年末年始の休暇宣言をした途端に、取手駅前で“通り魔事件”が発生しました。
私としては、それなりに用事があって、ついでに立ち寄ったつもりでしたが、かなり暇人ですから、それなりに、駅前、病院、消防署、警察署などの様子も見て来てしまいました。
取手駅から病院へは5~6分、病院から消防署へは2~3分、消防署から警察署へは1分と、水戸街道を水戸方面に向かって並んでいて、我が家へ帰るコースに点在するのです。
それで、駅前の現場に着いたのは2時ごろでした。
それとなく、報道関係者の姿が、警察の車両も、警察官の姿も、まったくありませんでした。
このマイクを持った方、見覚えがあります。
ここが事件現場のバス発着場。ここに停車中に事件は起きたのです。
この方、フジTVだったような。
こちらはTBS。
こちらフジTVの中継車。
駅前から“ケガ人”搬送された「取手協同病院」に立ち寄ったのですが、病院内でビデオカメラを担いだ男と、2、3人の男女がロビーをうろついていました。外には、“構内禁煙”貼り紙の前で、風体の怪しい報道関係者がタバコを吸いつつ立ち話をしていました。
病院から消防署へ行くと、玄関前で報道関係者らしき男性1名が携帯で通話中でした。
取手警察署前には、TBSに、日本テレビに、フジテレビに、“無印”に、合計4台の中継車が止まっていました。
報道関係者が居ます。
でも、何か、暇そうなのです。
駅前でもそうでしたが、取材していると云うよりも、暇をもてあましているような、単に“たむろして”いる様な、何となく世間話をしている様な、なんとも、緊張感の無い風景なのです。
“緊張”した現場から“生中継”、マイクを持ち現場などを手で指し示しながら、“こちら、事件が発生した現場です”何て、緊迫した中継がありますが、緊迫、緊張は生本番の時だけで、後はボンヤリ立ち話?
記者とか、レポーターとか、カメラマンとか、その他外回りの現場関係の人達は、拘束時間が長く、早朝も深夜も無く働いているように見えるのですが、移動時間とか、待ち時間とかが長いだけで、緊張する瞬間は一瞬なのかも知れません。
報道関係者の方々は、何かダラダラで、ボンヤリで、とても退屈そうでした。
まぁ、そんな報道関係者を、ボンヤリ見つめている私は、相当に暇人なのです。
兎に角、被害者に重傷とか、重体とかの方は居られなかったようで、不幸中の幸いでした。
それにしても、現場のバス停の柵の上に置かれていた“花束”は、何だったのでしょうか? 向かいが“お花屋さん”でしたから騒ぎのドサクサで、誰かが落としっていった?
これで、現場からの報告を終わります。
それでは、良いお年を。
私としては、それなりに用事があって、ついでに立ち寄ったつもりでしたが、かなり暇人ですから、それなりに、駅前、病院、消防署、警察署などの様子も見て来てしまいました。
取手駅から病院へは5~6分、病院から消防署へは2~3分、消防署から警察署へは1分と、水戸街道を水戸方面に向かって並んでいて、我が家へ帰るコースに点在するのです。
それで、駅前の現場に着いたのは2時ごろでした。
それとなく、報道関係者の姿が、警察の車両も、警察官の姿も、まったくありませんでした。
このマイクを持った方、見覚えがあります。
ここが事件現場のバス発着場。ここに停車中に事件は起きたのです。
この方、フジTVだったような。
こちらはTBS。
こちらフジTVの中継車。
駅前から“ケガ人”搬送された「取手協同病院」に立ち寄ったのですが、病院内でビデオカメラを担いだ男と、2、3人の男女がロビーをうろついていました。外には、“構内禁煙”貼り紙の前で、風体の怪しい報道関係者がタバコを吸いつつ立ち話をしていました。
病院から消防署へ行くと、玄関前で報道関係者らしき男性1名が携帯で通話中でした。
取手警察署前には、TBSに、日本テレビに、フジテレビに、“無印”に、合計4台の中継車が止まっていました。
報道関係者が居ます。
でも、何か、暇そうなのです。
駅前でもそうでしたが、取材していると云うよりも、暇をもてあましているような、単に“たむろして”いる様な、何となく世間話をしている様な、なんとも、緊張感の無い風景なのです。
“緊張”した現場から“生中継”、マイクを持ち現場などを手で指し示しながら、“こちら、事件が発生した現場です”何て、緊迫した中継がありますが、緊迫、緊張は生本番の時だけで、後はボンヤリ立ち話?
記者とか、レポーターとか、カメラマンとか、その他外回りの現場関係の人達は、拘束時間が長く、早朝も深夜も無く働いているように見えるのですが、移動時間とか、待ち時間とかが長いだけで、緊張する瞬間は一瞬なのかも知れません。
報道関係者の方々は、何かダラダラで、ボンヤリで、とても退屈そうでした。
まぁ、そんな報道関係者を、ボンヤリ見つめている私は、相当に暇人なのです。
兎に角、被害者に重傷とか、重体とかの方は居られなかったようで、不幸中の幸いでした。
それにしても、現場のバス停の柵の上に置かれていた“花束”は、何だったのでしょうか? 向かいが“お花屋さん”でしたから騒ぎのドサクサで、誰かが落としっていった?
これで、現場からの報告を終わります。
それでは、良いお年を。
え~と、突然ですが、一足早く、本日より、年末年始の休みに入ることを決定しました。
年明けは、まあ、だいたい、3日か?、4日か?、5日か? そのあたりから、ぼちぼち再開したいと思っております。
それでは、皆さん、良いお年をお迎え下さい。
年明けは、まあ、だいたい、3日か?、4日か?、5日か? そのあたりから、ぼちぼち再開したいと思っております。
それでは、皆さん、良いお年をお迎え下さい。
昨日の続きです。
今日は午前中出掛けていました。外は小雨で気温は3度、天気情報で新潟を見ると雪になっていました。新潟はもう真冬なのです。雪国へは雪の季節に行った方が・・・とは、思うのですが、やっぱり寒いのは・・・ちょっとです。
寒い雪国には、暖かい料理があると思うのですが、ここは、やっぱり、新潟県民、新潟市民に長年愛され続けている“イタリアン”でいきたいと思います。
最初に“イタリアン”と聞いた時は、まぁ、“イタリアン”と云っても、そこは、それ、新潟でイタリアンですから、かなり特殊で、かなり限定的で、かなりイタリアとの関連は希薄な食べ物とは想像していました。
それで、調べて見たら、これなんです。新潟地方のイタリア料理店の創作料理ではなく、“甘味処的なお店”の創作のようです。まさに、Bグルメの王道を行く一品です。
1959年(昭和34)に、新潟市の甘味喫茶「みかづき」の経営者「三日月晴三氏」の考案だそうです。私が9歳の頃に、新潟では、こんな食べ物が考えられていたのです。それにしても「三日月晴三氏」ですが、いかにも“イタリアン”を考え付きそうなお名前です。
私が未だ9歳の頃に、ニッポンの、日本海側の、新潟市で、これを“イタリアン”と名付けて販売したことは、それなりに頷けます。今時こういう食べ物を考案し、それを“イタリアン”と名付ける方が、もし、いたとしたら、それは、もう、経営は行き詰まることでしょう。
あの頃の庶民にとっては、フォークもナイフも珍しく、「焼きそばも“フォーク”で食べればイタリアン」だったのです。
私も、その頃、年に一度だけ池袋のデパートで“お子様ランチ”をフォークとナイフを使い、誇らしげに食べていたのです。フォークとナイフを使って食べれば、どんな“食い物”も“西洋料理”なのでした。
“みかずき”のページより転載
自家製太麺とキャベツ・もやしを特製ソースで炒め、粉チーズで味付け。
白生姜(紅生姜じゃないのがミソ) を添え、特製トマトソースをかけて提供
しています。
初めて見る人は「なに、これ?」って思うかも。
見た目や歯ごたえは焼きうどんのよう・・・でも、中華麺なので「焼きそば」
なのです。
なぜかトマトソースが合うんですよ。
フォークで食べるのもおもしろいでしょ?
他にも定番ではカレーソース・ホワイトソースなどがあり、季節によって別バ
ージョンが出ます。
もやしとキャベツがたくさん入ってるのでビタミン・ミネラル・食物繊維などが
多く含まれていて、特に女性のお客様に喜ばれているようです。
毎日食べても飽きない味・・・という点でも、「イタリアン」かもしれませんね。
(イタリアの日常食、つまりイタリア料理って、毎日食べても飽きないそうですか
ら。)
※セットメニュー
転載終了。
最後の行に、
【毎日食べても飽きない味・・・という点でも、「イタリアン」かもしれませんね。(イタリアの日常食、つまりイタリア料理って、毎日食べても飽きないそうですから。)】
とありますが、イタリア料理に限らず、ドイツ料理でも、フランス料理でも、中国料理でも、ベトナム料理でも、日本料理でも、その国の国民は“毎日食べても飽きないと思いますけど。
“みかずき”のページは価格等が良く判らないので、長岡を中心に営業している“イタリアン”のお店“フレンド”のメニュー表を載せました。フレンドでは“餃子”とのセットが売りのようです。
“フレンド”より転載
転載終了。
いろいろあるようですが、60歳を過ぎたオジサンには、チョット、これは・・・で、あまり食欲はそそられないのですが、新潟に来て“イタリアン”を食べないのも、何ですから、一応、話しのタネに、“みかずき”で、“フツーのイタリアン”を単品で頂いてみようと思います。
今日は、ホントに寒い!
それでは、また明日。
今日は午前中出掛けていました。外は小雨で気温は3度、天気情報で新潟を見ると雪になっていました。新潟はもう真冬なのです。雪国へは雪の季節に行った方が・・・とは、思うのですが、やっぱり寒いのは・・・ちょっとです。
寒い雪国には、暖かい料理があると思うのですが、ここは、やっぱり、新潟県民、新潟市民に長年愛され続けている“イタリアン”でいきたいと思います。
最初に“イタリアン”と聞いた時は、まぁ、“イタリアン”と云っても、そこは、それ、新潟でイタリアンですから、かなり特殊で、かなり限定的で、かなりイタリアとの関連は希薄な食べ物とは想像していました。
それで、調べて見たら、これなんです。新潟地方のイタリア料理店の創作料理ではなく、“甘味処的なお店”の創作のようです。まさに、Bグルメの王道を行く一品です。
1959年(昭和34)に、新潟市の甘味喫茶「みかづき」の経営者「三日月晴三氏」の考案だそうです。私が9歳の頃に、新潟では、こんな食べ物が考えられていたのです。それにしても「三日月晴三氏」ですが、いかにも“イタリアン”を考え付きそうなお名前です。
私が未だ9歳の頃に、ニッポンの、日本海側の、新潟市で、これを“イタリアン”と名付けて販売したことは、それなりに頷けます。今時こういう食べ物を考案し、それを“イタリアン”と名付ける方が、もし、いたとしたら、それは、もう、経営は行き詰まることでしょう。
あの頃の庶民にとっては、フォークもナイフも珍しく、「焼きそばも“フォーク”で食べればイタリアン」だったのです。
私も、その頃、年に一度だけ池袋のデパートで“お子様ランチ”をフォークとナイフを使い、誇らしげに食べていたのです。フォークとナイフを使って食べれば、どんな“食い物”も“西洋料理”なのでした。
“みかずき”のページより転載
自家製太麺とキャベツ・もやしを特製ソースで炒め、粉チーズで味付け。
白生姜(紅生姜じゃないのがミソ) を添え、特製トマトソースをかけて提供
しています。
初めて見る人は「なに、これ?」って思うかも。
見た目や歯ごたえは焼きうどんのよう・・・でも、中華麺なので「焼きそば」
なのです。
なぜかトマトソースが合うんですよ。
フォークで食べるのもおもしろいでしょ?
他にも定番ではカレーソース・ホワイトソースなどがあり、季節によって別バ
ージョンが出ます。
もやしとキャベツがたくさん入ってるのでビタミン・ミネラル・食物繊維などが
多く含まれていて、特に女性のお客様に喜ばれているようです。
毎日食べても飽きない味・・・という点でも、「イタリアン」かもしれませんね。
(イタリアの日常食、つまりイタリア料理って、毎日食べても飽きないそうですか
ら。)
※セットメニュー
転載終了。
最後の行に、
【毎日食べても飽きない味・・・という点でも、「イタリアン」かもしれませんね。(イタリアの日常食、つまりイタリア料理って、毎日食べても飽きないそうですから。)】
とありますが、イタリア料理に限らず、ドイツ料理でも、フランス料理でも、中国料理でも、ベトナム料理でも、日本料理でも、その国の国民は“毎日食べても飽きないと思いますけど。
“みかずき”のページは価格等が良く判らないので、長岡を中心に営業している“イタリアン”のお店“フレンド”のメニュー表を載せました。フレンドでは“餃子”とのセットが売りのようです。
“フレンド”より転載
転載終了。
いろいろあるようですが、60歳を過ぎたオジサンには、チョット、これは・・・で、あまり食欲はそそられないのですが、新潟に来て“イタリアン”を食べないのも、何ですから、一応、話しのタネに、“みかずき”で、“フツーのイタリアン”を単品で頂いてみようと思います。
今日は、ホントに寒い!
それでは、また明日。
昨日の続きです。
それで、ホントに昨日の続きで、“タレカツ丼”の説明のついでに、ちょっこと触れた“ソースカツ丼”何ですが、昨日書き終わってから、ふと思い出したのです。
それは、浅草の“河金”と云うお店のことです。あれは、今から何年前になるのやら、記憶があまりハッキリしないのです。店は“国際劇場”の跡地にできた“浅草ビューホテル”の脇に「あった」のです。
河金のことは、本か雑誌で知ったのだと思います。浅草ではそれなりに有名で、昔から芸人とか文士とかが出入りしていた“とんかつ屋さん”だったのです。
店に行ったのは、未だ東京に住んで居た頃で、国際劇場がホテルに変わった数年後だったような気がするのです。ホテルが開業したのが1985年(昭和60年)の9月ですから、1990年前後のような・・・・・・。
でも、しかし、今でも、ハッキリ覚えているのは、店の屋根に建っていた“とんかつ 河金”の白地の看板です。煙突の補強鉄骨に取り付けられていたような・・・、看板単独で建ったいたような・・・・・・。
兎に角、こんな看板が浅草通りからもハッキリ見えたのです。それで、河金(かわかね)の名物は“カツカレー丼”でした。しかし、その日、何故か? 私は“ソースカツ丼”を注文したのです。
カツ丼の中で、“ソースカツ丼”は一度も食べていなかったこと、そして、店の中では“河金特製トンカツソース”と書かれたラベルを貼ったソースが売られていたことが、判断を誤らせた原因でした。
1918年(大正7年)に“河金丼”として誕生した“カツカレー丼”を押しのけて、注文してしまった“ソースカツ丼”には、見事に期待を裏切られました。
店の外観を見た時から、店内に足を踏み入れた時から、どうも“様子”が“かなり変”だったのです。
店の向かいは出来立てピカピカの高層ホテル、ところが河金はと云えば、大正から続く老舗と云うよりも、何とかやっとこ生き延びて、老いぼれて、くすんで、うらぶれて、これが!あの河金?と云うような、寂しげな外観でした。
外観に驚きつつ、店内に入ると、そこはもう、場末の、昭和の、定食屋さんと云った様子。薄暗く、埃っぽく、床はコンクリートの打ちっ放しで、長年の汚れで黒ずんでいるのです。
昼時を少し過ぎていたと思います。店内に客は一人も居ませんでした。
テーブルはパイプ脚のデコラテーブル、表面のデコラはあちこちにヒビが入り隅の方は欠けているのです。何かの間違い? 何かトンデモナイ店に入ってしまったと思いつつ、店内の様子をいろいろと見回したのです。
あまり小綺麗でないオジサンが椅子に座ってテレビを眺め、奥の厨房にもう一人の従業員が居るようでした。
そんな風景のなかで食べる“ソースカツ丼”は、なんとも寂しい味がしました。浅草が華やかに賑わって居た頃は、河金にも勢いがあり、トンカツにも勢いがあり、美味しくて、繁盛していたのでしょう。
浅草が寂れ、国際劇場が閉館し、河金も寂れていったのでしょう。それから暫くして、河金は閉店したようです。わたしの食べた“ソースカツ丼”には、浅草の歴史が、それなりにつまっていたのかも・・・・・・。
今でも河金の流れをくむ店は浅草近辺に何軒かあるようです。いつの日にか、元祖“河金のカツカレー丼”を食べて見たいと思います。懐かしい味だと聞いてます。
今日は、新潟を離れ、浅草に来てしまいました。あすから、また新潟に戻ります。
それでは、また明日。
それで、ホントに昨日の続きで、“タレカツ丼”の説明のついでに、ちょっこと触れた“ソースカツ丼”何ですが、昨日書き終わってから、ふと思い出したのです。
それは、浅草の“河金”と云うお店のことです。あれは、今から何年前になるのやら、記憶があまりハッキリしないのです。店は“国際劇場”の跡地にできた“浅草ビューホテル”の脇に「あった」のです。
河金のことは、本か雑誌で知ったのだと思います。浅草ではそれなりに有名で、昔から芸人とか文士とかが出入りしていた“とんかつ屋さん”だったのです。
店に行ったのは、未だ東京に住んで居た頃で、国際劇場がホテルに変わった数年後だったような気がするのです。ホテルが開業したのが1985年(昭和60年)の9月ですから、1990年前後のような・・・・・・。
でも、しかし、今でも、ハッキリ覚えているのは、店の屋根に建っていた“とんかつ 河金”の白地の看板です。煙突の補強鉄骨に取り付けられていたような・・・、看板単独で建ったいたような・・・・・・。
兎に角、こんな看板が浅草通りからもハッキリ見えたのです。それで、河金(かわかね)の名物は“カツカレー丼”でした。しかし、その日、何故か? 私は“ソースカツ丼”を注文したのです。
カツ丼の中で、“ソースカツ丼”は一度も食べていなかったこと、そして、店の中では“河金特製トンカツソース”と書かれたラベルを貼ったソースが売られていたことが、判断を誤らせた原因でした。
1918年(大正7年)に“河金丼”として誕生した“カツカレー丼”を押しのけて、注文してしまった“ソースカツ丼”には、見事に期待を裏切られました。
店の外観を見た時から、店内に足を踏み入れた時から、どうも“様子”が“かなり変”だったのです。
店の向かいは出来立てピカピカの高層ホテル、ところが河金はと云えば、大正から続く老舗と云うよりも、何とかやっとこ生き延びて、老いぼれて、くすんで、うらぶれて、これが!あの河金?と云うような、寂しげな外観でした。
外観に驚きつつ、店内に入ると、そこはもう、場末の、昭和の、定食屋さんと云った様子。薄暗く、埃っぽく、床はコンクリートの打ちっ放しで、長年の汚れで黒ずんでいるのです。
昼時を少し過ぎていたと思います。店内に客は一人も居ませんでした。
テーブルはパイプ脚のデコラテーブル、表面のデコラはあちこちにヒビが入り隅の方は欠けているのです。何かの間違い? 何かトンデモナイ店に入ってしまったと思いつつ、店内の様子をいろいろと見回したのです。
あまり小綺麗でないオジサンが椅子に座ってテレビを眺め、奥の厨房にもう一人の従業員が居るようでした。
そんな風景のなかで食べる“ソースカツ丼”は、なんとも寂しい味がしました。浅草が華やかに賑わって居た頃は、河金にも勢いがあり、トンカツにも勢いがあり、美味しくて、繁盛していたのでしょう。
浅草が寂れ、国際劇場が閉館し、河金も寂れていったのでしょう。それから暫くして、河金は閉店したようです。わたしの食べた“ソースカツ丼”には、浅草の歴史が、それなりにつまっていたのかも・・・・・・。
今でも河金の流れをくむ店は浅草近辺に何軒かあるようです。いつの日にか、元祖“河金のカツカレー丼”を食べて見たいと思います。懐かしい味だと聞いてます。
今日は、新潟を離れ、浅草に来てしまいました。あすから、また新潟に戻ります。
それでは、また明日。
昨日の続きです。
いよいよ、“食い物”の話しになります。新潟と聞いて思い浮かぶ食べ物と云ったら、何故か、すぐに・・・思い浮かぶものが無かったのです。
海に面しているので、それなりに海の幸は豊富なのでしょうが・・・・・・。ハタハタ、しょっつる、きりたんぽ、いぶりがっこ、は隣の秋田県だし、日本海のカニは越前だし・・・・・・。
新潟と云えば、やっぱり“お米”で、魚沼産コシヒカリで、旨い米で旨い酒で、越乃寒梅・八海山で、柿の種で、農産物関係になってしまうのでしょうか。
そんなことで、新潟を調べていたら、“タレカツ丼”に“イタリアン”に出会ったのです。県民、市民に相当愛されている事を、今回はじめて知ったのです。
タレカツ丼は数年前にテレビ紹介されたのをボンヤリ覚えていました。しかし、それが、何処の町で食べられているのかは、今回初めて知ったのです。イタリアンの方は、これまで、見たことも聞いたこともありませんでした。
これが“タレカツ丼” 新潟では“タレカツ”が当たり前で、“カツ丼”と云えば、普通にタレカツ丼の事を指すそうなのです。
※Wikipediaより
普通に眺めると、いわゆる“カツ丼”と比較して、何か寂しい景色に見えるのです。やっぱり、タマネギがあって卵でとじてあって、時には、グリンピースだとか、紅ショウガだとか、三つ葉だとかのトッピングがあったりして、それなりに華やかな方が・・・何て、思ったりするのです。
カツだけでの、一本勝負の“タレカツ丼”は、一体どんな味わいなのでしょうか。タレカツですから“タレ”が味の決め手になるわけです。一般的なタレかつ丼の、タレの材料構成は、鰹と昆布の合わせ出汁に、醤油に、味醂に、砂糖がベースなようです。
材料構成は「卵とじカツ丼」のタレとは変わらないようです。揚げたカツをタレに潜らせご飯にのせるだけですから、タレは、卵とじ方式よりも、それなりに“濃い目”の味付けなのでしょう。
“タレ潜らせ方式”は、天丼方式や、鰻丼方式に近い濃さでは?、と推測します。どちらも、継ぎ足し方式で、天種の旨味、油の旨味、ウナギの旨味等が、醤油ベースのタレと渾然一体となり、長い年月をかけて熟成され、それは、もう、何とも云えない、まねのできない、その店の味をつくるのです。
それで、このタレカツ丼は、いったい誰がいつ頃考えたのか? カツ丼と云えば、卵とじカツ丼です。
※Wikipediaより
そして、卵とじカツ丼より古いのが、ソースカツ丼です。
※Wikipediaより
私の大胆かつ緻密な推測としては、カツだけをご飯にのせる「ソースカツ丼」と、揚げてタレに潜らす「天丼」とを“両親”として誕生したのが、“タレカツ丼”ではないかと思うのです。たぶん、きっと、間違い無い。
それで、タレカツ丼発祥の秘密を探ってみたのです。
卵とじカツ丼や、ソースカツ丼は、いつ誰が考案?は諸説あるようですが、タレカツ丼については、1945年(昭和20年)に新潟市の「とんかつ太郎」初代店主が考案し広めたと、ハッキリしているのです。
それで、「とんかつ太郎」のページを見たのです。
以下転載
薄めのパン粉に包まれ、サクッとした歯ごたえ。
伝統の味、一度食べたら病みつきになること間違いなし!
とんかつ太郎の歴史は、昭和初期に遡ります。
当時、新潟市の中心部には堀が巡らされ、堀の縁にはさまざまな屋台店が
軒を連ねていました。私たちとんかつ太郎も、そんな屋台発祥店のひとつです。
初代の小松道太郎は、当時モダンな料理だったかつレツを大胆にも醤油ダレに
くぐらせてご飯の上にのせて提供しました。
このオリジナル料理が新潟の人に大いにウケて、いまや「新潟のかつ丼スタイル」
として定着したのです。
と書かれてあり、年代は昭和初期とだけ書かれていて、昭和20年と明確には記されていません。そんな重大事件でも、大発見でもないですから、タレカツ丼の完成を記録には残っていないのです。
たぶん、いろいろと試行錯誤の末、いつの頃か現在の形態が完成したのであり、何年何月何日、タレカツ丼完成!なんて記録は誰も付けていないのです。ですから昭和初期が、正しく、正直なのでしょう。
それで、こんな感じで、こんな価格です。
かつ丼 970円
かつカレー 970円
とんかつ定食 1470円
どれも旨そうです!リーズナブルな価格設定です。絶対に食べたい! 誰が、何と云おうと、新潟に行ったら絶対に喰うぞォ! かつカレーも食べたい!
中央区古町6番町973番地に「かつ太郎」はあります。ストリートビューで見ると、間口は一間半程度の小さな庶民的なお店です。
お腹が減ってきたので、今日は、ここでお終い。
それでは、また明日。
いよいよ、“食い物”の話しになります。新潟と聞いて思い浮かぶ食べ物と云ったら、何故か、すぐに・・・思い浮かぶものが無かったのです。
海に面しているので、それなりに海の幸は豊富なのでしょうが・・・・・・。ハタハタ、しょっつる、きりたんぽ、いぶりがっこ、は隣の秋田県だし、日本海のカニは越前だし・・・・・・。
新潟と云えば、やっぱり“お米”で、魚沼産コシヒカリで、旨い米で旨い酒で、越乃寒梅・八海山で、柿の種で、農産物関係になってしまうのでしょうか。
そんなことで、新潟を調べていたら、“タレカツ丼”に“イタリアン”に出会ったのです。県民、市民に相当愛されている事を、今回はじめて知ったのです。
タレカツ丼は数年前にテレビ紹介されたのをボンヤリ覚えていました。しかし、それが、何処の町で食べられているのかは、今回初めて知ったのです。イタリアンの方は、これまで、見たことも聞いたこともありませんでした。
これが“タレカツ丼” 新潟では“タレカツ”が当たり前で、“カツ丼”と云えば、普通にタレカツ丼の事を指すそうなのです。
※Wikipediaより
普通に眺めると、いわゆる“カツ丼”と比較して、何か寂しい景色に見えるのです。やっぱり、タマネギがあって卵でとじてあって、時には、グリンピースだとか、紅ショウガだとか、三つ葉だとかのトッピングがあったりして、それなりに華やかな方が・・・何て、思ったりするのです。
カツだけでの、一本勝負の“タレカツ丼”は、一体どんな味わいなのでしょうか。タレカツですから“タレ”が味の決め手になるわけです。一般的なタレかつ丼の、タレの材料構成は、鰹と昆布の合わせ出汁に、醤油に、味醂に、砂糖がベースなようです。
材料構成は「卵とじカツ丼」のタレとは変わらないようです。揚げたカツをタレに潜らせご飯にのせるだけですから、タレは、卵とじ方式よりも、それなりに“濃い目”の味付けなのでしょう。
“タレ潜らせ方式”は、天丼方式や、鰻丼方式に近い濃さでは?、と推測します。どちらも、継ぎ足し方式で、天種の旨味、油の旨味、ウナギの旨味等が、醤油ベースのタレと渾然一体となり、長い年月をかけて熟成され、それは、もう、何とも云えない、まねのできない、その店の味をつくるのです。
それで、このタレカツ丼は、いったい誰がいつ頃考えたのか? カツ丼と云えば、卵とじカツ丼です。
※Wikipediaより
そして、卵とじカツ丼より古いのが、ソースカツ丼です。
※Wikipediaより
私の大胆かつ緻密な推測としては、カツだけをご飯にのせる「ソースカツ丼」と、揚げてタレに潜らす「天丼」とを“両親”として誕生したのが、“タレカツ丼”ではないかと思うのです。たぶん、きっと、間違い無い。
それで、タレカツ丼発祥の秘密を探ってみたのです。
卵とじカツ丼や、ソースカツ丼は、いつ誰が考案?は諸説あるようですが、タレカツ丼については、1945年(昭和20年)に新潟市の「とんかつ太郎」初代店主が考案し広めたと、ハッキリしているのです。
それで、「とんかつ太郎」のページを見たのです。
以下転載
薄めのパン粉に包まれ、サクッとした歯ごたえ。
伝統の味、一度食べたら病みつきになること間違いなし!
とんかつ太郎の歴史は、昭和初期に遡ります。
当時、新潟市の中心部には堀が巡らされ、堀の縁にはさまざまな屋台店が
軒を連ねていました。私たちとんかつ太郎も、そんな屋台発祥店のひとつです。
初代の小松道太郎は、当時モダンな料理だったかつレツを大胆にも醤油ダレに
くぐらせてご飯の上にのせて提供しました。
このオリジナル料理が新潟の人に大いにウケて、いまや「新潟のかつ丼スタイル」
として定着したのです。
と書かれてあり、年代は昭和初期とだけ書かれていて、昭和20年と明確には記されていません。そんな重大事件でも、大発見でもないですから、タレカツ丼の完成を記録には残っていないのです。
たぶん、いろいろと試行錯誤の末、いつの頃か現在の形態が完成したのであり、何年何月何日、タレカツ丼完成!なんて記録は誰も付けていないのです。ですから昭和初期が、正しく、正直なのでしょう。
それで、こんな感じで、こんな価格です。
かつ丼 970円
かつカレー 970円
とんかつ定食 1470円
どれも旨そうです!リーズナブルな価格設定です。絶対に食べたい! 誰が、何と云おうと、新潟に行ったら絶対に喰うぞォ! かつカレーも食べたい!
中央区古町6番町973番地に「かつ太郎」はあります。ストリートビューで見ると、間口は一間半程度の小さな庶民的なお店です。
お腹が減ってきたので、今日は、ここでお終い。
それでは、また明日。
先週からの続きです。
今日は月曜日で窓の外は霧雨で寒いです。毎日が日曜日なのですが、やはり、むかしの気分が抜けきらないのか、週の初めと云うものは、どうも、いまいち気分がのらないのです。
それでは、ボチボチ、元気を出して、新潟市内をいろいろと探っていきたいと思います。それで、新潟島の“みなとぴあ”から行ってみたいと思います。
信濃川の河口近くで、対岸iは“万代フェリーターミナル”や“朱鷺メッセ”が見えるようです。佐渡島へのフェリーは、きっとここから出港するのでしょう。
ガイド地図を見ると、市立歴史博物館があったり、旧新潟税関庁舎、旧第四銀行住吉支店、建物が保存展示されているようです。
“みなとぴあ”のサイトを見ると、こんな配置で建っているようです。左が歴史博物館で、中央が旧新潟税関庁舎で、右が旧第四銀行住吉支店のようです
こちらが歴史博物館で、開館は2004年(平成16年)3月27日だそうで、つい最近にできたようです。そうすると、この建物は歴史博物館として、それなりに歴史的建物風にデザインしたものなの?
※Wikipediaより転載
事業主体は新潟市で管理運営は「財団法人新潟市芸術文化振興財団」がおこなっているのです。料金は大人300円です。
こちらが「旧新潟税関庁舎」明治2年(1869)に建てられた建物で、開国当時の税関庁舎は、新潟・横浜・函館・長崎・神戸の5港にあったそうで、現存する税関税関庁舎はここだけだそうで、ある意味“取り残された?”他は、いつ頃、どうなってしまったのでしょう。
※Wikipediaより転載
昭和41年まで実際に使用され1969年(昭和44年)に、国の重要文化財に指定されています。と云う事は、1869年から1966年までの97年間も使用されて、ちょうど百年目に“重要文化財”になった訳です。兎に角、残ったモノ勝ち。
こちらが昭和2年月竣工の“旧第四銀行住吉支店”です。「旧第四銀行」何て聞くと、遠いむかしの銀行のように思ってしまったのですが、“第四銀行”は今でも、その名前で現役で新潟県を中心に営業していました。
内部は公開されていて、1階はレストラン「ぽるとカーブドッチ」が営業していて、2階は貸し会議室等になっているそうです。
※新潟市公式観光情報サイトより転載
因みに、こんな感じの室内で、こんな感じの食事が、
※ホームページより転載
【ランチタイム】 11:30~15:00(LO)
気軽に召し上がれるパスタセットから、本格的な洋風料理まで、幅広い要望にお応えできるメニューとなっております。登録文化財である重厚な石造りの建築の中、時の経つのを忘れゆったりとお過ごしください。
・オードブル
・スープ
・天然酵母パンorライス
・メイン料理・デザート・コーヒー付
【メイン料理】
・マダラのソテー~ケッパーとアンチョビのクリームソース~ ¥1.700
・ブイヤベース ¥2,600
・真鯛のソテー~キノコのリゾット添え 赤ワインソース~ ¥2.300
・オーストラリア産牛ヒレ肉のステーキ ~コショウ風味のソース~ ¥3.000
・国産豚肉のソテーとホホ肉の赤ワイン煮込み ¥2,400
・越の鶏のソテー ~プルーンとフォアグラのソース ~ ¥1.900
・本日のパスタセット ¥1.400
パスタのメニューにはデザートがついておりません。デザート単品(¥400)をご用意しております。
以上。こんな感じで、こんな価格でいただけます。
なかなか雰囲気もあり、けっこうだと思います。でも、しかし、せっかく新潟に来たのですから、新潟らしい食事をしたいと思うのです。
このところ“建物関係”の話しが続いたので、そろそろ、やっぱり、“食い物関係”の話がしたくなりました。本日はこれでお終い、次回は“食い物”です。
そとは霧雨から小雨に変わり、気温は朝よりも下がってきました。この様子では、もしかして新潟は雪?
それでは、また明日。
今日は月曜日で窓の外は霧雨で寒いです。毎日が日曜日なのですが、やはり、むかしの気分が抜けきらないのか、週の初めと云うものは、どうも、いまいち気分がのらないのです。
それでは、ボチボチ、元気を出して、新潟市内をいろいろと探っていきたいと思います。それで、新潟島の“みなとぴあ”から行ってみたいと思います。
信濃川の河口近くで、対岸iは“万代フェリーターミナル”や“朱鷺メッセ”が見えるようです。佐渡島へのフェリーは、きっとここから出港するのでしょう。
ガイド地図を見ると、市立歴史博物館があったり、旧新潟税関庁舎、旧第四銀行住吉支店、建物が保存展示されているようです。
“みなとぴあ”のサイトを見ると、こんな配置で建っているようです。左が歴史博物館で、中央が旧新潟税関庁舎で、右が旧第四銀行住吉支店のようです
こちらが歴史博物館で、開館は2004年(平成16年)3月27日だそうで、つい最近にできたようです。そうすると、この建物は歴史博物館として、それなりに歴史的建物風にデザインしたものなの?
※Wikipediaより転載
事業主体は新潟市で管理運営は「財団法人新潟市芸術文化振興財団」がおこなっているのです。料金は大人300円です。
こちらが「旧新潟税関庁舎」明治2年(1869)に建てられた建物で、開国当時の税関庁舎は、新潟・横浜・函館・長崎・神戸の5港にあったそうで、現存する税関税関庁舎はここだけだそうで、ある意味“取り残された?”他は、いつ頃、どうなってしまったのでしょう。
※Wikipediaより転載
昭和41年まで実際に使用され1969年(昭和44年)に、国の重要文化財に指定されています。と云う事は、1869年から1966年までの97年間も使用されて、ちょうど百年目に“重要文化財”になった訳です。兎に角、残ったモノ勝ち。
こちらが昭和2年月竣工の“旧第四銀行住吉支店”です。「旧第四銀行」何て聞くと、遠いむかしの銀行のように思ってしまったのですが、“第四銀行”は今でも、その名前で現役で新潟県を中心に営業していました。
内部は公開されていて、1階はレストラン「ぽるとカーブドッチ」が営業していて、2階は貸し会議室等になっているそうです。
※新潟市公式観光情報サイトより転載
因みに、こんな感じの室内で、こんな感じの食事が、
※ホームページより転載
【ランチタイム】 11:30~15:00(LO)
気軽に召し上がれるパスタセットから、本格的な洋風料理まで、幅広い要望にお応えできるメニューとなっております。登録文化財である重厚な石造りの建築の中、時の経つのを忘れゆったりとお過ごしください。
・オードブル
・スープ
・天然酵母パンorライス
・メイン料理・デザート・コーヒー付
【メイン料理】
・マダラのソテー~ケッパーとアンチョビのクリームソース~ ¥1.700
・ブイヤベース ¥2,600
・真鯛のソテー~キノコのリゾット添え 赤ワインソース~ ¥2.300
・オーストラリア産牛ヒレ肉のステーキ ~コショウ風味のソース~ ¥3.000
・国産豚肉のソテーとホホ肉の赤ワイン煮込み ¥2,400
・越の鶏のソテー ~プルーンとフォアグラのソース ~ ¥1.900
・本日のパスタセット ¥1.400
パスタのメニューにはデザートがついておりません。デザート単品(¥400)をご用意しております。
以上。こんな感じで、こんな価格でいただけます。
なかなか雰囲気もあり、けっこうだと思います。でも、しかし、せっかく新潟に来たのですから、新潟らしい食事をしたいと思うのです。
このところ“建物関係”の話しが続いたので、そろそろ、やっぱり、“食い物関係”の話がしたくなりました。本日はこれでお終い、次回は“食い物”です。
そとは霧雨から小雨に変わり、気温は朝よりも下がってきました。この様子では、もしかして新潟は雪?
それでは、また明日。