相変わらず、前回の続きとなります。
春日部で、通称は旧日光街道で、徳川幕府お墨付きの正式名称は「日光道中」で、、その昔は日光海道の、粕壁宿を歩いております。
前回は、案内板の説明に、図らずも、楯突いたりして、どうも、あら探し体質が、この身に染みついているようです。
これは、長年、品質管理で糊口をしのいできた職業病と云うか、その後遺症と云うか、持って生まれた体質と云うか、兎に角、自分なりに、それなりに、仕方がないものと、そう、受けとめているのです。
なんか、冒頭から、とても、弱気な発言になっています。実は、何を隠そう、つい先日、人間ドックの受診の際、胃の内視鏡検査で表面に突起があり、組織を採取したのでした。
悪性なのか?良性なのか?その判決が明日下るのです。まあ、まあ、大丈夫と楽観はしているのですが、それは、それで、それなりに気になるのです。
まあ、気にしても、気にしなくても、結論が変わることは無いのです。明日の11時半になれば分かることです。
はい、それでは、粕壁宿とまいります。
奥まったところに白壁の蔵。蔵もそれなりにいいのですが、
左手の母家の佇まいの方が、とても魅力的です。ガラス戸の格子の造りが、昭和初期の香りを漂わせています。母家も蔵もパンフのコースには入っていません。
こちらの丸八酒店の裏に母家が見えるので、丸八さんのお宅でしょうか?
蔵の方は間違いなく丸八さん所有のようです。 蔵の両開きの格子扉は洋風です。
こちらは、コースには無くて、パンフの絵地図には載っている「永島庄兵衛商店」となります。
このお宅の屋根では、こんなお方が睨みをきかせています。守り神の「鍾馗(しょうき)様」です。鍾馗様と云えば、端午の節句でお馴染みの方です。中国の道教系の神様です。
店頭には写真と説明文が置かれています。それによると、『永島庄兵衛商店は江戸初期より米穀商としてこの地で商いを行っていた、周囲には多くの米穀商があった、現在残っているのはここだけ、建物は明治の初期のもの、現在も営業中』だそうです。
そして、ちょっと先には、この黒漆喰の重厚な蔵。これが、春日部市で唯一の「 国の登録有形文化財」となります、「浜島家住宅土蔵」です。登録は2015年3月26日です。
「登録有形文化財」は、国指定の「重要文化財」とは異なります。 登録数は今年の3月27日現在で11,690件だそうです。
原則として築50年を過ぎて、①地域の歴史的景観に貢献、②時代の特色を表した造形、③再現が困難、のいずれかが基準。だそうです。
50年は何か、とても、とても、つい最近だと思います。今から50年前と云えば、1968年ですよ、その頃の物で①・②・③に当て嵌まるものは皆無では。
たぶん法律制定時の時代感覚だと思います。制定当時の50年前は昭和初期になるのでは?
それで、調べて見たら、この法律は平成8年10月1日に、文化財保護法の一部を改正して、「文化財登録制度」が導入されたのでした。今から、たった22年前でした。
22年前の50年前は、今から72年前で1941年で、昭和16年ですから、まあ、まあ、昭和初期ですから、それなりの時代です。
でも、現時点で、わたし的には、有形文化財保護の対象は、少なくても、7~80年から100年ぐらい経過して初めて保護の対象だと思うのです。私も生まれて68年。つい最近なのです。
それで、最近の登録状況を調べて見たら、やはり、新しくても昭和初期からで、明治、大正が大半でした。運用的には築後50年は適用していないようです。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/pdf/r1392281_21.pdf
その中では、2013年に6月21日に登録された東京タワーだけは例外です。1958年完成で、2013年時点で築後55年でした。まあ、東京タワーは当然OKです。
それで、登録の特典ですが、保存や修理の設計監理費の補助や減税の処置が受けられるそうです。また、内装改修や一部の外観変更に届け出はいらないそうで、なんか、かなり緩いのです。
それにしても、重量感、重厚感がタップリとあります。
でも、また、何か、とても、新しい感覚の、新しい、最近できた気がしないでも無いのです。外装はつい最近?もしかしてモルタル仕上げですか?
それにしても、何重にも重ねられた、この扉の重量感は半端ではありません。
鬼瓦の前には家紋ではなく「濱」の文字。
浜島家の住宅土蔵、コレまで観て来た蔵よりは、確かに見応えがありました。
因みに、春日部市の有形登録文化財はもう一件あり、2006年3月27日に登録された「新井家住宅主屋 」です。
こちらは、市街地からかなり離れた春日部市倉常757-1にあるそうです。こちらは江戸時代に建てられたそうです。
詳細はこちら
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/185333
こちらのページに建物の写真が載っているのですが、何処をどう見ても、江戸時代の建物には見えません。窓枠の白いアルミサッシが目立つ、どう見ても十数年前か、数十年前の建物としか見えないのです。何か、よく分からない有形登録文化財です。
はい、こちらが、粕壁宿のどん詰まり「最勝院」となります。
粕壁宿歩きは、東陽寺に始まって最勝院でお終いとなります。粕壁宿は距離にして1.1㎞でした。
でも、しかし、まだ、この春日部シリーズは、あとたぶん、2回ほど続きそうです。次回は、最勝院を少し触れて、裏道、横道に入ります。
そして、昼が近づいたので、歩く見る食べるの「食べる」もあります。
それでは、また次回。