歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

野田の愛宕神社「百年据置預金」は百年経ったらいくらになるの?

2007年07月31日 | お寺・神社

昨日の続きです。

「接合狛犬」の謎を楽しんだ後、もう少し境内の散策を続けます。

掃き清め、集められた「小枝や落ち葉」から、白い煙が青い空にゆっくりと昇って行きます。

静かな鎮守の森に、時よりカラスの鳴き声が響き、涼しい風が抜けて行きます。

これぞ「日本の風景」何て、思いつつ辺りを見回していると、この石碑が眼に入りました。


「奉納 一金五百圓。ふ~ん、五百圓ねェ、いつの頃なんだ?」と、石碑に近づくと、左端に「昭和4年10月」と刻まれています。

「野田仲町 伊勢太々講(だいだいこう)」とあります。伊勢神宮を信仰する人達の団体です。
      

不鮮明(この写真、明るさ、コントラスト、鮮明度をいろいろ調整して、やっとこの程度になりました)ですが、右端には「百年据置預金 三井信託株式会社」とあります。

現金ではなく、百年据置預金を奉納したようです。具体的には神社名義の定期預金通帳を作り、それを奉納したのでしょうか? 

昭和4年は西暦の1929年です。アメリカで株が暴落し、世界恐慌が始まった年です。日本では、翌年の昭和5年に「世界恐慌」に連鎖して「昭和恐慌」が起こりました。

そんな当時の500圓の価値はどの位なのか、いろいろ調べたのですが、米の価格から推測すると、だいたいのところで、現在の「12万円ぐらい」ではとの結論になりました。

神社への団体寄付として、12万円は妥当な額に思えます。しかし、現在、12万の寄付をした「記念」として、石碑までは建てないと思います。

石碑の方が高くつきます。それだけ当時は「石工」等の技能職の手間賃が安かったのです。当時は「格差社会」でした。

汽車、船などの乗り物には、1等車、2等車、3等車がありました。現在はグリーン車しか有りませんが、そのうちに「1・2・3等車」が復活するかも・・・・・・しれません?

最近、常磐線の中距離通勤電車に「グリーン車」が2両連結されました。

これは、治安の悪化と、マナーの悪化に対して、通勤でも「それなり」の「別料金」を払ってでも、安全と安心と快適を買う。

そんな、資力を持った「層」が現れた証に思われます。話しが「格差社会」に逸れてしまいました。


兎に角、石碑の話しです。

現在ならば、せめて1千万以上でないと「石碑」まで建てるのは、世間的には憚られると思うのです。

それと、百年なんですが、昭和4年ですから1929年で、百年後とは、あと22年先の2029年です。ホントに気の長い話しです。

それで、2029年に「五百圓」はいくらになっているのか計算しました。昭和4年辺りの預金金利を調べると4%前後でした。

百年据え置きですので、ここは金利を「4.5%」で1年複利で計算したところ、100年後には4万794円になっています。

インフレが無く、当時のままの価値が百年後も続いていたとすれば、現在の価値と比較して、979万円位に相当します。

てすから、昭和4年の「野田仲町 伊勢太々講」の人達は、百年後には「大変な額」になると思い、百年据置預金をしたと思います。

しかし、22年後に満期となる「五百圓」は、たったの4万794円です。百年経ったら「それなりの大金」も「端金」になってしまうのです。

お金は、いつまでも貯めていてはいけませんよ! なるべく価値のある間に使い切りましょうネ、皆さん! 


今日の「愛宕神社」は、大変勉強?になりました。


明日は野田の市街を歩きます。


それではまた明日。 


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野田の愛宕神社 「前脚接合狛犬の謎?」

2007年07月30日 | お寺・神社

昨日の続きです。

鳥居をくぐり、石畳の参道の中心を歩き、本殿前に望む位置で135度左に曲がり、本殿と正対し、真っ直ぐに本殿に向かい歩き始めました。

この時は、

『神様の正中線とは、本殿の中心から真っ直ぐ正面に引いたときの線をさしますが、この線は大変重要で、人間が踏むことをあまり良しとはしないのです』

何て事は全く知らずに、手と口を清め、神の正中線を踏みつけながら本殿へと向かいました。

先ずは、阿吽の狛犬をちらりと眺め、石段を上がり、お賽銭をあげ、「二拝二拍手一拝」してお参りです。



お参り後、狛犬の鑑賞です。ブロンズ製の狛犬、なかなかデザインです。全体に力強さがあり、顔の表情も凛々しく、睨みが決まっています。

吽形の狛犬を鑑賞していると、「おャ? 何だこれは?」右脚の付け根に「接合」したような「筋」を発見したのです。



明らかに、切断して継ぎ足した様に見えます。


もしかして? 「それでは」と、思い吽形の狛犬を見ると、


こちらは、阿形よりハッキリとした「接合線」がありました。


何故なんだろう? どうして何だろう? と阿吽の狛犬を見つめ考えたのです。

ブロンズ像の制作工程で、溶かした青銅が脚の先端に巧く充填出来ず、脚だけを別に作り、後で接合した? 

しかし、こんな事は、制作者としても納得がいかないだろうし、奉納される側の神社としても認めることはしない筈です。

それでは、何故、どうして・・・・・・と、考えつつ、暫く境内を散策していると、別の狛犬を見つけました。

こちらは「石造り」です。阿形は左前脚を「球形の鞠の様な物」に乗せています。


吽形は右前脚を「岩」の上に乗せています。


もしかして、先ほどのブロンズ製狛犬も、前脚が何かのポーズをとっていた可能性があります。

そこで閃いたのです。実はあの狛犬、前脚部分がかなり大胆にデザインされていたのでは?と、思ったのです。

最初は神社側も、その大胆なデザインに躊躇していたのですが、制作者の熱意に負け、そのデザインを受け入れたのです。

しかし、実際に本殿前に置かれると、周囲の風景とは違和感があり、結局は取り付け後、神社側の要請でデザイン変更がなされた・・・・・・、そんな背景が頭に浮かんできました。

それに対して、完成後のデザイン変更に制作者がなかなか納得せず、あの不完全な「接合筋」として、その気持ちを表現したでは? そんな気がしてきました。

それにしても、石の狛犬も、ブロンズの狛犬も、台座とは年代的にズレが有るように見受けられます。

どちらも、台座の方がかなり古く、同時代のものではありません。以前は別の狛犬がのっていた可能性が高いようです。

脚の接合部の事ばかり考え、制作年の確認を忘れてしまいました。もしかして、その辺の経緯の手がかりになりそうな、そんなことが台座に記されていたかも知れません。


兎に角、前脚接合狛犬は、それは、それとして「面白かった」です。


愛宕神社には、まだ面白いものがあります。


それではまた明日。 




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野田の愛宕神社「本殿の方角」と「鳥居の秘密」

2007年07月29日 | お寺・神社

昨日の続きです。

愛宕神社に到着です。交差点の中心に向かって鳥居が建っています。それがどうしたの? と思われるでしょうが、何故か?それが気になったのです。

鳥居をくぐり、石畳の参道を真っ直ぐ進と、その先に本殿が見える・・・・・・、そんな風景が想い浮かぶのです。

これまで見てきた神社のほとんどは、本殿と鳥居は「ほぼ一直線上」に建っている・・・・・・、そんな印象があるのです。



この鳥居の位置は、本殿を背にして右45度の方向にあります。本殿はほぼ真南を向いているので、鳥居の方角は南西となります。

そこで考えたのです、神社の本殿はどちらの方角を向いて建てられるのか? そして、その方角を決めるのは何なのか?

祀られている神様の「種類」によって決まるの? それと、本殿と鳥居の位置関係も気になるのです。




単に、立地条件や、敷地の形状で決まるものではない筈です。もしかして、そこには、トンデモナイ! 秘密や謎が隠されているかも? と思い、調べてみました。

ネットで探しても、それらしい答えは見つからず、近所の神社にメールで質問してみました。

9時に質問を送信し、回答は1時過ぎにありました。



    -----以下、引用-----


本殿の向きに関して、厳密な「決まり事」というものは、無いと思います。
多くの場合は、「天子は南面す」の故事より、南に向けるよう建てる事が多いのです。

故に多くの神社では、神棚等の向きも、南~東南~東に向けて頂くようにご案内しております。

また、境内地(敷地)の制約で、向きが決まってしまうケースもあると思いますし、「山」や「海」が神様である場合などは、「山」等に向かってお参りできるようにすることもあります。

位置関係については、本殿と鳥居の向きを一直線で結ぶというより、本殿の正中線と鳥居を一直線にしないように、カギの手にクランクさせているとは思います。

神様の正中線とは、本殿の中心から真っ直ぐ正面に引いたときの線をさしますが、この線は大変重要で、人間が踏むことをあまり良しとはしないのです。

故に正中線と参道が、全く一緒になる距離を少なくするという考があります。
また本殿の向きと、境内地が道路と面する分とは必ずしも一致しない場合は、当然あると思います。

道路に面して鳥居の向きは決まりますので、本殿の向きと鳥居の向きは、一緒にしなければならないわけではないのです。

以上、よろしくお願いいたします。


     -----引用終了-----



え~! そうなの? もう少し・・・こう、何とか、それらしい「謎や秘密」はないのですか? こんなもんだったのですか・・・・・・、ふ~ん。

鳥居についての説明はありませんでしたが、鳥居の役割を考えると・・・神域と人間が住む俗界との境に建てる・・・ので、本殿との関係はまったく無く、道路に面した入り口に建っていたのです。

鳥居と本殿が直線で結ばれるのは、思っていたのとは逆で、立地と敷地の条件に制約され、図らずもそうなってしまっていたのです。

神の正中線と参道の話しは「ナルホド」でした。

結局は、「決まり事」等は無く、立地条件、敷地形状で決まるようです。神社は方位に関して「うるさい」と思っていたのですが、そうでもないようです。

考えてみたら、方位に関して「いろいろ」あるのは、陰陽道とか、易学とか、風水とかで、「神道」とは関係無かったのです。

そこいら辺が頭の中で、ゴチャゴチャになっていたようです。ナルホドでした。

愛宕神社は「それなりに正しく」、参道と正中線とをずらしていたのです。


暑いなか辿り着いた愛宕神社の境内は、大きな樹が茂りとても涼しく快適でした。おじさんが一人、境内を箒で掃き清めていました。


愛宕神社には、まだまだ「面白いもの」があります。


その話しは、また明日です。 



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愛宕駅「甘くて、塩っぱい夏休み」

2007年07月28日 | 街の風景
昨日の続きです。

昨日は「シルクロード」の本を数ページ読んで寝てしまいました。朝眼を覚ますと、左手の親指と人差し指、そして手のひらの一部の「痺れ」を感じました。

もしかして、これは脳梗塞では? と思ったのです。数日前に見た「本当は怖い家庭の医学」を思い出したのです。

寝床で天井を睨み、左の手の平を何度も、握ったり開いたりしてみました。少し痺れがとれた様な気がしてきました。

よっくりと頭を左に向け手の平に視線を向けると、何と「シルクロード」の本に手首が乗り、捻った状態になっていたのです。

痺れの原因は脳梗塞ではなく、「シルクロード 第三巻 楼蘭・黒水城」でした。良かったです。安心しました。

そんなこんなの朝でした。


そうです!野田の話です。前置きが長くなりました。中華料理店「楼蘭」を後に、砂漠のような暑さの中、先ずは愛宕駅を目指しました。

途中で見つけた、私が好きな材木屋さんです。この「増田材木店」何ですが、製材された角材や板等が見あたらないのです。



店の軒下に切れ端のような板が積まれ、奥には皮付きの丸太と云うか、山から切り出したままの状態の「原木」が積まれています。

右側の倉庫のよう建物の壁には、「立ち木・伐採処理 承ります」と書いてあります。材木屋さんと云うよりも、原木を処理する「製材所」に近いようです。

愛宕駅はもうすぐです。駅に近い「野田市立第一中学校」です。コンクリート製の校門に、野田市で最初に創立した「第一中学校」としての歴史を感じさせます。



駅前の商店街。シャッターの閉まった「元店舗」です。軒先には「がらくた」と云うか、ほとんどゴミに近い怪しげな物が平台の上や、ダンボール箱の中に入っていました。


「こちらの商品、御自由にお持ち帰り下さい」と書かれた紙が貼ってあります。誰が見ても「商品」とは思えない代物です。

特に前に置かれている、草臥れ果てたブーツは、誰かが夜間に「ゴミ置き場」と間違えて捨てていた物としか思えません。

愛宕駅に到着です。ホームと駅舎は昔のままの雰囲気です。実は、愛宕駅は「夏が来ると想い出す」懐かしい駅なのです。


母の実家は「お寺」で、夏休みの間はずっと「田舎=お寺」で過ごしていました。中学校に入る頃までは、それが私の夏休みでした。

田舎に行く交通機関ですが、小学校にあがる前頃までは、家から赤羽駅まで歩き、赤羽から京浜東北線で上野駅。

上野から常磐線に乗り取手駅で降り、関東鉄道常総線に乗り換え、水海道駅で降り、バスに乗り換え、バス停からは徒歩で30分ほど歩いてやっと到着です。

あの頃、田舎はホントに、遠い、遠い、ところでした。

小学校にあがった頃、利根川に芽吹橋が架かり、田舎に行くコースが変わりました。

赤羽から京浜東北線の下りに乗り大宮まで行き、そこから「東武野田線」で「愛宕駅」でした。愛宕駅からはバスです。

このコースを2~3度、親と一緒に経験した後、2歳年上の姉と二人きりで田舎に行ったのです。姉が小学校の5~6年の頃だったと思います。

この駅前の歩道橋の下辺りにバス停がありました。当時は人通りも少なくホントに寂しい駅でした。バスを待つ時間がとても長く感じた記憶があります。

うーん。もう、50年ほど前の事なんですね。ホントに信じられないくらい長い時が経っているのです。

あの時、この日の様に暑い日だったような・・・・・・そんな気がしてきました。夏の日の、甘くて、切なくて、塩っぱい、そんな夏の想い出です。

あの頃、夏休みは最高でした。スイカにトマトに、まくわ瓜、そしてトウモロコシ。お腹イッパイ食べた夏休みです。

また、本題から逸れてしまいました。


明日は「愛宕神社」です。ナカナカ面白いですよ愛宕神社。


それではまた明日。


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野田線愛宕駅の「ローランとロプ・ノール」

2007年07月27日 | 街の風景
千葉県の野田に行って来ました。

新しい「野田シリーズ」です。野田は車では何度も通過していますが、歩くのは今回が始めてです。

車でいつも通過しているのは端っこで、通過時間は10分足らずです。今回は、歩いてじっくり観察したいと思います。


野田の町を選んだ理由は、我が家から近くて、そして、歴史がありそうに思えたからです。野田は醤油の町、煎餅の町でもあります。

この日(7月24日)は車で出かけました。事前に駐車場は野田市役所かショッピングセンターと決め手いました。この辺りの町ならば、駐車場は無料で自由に出入りできると思ったのです。

しかしです、最初の市役所に近づくと、かなり手前で入り口にゲートがあり、何やら守衛さんがチェックをしているのが見えたので、市役所はパスしました。

次はその先のショッピングセンターです。道路を右折したところでゲートを発見、しかし、後続車がいるために、仕方なくそのまま駐車券をとり駐車場に入れる事にしました。

出足から想定外の出来事に、何となくこの日の先行きの不安を感じつつ、折角だから何か買い物をしようと、ショッピングセンターに入りました。

Tシャツでもと思い、紳士服売場を20分ほど物色して歩いたのですが、これと云って気に入ったものがなく、何も買わずに車に戻りました。

多少の駐車料金を払う覚悟を決め、自動のゲートに向かい駐車券を入れたら「ありがとうございました」の声と同時にゲートが開きました。30分?以内は無料のようです。

もしかして、今日は「ツイテル!」と思い、先ほど抱いた先行きの「不安」は直ぐに消え、この日の先行きに明るさを感じたのです。

人の気持ちは「単純なきっかけ」で変わるものだと「悟り」ました。「変わる」のも、「悟る」のも、素早い自分を、こんな処で、こんな出来事で、発見してしまいました。

冗談はさておき、車を駐車しなければいけません。この日の第三の候補地、「ヤマダデンキ」に向かいました。



ここは、16号沿いにあり町の中心部からは距離があります。開店10分前に到着した為、日陰になる建物の下に駐車できました。やはり今日は先行きが明るそうです。

この日は晴れで暑かったのです。日陰に駐車出来たのはホントにラッキーです。我が家の近くのヤマダデンキでは日頃買い物をしています。

思い出しました。2週間前に、掃除機とアイロンを買ったばかりです。ですから、今日は、特に買い物をしなくても駐車は「OKナノダ!」と勝ってに決めました。

本日のコースは、愛宕駅を通り、愛宕神社、野田市街、キッコーマンの工場、野田駅、市民会館(旧キッコーマン創業者のお屋敷)を回るコースです。

16号を渡り、最初の信号です。ここを左に入ると直ぐ左手に市役所があります。左側に見える樹の茂みあたりが駐車場です。その先、右側にショッピングセンターがあります。



この信号を直進すると愛宕駅、東武野田線の駅です。野田線はJR大宮駅からJR常磐線の柏駅を通り、そしてJR総武本線の船橋駅が終着駅です。


さぁて、市役所を左に見て、交差点を直進です。歩き始めて直ぐ、この中華料理店の看板が目に入りました。

「桜蘭」。この文字、この言葉「ローラン」の響き、石坂浩二の声が聞こえてきます。


『・・・・・・北は天山山脈、南はコンロン山脈に挟まれたタクラマカン砂漠。その東の端に位置し、西域への入り口「ロ-ラン」。幻の王国「ローラン」は・・・・・・』 

シルクロードです! 遠~い、遠~い国、歴史とロマンを感じます。

楼蘭が出てくると、次に想い出すのが「さまよえる湖・幻の湖」と呼ばれる「ロプ・ノール」です。

ロプ・ノールと云えば、想い出すのはスウェーデンの探検家「スウェン・ヘディン」です。


あッ! 話しが時間的、距離的にも、野田からどんどん遠~くに離れて行きます。

今日は、ここで一旦、終了することにします。

これから「シルクロード」の本を読む事にしました。1980年に「日本放送出版協会」から発行された「シルクロード 第三巻 幻の楼蘭・黒水城」です。

頭の中が、シルクロードになってしまいました。


野田の続きは明日にします。


それではまた明日。



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希望は戦争!で「丸山眞男」に張り倒されます!

2007年07月26日 | 世間話し
知りませんでした。
今年の1月号の「論座」と云う朝日新聞社発行の月刊誌に掲載されて、一部でかなり話題になったそうです。

「論座」なんて云う「高級」な月刊誌など買ったことも、書店で手にしたこともありませんでした。

私がその事を知ったのはつい最近です。誰かのブログを見ていたら、その事にふれていました。

以前、「フリーターが戦争を望んでいる」何て話しを聞いたような気がしますが、ネタ元を知ったのは、ほんの数日前でした。

そこで「丸山眞男をひっぱきたい」で検索したら、書いた本人のサイトが見つかりました。そこで「その文章」を始めて読んだのです。

それで、読んだ感想なんですが、「やっぱり、そうか、こんな発言をする、こんな若い奴がでて来たか」と、思いました。

話題になった理由は、「論座」と云う「進歩的で、アンチ体制派的で、高級な月刊誌に掲載されたこと。

そして、タイトルです。

―――「丸山眞男」をひっぱたきたい 
           31歳フリーター。希望は、戦争。―――

これが「衝撃的」「攻撃的」「刺激的」だったようです。

戦後の日本を代表する進歩的文化人の「丸山」を「ひっぱだきたい」と思い、現状打開の手段を「戦争」に求めたことです。

タイトルの付け方がイイですね。それと結論ですが「話題性」を狙っていますね。内容的には、目新しさは特になく「極常識的」なものでした。

---以下、内容の要約---

彼の置かれている境遇が、「フリーターで月給10万、両親と同居、両親とはソリがあわない」

そして、フリーターが定職につけない原因は「バブルの崩壊」と云う時期に、就職期がたまたま重なった「ロストゼネレーション」であり、自分の努力が不足していることが原因ではない。

ワーキングプアを「ひとくくり」にするな。
「ロスゼネ」以外のワーキングプアには、チャンスがあった。しかし、「ロスゼネ」にはチャンスはなかった。

高齢者の経済対策が、豊かな生活水準を維持する要求に対して、ロスゼネ向けには、せいぜい行政による職業訓練ぐらいしか要求しない。救済レベルには大きな格差が存在する。

「ロスゼネ」と云う弱者に対して、本来は味方である筈の「労働組合」も自分達の既得権を守る為に、「ロスゼネ」に敵対している。

格差は固定化しており、流動化させる為には「戦争」が一番の解決手段である。東大出のエリートを、無学無教養の一等兵が上官として、横っ面を張り倒すことができる。

戦争は「失うものを持つ者」にとっては「悲惨」であるが、「失うものが無い者」にとっては「チャンス」である。

平和は、悲惨な現状の固定化であり、戦争は、悲惨な現状の流動化である。

-----以上、要約-----

以下、結論的部分の抜粋です。

 私たちだって右肩上がりの時代ならば「今はフリーターでも、いつか正社員になって妻や子どもを養う」という夢ぐらいは持てたのかもしれない。だが、給料が増えず、平和なままの流動性なき今の日本では、我々はいつまでたっても貧困から抜け出すことはできない。

 我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。その可能性のひとつが、戦争である。

しかし、それでも、と思う。
 それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないでほしいと。
 
 しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。

-----抜粋終了-----

さぁて、ここからが私の意見と感想です。

ロスゼネには「同情」します。私が彼と同じ時期に就職活動を行っていれば、間違いなく、フリーターの彼と同じ境遇になっていたでしょう。

私の時代は高度成長期、彼の時代はバブル崩壊期、生まれた時代が悪かったのです。普通の能力の人では、普通に暮らせない世の中です。

しかし、ロスゼネは全員がフリーターではありません。高度成長期も全員が豊かになった訳でもない、それも事実です。

そこら辺が「ムズカシイ」のです。そこら辺で「お前が単に怠け者なだけで、全てを社会の責任にするな」と云う意見も出てくるのです。確かに、そういう面もあります。

彼の現状認識では、格差の固定化は「経済の停滞」が原因であり、経済が成長し景気が良くなれば、フリーターにも正規雇用の道が開かれる・・・と思っているのです。これは、単純な結論です。

経済が成長し景気が良くなっても、単純労働には「それなりの賃金」しか、支払われません。単純労働の競争相手は、海外の低賃金労働者です。

彼が、自分達「ロスゼネ」の不平等を国民全員で共有すべきと云っています。

が、しかしです。彼が少ないと云っている収入を、大変に「魅力的高収入」だと考え、仕事を自分達にも回せと要求している労働者は海外に沢山いるのです。

発展途上国は、不平等を全世界で共有すべきと云って来ます。

法律的な規制により、国内労働者を保護したならば、景気は減速するか、企業は益々海外に出て行き、仕事は無くなります。ここが「ムズカシイ」のです。

そして、結論の「戦争」ですが、彼の想像する「戦争」は、国家間の通常兵力による長期戦です。

しかし、そのような「戦争」を想定するのは、「非現実的」で単純です。可能性の高いのは、紛争地帯へ「派兵」です。

第二次大戦後のアメリカが主導して闘った戦争の朝鮮、ベトナム、中東のパターンです。この戦争では流動化は起きませんでした。

非正規雇用の貧しい労働者が犠牲になります。「丸山眞男」は、戦略を考えるだけです。血を流し「張り倒され」、死んで行くのは「フリーター」の人達です。

まぁ。彼も「本気」で戦争を望んでいる訳でもありません。注目してほしいのです。

経済成長や戦争によって「格差」の「拡大・固定化」を解決することは不可能です。考え方が「古い」です。

若いのだから、もっと新しい解決方法を考えなさい。そちらの方が「現実的」です。


団塊世代の端っこに生まれた「おじさん」は、そう思うのです。


答えはきっと有る筈です。


それではまた明日。


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誰も、何も、考えない!これが秘訣だった!?

2007年07月25日 | 世間話し
参議院選挙選挙の投票日が近づきました。

どうしましょうかね?

以前に、理念、理想を掲げて選挙戦を戦うべきと書きましたが、やはり、「消えた年金」が最大の争点です。

自分がいくら貰えるのか? 自分の年金は消えているのか? 身近で切実ですからね。

しかし、でも、そんな「銭金」の事で「騒いで」いいのでしょうか? 参議院はそんな目先の事を考えるところでしょうか?

やるべき事は、将来の日本の形を決める憲法論議です。政党は分かり易く説明すべきであり、国民は理解する為の努力をするべきです。

でも、そんな事、する訳がないですね。

そもそも、選挙があっても、自分の選挙区で誰が立候補しているのか? 選挙公約は? 選挙区と比例区の違いは?比例区は候補者名? 政党名?どっちを書くの?そんな人にも選挙権があります。

そして、何故か?そんな人は棄権する率が低いのです。兎に角、投票には行くのです。投票を「義務」と思っています。

そして、そのような人は、あまりと云うか、ほとんど考えないで、近所の知り合いに云われた候補者に投票します。

世の中、何も考えない人達の投票で政治家が選ばれ、そして、政治の事は考えず、選挙の事しか考えない政治家によって、官僚が作った「政治」を承認しているのです。

官僚は、国益よりもの省益を考えます。それでは誰が全体を把握し国益を考えているのでしょうか?

誰も考えていないのです。考えなくても、これまでは暮らしてこられました。


普通の人が、普通に暮らせた世の中から、普通の人は、「それなりに」しか暮らせない世の中になってしまいました。


銭金だけを考えていると、いつかきっと、三食を満足に食べられないのが、普通の人の、普通の暮らしになってしまいます。


将来の不安よりも、明日の食事が不安になる時代が近づいて来る?


銭金が一番と思っている人も、銭金以外の事も自分で考え投票しましょう。


それでもやっぱり、自分で考えるのは面倒だと思ったら、その時の「風」に乗りに投票しましょう。

今、風は野党に吹いています。風に逆らってはいけません。


政権政党が変われば、長期政権の「垢=政・官・業の癒着等」だけは落とせます。官僚にも多少は緊張感が生まれるでしょう。


「消えた年金」も長期政権の垢です。


理念、理想のことは、垢を落とした後からでも大丈夫でしょう。


民主主義は時間がかかります。民主主義は絶対ではないですし、民主的に「独裁」も選択できます。


「民主主義は「独裁」よりも、多少「大きな間違い」を起こし難い程度のシステムです。そして、今、それが一番イイシステムです。


それではまた明日。 



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西武池袋線「人のいる風景」

2007年07月24日 | 東京の風景
一昨日の続きです。そしてシリーズ最終回です。


富士見台駅に到着です。ここにも居ました「あしたのジョー」


なかなかオシャレな駅です。


駅前商店街は特に面白いものも無く、商店街を抜け住宅街に入り木陰に佇み一息ついていると、老夫婦が目の前をゆっくりと通り過ぎて行きました。

付かず離れずの微妙な距離を保っています。70代のご夫婦でしょう。70代までは、そこそこ元気に歩けるのです。

80代に入ると身体の動きが不安定になり、自分の意志どおりに動かなくなります。明らかに老人となります。

このお二人の後ろ姿を見送りながら、微笑ましさ、寂しさ、歳を重ねる儚さ、自分のこれからの姿への想い・・・・・・、いろいろと考え、じっと見つめてしまいました。

あのご夫婦は、何処からか、帰られたのか? それとも、これから何処かへ、出かけるのか? きっと、これまでに、いろいろな事があり、今、二人は黙って微妙な距離を保ちながら、いつも二人で一緒に歩いているのでしょう。

さぁて、これから私の歩いて行く先に何があるのか? ドラマチックな出来事が起きるのでしょうか? まだまだこれからです。人生は人それぞれにドラマチックなのです。

老夫婦を見送り、汗が引いたところで、私も二人が去った方向に歩き始めました。高架を潜り、高架沿いの道を一人り黙々と・・・・・・額は直ぐに汗で濡れてきます。

額に汗して働くのは美しいですが、暑い昼日中、カメラぶら下げ額に汗してウロキョロするのは、かなり怪しく思われます。

この高架沿いの風景が気に入りました。
木造モルタル2階建て、典型的な都会の片隅的民間アパート、ドアの脇には洗濯機が置かれています。

周りの風景は片隅的アパートとは対照的に、赤い煉瓦が敷き詰められたオシャレな歩道。

そして、設置されている遊具はまだ新しいのに、何故かフェンスで囲われ閉鎖された児童公園。大きな樹に青い空と白い雲。


洗濯機に寄りかかりながら、携帯で盛んにメールをしている茶髪の若い女性の姿が見えます。ここの住人を待っているようです。前に置かれている自転車は彼女が乗ってきたものでしょう。

彼女に何かがあったのか?、それとも、これから何かが起きるのか? それがどんなドラマなのか? 

事の顛末を見届けたいのですが、これはテレビドラマではなく現実です、残念ながらそういう事は出来ません。

ここの住人は男性です。決め手は、部屋が一階で有ること、そしてカーテンの色です。彼女は男の帰りを待っているのです。そう云う匂いが漂っています。


知らない町の何処かで、知らない人達が、毎日、いろいろな出来事を経験をしている・・・・・・。歩いていると、そんな事に出会うのです、不思議です面白いです。


今日で、このシリーズは終了です。


最初の予定では、西武新宿線上井草駅から、西武池袋線を越えて東武東上線常盤台駅まで歩き、沿線間のイメージの空白を埋める予定でした。

しかし、当日の暑さにより、常盤台を断念し豊島園に変更したのですが、結局は二つ手前の中村橋駅から帰路に就くことになりました。



兎に角、新宿線と池袋線の空白は埋まりました。この先の常盤台までは今後の、楽しみに取って置きます。


それでは、最後までお付き合いして下さった皆さん、ホントにありがとう御座います。

これからも宜しくお願いします。



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やっぱりだった!?琴光喜 

2007年07月23日 | 相撲の話し
今日は、昨日の続きでは有りません。
シリーズはお休みです。


大相撲名古屋場所の話しです、やっぱり、「終わってみれば朝青龍」でした。


琴光喜の大関取りには、ほとんど、まったく期待していませんでした。今度もまた、後半で失速してしまうと思ったのです。

琴光喜は「最強の関脇」で終わるものと思っていました。佐渡ヶ嶽部屋の先輩関脇の長谷川、琴錦の関脇在位記録21場所を今場所で破り、歴代1位となり今後は更新し続けると、そう思っていました。

琴光喜に何があったのか? 今場所の琴光喜は違っていました。たぶん、本人も、これが「最後」だとして、今場所に全てを賭けたのでしょう。



10日目に横綱白鵬を敗って10連勝したときには、もしかして「全勝優勝」して大関に! 何て期待して、連日テレビの前で応援していたのです。



そして、白鵬戦の翌日に朝青龍と対戦して負けました。6勝29敗のトラウマに勝てなかったようです。

今場所の琴光喜は「心技体」全てにおいて朝青龍を上回っていました。しかし、この一戦で、朝青龍は息を吹き返し、琴光喜は以前の気の弱い面が顔を出し始めたのです。


そして、千秋楽、琴光喜は稀勢の里に完敗しました。いつもの「気の弱い琴光喜」に戻っていました。


後半に崩れる琴光喜、気が弱く、考え込む琴光喜、そういう面を含めて人気があるのでしょう。

それと、琴欧州のだらしなさ、佐渡ヶ嶽部屋は気が弱い力士が多いようです。今の親方「琴の若」もそうでした。

しかし、兎に角、今場所は「琴光喜」に楽しませてもらいました。

大関昇進! おめでとう! ガンバレ! 琴光喜!


それではまた明日。

明日はシリーズ再開です。



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西武池袋線富士見台駅の「シャルマンとコロッケ」

2007年07月22日 | 東京の風景

昨日の続きです。

石神井公園駅から豊島園を目指し、線路に沿って歩き始め、高野台駅を通り過ぎ、富士見台駅の手前まで来ました。

商店街に入ります。最初に眼を引いたのは、この「シャルマン」です。

「シャルマン」と云うと思い出すのは、その昔ダイハツが出していた小型大衆車「シャルマン」です。

車名には記憶があるのですが、どんなスタイルの車だったか、全く覚えていません。仏蘭西語で魅力的と云う意味のシャルマン、語感が良かったので耳に残っていただと思います。

それで、このスナックのシャルマンの方何ですが。

モルタル外壁に直接描かれた、所々が消えかけた看板の文字が気になるのです。左上に書かれている、専門店の前の文字が消えていて、何の専門店なのか?とても気になるのです。

スナック専門店と云う事はあり得ませんし、スナックの支店は聞いた事がありません。

それに、消えかけた支店の場所ですが、銀座店、渋谷店はハッキリ読みとれます。都会の一等地です。それ以外にも5店ほどの支店、ただ者ではありません。これはなかなかの専門店だったようです。

『今は、この様な小さくて、うらぶれたスナックに「身を窶し」ているが、その昔、銀座にまで進出した「業界」では、それなりに名の知れた専門店であったのだァ!』と、経営者の叫びが聞こえて来そうな看板です。

まぁ。それにしても何の専門店だったのでしょうか? 気になります。それにしても、この薄さが「魅力的」です。気に入りましたシャルマン。


商店街をウロキョロしながら歩くのはホントに楽しいです。特に「食べ物屋」の看板、手書きメニューに食品サンプルは見ていて飽きないのです。

この店は、激しくメニューを貼りまくって繁盛を演出しています。こういう「こだわり」のない、町のおソバ屋さんも好きです。

日替わりサービス。カツ丼、親子丼、牛丼の「定食」が700円です。


これがカツ丼などの「丼ぶり定食」のサンプルです。サラダに蕎麦が付いて700円はリーズナブルです。

サンプルは当然、実際のものより1~2割ボリュームアップされています。サラタ菜はかなり大きめになっています。

器の蓋までディスプレイされている処に、涙ぐましい努力の跡を感じます。その努力はいつか? きっと? 花開き? 実を結ぶ? かも知れません。

こういう組み合わせは「○○丼セット」って普通は呼ぶのですが、この店では「○○定食」と独自の呼び方をしています。

本日はビールに、お酒も「サービス価格」のようです。カツ丼定食にビール何て組み合わせは、今日の日よりにビッタリな気がします。血糖値は上昇しますけどね。


向かいの「カレーショップ」は、そば屋さんと違い、かなり「こだわって」います。お米は「新潟産コシヒカリ」を使用しています。カレーに合うのでしょうか?

本日のサービス品はコロッケカレーで550円。今年の4月12日に青砥の駅前商店街のカレーショップで食べたコロッケカレーも、その日はサービス価格で550円でした。

青砥では、揚げたてコロッケが2個入っていましたが、この店は何個入っているのでしょうか? 「天然水を使用」は調理に使っていると云う意味でしょうね。コップに入れて出す「お冷や」は、もしかして? いや。たぶん水道水?


もうすぐ、富士見台の駅、その先が中村橋、そして次が練馬駅です。練馬駅から分かれて支線に入って「豊島園駅」です。


それではまた明日。

コメント (3)
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