歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

安倍自公政権の腐敗堕落の数々が今以上顕著になれば二・二六事件は再来する? 

2019年12月25日 | 世間話し

二・二六事件のお話ですが、

第一回が11月30日 草取り筋肉痛で!令和の時代に二・二六事件を考える!

 
第二回が12月6日で安倍自公政権で!もしかして令和の2・26事件は終わっている?
 
第三回が12日で二・二六事件!皇道派!統制派!帝国主義時代の挙国一致!で戦争へ!
 
第四回が19日で松本清張「天城越え」!川端康成「伊豆の踊子」!対立の構図!
 
と、云う事で、本日は第五回目となります。
 
第一回から一ヶ月近く経過し、226事件への興味が、すこし薄らいでいるのですが、惚け防止の為にも、ここは一発奮起して、頭の中を一ヶ月前の状態に戻します。
 
まあ、事の起こりは、

8月15日に放送されたNスペ「全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る~」の録画を最近になって見たり。 

1ヶ月ほど前に『「松本清張」で読む昭和史』(2019年10月10日第一刷発行 NHK出版新書)が新聞広告で目にとまり、久しぶりにAmazonではなく、書店で買い求めたり。

そんなこんなで、去年の4月に起きた「自衛官による国会議員罵倒事件」の事を、ふと、思い起こしたのでした。

この事件、罵倒されたのが民進党の小西洋之衆議院議員。彼は集団的自衛権は憲法違反として政府を追及した方です。

罵倒したのが、「統合幕僚監部」指揮通信システム部所属、防衛大卒で三十代の三等空佐。事件の日はジョギング中で「私服」。

事件現場は国会前の路上、三等空佐は小西議員であることも、集団的自衛権の違憲主張も、承知の上で、自分は自衛官と告げ「国益を損なう・おまえはバカ・気持ち悪い・国民の敵」と、何度も不適切な発言を浴びせた事件。

彼の所属していた「統合幕僚監部」とは、昔の大本営であり、参謀本部、軍令部といった存在。まさに、エリート中のエリート。

 

※統合幕僚監部組織図 防衛省HPより転載

でも、しかし、そんなエリート中のエリートが起こした事件としては、ある意味で、軽率で、浅はかで、自衛隊の中枢のエリートが、この程度?と、思ったりもするのです。

でも、でも、しかし、なのです。二・二六事件を起こした皇道派の将校達と、どこか似ている気がするのです。後先を考えずに、行動してしまう、そんな皇道派。

そんな皇道派を利用して、権力を握った統制派。どちらも念いはひとつで、目指すは「軍事独裁政権」

事件を起こした自衛官は、軽い「訓告処分」で事件は終了。

たぶん、自衛官にも個人として思想の自由はあり、当日、公務外であったこと、私服であったことことで、個人の立場での発言との解釈で、「防衛省」は軽い処分としたのでしょう。

でも、しかし、彼は当日「自分は自衛官である」と、小西議員に告げているのです。

これは明らかに「個人」としてでは無く、自衛官として、軍事組織を背景としての発言。この事実は重いと思います。

私服であっても、自衛官と名乗れば、制服でなくとも、完全武装でなくとも、それ相応の威嚇になるとの考えていた筈。

彼は、実力組織を、武装組織を、暴力装置を、充分に意識して、背景として、威嚇として自衛官を名乗っていた筈です。

その筋から漏れ伺う話として、 小西議員を「国民の敵」と罵倒した三等空佐は、かねてから「河野統合幕僚長」から目をかけられていたそうです。

彼の行動は、それなりに、明らかに「鉄砲玉」としての、戦後民主主義に対しての、戦後憲法に対しての、脅威として、組織的背景が伺われるのです。

以前にも、航空幕僚長の田母神俊雄氏が、政府見解の「村山談話」を否定したり、核武装を主張した論文を発表して、更迭された事件が2008年にありました。

どちらの事件も、昔の軍部エリートと比較して、とても、とても、民主主義にも、国内政治にも、国際政治にも、歴史的知識にも、一般教養にも、稚拙で、この程度が自衛隊の中枢と、ある意味で安心したり?

でも、安心しては危ないのです。稚拙でも、無知でも、彼らは武器を持っているのです。

軍事組織は、軍隊は、いつの時代も変わらないのです。

いくら論理で否定しても、対立する個人を、組織を、問答無用で、占拠制圧し、斬り殺され、撃ち殺され、何の抵抗もできず、抹殺され、それでお終い。

それでも、今のところは、これまで矛先は野党に向けられていました。

でも、でも、しかし、現状、改憲を主張する自民党政治家の、安倍政権の、腐敗堕落の数々が、いま以上顕著になれば、与党政治家にその矛先が向かう事でしょう。

安倍政権の末期が、戦後民主主義の終焉と重なる、そんな不幸な事態が起きる可能性はゼロでは無いと、そう思うのです。

 

本日、曇り空で気温も低く、かなり、かなり、悲観的なお話となりました。

歴史は二度繰り返すと云います。

二・二六事件で軍国主義!を、日本は一度しか経験していません。

♪もう一度~ ♪もう一度~ かもね?

こんな暗い話の後で云うのは何ですが、今年最後の更新です。

兎に角、皆さん!良いお年を!

それでは、また、来年!

 

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松本清張「天城越え」!川端康成「伊豆の踊子」!対立の構図!

2019年12月19日 | テレビの話し

前回、前々回より、二・二六事件関連お話を綴っています。

話はすこしだけ?逸れますが、先日、何処の局だったか?忘れましたがNHKではないBS放送で「松本清張生誕110年」番組(2時間)が放送されました。

いつもの録画視聴ではないので、以下の話に多少の記憶違いが紛れ込んで居るかも知れません。

それで、番組は阿刀田高氏、山本一力氏、それに名前を忘れたお方の、鼎談と資料映像を挟んだ構成。

いろいろ、それなりに語られたのですが、一番印象に残ったのは阿刀田高氏の「天城越え」の出筆動機に対する推測でした。

阿刀田高氏曰く、「天城越え」は、川端康成の「伊豆の踊子」に対して、対抗意識と云うか?敵意むき出しと云うか?そのような作品だとの指摘。

舞台も時代設定も同じで、しかし、天城峠を越えるのも逆コースで、登場人物はエリートと貧乏人、清純な乙女と娼婦。

清張は、純文学の、文壇の、大御所の、川端の、存在に、あまり、快く思っていなかった。

これに、山本一力氏は、なるほど納得!腑に落ちる!目から鱗的な、驚きの反応。

川端康成、明治32年生まれで、東京帝国大学卒、1968ノーベル文学賞。1972年自殺。

松本清張、明治42年生(1909年)まれで、高等小学校卒、昭和28年(1953年)『「或る小倉日記」伝』で芥川賞。

「伊豆の踊子」は昭和元年(1926年)の発表で、松本清張は当時17歳。「天城越え」は昭和34年(1959年)の作品。

舞台は伊豆で同一、時代設定も大正15年(1926年)と同一。

しかし、「伊豆の踊子」は帝大生と行きずりの素朴で清純な踊子との、美しくも哀しい純愛物語。

「天城越え」は、家から逃げ出した貧しい16歳の少年が、行きずりの娼婦に淡い恋心を抱く。しかし、娼婦は客に殺される。ある意味、美しくも哀しい純愛物語。

※1978年NHK製作「天城越え」少年役が鶴見辰吾、娼婦役が大谷直子。いまからほぼ42年前の作品、鶴見辰吾が可愛い!大谷直子も若い! この作品、清張さんがちょい役で顔を出しています。

それで、阿刀田氏の指摘ですが、調べてみたら、以前より、いろいろな方達から指摘されている話でした。

番組の中で、阿刀田氏の話し方、山本氏の驚き方、いかにも、独自の新解釈的に聞こえたのです。

「天城越え」の発表が59年、そして、61年の頃から、松本清張、水上勉らの「社会派推理小説等・中間小説」の台頭で、純文学の位置づけに変化が起きたのでした。

大衆娯楽小説も、中間小説も、純文学も、どれもこれも、低級高級とか、上下とか、左右とかは無いのです。みんな一緒。

私的には「伊豆の踊子」、映画、テレビドラマで何回か見ています。確かに、高等遊民の私小説であり、お花畑的な、甘っちょろいお坊ちゃまの夢想話、と、思ったりしています。

まあ、清張さんと川端、政治的にも、保守と革新、右側と左側で、体型も「細身と太身」、作品も「細身と太身」、生まれも育ちも学歴も、あらゆる面で対立的なのでした。

兎に角、清張さんも、私も、川端は嫌い。

今回、二・二六事件の話が、冒頭から終わりまで、松本清張と川端康成の対立話で、逸れっぱなしでした。まあ、よくあること。

次回は、きっと、間違いなく? 二・二六話に戻ります。

今日も寒い!

それでは、また。

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二・二六事件!皇道派!統制派!帝国主義時代の挙国一致!で戦争へ!

2019年12月12日 | 世間話し

前回の続き、二・二六事件のお話です。

半藤一利著「昭和史1926-1945」(平凡社)とか、原武史著「松本清張で読む昭和史」(NHK出版)とか、その他の関連本とか、NHKスペシャルとか、そんな、こんなの感想を綴っています。

二・二六事件は、昭和11(1936年)年2月26日に、千四百名の将兵が首都東京で決起、首相官邸、警視庁を占拠。天皇親政の軍事独裁政権樹立を目指した軍事クーデター。4日後の29日に鎮圧される。

※ウィキペディアより転載

私が生まれたのが昭和25年ですから、生まれる14年前の出来事。そして、今からだと、84年前の事になります。

生まれる14年前だと、とても身近に感じるし、今から84年前と考えると、遠い過去の出来事。

一応、それなりに時代背景で、歴史のお勉強。

昭和元年(1926年 昭和の年号+25が西暦)

  2年 昭和金融恐慌 南京事件 

  4年 世界恐慌 

  5年 ロンドン海軍軍縮会議

  6年 満州事変

  7年 3月満州国建国 

      5月5・15事件 海軍青年将校が犬養毅を暗殺5・15事件 

     8年  国際連盟脱退

    11年   二・二六事件

    12年   盧溝橋事件 ・日中戦争

    13年   国家総動員法が制定

  14年   ドイツ軍ポーランド侵攻で第二次大戦

    15年   日独伊の三国同盟が成立

    16年   真珠湾攻撃で太平洋戦争開戦

226事件の前後の、世界は、日本は、ざっくりこんな世情なのでした。

それで、226事件で出てくるのが、陸軍の皇道派と統制派の対立話。簡単にまとめると、早い話、方法論の違い。

私的には、

皇道派は感覚的で精神主義的で、個人重視で、天皇を本心で神と信じ、天皇の元に挙国一致で国難を打開し、変革を考える、ある意味、とても、とても、純粋、純真な勢力。

統制派は冷静で、理論的で、政治的で、官僚的で、組織的で、帝国主義の時代、天皇制と云う統治機構の有効性を認め、建前として天皇を神とする勢力。

だった、と、理解します。

まあ、どちらにしても、目指すところは「天皇を頂点とした軍事独裁国家」の樹立です。

統治形態としての天皇制を認める勢力と、神としての天皇制を純粋に信じる勢力は、今でも存在していると考えます。

兎に角、時代背景として、世界は帝国主義の、植民地の時代で、領土分捕り合戦で、資源分捕り合戦、食うか食われるかで、すべては武力で、戦争で、総力戦で、解決の時代。

226事件は皇道派の青年将校が起こした訳ですが、初日は、首相官邸、警視庁を占拠し、主要閣僚を暗殺し、軍上層部も同調する様子を見せ、それなりに成功したかに見えたのです。

決起軍は権力の中枢機関を占拠した後の、具体的な行動計画は考えていなかったのです。決起したことで、天皇に声が届き、我々に味方する、と、都合良く考えていたのです。

しかし、昭和天皇は彼らの思いとは異なり、決起した将兵千四百名を反乱軍としたのです。クーデター軍は大誤算で、ほどなく鎮圧され、首謀者の17名は死刑。

結果、皇道派は軍中枢から排除され、統制派が中心となり、この頃より、国体は天皇を中心とする軍事独裁政権として、変化し確立されていくのです。

問答無用で、斬り殺され、撃ち殺される現実を見せつけた、この反乱軍の行動は、軍隊への、軍人への、武装組織への恐怖を世間に抱かせたのでした。

官僚にも、政治家にも、文化人にも、学者にも、言論人にも、一般人にも、大きな影響を与えたのです。

権力に逆らう者は、生命の危機にさらされる恐怖。

226事件の対応により、昭和天皇は、最高権力者としての、大元帥としての、権威・権力を、実質的にも確立されたのです。

 

話の途中ですが、本日はこれまでとします。

 

それでは、また。

 

 

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安倍自公政権で!もしかして令和の2・26事件は終わっている?

2019年12月06日 | 世間話し

2・26事件ですけども、もしかして、令和の時代に、陸上自衛隊のクーデターとして、再発するような、そんな気がするきょうこの頃なのです。

森加計事件も、桜を見る会事件も、安倍晋三個人への、友人知人への利益誘導。そのこと自体問題ですが、それ以上に、安倍自公政権の対応は、正気の沙汰ではなく、完全に狂っています。

書類は隠蔽、改ざん、廃棄。国会答弁、記者会見では、知らぬ存ぜぬ、回答拒否です。民主主義のルールでは対応不可能状態。

政権の中枢が、あの安倍・麻生で、長期政権で、民主主義の破壊なんて事には、とても、とても、考えが及ばないのです。

そうなると、これは、実力行使で、武力で、反乱で、軍事クーデターで、226事件とか、革命とか・・・。

ふつうの一般国民は、茹でがえる状態で、気がついたらもう手遅れで、反乱を起こすなんて事は、まったくなし?

右翼と云うか、反左翼と云うか、日本会議と云うか、そういう方々からは、安倍自公政権への反発の声は聞こえてきません。

これって、もしかして、事態は、もっと、もっと、深刻?で、世の中は、もう、詰んでいる?

もしかして、クーデーターは必要ない?終わっている? 現在、もう、安倍自公政権は独裁政権? 

まあ、そこまでは、と、思うのですが、選挙権と云う、主権を行使して、安倍自公政権から、別の政権に変えることは、今のところ法的には可能です。

でも、でも、こんな政権でも、選挙には勝ってしまい、7年も続いているのです。まさに、まさに、小選挙区マジックと、政権と結託したマスコミの、悪夢の民主党政権攻撃と、マスコミの選挙諦め作戦の成果。

しかし、それにしても、新聞テレビの報道内容への介入、懐柔、威嚇は何故に可能なのか?

中国やロシアのように、政権に逆らうと、身体の拘束、抹殺が待っています。この日本では、たぶん?ありません。

だからと云って、総理とマスコミ関係者の会食だけでは、介入・懐柔・威嚇は不可能です。

やはり、ここは、古今東西、身体拘束・抹殺の他に、「お金と地位の提供」です。官僚には直接的に人事権の行使で可能です。

日本放送協会には、法的にも人事予算で介入が可能です。では、民間の、新聞、テレビとなると、どうする?

民放テレビ局は国からの認可事業ですから、権力の介入は、それなりに容易です。そして、民放キー局は、大手新聞社の資本系列にあります。まあ、テレビも新聞も、一心同体。

言論人も人の子、金には弱い。政権批判は金にならない、政権ヨイショ!は金になる、これですか。

それとも、やはり、上級国民の方々、官僚も、マスコミ人も、勝ち組で、既得権益で、一蓮托生で、価値を共有している?

話が、226事件から、すこしだけ?それてしまいました。

226事件は次回とします。

 

それでは、また。

 

 

 

 

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