芭蕉さんと別れ、清澄通りを両国方面に向かって歩きました。
暫く行くと、「レトロぽっい」同じ様な建物が並んでいました。このすぐ裏が「清澄庭園」です。
建物は「モルタル仮面建築」ではなく、すべて「コンクリート製」でした。デザインも統一されており、同時に建てられたものと思われます。
レトロな雰囲気なのですが「何故か?何処か?」「冷たい!」印象を与える建物です。所々に「装飾」を施しているのですが「遊び」が感じられないのです。
暫く眺めていて気が付きました。このデザインには「曲線」が無いのです。「直線」の「組み合わせ」だけで構成されています。
自然界には「直線」はありません。「直線」だけのデザインは「不自然」ですね。新しい建築は「直線だらけ」で馴染めません。「機能美」は嫌いですね、「無駄」な「遊び」が「大好き」です。
さてと。この直線建築の前の「丁字路」を右に曲がると「深川江戸資料館」のある通りです。
曲がって、少し入ると「お寺が」がありました。柵の石柱に「寄贈」した人の名前が彫ってあります。こう云うのってよくありますよね、誰か「面白い名前」がないかと、つい名前を見てしまうのです。
順番に見ていったところ「古屋政明」の隣に目を移して、思わず「笑って」しまいました。可愛らしい字で「大平まさえ・バカ」と書いてあったのです。
「まさえちゃん」と、これを「書いた子」との間に「何が」あったのでしょう?「微笑まし」くて、「懐かしい」気分になりました。私も昔は、「バカ」何て落書きをしたものです。
資料館に入り「トイレ」を借りただけで出て来ました。冬の寒い時期は「したく」なくても、「トイレ」があると「必ず」入って「用足し」をします。これは寒い時期の「鉄則」です。
以前に大変な目にあったからです。もう「漏れる」寸前、チョットでも遅れたら「トンデモナイ」事になり、「大きな精神的ダメージ」を受けるところでした。
チャックを下ろし「発射」するまで「百分一秒」の差でセーフでした。歳をとると「ホント」に「ネジ」が「緩んで」きますね。あの時「ホント」に「漏らさなくて」良かった。
話しを戻します。
資料館の先にあった「深川めし屋」さんの「メニュー」です。
「深川めし・1000円」? 「深川どんぶり・1200円」?「高~い!」。
「生姜焼き・880円」、「刺身定食900円」と比較すると「変」です。
本来、「深川めし」は、アサリの「みそ汁」を「ご飯」に「ぶっかけて」食べた、庶民の食べ物です。「刺身」より高いのは「納得」できませんね。いつから、そんなに「偉く」なったのでしょうか?
この店では、「めし」が「炊き込み」で、「どんぶり」が「ぶっかけ」になっています。材料は、アサリ、長ネギ、味噌ですから、「国産」、「天然物」の「最高級品」の「アサリ」を使っているのでしょう。
庶民の味が、高級品に「変身」するのは「握り寿司」の「前例」がありますからね。「ご飯」と「おかず」を「一緒くた」にして食べる「下品」なものだったのに、いつの間にか「高級品」になってしまった。
「回転寿司」によって、「回転」して「祖先帰り」したのですが、最近は「高級」な「回転寿司屋」も現れたと聞きます。何か「ややっこしい」話しです。
それと、「シャブ定食・880円」には「一瞬」「ドキッ」としました。あっそうか!「シャブシャブ」のことね。
それにしても「アサリのぶっかけ飯」より、安い何て、「シャブシャブ」も、さぞ「悔しい」思いをしている事でしょう。同情します。
前日に、「ためしてガッテン」を見て、今日の昼は「カツ丼」と決めていました。名物の「深川めし」は、メニューを眺め、「文句」を云って、歩き始めました。
今日は、ここいら迄とします。しかし、長いシリーズ?になりました。
それでは、明日も宜しくネ!
昨日の続きです。
永代橋を渡り直ぐに右に曲がると、「永代河岸(がし)通り」です。
何て歌か忘れましたが、
『???・・・♪え~たい♪か~しに ♪浮かれ柳・・・???』
(浜町河岸でしたね・・・1/30)
何て歌詞がありましたよね。「永代河岸」・・・粋な響きです。江戸情緒です。「落語」にも出てきます、
『おィ!かかァ!これから、ちょっくら「河岸」へ行ってくらァ』何て云って魚屋の「八公」が「天秤棒」担いで、長屋を出ていく何てシーンが・・・・・・。
又、河岸とくれば、荷揚げ場、荷揚げ場と云えば「蔵」です。
「都合よく」ありましたよ「蔵」。 どうです? バックに見えるのは「佃島」の高層アパートです。昔の「河岸」の「情緒」が「ちょっぴり」だけ味わうことができます。なかなかの風景です。
蔵の先には「船具屋」さんがあり、おもしろい「物」が並んでいました。「創業大正十年」との「木札」がありました。真ん中の「白くて赤い口の管」は「伝声管」って名前だったかな?
永代河岸通りを歩いて最初の橋、「巽橋」です。「巽」と書いて「たつみ」なんですね。「たつみ」の「方向」の「巽」です。東南の方向ですね。
この橋には「想い出」があるのです。「想い出」と云っても「色っぽい話し」ではありません。
4年ほど前にここを歩いていた時です。丁度、このアングルで「いい写真」が撮れたのです。
それは、お母さんと子供もの写真です。二人は手を繋ぎ、楽しそうに話しながら歩く後ろ姿です。これから近所に買い物に行く様子でした。お母さんは手に「買い物かご」を持っていました。子供は3歳位の女子でした。
その「気に入った」写真は、パソコンが「壊れ」消えてしまいました。残念なことをしました。
実は今回の「コース」は、その時に消えた「風景」を撮る目的があったのです。
しかし、前回は「大横川」に沿って歩いたのですが、今回は「仙台堀川」の「春」に「誘われ」て、予定のコースを変えてしまいました。
梅が咲いていたのです! 想定外の「春」です。
ホントに「春」が来ていました。春の風景です! 気分が「ルンルン」になりました。
『♪梅は~咲いたかぁ~ ♪桜~はまだかいな・・・』何て、呟いたりして・・・・・・。
大横川の岸辺は「桜」ですから、仙台堀川にコースを変えて「正解」でした。
川に沿って右に曲がると「清澄庭園」の裏手になります。ここから先は始めて歩きます。遊歩道の右側に「芭蕉の句」が十数枚立てられています。
その最後の所に「これ」がありました。
「何じゃ!コリャ?」と思い、近づいて行くと、
分かりました。アレです!「採茶庵跡」でした。
以前は、別のコースで歩き、表通り側から来て、裏側は気が付きませんでした。「裏側好き」なのに「見逃して」いました。
この時は、図々しく「芭蕉さん」と並んで「記念写真」を撮りました。去年11/29に載せた写真です。
春を「ひとあし早く」感じて、「芭蕉さん」の「採茶庵」を「裏側」から見て、楽しいコースでした。
未だコース途中です。明日も見てネ!
昨日の続きです。
新大橋の先は「清洲橋」です。隅田川に架かる橋の中で「一番好き」な橋です。
以前にも書きましたが、橋はこのアングルから見るのが好きなのです。
「表側」よりも「裏側」が好きなのです。見ては「いけない」、覗いては「いけない」・・・・・・そんな「いけない」光景を見てしまった、「ワクワク感・ドキドキ感」がいいのです。
人間「見るな! 聞くな! 云うな! 触るな! 入るな!」と否定形で云われると、余計に「やって」みたくなるものですよね。
わたし、博物館でも「触れないで下さい」とあると、人目に隠れて「そっと」触れてしまう「癖」があります。塀に「穴」があると「必ず覗いて」しまうのです。
話しがそれてきました。橋の方に戻します。この「水面」からの「近さ」がいいですね。
この無数に並んだ「リベット」がいいです。「ゴツゴツ感」には「手作り感」があります。
「清洲橋」は、ドイツはライン川に架かるケルンの吊り橋をモデルに、作られたそうです。堂々として、気品があり、そして美しく微笑み返す『ヨーロッパの貴婦人』です。
清洲橋の先は「永代橋」です。
江戸の昔、「島流し」の「罪人」との「永代の別れ」をした場所・・・そんな「謂れ」を落語で聞いたような気がします。
「永代橋」名前の「響き」に「哀愁」があります。単純な「アーチ形」には「無骨感」があります。
この「アーチ」までの「低く長く」続く「平らな面」の「リベット」が綺麗です。
「アーチ」に並ぶ「無数」の「リベット」。見つめていると、汗を流し長ながら、真っ赤に焼かれたリベットを打ち込み、鉄板と鉄板を繋ぎ合わせる、職人の姿が見えてきます。
「リベット橋」は『リベット職人』と『橋梁鳶』が作った芸術作品です。
私は、「リベット橋」が「大好き」で~す。
明日に続きます。
明治座を後にして、墨田川に面した「浜町公園」に入って直ぐに目に付いたのがこの銅像です。特徴的な「尖った」髪型、「巻き貝ヘアー」は何処かでみたような気がします。
「母と子」のブロンズ像です。子供の「ポーズ」が可愛いですね。「タイトル」を探したのですがありません。
台座に「制作者」の銘板が取り付けられていましたが、ネットで検索しても分かりませんでした。
それよりも、検索していて「重大」な「事実」が判明したのです。下の写真はネットで見つけたのですが、この像は「一対」の作品だったのです。
少女の視線の先に、もう一つの「ブロンズ像」があり、二つで一つの「作品」になっていたのです。
片方は「撤去」されたのか? 公園内の別の場所に移動されたのか? 近くには無かった事は確かです。
近いうちに「バラバラ事件」を調べて見ます。何か「面白い事情」がありそうな、そんな匂いがします。
公園の川沿いには「お馴染み」の「ブルーテント村」があります。周辺は綺麗に片づけられています。住民は「仕事中」で留守のようです。
川沿いの遊歩道に降り、少し先に「新大橋」が見えてきます。
新しい橋(昭和52年1977年完成)なので、「新大橋」と思っていたのですが、調べてみたら、最初に新大橋が架橋されたのは、元禄6年(1693年)でした。
隅田川3番目の橋で、「大橋」とよばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられたそうです。知らなかった!
そして、現在の「一代前」の「新大橋」は、明治45年(1912年)に架けられもので、その一部が、愛知県の「博物館明治村」に移築され、保存されていたのです。
これが、その橋です。日本橋側の25m分です。「素晴らしい」ですね。一度行って見てこなければ!
今日は、「ブロンズ像」と「新大橋」探しで、かなりの時間を費やしてしまいました。ホントに疲れた。
昨日は「明治座」、今日は「明治村」・・・・・・明治つながりでした。
明日に続きます。。。。。。。
寒い中、働く人を見ると、以前は「多少」の「後ろめたさ」を感じましたが、今では「まったく」ありません。
自分より「若い人」には「しっかり働きなさい!」と思い。自分より「年輩者」には「いい加減でやめなさい!欲には切りがないから!」と、心で「呟き」つつ、「励まし」の「視線」を送るようになりました。
それで、この日は10時8分に「神田駅」で降りました。日本橋側の改札を抜けたところで「可愛い」「銅像」を発見。本日の一枚目の撮影。
「健やかに」とタイトルがあり、「田中昭」と刻まれていました。子供の動きが「可愛いらしい」ですね。
帰宅後「田中さん」を調べたら、
『1929年富山県生まれで、1949年日展入選。1987年に「内閣総理大臣賞」受賞。日展審査員を過去6回務め、他に日展監事、日展評議員、日本彫刻会監事を兼任。現代彫刻界の中心的役割を担っている。日本を代表する彫刻家』
とありました。
「田中さん」は「日本の彫刻界」を代表しているそうです。知りませんでした。そんな「偉い作家」の「作品」に対して、日の当たらない「薄暗い」ガード下では「可哀想」です。
これでは「子供」が「健やか」に育たず「グレ」てしまいますよ!
ホントに「周囲」が「汚い」です!
「駅構内に移してあげなさい!」何て思いつつ、二人に「さよなら」をして、隅田川を目指しました。
私の好きな「メニューサンプル」を発見。
コロッケ、唐揚げ、メンチ、トンカツ、ハンバーグ、海老フライ・・・旨そうでした。昼には時間があり、直ぐに通り過ぎました。
路地伝いに歩いて、紺屋町、小伝馬町、横山町、横山町と言えば「問屋街」です。
この時間は、未だ人も疎らでした。
そして、久松町、浜町。「ここいら」は「町名が粋」ですね。「江戸情緒」です。特に「浜町」は耳に、「心地よい」響きです。「浜町」とくれば「明治座」です。
しかし、残念ですね。明治座も最近は、「高層オフィスビル」に建て替えられ、「情緒」がありません。
一階部分の「デザイン」は「まったく」「なっとらん!」と見るたびに思うのです。もっと「芝居小屋」としての「遊び」のある設計をするべきでした。
以前の「明治座」には「芝居小屋」の「雰囲気」が残っていました。まさに「浜町の明治座」でした。
この日は、「前川清」と、下町の玉三郎「梅沢富雄」の芝居がかかり、劇場の脇に観光バスが横付けされ、団体の「おばさん達」が「ゾロゾロ」入って行きました。
ガラス越しに中を覗くと、「弁当」や「お土産が」テーブルに高く積まれて、順番に配られていました。よくある「企業招待」の「団体客」のようです。
「いいなぁ。お弁当食べて、芝居や踊りを観て、歌を聴いて。まぁ。楽しんで下さい」と思いつつ、明治座を後に「浜町公園」に向かいました。
※今日は、ここまでとします。
明日に続きます。やっぱり疲れました、帰ってから「更新」できませんでした。
明日も見て下さいね。宜しく。。。。。。。
あの「そのまんま東」が!「宮崎県!」の「知事!」ですよ!驚きです。否定的な意味ではなく、肯定的な意味での「驚き」です。
いいと思いますね。「官僚」の「天下り」「首長」は「飽き飽き」ですね。地方自治の「障害」ですね。
「行政経験」だとか、「行政手腕」とか「手堅い」とか、「中央官庁との繋がり」だとか、そんなものに「騙され」てはいけません。
今は、「シロウト」の目が必要です。「素人」で「ケッコウ」です。「プロの素人」が、「役人」や「議員」の「プロの専門家」を動かして下さい。
だからと云って、「ずぶ」の「シロウト」ではいけません。その点、「東さん」は「それなり」に「地方自治」の勉強をしてきたので「問題」ないでしょう。
ニュース映像に映った「同じ作業服」の「数人の男性」は、早大政経で「地方自治」を学んだ「ゼミ」の友達ですか?
兎に角、「東さん」、政治を「身近」で「楽しい」ものにして下さい。本来の政治は「身近」で「楽しい」ものです。
「床屋政談」という言葉があるように、県民一人一人が「言いたい事」を「ワイワイ、ガヤガヤ」と言い合う、そういう「環境」を作ることから始めて下さい。
長野の田中知事の「車座集会」は、最初の頃だけで、任期後半は旨く「機能」していなかったようです。県民に意見を「云わせ」、「聞いて」、「まとめ」、「納得」させ、政策に反映する。難しいことですよね。
しかし、難問を承知で立候補したのですから、途中で投げ出さないで下さい。「青島知事」の「二の舞」になります。
「二の舞」と云えば、「横山知事」の「二の舞」だけは、充分に気を付けて下さい。初登庁で、「知事」に「花束」を渡した女性は、秘書の方との報道でした。
心配です。「若く」て「可愛い」くて「独身」の秘書は、少し・・・・・・、いや!「かなり」変です! 何か、誰かの「罠」の匂いがします。『ハニートラップ』の可能性が高いです。
気を付けて下さい。知事は充分自覚している筈ですが、「臍から下に理性は無い」と云いますからね。あの秘書は変えた方が賢明です。
あなたの「命取り」になるかもしれません。そうみんなが思っています。
兎に角、頑張って下さい。 東国原 英夫 宮崎県知事 殿
追記
それと、あの「作業服」は止めなさい、「似合い」過ぎです。慎太郎知事の真似などしない方がいい。彼のは「特注」で「十数万円」(そんな高価にみえない)だと聞いています。
あなたのは「ワークマン」で買った「¥1500」位の物ですよね。そんな格好しなくても大丈夫です。どんな高価な衣装を着けても、あなたは「偉そう」には見えませんから!
それと「昼食」の「弁当」は「旨そう」でした。『400円は安い!』と云ってましたが、そんなものですよ。ただ、「弁当の器」がいいです。
中身を見る限りは「400円」が妥当な価格ですが、但し、使用している「器」は「本漆塗り」の「特注品」かも知れません? 知事だけの「特別扱い」だとしたら・・・・・・これも何かの「罠」かも???・・・・・・。
兎に角。ガンバレよ! ヒガシ ! 期待してるぞ!
焼酎飲んで、「ハニートラップ」の夢でも見るか。。。。。。。
「兼高かおる世界の旅」です。中学生の頃から、20代前半まで見ていたような記憶があります。
最初のころは「白黒」だった気がしたのですが、調べてみたら、「カラー」で放送されていました。アレ?と思ったら、我が家の「受像機」が「白黒」だったのです。
遠い昔のテレビ番組と思っていましたが、「1990年」まで放送されていました。放送開始は1959年からです。
放送は日曜日の11時ごろだったと思います。兎に角、「夢のような番組」でした。「兼高かおる」さん「素敵」でした。「綺麗」でした。
それと、彼女が「日本人」として「世界」を回ると、「何か変?」と思ったりしました。「容貌」は「西洋人」ですし、「英語」は「ペラペラ」でしたから、外国の人達は「日本」と云う国は、「ヨーロッパ」の「端っこ」の国と思ったのか? 一度は聞いて見たかったのです。そんなことも思い出しました。
提供が「三井物産」で、「後援?協賛?」が「あの」今は「無き」、航空会社「パンアメリカン航空」でした。そう「パンナム」です。垂直尾翼の「あのマーク」鮮明に覚えています。
番組は「パンナム」の「大型ジェット旅客機」が「大空」を飛んでいる「シーン」から始まったような気がします。もしかして、FMの「ジェットストリーム」の「イメージ」と重なってしまった?
「世界の旅・三井物産・パンナム・ジェット機」この言葉の響きを聞いただけで、ドキドキしました。手の届かない「遠い夢」「憧れ」・・・・・・そんな時代でした。
見た事も、聞いた事も、行った事もない、遠~い国の「見知らぬ風景」。南の国の「青い空・紺碧の海・白い波・白い雲」・・・・・・。
見知らぬ「ヨーロッパの街角」歴史を刻む、建物、石畳、見るものすべてが、新鮮でした。不思議でした。驚きでした。
夢の「海外旅行」が「現実」となり、誰でも手軽に「海外旅行」に行かれる時代となった、「1990年」に番組が終了しました。
それで、「誰でもいける時代」なったのですが、私の場合、海外旅行は「バブルの時代」に「会社持ち」で行った、「香港」と「グァム」の2回しか経験がありません。
少し無理をすれば自腹の「海外旅行」も可能ではありましたが、「少し無理」するほどの「欲求」が生じなかったのです。
今は、私にとって「見知らぬ外国」は「夢と憧れ」のままで、大事に「とって置きたい」・・・・・・そんな気がしています。
私にとって、見知らぬ「外国」の、見知らぬ「街」の、「夢と憧れ」ナンバー1はスペインの「アルハンブラ宮殿」です。
スペイン、グラナダ、アルハンブラと見ただけ、聞いただけで「あの曲」、あの「幻想的」で、「寂しく」、「もの悲しく」、「やわらか」な・・・・・・ギターの弦を弾く音、そして、夕陽に照らされた「宮殿」の「情景」が目の前に現れてきます。
これって、「宮殿」の「建築的」素晴らしさと、「曲」の素晴らしさですね。そして、宮殿が「スペイン・グラナダ・アルハンブラ」であること、曲が「ギター演奏」であること等、幾つかの重なりが生んだ、「奇跡」と云ってもいい「出会い」だと思います。曲と宮殿は「ふたつで一つ」の「芸術」です。
そうだ。「兼高かおる世界の旅」でした。
番組の終了後の翌年。1991年に、アメリカの「自由と繁栄の象徴」、「パンアメリカン航空」が「倒産」しました。
調べてみると、「パンナム」は番組終了のかなり以前に降りていて、「後半」は「スカンジナビア航空」の「協賛」になっていました。知りませんでした。
夢の番組、「兼高かおる世界の旅」の想い出でした。ホントに「かおる」さんは「素敵」でした。「綺麗」でした。
今夜は「アルハンブラ宮殿の想い出」を聞きながら飲みます。
Recuerdos de la Alhambra アルハンブラの思い出
朝青龍も、理事長の「北の湖」同様に、体力気力が衰えて、引退間近になった頃に、「同情」から「人気」が出ることでしょう。兎に角、今は、勝てば勝つほど「嫌われ」ますね。
私も、「好き」ではありません。「ただ強い」だけで、「風格」「品格」が「まったく」ないですから。
「稀勢の里」は、もう「ダメ」です。小結での成績が、三場所全て8勝7敗で、今場所がとうとう「7勝8敗」で負け越し陥落。
三役と前頭上位を行ったり来たりの相撲取りで終わりますね。体力だけで、気力と技に「ムラ」があります。大関・横綱の期待は消えました。
そうでした。十両優勝で再入幕の「十文字」もう「疲れ」ましたね。ご苦労様でした。あの時、貰った「サイン入り」カレンダーは「記念」にとってあります。
「琴奨菊」と「豊ノ島」は当面は「楽しませて」くれそうです。「名関脇」の候補です。琴奨菊は「がぶり寄り」の「荒勢」ですかね。
そう言えば「若の里」は何処にいるの? いました!「十両」に9勝6敗でした。この人は、「運」がなかった・・・・・・そんな気がします。「大関候補」が長かったです。「候補」だけで「疲れて」しまったようです。
そう。「大関候補」と云えば、むか~し、昔「安念山」という関取がいました。結局は大関になれず、「残念山」と呼ばれました。
引退後は、立浪部屋を継いだのですが、「横綱双羽黒」の「暴行・逃走事件」、娘婿「旭豊」との「金銭トラブル」と、問題ばっかりの人でした。ホントに「残念山」でした。
そうです 期待の星
「豊真将」ですね。今場所は7勝8敗で負け越しですが、来場所に期待します。
「豊真将」には「運が」あります。上がって来た「時期」がいいですね。大関陣では、千代大海、魁皇、栃東の三人は「間違いなく」年内に「引退」します。
そして、「古株」の雅山、出島、も「年内」で消えていきます。頭の上が確実に軽くなります。そして、朝青龍も「頂点」は「過ぎ」ました。
世代交代の時期です。チャンスですよ 「豊真将」
ガンバレ!!! 「ホーマショ~~!」
「錣山親方」頼みますよ。 「横綱」を作って下さい。
さぁ。来場所が楽しみです。
「掘ノ内」と云えば、妙法寺ですが、直ぐ隣の「正住山 福相寺」で行われました。
又、「掘ノ内」と云えば、落語の「掘ノ内」です。「落語の掘ノ内」と云えば「月の家円鏡」です。
円鏡さんも、今では「8代」・・・亡くなると8代目と「目」が付くそうです・・・「橘家圓蔵」を襲名しましたが、やはり「円鏡」の方が馴染みがありますね。
一番マスコミに露出したのが「円鏡」の時代ですからね。「圓蔵師匠」と呼ぶのは、かなり「違和感」があります。
『あらよっと! 早いのがとりえの円鏡デス!』が耳に残っています。
この「円鏡」時代の「掘ノ内」は、「テンポ」がよく、「ギャグ」いっぱいの、「爆笑」落語でした。「粗忽者」を演じたら、「円鏡」が「ナンバー1」です。
それで、法事の話しでした。
この寺では、各席に「経本」が置かれ、住職の「読経」を聞きながら、お経が読めるのです、なかなかいいもんです。
聞きながら、経本の文字を目で追っていくのは、兎に角、飽きないですね。日常では目にしない「文字」が並び、いろいろ考えますよ。ホント!歳かな?
お墓参りを済ませ。
食事になりました。
法事の食事は、この「パターン」ですね。「中華料理」や「イタリヤ料理」は、お寺の「客殿」ではあり得ないですからね。
それで、その「仕出し屋」なんですが、「潮招き」という「店」なのです。
「シオマネキ」が「死を招き」を「連想」されて、「縁起が悪い」と客に云われて、近いうち「名称変更」する・・・・・・。そんな話しを住職がしていました。
店の「マーク」はあの「カニ」さんの「シオマネキ」なんですが、たぶん、店の売り上げも芳しくないので、気分一新なのでしょう。
帰宅後、この店をネットで調べたら、ありました「HP」。出された料理の値段を調べてみたら「¥4200」でした。
「まぁ。そんなもんでしょう」と思いつつ、「¥4200」出せば、何か「もっと美味しい物」が「食べられう」と思ったりして・・・・・・。
そんな、こんな・・・・・・でと、「アッ」出ましたね。「そのまんま東」の「当確」が、いいと思います。「官僚上がり」の「首長」は、もう「飽き飽き」ですね。
「東」は、政治家として「素人」、「地方自治」ではそれなりの「知識」は持っているので、いいと思います。政治に「玄人」は「必要」ありません。
楽しみが「一つ」増えました。これから「宮崎県」は「面白く」なりそうです。
宮崎は「東京」のような「巨大自治体」ではないので、「青島知事」の「二の舞」はないでしょう。
「頑張れ!ひがし!」 アッ。そうだ!「横山知事」の「二の舞」には気おつけろヨ!
※最後、話しの方向が「ニュース」で変更になりました。
さぁてと、明日の新聞楽しみです。。。。。。