昨日の続きです。
冒頭より、お詫びと訂正です。昨日のタイトルが「東漸寺 中心線のズレは落馬防止」としましたが、アップ後に画面をみつめていたら、「大銀杏」の何故?は、仁王門と観音堂の中間で「視界を遮っている」事に対しての何故?だった、と、気が付きました。
そう云うことで、タイトルを「東漸寺 視界を遮る大銀杏は落馬防止ですか?」に訂正します。と、云うことで、只今、これより訂正してきます。
ハィ。只今、訂正して戻って来ました。
それでは、ここから、間違いなく「中心線のズレは何故?」の問題に入ります。
昨日は、間違いに気付いたあとで、ホントにもう、いろいろと、何故なんだろう? どうして何だろうと、雨の降る窓の外を眺め、お寺の配置図を眺め、地図を眺め、部屋の天井を眺め、いろいろと眺め、いろいろと考えたのです。
人間いろいろ考えてみるものです。いろいろな事が、頭の中で巡り巡って、くっついたり、離れたり、絡んだり、解れたりして、そして、遂に、何と、アッ!と、驚く!画期的!な、答えが、閃いたのです。
それで、その「アッ!」ですが、“中心線のズレが、何か変?何故?”の疑問、それ自体が“変だった”と気付いたのです。驚きました?
まぁ、驚かなくていいですが、そもそもです、神社に於いては、鳥居と本殿と参道は、一直線には造らないのです。東漸寺は神社ではありませんが、そこのところは、追々と・・・。
神社においては、本殿の中心線は「神の正中線」と云って、人が踏むことを良しとしないので、いろいろと「ずらしたり・曲げたり」するものなのです。
それと本殿の向きですが、「天子南面す」の故事より、南に向けて建てるのが正しいのです。
東漸寺は、当然、神社ではなく、お寺ですが、この“正中線”と”南面す”を、東漸寺に当てはめると、中心線のズレも、本堂の角度振れも、すべて解決するのです。
この地図では、「観音堂(馬頭観音)」の向きと、参道とは同一方向の直線上になっていますが、実際の観音堂は地図上の真下、ほぼ“真南”を向いて建っています。
実際には、こういう配置になっているのです。下の図は手違いで南北が逆ですが、それなりに見て下さい。
以上のことから、中心線のズレ問題も、観音堂の角度振れも、東漸寺が神社であれば、至極、御もっともな事で、疑問を差し挟む余地など無いのです。
でも、しかし、東漸寺は天台宗のお寺です。ここが、最後の疑問となります。次に、その点を考えたのです。
それで、地図では「馬頭観音」とありますが、境内に建てられた、取手市教育委員会の案内板には、「馬の息災に対して霊験著しい」とだけあり、「馬頭観音」との表現はありませんでした。
地図屋さんは、何処の?誰から?聞いて、馬頭観音と表記したのでしょうか? まあ、たぶん、東漸寺の関係者だと思いますが、「馬頭観音」と、普通の観音様とでは、まったく表情が異なり、一目瞭然です。
観音堂に安置されている仏像は、明らかに「馬頭観音像」ではなく、ふつうの「観音像」なので、教育委員会の説明文には「馬頭観音」の表現がないのです。
しかし、馬関連で霊験著しいと云うことでは「馬頭観音“的”」なので、地図屋さんに、そんな説明をしたところ、地図屋さんが、気を利かせて「馬頭観音」と表記したのかも?
何故、馬頭観音に拘ったかと云えば、本来は「馬頭観音」は、特に馬関連の仏様ではなく、梵名が「馬の首」の意味があり、ヒンズー教の最高“神”の異名だそうで、元々は神様だったからです。
ヒンズー教の「最高神」を、仏様として「馬頭観音菩薩」として、仏教関係者がお借りしたようです。仏教はその他にも、成立過程で古代宗教から、いろいろ神様を借りてきて、いろいろな仏様を想像しています。
日本でも、むかしは、神様も、仏様も、みんな仲良く、混じりあっていました。“神仏習合”でした。土着の信仰と仏教信仰が混じりあっていたのです。
でェ、それでェ、なのです。東漸寺が、この地に創建される以前より、民間信仰として、“馬関連の神様”がこの場所に祀られていたのでは?と、思うのです。そのことで、仏教のお寺になっても、馬関連の息災に強いお寺として信徒を集めたと思います。
神様を祀った祠があった場所に、あとから東漸寺が建てられ、以前にあった神社様式の名残として、観音堂の角度振れ、中心線のズレが、現在も残されている。
と、解釈すると、とても、とても、スッキリ!するのです。
皆さん、スッキリ! しましたか?
スッキリしたところで、本日はお終い。
それでも、まだ、東漸寺の見学は続きます。
それでは、また来週。