歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

庭で「萌え~」しています!?

2007年03月31日 | その他
本日は、軽く、身近なところで行きます。

拙宅の狭い庭の「植物」の紹介です。すべて「昨日」撮したものです。

木の芽が「萌え出づる」季節です。まさに「萌え~!」ですね。



「紫陽花」の「萌え」が「好き」です。この「黄緑」が鮮やかです。歳をとると「春」が待ち遠しくなります。「チョットずつ」年寄り臭くなってきました。

この季節、何故か「この歌」が、口をついて出て来るのです。

『石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも』

私が「唯一」知っている「万葉集」の歌です。中学で習ったのか?


沈丁花は「散り」始めました。



柿木の萌えです。去年は2個しか熟しませんでした。後はすべて熟す前に「落下」しました。


この「垂れ梅」、水戸の偕楽園の梅祭りの時に買ったものです。垂れ梅は「実」を付けないのでしょうか? 10年以上経ちますが「実」がなりません。雄雌があるの?


「ぼけ」も「花」が散り始め、「葉」が萌えてきました。


この木は「親戚」で貰ったのですが、「花」が沢山咲いて見事なのです。玄関脇にあるため、「来客者」に「名前」を聞かれるのですが、これまで答えられませんでした。

今年になって「やっと」真面目に調べました。「アセビ」というそうです。「馬酔木」と書いたりするそうです。「アセボ、アシビ、アセミ、アシミ」等、地方により「いろいろ」と呼ばれるそうです。葉っぱに「毒」があるそうです。



「椿」です。濃い緑に「まっ赤」な「花」。「眩しい」です。「アンコ椿は恋の花」です。


「銀木犀」です。「金木犀」と比べて「地味」です。「香り」が漂い始めて、花が咲いている事に気付きます。


菊も「芽吹いて」きました。


こちらは「春菊」です。去年の11月頃にタネを蒔いて、「冬」になったら「鍋」の「材料」と思ったのですが、今「やっと」この程度です。鍋にするのには、未だかなり時間がかかりそうです。


「ニラ」です。「ニラ玉」に「餃子」いつも「お世話に」なっています。切っても切っても「生えて」くる、「ホント」に「有り難い」植物です。


「イチゴ」の花が咲きました。今年も「可愛い孫」が食べに来ま~す!


「スミレ」です。タネも蒔かずに「勝って」に咲いてくれる、嬉しい「雑草?」です。綺麗で可愛い花です。


チューリップが「もう少し」で咲きます。何故か「赤」が一番早く咲きます。次が「黄色」で、次が「青」じゃなくて、「白」が最後に咲きます。


「山椒」です。一度、試しに「青い実」の時に、少し「囓って」見たら、唇と舌の先が「痺れ」始め、「身体全体」に及びそうな気配を感じて「小さな」「恐怖」を味わった事があります。「コワーイ」実のなる木です。今年は「実」を「擦り潰し」て、鰻に「ふりかける」ことにします。


「カエデ」の芽吹きです。この木は「あまり」「面白く」ない木です。


「君子蘭」です。庭の植物ではありませんが、大した「手入れ」もしないのに、「毎年」こんなに「綺麗」な「花」を見せてくれます。「君子蘭」は「エライ!」

実は私、「君主」蘭と今まで思っていました。君主より上の「君子」だったのです。


「桜」が「散る」とすぐに「ツツジ」の季節です。「つぼみ」が見えます。


これも「ツツジ?」ですよね。もしかして「サツキ?」。少し「小さな花」が咲きます。

こうして写真を並べると、狭い庭にも「いろいろ」あるものです。

     それでは・・・・・・・


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修行だ!マメだ!綾瀬駅だ!

2007年03月30日 | 東京の風景
昨日の続きです。
ホントに、ホントに、「端っこシリーズ」の最終回です。

歩き始めの第一歩は辛いのですが、歩き始めると「痛み」は「和らぎ」ます。

しかしです。もう、これは「修行状態」です。

先ほどの「吉祥院」にあった「旅装束」の「僧侶」状態です。「四国遍路」です。

私も「笠」をかぶり、「錫杖」を持ち、「背中」には「南無大師遍照金剛」と書いた「衣」を纏った気持ちになってきました。

『修行だ!修行だ!修行だ!』との「言葉」が「頭に」浮かんできます。 いかん!これでは「オウム真理教」になってしまう。

後で考えると、「オウム」は『修行するぞ!、修行するぞ!、修行するぞ!』の「するぞ連呼」でした。


話しは戻ります。「マメ」です。「環七」です。

「マメ」に慣れ、すこし「余裕」が出てきたました。『足立区役所までだ!』、今度こそ間違いないと、そう思ったのです。

亀有駅も足立区です、区民は役所に行くのです。「JR駅と区役所」これは間違いなく「需要」がある「路線」と確信しました。

  ※後で判ったのですが「亀有駅」は「葛飾区」でした。

これまでは、「東武線の駅」と「JR線の駅」の為に、バスは「頻繁」に運行されていないのだと確信しました。

そして、日光街道を越した交差点の先、停留所を見つけました。そして、時刻表を覗きました。

「何と!」またも「空欄」です。「大師駅」、「西新井駅」、そして「最後の望み」の「足立区役所」です。望みは絶たれたのです。

もう。歩き続ける他は無いのです。ホントにホントに「修行」です。黙々と歩き続けました。「コンビニ」以来、まったく「写真」を撮っていません。

歩き続けました。首都高の「加平」の「出入り口」に到着しました。ここで、考えました。選択肢は3つです。

一つ、「亀有駅」まで歩き続ける。
二つ、環七沿いの「北綾瀬」まで歩く。
三つ、加平の先で信号を右折して「綾瀬」を目指す。

「亀有駅コース」が一番「厳しい」のです。次が「綾瀬駅コース」です。そして「一番楽」なのが「北綾瀬コース」です。

亀有駅は「キツイ」です。「北綾瀬」では「納得」できない。ここは「やっぱり」真ん中をとって「綾瀬コース」に決定しました。

加平の先で、右折して環七から逸れました。歩いている途中で「バス停」の時刻表を見て気が付きました。

亀有行きに「拘り」、「綾瀬行き」を見落としていたのです。綾瀬行きでも「良かった」のです。それであれば「もっと手前」で「バス」に乗ることができたのです。

綾瀬駅に向かって歩きながら、「これでいいのだ」と「この判断で良いのだ」と思い続けました。良い経験です。良い「修行」でした。これもまた「人生」と思いました。

綾瀬駅に着いたのは「4時」です。いつもより「1時間オーバー」の「東京歩き」でした。帰宅後、距離を測ったところ「20㎞弱」でせした。良く歩きました。こんな事も「楽しい」のです。

「マメ」は「潰し」て「水」を抜きました。翌日には「問題」ありませんでした。
あれから「16日」が経ちました。



「マメ」の「跡」は未だ「残って」います。

「いろいろ」ありました。また「東京」を歩きたくなりました。

「明治通りシリーズ」そして、「端っこシリーズ」は終了です。

これまで読んで頂いた「皆さん」ありがとう御座いました。


   それでは! また明日・・・・・・・


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「亀有」は遠く「巡礼修行」の道だった!

2007年03月29日 | 東京の風景
昨日の続きです。

「吉祥院」の東屋に腰掛け、今日の「最終目的地」と「歩くコース」を考えました。時計を見ると2時です。いつもより「足」の状態が良くありません。

いつもは「10時頃」に歩きはじめ、3時頃に目的地に着くのを標準としています。距離としては「12㎞」から「15㎞」です。この程度が「体力的」に丁度いいのです。

残り時間は1時間です。土手下の道を「綾瀬駅」まで歩くとほぼ1時間。しかし、「足」の状態から1時間は「きつい」と判断し、30分ほど歩くと環七通りに出られそうなので、そこからはバスに乗り「亀有駅」に向かうことにしました。

東京を歩いて、バスに乗ったことは「これまで一度」もありません。この日は「少し」歩き過ぎていました、『まぁ。しょうがないか!』と思ったのです。

しかし、『しかしなのです!』 この決定が「大きな悲劇!」を生んだのです。


それで、兎に角です、「環七」の「西新井大師」を目指し、住宅街の路地を歩き始めました。

「駐車場の猫」です。私は猫に合うと「必ず」「ニャーオゥ」と「声」をかけます。


「知らんぷりする猫」、「振り向きじっとこちらを見る猫」、「振り向いて返事をしてくれる猫」いろいろいます。この時の猫は「返事」をしてくれました。

この時は「未だ」、足の状態に余裕が残っていました。広いバス通りに出ました。



「八百忠」さんです。かなり「大きな」八百屋さんで、「雰囲気」がありました。正面からも撮りたかったのですが、店員らしき三人が店先に居て、私の方に視線を向けてきたので、カメラを構えることが出来ませんでした。



環七の近くに来ました。「コンビニ」で「野菜ジュース」を買い、店先で一息つきました。予定どうり「30分」ほどで到着できそうす。



目の前に「赤錆び」た「トタン張り」の家がありました。ジュースを飲みつつ「家」を眺め、

『さてと。すぐに環七だ、今日はよく歩きました。久しぶりにバスに乗るとするか・・・・・・』何て考えていたのです。「足」そろそろ「ヤバソウ」になっていました。

直ぐに、「環七」に出ました。「東武バス」の発着場と、その後ろには「高架」になっている「大師駅」が見えます。

環七を渡り、交差点近くの「バス停」の「時刻表」を見ると、「亀有行き」の欄は「空白」になっているのです。午前中に数本あるだけです。

『アリャ! 何で? どうして? これって変!』

「予想外」です、「想定外」です。「裏切られた」、「騙された」と一瞬思ったのです。でも、それは「私」が「勝手に」、「亀有行き」の「バス」が「頻繁」に走っていると「思い込んで」いただけ何ですけどね。

「足」は「もうダメかも知れない状態」に「近づいて」いました。

その「状態」とは、「足の裏」の「マメ」です。歩き過ぎると「発生」するのです。「マメ」というよりも「水泡」です。直径3㎝ほどになります。

バスの時刻表を眺め「ひらめき」ました。

『そうだ! 次の西新井駅を起点として、亀有行きが「頻繁」に出ているのだ!きっと!』

そう思い、歩き始めたのです。「マメ」は「徐々」に「成長」してきました。

西新井駅手前の「跨線橋」の「階段」を登るとき、歩くたびに「足の裏」で「ブチュ・ブチュ」とした「音」が身体を伝わってきます。

跨線橋を渡り、駅前を過ぎた交差点の先で、停留所の「時刻表」を覗くと、またも「空白」なのです。

『エッー! ホントかよー』

それでも、また「ひらめき」ました。

『そうか!日光街道沿いの足立区役所を起点として、亀有行きが出てる筈』

そう思い、歩き始めました。この頃になると、「信号」で止まり、歩き始めの第一歩が辛くなりました。「ブチュー」と「マメ内部」の「液体」が「移動」するのです。

予定より長くなりました。一旦、ここで今日は終わりとします。明日、最終回の「第2回目?」とします。

それでは、明日もよろしく。 

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こんなところに!吉祥院!

2007年03月28日 | お寺・神社
昨日の続きです。

「土手下」の通りを歩いていると、「吉祥院」の「看板」を発見、
『へぇー。こんなところに、お寺がねぇ。まぁ、どんなもんか覗いてみるか・・・』と思い、通りを左に折れ、路地に入りました。道の両側は住宅が密集しています。


路地を抜けると視界が開け、参道の奥に「山門」が見えてきました。



『あれ。なかなかのお寺ではないですか!』

立派な山門です。「チョット変」なのは、広い参道の先に「金網」の「フェンス」があり、通行を妨げているのです。

脇から人の出入りはできるのですが、「景観」がよくないです。車の通り抜けを防止するのであれば、ポールを立てれば済みそうですが、何か別の理由がありそうです。

石畳の参道から山門、境内を通り、そして本堂へ、一直線で行きたいところですが残念!



未だ新しいようです。「淵江山 吉祥院」



「木組み」素晴らしいです。綺麗です! 楽しいです! 見とれてしまいます。



両脇の松越しに見える「本堂」、いいです!



本堂から山門方向を見ています。左の四角い小さな屋根が「東屋」です。



大夫歩いて来たので、東屋のベンチに座り休憩です。ゆっくりとあたりの景観を眺めました。お寺は落ち着きます。休まります。



錫杖を持ち、笠を被った「旅装束の僧侶」、よく見かけます。横にある石碑には「南無大師遍照金剛」とあり、「第一回四国遍路結願記念 平成元年六月吉日」とありました。



お遍路の記念に「こんな立派」な銅像を建てちゃったのです。住職と檀家の人達と行って来たのでしょうね。

このお寺、後で調べたのですが、徳川家と繋がりのある「凄い」お寺でした。家康が鷹狩りの折に吉祥院を休憩所としたそうです。700年ほどの歴史があるそうです。

その時、気づかなかったのですが、写真を見ると「天水桶?」に、「三つ葉葵?」のように見える「紋」があります。

兎に角、こんなところに「こんなお寺が!」でした。

「淵江山 吉祥院」は、「いいです!」

端っこシリーズは、次回が最終回です。 

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門前に「阿吽」の「ライオン」

2007年03月27日 | 東京の風景
昨日の続きです。

江北橋を渡って直ぐに右に折れ、「土手下」の道を「西新井橋」に向かって歩きました。

土手の向かいは「鉄工場」、「リサイクル工場」、「プラスチック、ガラス、建築廃材等の廃品集積所」等が立ち並んでいます。

「明るく」て「綺麗」な「都会」の、主に「裏側」を「担当」している「工場」が集まっていました。


午後2時過ぎの工場には人影がありません。


鉄工所でしょう。土間の赤錆び色が「いいです!」

この工場の2軒先に、「明るく」て「綺麗」な自動車修理工場があり「賑やか」な「曲」が流れていました。たぶん「ラップ」だと思います。日本語の曲です。

ここは一発「演歌」が欲しいのですが、この工場の「雰囲気」は「ラップ」が似合っていました。明るく楽しい「ボディー・ファクトリー」です。


「野ざらし」状態の、現役を退いた「ブレス機達」です。


ここにも「野ざらし」にされた、「プレス機」、「平削り盤」「ボール盤」に「得体の知れない機械」達が、「淋しく」身を寄せていました。

後ろに「豪邸」が見えます。「寂しさ感」が増します。



放置され、「朽ち果て中です」、もうすぐ「スクラップ」です。
「うらぶれ感」「寂れ感」タップリな「風景」です。




リサイクル工場です。3~4人の「中年」の人達が、忙しそうに働いていました。「ご苦労様!」です。私は「ウロウロ」「ブラブラ」「キョロキョロ」歩いています。

ここも「リサイクル工場」です。人影はありません。



工場街を過ぎ、住宅街になりました。門前に「狛犬」ではなく、「2頭」の「雄ライオン」が居ました。かなり「時代」が経っているようです。


土管?を立て門柱。かなり「凝って」います。ここの主かなり「面白そう」です。
右側は「口」を「開け」、左側は「閉じて」います。
「阿吽」になっています。

大きな「長屋門」に広い庭、奥には立派な「母屋」がみえます。
かなりの「旧家」です。ここだけは「江戸時代」の「趣」があります。
きっと、昔の「庄屋さん」の「屋敷」です。


前半は「朽ち果て」で、後半は懐かしい「趣」でした。この道は「いろいろ」あります。

それでは、未だ続きます。。。。。。。 

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スッキリで綺麗で「つまらない」!

2007年03月26日 | 橋の話し
「明治通りシリーズ」から「端っこシリーズ」に変わります。

「新河岸川」が「隅田川」と「名称」が変わる辺りに架かる「豊島橋」です。





新しい橋です。「デザイン」が「スッキリ」しています、色が「明るい」です、「無駄」が無いです、「機能」だけです。

「端っこ感」がありません。新しい橋は「それは」「それで」良いのですが、「つまらない」のです。

「無駄」に、「汚れ」と「錆び」と「時間」が付いて「風景」になります。
「錆び」は時を経ることによる「自然の変化」です。「汚れる」ことも「自然の変化」です。


変化する事が「自然」なのです。退色した外壁の「モルタル壁」は自然です。


大きな橋の「たもと」に立つと、渡った「向こう側」に「何が」あるのか? 「ドキドキ」します。




橋を渡る時、後ろを振り返り、下を流れる川面を覗き込み、空を見上げ、自分の「位置」を確認します。



遠くに「見える」、首都高の「中央環状線」の「スッキリ」した「アーチ橋」、「形状」としては「面白い」ですが、「風景になる」には「時間」がかかります。


日産化学の跡地に建った「豊島団地」、そして「豊島橋」、そして首都高の「アーチ橋」、そして「江北橋」。

この辺、「むかし」とは「変わり」ました。「端っこ感」が無くなり、綺麗で、スッキリして、明るくなりました。

「うらぶれ派」としては、「期待ハズレ」な一帯でした。江北橋を渡れば「面白いものが」ありそうです。

それでは、また明日・・・・・・







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白鵬の優勝は八百長が原因だ!

2007年03月25日 | 相撲の話し
朝青龍の優勝と予想(3/9記)したのですが、白鵬の「優勝」で終わりました。



今場所は、八百長騒動が「優勝」争いを決定したようです。
初日、2日目と朝青龍が連敗したのも「八百長騒動」が原因でした。(3/11記)

3日目以降に朝青龍は立ち直り、14日目に「白鵬」を敗り、千秋楽の決定戦となりました。

千秋楽の「本割り」で、朝青龍は千代大海に「まさか」の「はたきこみ」で勝って「白鳳」との決定戦になりました。

千代大海に対しての「まさか」の「はたきこみ」は、「まさに」に「ガチンコ勝負」の結果でしょう。何が何でも「優勝」して「八百長疑惑」を「晴らし」たかった思いが、「はたきこみ」に繋がったのです。

「何が何でも」勝てば、「疑惑」が「晴れる」との思いから出たとしても、横綱として、千秋楽の「あの場」で「あの決まり手」は「絶対」にやってはいけない相撲でした。

勝って「疑惑」を「晴らし」ても、横綱の「名誉」を「汚し」ました。正々堂々と闘って勝ってほしかった。

しかし、千代大海に対して「100%」の「自信」が無い為、「あの手」が出たのでしょう。まぁ!負けた「千代大海」の「得意技!」ですけどね。

そして、「優勝決定戦」での、白鳳の「はたきこみ」です。白鳳も「何が何でも」優勝したかったのでしょう。しかし、これで、「横綱」への「昇進」に「ケチ」が付きました。



来場所は「全勝」でも、「勝ち方」が「問題視」されるでしょう。その辺の「微妙」なところが、「モンゴル出身」の関取には「理解」が難しいのかもしれません。

来場所、「微妙」な「勝ち方」で「優勝」しても「昇進」出来ない場合、何か「一悶着」が起きそうです。

しかし、決定戦で「負けた」朝青龍の「あの苦笑い」には、いろいろな「意味」がありますね。

本人も、本割りで「千代大海」に使った「汚い手」で、今度は、決定戦で「自分」が「やられて」しまった「その一瞬」、「可笑しく」て「笑う」しか無かったと思います。

「千代大海」戦への「反省」と、直ぐに現れた「因果応報」への思い。

「白鳳」に対して、『お前も「やっぱり」そう来たのか、きっと後々「悔い」を残すぞ』との思い。

優勝に関係する取り組みでの「おかしな決まり手」は「ガチンコ」の証明です。

来場所は「高い確率」で「朝青龍」が「21回目の優勝」をするでしょう。

「勝ち」に拘るより「勝ち方」に「拘った」相撲を期待します。

ガンバレ! 朝青龍! 私は「嫌われ者」に「味方」します!

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もつ焼き !煮込みに!ホッピーで!「うらぶれ」ます!

2007年03月24日 | 東京の風景
昨日の続きです。

「明治通り」を王子から、赤羽に向かう予定でしたが、王子消防署を過ぎたところで、気が変わりました。

王子から赤羽への道が「何となく」変化に乏しく、特に「変わったもの」や「面白いもの」が「期待できないのでは?」と、思いはじめ「Uターン」、「三ノ輪橋」方面に向かう事にしました。

戻り始めて、王子警察署付近に差し掛かり、またも「気が変わり」、豊島団地方向に進路変更しました。

豊島団地が「何となく」気になったのです。数十年前に通ったのが最後で、どんな風に変わったのか見たくなったのです。


途中で見つけた「お肉屋さん」です。雑然とした店先に、消えそうな「グリコハム」の「赤い文字看板」。東京の「端っこ感」が漂います。




「大店」です。「もつ焼」「煮込み」の「とん平」です。「焼き鳥」ではなく「もつ焼き」と書かれているところが、「端っこ」として「正しい表現」です。

並んだ「赤いちょうちん」には「ホッピー」の文字。
いいです! 正しいです! 豊島の「とん平」さん!



「鶏」でも、「豚」でも、「肉」でも、「内臓」でも、串に刺して焼くと「焼き鳥」と表示する店が多くあるなか、「もつ焼き」の看板は「嬉しい」です。

「とん平」の「とん」は「豚」です。これにより「看板」で「原材料」を正しく「表示」している事になります。

「とん平」で「豚」を表示し、「もつ焼き」で「内蔵」を表示している訳です。
流石です!「とん平」さん『あんたはエライ!』

夜になると、「もつ」を焼く「煙」が「もうもう」と立ち上がり、大勢の客で賑わうのでしょう。

こんな店で「もつ焼き」と「煮込み」で「ホッピー」を飲めば、「場末」の「うらぶれ感」を「たっぷり」味わえそうです。イイです!「とん平」!


この「豊島団地」は、「農薬会社」の「日産化学」の跡地に建っています。
赤羽に住んでいた頃に、自転車でこの付近まで来たことがありました。中学生の頃です。

「灰色」の塀で取り囲まれた構内には、建物の周囲を取り巻くように、何本もの「パイプ」が走り、煙突からは「白い煙」、何か「ブゥンー」と鈍い回転音のような音が辺りに響き、薬品臭が漂っていました。

東京の「端っこ」、そのまた、「裏側」の、見てはいけない「怪しさ感」、「不気味感」漂う「暗い工場」でした。



その工場跡地に建ったのが、この「豊島団地」です。

「明るい」です! 「綺麗」です! 

しかしです。以前あった「あの」「ダイオキシン騒動」はどうしたんですかね。土壌の入れ替えで「解決」したのでしょうか? 多分「解決」したのでしょう。

見た目、「明るくスッキリ」とした「高層アパート群」です。

時代は、「雑然」から「整然」へ? 「暗い」から「明るい」へ? そんな方向に「変化」するようです。

私は、雑然として、暗く「怪しい」方に、「こころ」惹かれるのです。「面白い」と思うのです。

「明治通りシリーズ」は、進路を変更して、未だ続きます。。。




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王子駅前ビルの真実!

2007年03月23日 | 東京の風景
昨日の続きです。


これは、バスターミナル側にある駅前ビルです。「チョット見」は、「カーテンウォール工法」の「結構新しい」ビルに見えますよね。


実はしかしです! 何を隠そう! このビル「結構古い」のです。このビルの裏手に昔、映画館が数軒ありました。

私が赤羽に住んでいた中学生の頃ですから、今から40年ほど前です、何回か映画を観に来たことがあるのです。その当時、「ベージュ色」のコンクリートの外壁に、「黒い塗料」が残り「煤けて」見えました。


【裏側から見たものです】


「黒い塗料」は「空襲」の際に、「カモフラージュ」する為だと「聞かされて」いました。ですから「第二次大戦中」から「このビル」はここにあったのです。少なくても「60数年」は経っています。



ネットで「やっと」見つけました。この写真がそうです。1970年に「飛鳥山」の「回転展望台」から撮ったそうです。それにしても「かなり」の「時代」を感じます。「たった」37年前です! ついこの前ですよ!

私としては「1970年」は、「ついこの前」の事なのです。歳をとると「ホント」に「この前」が「だいぶ前」になるようです。


そこに「この写真」も載っていました。建設中の「展望台」です。もしかして、この写真を撮った時、私はこの「展望台」の中に居た「可能性」があります。

あの頃は、毎日、現場に行っていましたから、「この写真」の「中に居た」可能性は「相当高い」です。

そんなことを「考え」ながら、当時のことを想い、「この写真」を観ていると「不思議」な気持ちになります。やはり「37年」は「遠い昔」ですね。

以前、どこかの「建設会社」の「企業CM」で「地図に残る仕事を!」何て云うのがありました。

私が「建設」に関わった「回転展望台」も「1993年」迄の「地図」には「載って」いたのです・・・・・・残念でした。

「明治通りシリーズ」は、未だ続きますよ!・・・ 




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王子の1億円は軽かった

2007年03月22日 | 東京の風景
昨日の続きです。

「松屋」で「米国産」の「牛めし」を食べて、駅前に向かいました。
食後の為、ゆっくり「ブラブラ」と歩き、辺りを「キョロキョロ」と見回していると、「国立印刷局王子展示室」と書かれた「建物」を発見。

この裏手には「大蔵省印刷局」があるのは知っていましたが、こんな「広報活動」しているのは知りませんでした。

「無料」とあり、早速扉を押し開け「室内」に入りました。学校の教室二つ分程度の広さです。見学者はまったく居ません。

入って正面奥のカウンターの中に、職員が一人机に座り、下を向いて書類のようなものに目を通していました。明らかに「お暇モード」が「漂って」います。

印刷機の模型、お札の原画、切手の原版等、まぁ「よくある」普通の展示品です。
その中で、これが「やっぱり」気になりました。


『もてますか? 一億円』と云われれば、『持ってやろうじゃないか!』と「挑戦」してみました。

「10㎏」とありましたが、それほどの「重量」は感じませんでした。これが「石ころ」であれば「重かった」と思います。

「一億円」の「現ナマ」だと思うと「欲望」が「重量」を「変化」させるのです。実際は、裁断した「紙切れ」の束なのでしょうけど、外装がそれなりの「衣装」を纏っているので、かなり「その気」になります。

それで、先ほどの「お暇モードの職員」何ですが、「60代」と思われ男性で、多分「印刷局」を「定年退職」して、ここで「案内係り」として「再就職」したのでしょう。

見た目「中年紳士」の雰囲気の方です。退屈そう何で「質問」してみました。

私 『すいません。一万円札の「原価」は一枚いくら位ですかね?』

職 『それは発表しておりません』

私 『そうですよネ・・・・・。以前何かで聞いたのですが、三十数円とか・・・・・・』

職 『一つだけ方法があります。毎年発表される「予算書」から推測は可能です』

私 『はぁ~、そうなんですか、ふーん。それと、よく云われますが「1円硬貨」の原価は「1円」以上する何て「ウワサ」がありますが、どう何でしょうね? 今は金属の価格が上昇しているから、「1円」として使うよりも、「溶かして」材料として売った方が・・・・・・』

職 『貨幣をそのようにしたら「犯罪」になりますよ! それに、ここは「印刷局」で「造幣局」ではありませんから、「硬貨」に関する「質問」には・・・・・・』

私 『はい。そうですよね・・・・・・ここは「紙幣」ですよね、「大蔵省印刷局」ですよね。ここは・・・』

職 『現在は、「独立行政法人国立印刷局」が正式名称ですね、ここは王子工場になります』

私 『そうですよね。ハイ・・・、ありがとう御座いました』


昼飯後の「休憩」のつもりで「覗いた」のですが、あまり「休憩」にはなりませんでした。

「明治通りシリーズ」は続きます。。。。。。。 


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