暇な私でも年末はそれなりに
慌ただしい気持ちになるものです
ノンビリとプログを書いては居られないのです
障子貼り 風呂場の掃除 レンジフードの油落とし
照明器具の埃落とし 窓のガラス磨き
たぶん そのうちの幾つかは
暖かい季節に延期されるかも知れませんが
それなりに いろいろと あるのです
皆さんも 忙しいので こんな駄文を
読んでいる暇は 無いと 思うのです
12月29日から1月3日 お休みします
それでは よいお年しをお迎え下さい
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昨日の続きです。
先ずは本堂にお参りです。
「愛染明王」がご本尊として祀られています。この写真はこの寺の「愛染明王」ではありません。
人間の煩悩としての「愛情・情欲」を「仏の悟り」に変える力をもつ明王です。額の真ん中にある「眼」は、女性性器を現しているとの「俗説」があります。
かなり、生々しさを感じる仏像です。そうです、「愛染」と云うと“愛染恭子”を思い出します。1980年代「かなり」話題になったポルノ女優です。
可愛らしい不動明王です。
家光が植えたと伝えられているそうです。将軍だったのは1623年~1651年ですから、晩年の1651年に植えたとしても、樹齢356年と云うことになります。多分史実ではないでしょう。
銀杏の下に「六体の地蔵菩薩」が並んでいます。
なかなか素朴で歴史を感じる、可愛いお顔をしています。
立派な「観世音菩薩」です。観音様は色っぽいです。
大師堂の前には二人のお坊さんが立っています。
真言宗の宗祖である“弘法大師”【宝亀5年(774年)~承和2年(835年)】こと“空海”です。
興教大師。覚鑁(かくばん)嘉保2年(1095年)~康治2年(1144年)
この「覚鑁」さんが、平安時代後期に、堕落した真言宗を立て直しに活躍したそうで、真言宗「中興の祖」と云われているそうで、それで「興教大師」なのです。
宗祖空海が、中国より「愛染明王」を伝えており、「情欲・愛欲」に対して肯定的なため、腐敗堕落し易いのかもしれません。
確かに、真面目で頑固そうな顔をしています。この人ならば「情欲・愛欲」、すべての「煩悩」に打ち勝ち、悟りを開く顔をしています。
こちらは石碑に線で刻まれた弘法大師です。よく見ると右手に「鯖」をぶら下げています。“鯖大師”とあります。
【弘法大師が旅僧の姿で鯖を請うたのに、商人または馬子が荷物の鯖を与えなかったため罰せられたという伝説から生まれた「鯖大師」の信仰】
鯖を3年間絶ってご祈念すると願い事が叶い、病気が治り、幸福になれるそうです。お茶絶ち、お酒絶ち、煙草絶ち等よりも簡単そうです。
境内はあまり広くないのですが、なかなか密度の濃いお寺でした。
如意山 今乗院 萬徳寺、とても良かったです。
それでは、また明日。
昨日の続きです。
風呂屋の裏口を通り過ぎ、右に折れて直ぐに左に折れると、商店街の外れに出ました。
右手の門前に「高札」が立っており、この門前を通る道は、昔「下練馬道」と呼ばれていたとの、説明が記されています。
それで、この“古道”の説明なのですが、
・・・・・・旧川越街道を板橋区上板橋一丁目(旧上板橋村字七軒家)付近で分かれ、練馬区に入り・・・金乗院を迂回して、須賀神社から開進第一小学校の南側を通り、中の橋で石神井川を渡り・・・練馬城址(豊島園駅西側)を通って清戸道と交叉し、中村の良弁塚前から鷺宮福蔵院方面へ・・・・・・。練馬区教育委員会
と、記されています。
練馬区教育委員会に一言云いたい!
これを読んで、『なるほど!そうか、そうか!』と判る者が、いったい何人いると思っているのか! えっ! どうなんだ!・・・・・・。
歳のせいか怒りっぽくなったようです。兎に角、この説明では判りません。現在の道路と「下練馬道」の両方を描いた簡単な地図があれば有り難いのです。
興奮を静め、もう一本の高札を見ます。
「如意山 金乗院 萬徳寺」と云うお寺です。金乗院と云うと、そうなんです!隣のお風呂屋と同じ名前なのです。
当然、お風呂屋が名前を頂いたのでしょう。まさかお寺が、銭湯の名前を“パクッタ”と云う事はない筈です。まして、宗教法人が“銭湯”を経営していることもない筈です。
真言宗豊山派のお寺で、開基は文禄年間(1592年~1596年)の頃だそうです。銭湯はそんな昔からありませんから、間違いなく金乗院が先で、後からできたお風呂屋さんが、“金乗”の名前を頂いたのです。
冗談はさておき、なかなかイイお寺です。参道から山門への眺めは、こじんまりとして気に入りました。親しみ易く、入り易い雰囲気がイイです。
真言宗と云えば、弘法大師の空海です。真言宗にも派閥ではなく、宗派がいろいろあるようです。豊山派って、どんな派なんでしょうか?
さぁ。金乗院を参拝します。
庭木の手入れも、掃除も行き届いています。松の緑、山門の朱、漆喰の白、なかなかの佇まいです。
三代将軍の家光公から「御朱印」を賜ったようです。なかなかそれなりの格式の寺です。
さぁて、これから、本堂にお参りをして、じっくりと境内を観察します。
それでは、また明日。
シリーズは本日お休みします。
今日は何となく雑談などしたい気分なのです。
昨日は床屋さんに行って来ました。10時頃に突然!思い立ったのでした。普段は「そろそろ、床屋にでも?」と、2~3日前からそれなりに考えて床屋にいくのです。
昨日は、何故か突然、その気になったのです。すぐに自転車に跨り床屋に向かいました。それまでは、このまま来年まで床屋に行かなくても「問題ナイ」と思っていたのです。
今年の夏に、生まれて始めて「頭を丸め」ました。7月と8月に坊主に近い短髪に刈り上げ、それからずっと昨日まで床屋には行っていません。
4ヶ月ぶりの床屋です。1回千八百円ですからこの間、五千四百円が浮いた訳です。焼酎にして4リットル入りが3本も買える額です。かなりの節約です。
久ぶりの床屋さん、ハサミの音を聞きながら、昔の事を思い出しました。
以前、こちらに引っ越す前、東京の赤羽にいた頃です。
これまでの店よりも近く、歩いて3分ほどのところに、新しい床屋さんが開店したのです。
早速、行って見る事にしました。お米屋さんとラーメン屋さんの間にに挟まれた、小さなお店です。
店内に入ると「散髪イス?」が2脚、40代後半の夫婦と思われる二人でやっていました。
旦那が理容師で、奥さんと思われ女性は、和服に真っ白な「割烹着」を着て洗髪とマッサージが専門でした。
それで、その女性なのですが、髪を後ろに丸めて簪を刺し、妙に「艶っぽい」のです。和服を着た「身のこなし」が、最近まで「左褄」を取っていた匂いがするのです。
二人は余り会話をせず、眼や動作で相手に意志を伝え合っていました。それが、とても自然でした。
二人が向き合ったときの、微妙な表情の変化、離れた時の視線の送り方は、長年連れ添った、と云う感じではなく、とても新鮮な感じがしました。
訳ありの過去と決別して、二人だけで、新しい土地で、新しい暮らしを始めたのかも・・・・・・、そんな様子に見えました。
それで、髪結いの亭主ではなく、理容師の旦那の仕事ぶりなのですが、とても丁寧なのです。
耳の後ろから、襟首の生え際にそって、ハサミで髪を切り揃える時の、「ハサミ使い」が何とも云えずイイのでした。
耳に入る、ハサミの「音」と、云うよりも、「音色」と表現したくなるような、ハサミの刃先が「上下に擦り合」時の音、それに加えて、指の入る部分が、上下して「叩かれる」時の、堅く、高く、軽い、金属音。
リズミカルで、「音楽」を聞いているようでした。あまりの気持ち良さに瞼が自然に閉じてきました。
旦那も、ここが職人の「腕の」見せ所と、「かなり」意識してやっている「節」がありました。
昨日は、床屋でハサミの「音」を聞きながら、そんな昔の事を想い出したのです。
あの「ハサミ」の「音色」と、「真っ白い割烹着」が、とても懐かしいのです。今から20年ほど前の話しです。
それで、3年前のことですが、以前住んでいた辺りを歩き廻った際に、床屋のあった場所に行って見たことがあるのです。
米屋の隣に、その店は未だありました。通りすがりに店を覗いたのですが、30代の男性理容師が一人、客待ちでソファーに座り新聞を読んでいました。
写真を見ていて、いろいろ思い出しました。
来年、暖かくなった頃、また歩いてみようと思います。
それでは、また明日。