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歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

姫路旅行 ⑦ 最終回 ガストで配膳ロボットを眺めつつパラダイムシフトに想いを馳せる ! 

2025年01月30日 | 旅の話し

前回の続きです。

姫路城、好古園の見学を終えて、ランチを求めて駅前に向かいます。

"昼飯を食べたら、もう、お家に帰ろう" の気分になりつつ、歩いていました。

そも、そも、今回の旅行は、姫路城と好古園の見学しか予定していませんでした。今思うと、神戸の街は、車窓から眺めるだけで、もったいない事をしたと、後悔しています。

駅前に到着。この地下広場、"姫路駅北にぎわい交流広場" と云うそうです。

市のHPによりますと、 

姫路の駅前は、世界遺産・国宝姫路城を擁する城下町にふさわしく、「城を望み、時を感じ人が交流するおもてなし広場」というデザインコンセプトの下、国内最大級の駅前広場へと生まれ変わりました。

と、いう事だそうです。

国内最大ではなく、最大級なのです。まあ、いろいろと大きさの比較は難しいですからね。

この日は平日で、イベントもなく、人影もなく、にぎわいはなく、寒そうでした。

ランチは、広場を望むビルの3階にあるガストで、ハンバーグを摂取しました。

それで、ガストなのですが、注文はテーブルに置かれた、タブレットの画面で行い、店内では、配膳ロボットがウロチョロしていました。

注文後、配膳ロボットの到着を待っていると、持って来たのは、若いウエイトレスさん、トレーにはハンバーグとライス。

『ハンバーグは単品でよろしかったでしょうか ?』

『はい、単品で注文しまた』

『失礼しました』と云って、ライスの皿を持ち帰り、去って行きました。

高齢者がタブレットで注文したので、ライスの注文をし忘れたのでは ?と、気を利かせてくれたようです。

食べ終わりレジに向かうと、なんと、なんと、レジは無人、タッチパネルを操作するシステム。他人事ながら、食い逃げを心配したりしつつ、店を後に駅に向かったのでした。

このまま、世の中は、第三次産業から、第一次産業も、第二次産業も、無人化、自動化が進んで、もう、人は要らない、人は居ない、そんな世の中に? 

私がたまにお世話になる、大きな病院の会計も無人化し人が消えました、近所のガソリンスタンドもセルフになり人が消えました、行きつけのスーパーもセルフレジ。

これって、すべて、人手不足の結果なの? それとも人件費の削減 ?

これは、人手不足だけが要因ではなく、機械より安く働く、低賃金労働者が不足している?  

少子高齢化で、人口減少で、生産も消費も減少する筈ですが、イレギュラーな、団塊の世代が過ぎ去ったあとは、それなりに、生産と消費のバランスは回復し、人手不足は解消?

平均寿命まで生きられるのは、ほぼ50%だそうですから、あと20数年で高齢化人口の増加に歯止めはかかる筈です。

問題は、結婚できない、子供を生まない。少子化問題です。これは、ひとえに、低賃金が原因です。間違いない。

そもそも、現在の、社会のシステムに、経済のシステムに、企業に、それなりの、社会を拡大再生産するだけの、利益を、賃金を、生み出す力を失ったのでは ? 何て、思ったり。

それに、各産業も、IT化で、自動化で、無人化で、低賃金の単純作業と、高賃金の高度知識作業に分極化し、中間的な作業は、中間所得層は、消滅しつつあります。

そして、そして、高賃金の、高度知識作業も『AI』に取って代わられそうな ? 今日この頃。

政治も、経済も、科学も、意思決定は、個人の思惑を排した、偏りのない『AI』に任せるべき、何て、意見も、チラホラ見かけるような今日この頃。

うん、現在の社会システムが、経済システムが、限界を迎えつつあり、 そして、世界は、これまでに経験したことがない、パラダイムシフトの時代に突入 ?

パラダイムシフト、面白そうです、ここは、後期高齢者としては、"高みの見物" と、行きたいものです。

そうでした、答えの一つがありそうな『人新世の資本論』を 最後まで読んでいない事を思い出しました。  

いつもの事ですが、話が、かなり、かなり、逸れてしまいました。まあ、年の初めですから、初夢気分で綴ってみました。

それで、無人の自動の改札を通るときに、そういえば、昔は"切符を切る駅員さん" が居たことを思い出しつつ、ホームに向かったのです。

この一枚は、ベビーカーに乗る赤ちゃんの、可愛い ! 可愛い ! くびれた "あんよ" と "おてて" を一枚パチリ。

歳をとるほど、新しい生命に、愛おしさが募る今日この頃なのです。

姫路駅から山陽本線で三ノ宮、三ノ宮からポートライナーで神戸空港。着いたのが15時過ぎでした。

茨城便の出発時間は17時40分。待ち時間は3時間近く。搭乗手続きを済ませ、空港内を散策。

あとは、離発着を見渡せる、座り心地の良いソファーで、外の景色を眺めていました。

日も傾き、日差しが眩しくなったので、隣のロールスクリーンを下げようとしたのですが、紐に手が届かず断念。

数分後、隣の席に30前後の男性が座り、日差しが眩しそうな様子、周りを気遣いつつ、スクリーンを下げたのです。

すかさず、『ありがとうございます』と云うと、少し嬉しそうに『夕陽、眩しいですよね』と笑顔で返してきました。

いよいよ搭乗です。早い時間に手続したので、最後尾『31H 窓席』でした。窓席最後尾なので、子供連れの後、直ぐに搭乗。最後尾は最初に搭乗して、最後に降りるのでした。 

来る時は、最前列の通路側、帰りは窓側、しかし、外は真っ暗で何も見えません。

飛行中、内部を見まわし、飛行機は外側はジュラルミンで、内装はプラスチックばかりなのか、と、一人納得。

思い出したのです。羽田での海上保安庁機との滑走路での衝突事故を、旅客機は激しく炎を上げ、機体は、ほぼ燃え落ちました。

旅客機ってそんなに良く燃えるの、と、画面を見つめていたのですが、今回、内装を見て、これは良く燃えるわ、と、納得。

飛行時間は一時間ちょい、そうこうしていると、機体は、暗闇の中、茨城空港に無事着陸。

これで、姫路城への旅は、無事終了。

 

それでは、また。

 

 

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姫路城 ⑥ 好古園は50円 ! ホントに映画のオープンセットのようでした !

2025年01月20日 | 旅の話し

また、更新が遅れ気味になりました。

炬燵に入って、ボンヤリとテレビ画面を見つめる日々を、また、また、続けてしまいました。兎に角、前回の続きを始めます。

それでは、姫路城の見物を終わり、お隣の好古園に向かいます。

この日は、ホントに ! 雲ひとつない ! イイ天気でした。

これは、ひとえに、私の日ごろの行いが、良い????、からでは? と、勝手に思う次第。

お堀の彼方に、好古園の入り口が見えてきました。 姫路城、お堀と云い、石垣と云い、

広大で、立派で、見事な構えです。

好古園です。

好古園は武家屋敷の跡地に、市制百周年を記念して、平成4年(1992年)4月29日に開園したそうです。総面積は約1万坪の日本庭園。

好古園は"愛称"で、藩校「好古堂」に因んで命名されました。正式名称は『姫路城西御屋敷跡庭園 好古園』

庭園の計画は、京都大学教授中村一氏の設計監修を受け、確認された屋敷割や通路の地割を活かし、構成されているそうです。

整備に先立つ7次にわたる発掘調査で、元和4年(1618)に本多忠政が造営した西御屋敷や武家屋敷、通路跡等の遺構が確認され、これは酒井家時代の「姫路侍屋敷図」に記されたものとほぼ合致しているそうです。

以上、好古園のHPからの抜粋。

それで、好古園のHPのトップに、ある映画関係者の言葉、

『まるで全体が、緻密に計算され尽くしたオープンセットのようだ』

と、デカデカと、大文字で、誇らしげに、掲載されているのです。これを、誉め言葉と、解釈しているようです。これって、もしかして、そもそも、時代劇のオープンセットとしての役割を狙っていた? 

それで、冒頭から、私の感想を述べます。

『な~~~んだァ、これ! 映画のオープンセット見たい! 』

部分部分を切り取って、シーン毎に、背景として、使用するには、便利な撮影施設かもしれません。庭園は九つあるのですが、入って最初のこの庭園だけは、それなりに、なかなかの"お庭"でした。

この眺め、 

こちらからの眺め、

こちらの池にかかる石橋の眺め、それなりにヨカッタです。

庭園は九つあるのですが、最初の庭園以外は、特に、それと云って印象に残らず、写真にも残していませんでした。

最初の庭園に、想いと、予算と、労力を使い果たし、残りの八か所は、おまけのような、そんな印象しか抱きませんでした。

そして、この日は、それなりに疲れが出ていたことも、庭園の印象に影響していたと思う次第。

ホテルを8時半頃に出て、お城を、天守閣を、登ったり下りたりして見学。好古園に辿り着いたのが11時半頃。

それにしても、"緻密に、計算され、尽くしても" それは、それ、 オープンセットは、オープンセットなのです。

この土塀、

この土塀、それなりに時代劇。

前段の映画関係者の言葉は、あくまでも、オープンセットとしての評価なのだと思います。

そも、そも、観光目的で造られたものではない、圧倒的存在感の姫路城の脇に、単に、観光目当てに作られた商業施設としか、見えないのでした。

姫路城の見学料金が1000円で、それに50円をプラスすると、好古園が見学できるのです。

1000円と50円、この料金差に、関係者の庭園に対する思いが、存在価値が、それなりに、見え隠れしていると云うか、象徴されていると云うか・・・。

偉大なる世界遺産、姫路城の隣にあるために、どうしても、見劣りしてしまうのです。庭が単独に離れた場所にあれば、それなりのお庭だと思う次第。

因みに、お城に居た海外からの観光客は、好古園では、まったく見かけませんでした。観光コースに入っていないようです。

好古園を後にして、ランチを求めて駅前に向かいます。

これにて、本日の認知機能低下防止対策を終わります。

 

それでは、また、次回。

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姫路城 ⑤ 姫路城は遠くから眺めるものです! 登るものではありません! 姫路市民の見解!

2024年12月25日 | 旅の話し

前回の続きです。

姫路城のお話です。

いよいよ、天守閣の内部に潜入します。入り口で靴を脱ぎ、渡されたポリ袋に入れます。混雑時には、ここでも渋滞が発生しそうです。

渋滞と云えば、姫路城の公式HPの質問ページに、「天守閣を見学しようとしたが、2時間待っても入れなかったので見学を断念しました。後日、当日の入場券で見学できますか? 」

当局の回答「入場券は当日のみ有効です、再度、入場券をお買い求め下さい」

こなん質問例が公式HPの、いの一番に掲載されているのです。この手の質問、疑問、不満、が数多く寄せられているようです。土日、祭日、観光シーズンは、とても、とても、混雑するようです。

地下1階、地上6階の天守閣を、靴を脱ぎポリ袋をぶら下げ、登ってゆきます。暗いです、足元注意です。

足元を見つめ、上を見上げ、周りを見渡します。なかなかの木組みです。かっちり組まれています。

最初の階段です。ここは、未だ、幅も広く、傾斜も緩やか。

登るにつれて、階段の幅は狭く角度も急になります。600年前のお城です、当然、高齢の観光客に対しての、配慮はされていません。入城者の8割9割は、国内外ともに年金世代です。

5階、6階辺りでは、階段と云うよりも、梯子段的な傾斜になり、そして、幅は狭く、頭上も狭く、暗く、なのです。

そんな危険な思いをしてまでも、天守閣の最上階に到達すれば、きっと、きっと、視界は開け、素晴らしい眺めが待ち受けていると、期待しながら辿り着いた先には、狭い、狭い、隙間から、チョットだけ、下界が垣間見れると云うか、覗けるだけなのでした。

傍らの高齢者グループから、「千円払って、ここまで、やっと登って、見えるのこれだけ? もう、二度と来ないわァ ! 」何て、会話が聞こえてきました。

実は、実は、前日、姫路駅に到着し、姫路城に向かおうと、それと思しき出口より、それと思しき方向に、姫路城を目指したのです。

たぶん、この方向と、"するどい感" を頼りに歩き始めたのですが、しかし、少し不安になり、信号待ちの際に、傍らの自転車を転がす40歳前後の男性に、姫路城の方向を確認したのです。

しかし、しかし、彼は「駅で出口を間違えたようですね、方向が違います。私が途中まで案内します」と、親切なお言葉。

案内されつつ、歩きつつ、「どちらから来られたのですか?  この時間にお城に行くのですか?」

「茨城のつくば市から来ました、この時間、お城はライトアップされているので、写真を撮ろうかと、お城に上るのは明日朝に・・・」とか、

夜の姫路を5~6分ほど、いろいろ話しつつに案内してもらったのでした。

その会話の中で、彼から、

「姫路市民は、お城は登るものではなく、遠くから眺めるもの」との、貴重な見解を聞いたのです。

天守閣に登り、下界を垣間見、この見解に、なるほど! と、思った次第。

最上階からの眺めを確認し、これより地上を目指し下ります。下りの階段、いや、梯子段で渋滞が発生していました。

狭くて、暗くて、天井が低い、梯子段、そこを、足元の覚束ない高齢者が下るのです。登りより、下りは、ずっと、ずっと、危険です、渋滞します。

平日の、しかも、見学者も少ない、開城直後のこの時間で、最上階のこの渋滞です。これが、休日、祭日、祝日、観光シーズンでしたら、これは、もう、滅茶苦茶な大渋滞間違いなし。

そして、そして、その対策が、姫路市民以外の見学者に対して、現行の入城料金千円を、三倍の三千円に引き上げる、オーバーツーリズム対策として決定されたのです。

姫路市のオーバーツーリズム問題とは、天守閣の渋滞問題だったのです。

しかし、しかし、国内の旅行者には、それなりの効果は期待できそうですが、円安傾向は、これからも続きそうですし、海外からの旅行者にとって、三千円程度の料金は、まったく意に介さないと思います。自国の通貨に換算して" 安い! " と思う筈。

これが、日本の、為替レートの、経済力の、国力の、悲しく、寂しい現実。 

やっと、地上に降りて来ました。

大変、いい、眺めです、視界が広がります。ここは、城主が居住していた、本丸御殿の跡地で"備前丸" と云う広場。

1882年の火事で消失しその後、現在まで空き地となっています。

姫路城、この角度から見上げるのが、一番かと。

ぐっと、ぐっと、迫ってきます。

たぶん、フランスからの観光客、夫婦で、ハイ! ポーズ!  撮っているのは息子さんです。

ここらで、姫路城見学を終えて、"好古園"に向かう事にします。

姫路城見学が千円で、同時に好古園の見学をすると、50円のプラスで見学できます。因みに、好古園、単独見学の料金は 310円となっています。

これで、本日の認知機能低下対策は終わりとします。

 

それでは、また、次回。

 

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姫路城 その ④ 籠城戦は負け戦 ! 狭間もお飾り? 兵器の進化で! 砲撃戦で! 一撃落城 !  

2024年12月18日 | 旅の話し

前回の続きです。

姫路城のお話です。

はい、これから、いよいよ、天守閣を目指します。

兎に角、坂道で、狭くて、いの門、ろの門、はの門、にの門と、敵の攻撃からの防衛策が施されているのです。

各門では、上から、横から、左右から、と、鉄砲、弓の攻撃の為、四角とか、三角とか、狭間(サマ)と呼ばれる穴が開いているのです。

天守に向かって行ったり来たり、

狭かったり、折れ曲がったり、

頭上を低くして通り難くしたり、

いろいろな策が施されています。鉄壁の守り? なのです。

でも、しかし、です。

城郭の周囲まで、そして、内部まで、敵に攻め込まれたならば、もう、どう戦おうと負け戦です、籠城戦に勝利はありません。

籠城戦は別の場所からの、援軍を頼りにした防衛戦です。双方の兵力が均衡していると、時間のかかる消耗戦になります。

それにしても、鉄壁の守りも兵器の進化で、過去の遺物となります。

姫路城が現状のような完成形になったのが、関ヶ原の戦い以降で、池田輝政が城主となった時代のようです。

関ヶ原の戦い以降ですから、大砲も登場しています。城から離れた場所から、大砲の弾を撃ち込まれたら、坂も、くねくね道も、狭間も、何の役に立ちません。

まあ、築城時より、見た目のお飾り?、お遊び?  気休めの防衛策? 

以前、"NHKの姫路城特番"で、かの有名な城郭専門家の "千田 嘉博"さんが、姫路城の防衛策を、面白おかしく褒めたたえていましたが、私としては、大砲の弾で、天守は破壊され落城! と、思ったりしたのです。

まあ、歴史上、姫路城が戦場となり、籠城戦を戦った事実はありません。

それとは、別に、この石垣ですが、大きな石の間に挟まっている、小さな石ころたちが気になったのです。

こちら中央の、ちいさな"丸い石"ですが、触ってみたら、動くのです、引っ張れば外れるのです。まあ、これも国宝の一部?ですから、現状変更は違法です! 逮捕です! 軽く触れるだけで、引っ張り出したりはしていません。 

兎に角、大きな石の間に嵌められている小石達は、触ると、どれも、カタカタ動くのでした。

もしかして、この "遊び" が "余裕" が 、いざと云う時の、まさかの時の、衝撃や振動で、ガッチリと締まり、石垣の強度を上げる、そんな、巧妙な仕掛けなのでしょうか? まあ、そう考える事にします。

いよいよ、天守の真下に近づいてきました。

こちら、羽柴秀吉時代のものと伝わる"油塀"だそうです。

"土・豆砂利・もち米のとぎ汁・おかゆ、などで固められた" とパンフレットにありました。油は使ってないの? 

また、"城内ではこの一か所だけに残る"との説明がありまが、"だけに残る" と云う事は、昔は、至る所にあったの?

はい、天守閣の真下に到着しました。

いよいよ、内部に潜入します。

この先は、次回。

ここで、本日の、認知機能低下防止対策は終了します。

それでは、また次回。

 

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姫路城 その③ 近づくほどに小さく見える? 姫路城 ! フランス人が多かった!

2024年12月11日 | 旅の話し

11月19日以来の姫路城の話、再開です。

記憶が薄れかけているか心配ですが、写真を見ていると、それなりに記憶は蘇ってくるのです。何たって、姫路旅行以降は体調不良で、記憶に刻まれるような、新たな出来事は皆無なのです。

それで、14日当日、ホテルで朝食を済ませ8時半ごろに姫路城に向かいました。

ホテルの位置、そして姫路城の位置を思い浮かべつつ、数回、右左折をして、暫く歩いていたのですが、何となく、不安になって、交差点で信号待ちしている時に、自転車に跨る20代と思しき女性に、お城の方向を確認したのです。

"こちらの方向でお城は間違いないですよね?"

"ハイそうです" と回答、チョット間をおいて、

"方向は間違いないですが、この道をまっすぐ行き、セブンイレブンのある交差点を左折すると正面にお城が見えます"と、親切に教えてくれました。

そこは、駅正面から姫路城を見渡せる大手門通りでした。やはり、大手門通りを姫路城を眺めつつ歩くのが、姫路城見学の王道。

でも、しかし、残念ながら大手門通りの歩道からは、並木に遮られて、お城は全く見えないのです。

交差点で横断する際、道路の中央で狙うしかありません。と、云う事で、大手門通りを、右に、左に、行ったり、来たり、忙しく撮影しました。

撮影は横断中に道路の中央でパチリ。

外人と云うか、欧米系の観光客が目につきます。

いよいよ、姫路城です。それなりに興奮します。

こちらは、団体さんの欧米人。この日は木曜日、やはり平日の所為で日本人は少ないのかも? ざっと見、8割9割は欧米系の観光客。

観光地で日本人かと思うと、聞こえてくるのは、韓国語、中国語だったり、しかし、この日は、欧米系のみで、聞こえてくるのはフランス語で、英語はありませんでした。たぶん、たまたま?

今や、日本中の観光地はインバウンドが頼り、情けないと云うか、自業自得云うか、高度経済成長期の反動と云うか、経済成長が止まって三十数年。

案内板も海外の観光客に配慮されています。

欧米の団体さんも、こんな風にお城をバックに集合写真を撮っていました。ツアーガイドは日本人なので、ここは日本流。

パンフレットも6か国語で用意されていました。

千円の入場料を払いお城に向かいます。それで、この入場料ですが、先日のテレビ報道で、地元民は料金据え置きで、来年度より外部からの観光客は料金を3倍の3千円に改定することが決まったようです。

いわゆる海外観光客に対するオーバーツーリズム対策です。でも、しかし、これは、"姫路城限定"のオーバーツーリズム対策なのです。

通常は、海外観光客の増加で、地域の交通渋滞や、街中のゴミの増加や、騒音等々で、そこに暮らす住民の生活環境の悪化に対する対策です。

でも、しかし、失礼ですが、姫路市の観光スポットは、唯一、世界遺産の姫路城だけです。

そして、このオーバーツーリズム対策の意味は、城内を天守閣を目指し、そして、天守閣の最上段に辿り着いた時に、そう云う事か! と、納得したのでした。

料金所を通過すると、いきなり上り坂、写真では、それほどでは無いように見えますが、それなりに我が身の体重が脚に加わってきます。

こちら、表玄関の "菱の門" です。なかなかの構えです。

菱の門を潜ると、右手には、"三国堀" ごしの"、乾小天守、西小天守、そして、大天守。

それで、なんですが、天守閣に近づくほど、城郭の高さ、その威容は、低く、小さく、縮まる感じがして来るのでした。

大天守までの高さは海抜91.9mで、その内訳は、城郭の建つ "姫山" の高さが45.6mで、天守台の高さが14.8mで、正味、大天守の高さは31.5mなのです。

と、云う事で、坂を上りつつ、城郭本体に近づくほど、高さ感は減少してくるようです。それと、圧倒的な威容は、周囲の景観に左右されると思います。

周囲に比較対象物が存在しないと、存在感が薄れてくるような気がするのでした。

駅前の広場から眺める、城郭の威容が一番、圧倒的に高く、大きく、見えたりしたのです。これは、大通りの両脇に立つビル群、真っすぐ伸びる通りの遠近感が影響しているように思えます。

もしかして、ビルの高さは手前から奥に行くほど、徐々に低くなり、通りの幅は徐々に狭くなり、より遠近感が強調され、その結果として、姫路城の威容が強調されたりして・・・、まあ、それは、無いと思います。

因みに、かの明治神宮外苑、絵画館前のイチョウ並木の高さは、手前から奥に行くほど高さが低くなっているのです。遠近感を強調し奥行き実態以上に見せる、演出が施されているそうです。

まあ、それは、それとして、城内をくねくね曲がったり、通路の幅が段々狭くなったり、上りの角度が急になったり、天井高の低い門を潜ったりして、天守閣を目指します。

本日の、認知機能維持対策は、このあたりで、終わりとします。

それでは、また。

 

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姫路城来たぞ! 観たぞ! 登ったぞ! その② 怪談! 播州皿屋敷! 怪談! 兵庫県知事選挙!

2024年11月19日 | 旅の話し

前回の続きとなります。

2日目、14日の朝、5時ごろに起床し入浴、7時半ごろまでベットに寝転んで、ボンヤリとテレビを眺め、その後、一階のロビー(食堂でなくまさしくロビー)で朝食。

朝食開場はかなり混雑。みなさん特に会話もなく、黙々とエネルギーを摂取中。ボンヤリ摂取中に辺りを眺めていると、蓋つきの透明プラスチック容器(弁当箱)に、ご飯とおかずを詰め込む人を発見。

そうだ! その手があったのだ! 容器に詰めて、混雑をさけ、部屋でゆっくりテレビを見ながらの朝食。前回、新潟で目にし、今度は弁当箱作戦で! と、考えていたのですが、完全に忘却の彼方に。

8時半にホテルを出発。姫路城の開城時間は9時から、ホテルからお城までは30分程度。

地図で確認した時は駅から徒歩5分とあり、とても賑やかそうなイメージを抱いたのですが、向かいは山陽電鉄のガードで、ガード下に並ぶ居酒屋、何となく、うら寂しいと云うか、うら悲しい風景に囲まれた"東横INN新幹線北口店" なのでした。

地図を頭に描きつつ姫路城に向かって歩きます。

道路の向かいに、お菊神社の文字を発見。お菊とは、井戸から出てきて皿を数える幽霊の、 番町皿屋敷? 播州皿屋敷?、あの"お菊さん" の事? 場所の設定は、日本全国津々浦々にあるようです。

Wikipediaによると、

古い原型に、播州を舞台とする話が室町末期の『竹叟夜話』にあるが、皿ではなく盃の話であり、一般通念の皿屋敷とは様々な点で異なる。18世紀の初頭からから、江戸の牛込御門あたりを背景にした話が散見される。1720年4、大阪で歌舞伎の演目とされたことが知られ、1741年に浄瑠璃『播州皿屋敷』が上演され、お菊と云う名、皿にまつわる処罰、井筒の関わりなど、一般に知られる皿屋敷の要素を備えた物語が成立する。1758年に牛込御門内の番町を舞台に書き換え、これが講談ものの「番町皿屋敷」の礎石となっている。

「怪談播州皿屋敷」の世間的流布と「姫路城築城」の歴史が、それなりに、時代的に重なっているようです。それにしても、お菊さんの怪談話は創り話です。

世界遺産の城内に"お菊の井戸"があったり、公式パンフレットに記載したり、これでは、歴史的事実と、作り話を、ごちゃ混ぜです。それでも、所有者の文部科学省は問題にしていないようです。

当日も、小学生の集団が見学に来ていました。先生たちは、この事を、どう説明しているの? たぶん、質問が無ければ、"お菊の井戸"の前は黙って素通り。

うん、まあ・・・、そこは・・・、お堅く考えず、お菊さんの井戸は、世界遺産に含まれて居ないようですから、賑わいの一つとして、話のタネとして、それは、それで、よいと考えることにします。

怪談ついでに、衆議院選挙と同一投開票と勘違いしていた、17日投開票の兵庫県知事選挙の結果ですが、こちらも、お菊さん以上に、怪談めいた結果でした。

因みに、市内を歩いて見かけた選挙ポスター掲示板は、大手門前の大駐車場の脇だけでした。実は、駐車場に出入りする観光バスを狙って撮ったのですが、ポスターは後で気が付きました。 

拡大してみると、上段の右から2番目、清水氏の隣が、"さいとう元彦氏"のポスターのようです。

県議会で全会一致で失職した知事が、何と何と、再選されたのです。怪談です、珍事です、予想外です。

そも、そも、ですよ、この騒ぎですが、知事のパワハラとか、おねだりとか、公益通報者保護法に抵触とか、いろいろ言われていましたが。

私としては、自民党の主流派と非主流派の、権力・利権争いが、一番の原因だと見ております。

3年前、5期20年間君臨していた前知事が引退して、後継に前知事の副知事を、自民党の主流派が擁立し、対抗馬に、維新が中心に担いだ斎藤元彦氏に、自民党非主流派が相乗りし、結果、斎藤氏が当選。

そのことから、新勢力の斎藤、維新、自民非主流は、新たなる利権を、主導権を、旧勢力から奪い取るために、県庁舎の建て替え見直しとか、天下りの規制とか、旧利権構造叩き、旧勢力の弱体化を着々と実行。

これに耐え切れず、旧勢力は、パワハラ・おねだりを口実に、主導権の奪い返しを画策。これが、この間の騒ぎの本質ではないかとと思うのです。

そして、そして、結果として、旧勢力の反撃に失敗した一番の要因は、斎藤元彦氏のキャラと、マスコミが連日、連夜、個別会見とか、百条委員会で追及の採り上げ方に問題があったと思います。

兎に角、斎藤氏は、見た目には "いけだか・傲慢・威張り散らす" 暴君タイプには見えず、弱弱しく、自信なさげで、ボソボソと話す、気弱な小役人タイプに映っていました。

質問や、追及に、まともに回答せず、それでも、追及する側の激しさに、視聴者の目に、何か、とても、可哀そうに見えてしまい、同情を誘い、母性本能をくすぐったのです。

街頭演説の映像を見ると、ホントに、ホントに、演説は下手、でも、それが、聴衆には、まじめで、実直で、かわいそうな"被害者"に見えてしまったのでした。

それにしても、立憲、国民、自民反主流の応援を受けて、立候補した稲村和美氏ですが、斎藤氏の当確を聞いた後、"選挙中、私は、何と闘っているのか分からなくなった" と語ったのです。

私としては、あなたは、保守勢力の掌の上で、権力闘争の駒として、踊らされていたのです、と、申し上げます。

立憲と国民、背後には連合がいます。大企業と公務員組合の寄り集まりです。彼らも、斎藤一派に、天下り規制の攻撃を受けていました。利害は一致していたのです。関西は商人の街、反公務員感情が強いようです。

▽斎藤元彦(無所属・前)111万3911票 当選
▽稲村和美(無所属・新)  97万6637票
▽清水貴之(無所属・新)  25万8388票
▽大澤芳清(無所属・新)    7万3862票
▽立花孝志(無所属・新)    1万9180票
▽福本繁幸(無所属・新)    1万2721票
▽木島洋嗣(無所属・新)       9114票

立花孝志氏の選挙運動は、斎藤擁護一点に絞った、公選法に反するような活動をしていました。彼は、"選挙ゴロ" のような、こんな活動もやるのです。

兎に角、播州皿屋敷の土地で、負けず劣らず、怪談めいた知事選挙でした。

因みに、裏金脱税5人衆のひとり、西村康稔氏(兵庫9区)は斎藤元彦氏側を応援していたようです。

話が、逸れてしまいました。

姫路城の話は、次回とします。

それでは、また。

 

 

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姫路城来たぞ! 観たぞ! 登ったぞ! その① ライトアップされた姫路城の撮影は断念で残念! 

2024年11月16日 | 旅の話し

13日、行って来ました。

茨城空港、15時25分発のスカイマーク185便で神戸空港へ、空港からはポートライナーで三宮、JR山陽本線に乗り換え姫路、と、なります。

夕方の18時ごろに姫路到着としたのは、1日目はライトアップされた姫路城を撮影し、2日目に9時の開場と同時に入場。姫路城の見学が、午後の方が混雑するのでは?との、判断からでした。

この日、余裕を持って1時に我が家を出発、14時20分頃空港到着。搭乗者用の駐車場は、第一駐車場は満車、第二駐車場は空き有の表示でしたが、ほぼ満車状態。

一日、一桁位の離発着便? しかないのに何故か満車状態。同規模の見学者用の駐車場も、それなり満車に近い状態。

空港ビルに向かいます。人の影はまばら。

搭乗手続きの際に、係の女性に駐車場の疑問をぶつけると、"長期間の駐車がかなりあるようです"との回答。

"駐車場無料" が茨城空港の"最大の売り"ですから、満車で搭乗に間に合わない、何て事態が発生するまでは、この状態が続くのです。

ホント、茨城空港をご利用に際して、ギリギリに来ると、空きを探して、場内をぐるぐる巡り、ハラハラ・ドキドキで、旅行を前にして、精神状態に悪影響がでますのでご注意ください。

時間があるので展望デッキに向かいました。こちらも人影は疎ら。以前、ここには、自衛隊の警務官と思しき方が1名、私服で手を後ろに組み、脚を肩幅程度に広げ、背筋を伸ばして前方を警戒していました。

茨城空港は、航空自衛隊の百里基地に間借りしているのです。左手前方に基地の建屋、航空機などが見えるのです。以前、それに警戒してか、ガラス面の左方向は視界が遮られる、偏光ガラスがはめ込まれていました。

しかし、しかし、今回、ガラスはふつうのガラスに変更されていました。見学者の苦情もかなりあったのでしょう。そもそも、偏光ガラスは自衛隊側の、考えすぎ、末端の指揮官の過剰防衛反応?

戦闘機の爆音を聞きつつ暫し休憩し、予定時間どうり機上の人となりました。それにしても、久しぶりの離陸時の急加速、急上昇、旋回は、あまり気持ちよくありません。

暫くして、機長から、"天候、気流状態は良いので、ご安心ください、旋回中や、降下時は機体が揺れますが、それ以外の通常航行時においても、気流の関係で揺れることがありますので、シートベルトは常時締める事を御勧めします。なお機体が揺れても、航行には問題ありませんので、ご安心ください" とのアナウンス。

それでも、やっぱり、ガタガタ・ゴトゴトの振動は不安になります。飛行中は空を飛んでいる事を意識しないようにしていました。

途中で富士山が雲の上に頭をだしていました。この日、座席は"3C"で、進行方向左側、前から3列目の通路側でした。窓側には同年齢程度の男性が、間は空席。身を乗り出してパチリ。ピンボケ富士山。その後は雲ばかりで何も見えず。

一時間ほどで着陸。窓側の男性、機体が停止したところで、"ヨカッタ!無事到着しましたね"と、私に話しかけてきました。そうですね!と答える。

この飛行機に乗って空を飛んできました。運賃は7千円、安い。夕陽に染まる滑走路とボーイング737-800型の機体。

空港ビル内を歩きつつ、不安を抱きつつ、ポートライナーの入り口を目指します。以外に乗車口は解り易く迷いませんでした。

しかし、しかし、乗車券の買い求めるのには、それなりに緊張し、それなりに迷いつつ、タッチパネルを操作して、無事に三ノ宮までの乗車券を340円で購入。

空港からの乗客は少なく、途中からはそれなりに混雑してきました。

沈む夕陽を眺めつつ三宮に向かったのです。水平線に見えるのは、もしかして、淡路島? 乗車時間は10分程度で三宮。

三宮から姫路までは新快速で、途中駅を幾つもすっ飛ばして4~5駅で到着で990円。乗車時間は40分ほどだった?かと。

夜の姫路です。思っていたより大都会。三十数年前の記憶はほとんど消え去っています。 

今夜の宿は、"東横INN姫路駅新幹線北口"に泊まります。ここで、またしても、宿泊手続きは、セルフのタッチパネル方式。わたくし、途中で、これはどうなってるの!と叫び、従業員のお兄さんにバトンタッチ。

いつもどおり、お部屋は狭く、天井は低く、一泊朝食付き7千円ですから、文句は言えません。

ライトアップされた姫路城の撮影は、遠くから眺めるだけと予定を変更し、飲み屋を目指します。

ホテルの前にあった串揚げ屋のドアを開けます。カウンターが5~6席、テーブルが2脚の小さな店。客は居らず、主人はカウンターに座って新聞を見ていました。

先ずは、"地蔵セット"を注文。そのあとは5~6本串揚げを注文し、レモンハイを4~5杯飲んで、主人とぼそぼそ世間話をして、一時間ほど居て料金は4千数百円。

美味くもなく、不味くもなく、素人ぽい料理でした。しかし、客は誰一人訪れず、結果として、静かに、のんびり飲めたので、これは、これで、ヨカッタと思いました。

ホテルに戻り、歯を磨き、ふろに入り、ベットに潜り込んだのですが、なかなか寝付かれず、テレビをボンヤリ眺めつつ朝を迎えました。

本日は、これでお終い。

 

それでは、また。

 

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姫路旅行の航空券・ホテルの予約をしました! 航空券のネット予約は不安がいっぱい!

2024年10月20日 | 旅の話し

涼しくなったら、行くぞ ! 待ってろ姫路城! と考えていたのですが、その間、心は迷い続け、揺れ続けていたのです。

やっぱり ! 面倒くさい ! 家で寝っ転がってテレビを眺めていた方が?  いや、それではボケる !  いや面倒くさい! と、くさい! と ボケる! を行ったり来たりの日々。

そしてまた、世の中は、衆議院選挙の真っ最中、そして、また、姫路は、なんと、あの兵庫県で、あの県知事で、知事選挙の真っ最中。

兎に角、これでは暫く、姫路界隈は騒がしいので、選挙が落ち着くまで、様子見を決め込むことにしました。

ところが、しかし、昨日の昼、突然、"行くぞ待ってろ姫路姫路城"のスイッチが入り、航空券とホテルの予約を決行したのでした。

ホテルは以前もネット予約はしていたので問題なかったのですが、航空券のネット予約は初めて、新たな挑戦です、不安です、緊張します、ボケ対策です。

ネットでの予約とは、如何なるシステム ?  ネット空間だけの予約って、いったいどうなっているの ? とても、とても、不安を抱きつつ、画面を見つめ、キーボードを叩いたのです。

それで、画面の指示に従い、日付とか、時間とか、名前とか、住所とか、いろいろ入力して、支払いの段階となり、クレカの番号を入力したら、カード会社から購入は否承認と表示されたのです。

画面には、カード会社の安全規定に引っ掛かったのかも知れません。カード会社にお問い合わせ下さいとの注記。

高齢者がネットを使っての航空券予約は、何か怪しいとして撥ねられたのか?

問い合わせも面倒と云うか、問い合わせ窓口の営業時間は17時までとあり、カード決済は止めました。もう一つの選択肢、コンビニ決済に変更。

そして、本日、近所のローソンに出向いたのです。どんな機械で、どんな事をするのか、それなりに不安を抱きつつ入店。

先ずは店員の若い女性に、航空券の支払いを告げると、"ナンタラカンタラの機械"に案内され、支払い番号?と電話番号を入力、すると、機械の下からレシート状の紙が出てき、それを持ってレジに行きます。

料金を払うと、"インターネット受付払込受領証" が発行されたのです。

ここで、初めて、昭和世代の高齢者としては、ネットの仮想空間? から、誰が、何と云おうと、現実に、確実に、確認できる、紙に記された確かな証書を手に入れたのでした。これで安心。

受領証には、住所、氏名、電話番号、申し込み番号、搭乗日時、予約番号、便名、時間等が記されています。

これで、現実に、確かに、間違いなく、予約が確定したのです。

ホントに、ホントに、紙に書かれた証拠を手に入れて、やっと、やっと、安心したのです。当日、この紙を持っていけば、飛行機に乗れるのです。

これで、今後の空の旅は、これで不安なく行けそうです。

本日は、これで、お終い。

それでは、また。

 

 

 

 

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ボケ防止に! 何処か遠くへ! 旅に出よう! 行くぞ! 待ってろ! 姫路城!

2024年09月27日 | 旅の話し

何処か遠くへ旅に出たい!と、思ったりするのですが・・・・・。

しかし、しかし、近頃、歳の所為と、猛暑の所為で、なかなか行動には至らないのです。

無いものは無い、有るものは何でも有る、YouTubeを見るだけで満足してしまうのです。

徒歩の旅、自転車、車、車中泊、バス、鉄道、船、飛行機の旅、日本国中、世界中、ありとあらゆるチャンネルで溢れています。

それらを、ボンヤリと日がな一日眺めているだけで、それなりに楽しく、それなりに行った気になり、そこそこ満足してしまうのです。因みに、70インチの画面は、それなりに臨場感があり、行った気になるのです。

実際、ホテルを予約したり、切符を買ったり、車の運転とか、とても、面倒くさく成りつつ、なのです。これが、歳を重ねた後期高齢者目前の現実。

車と云えば、後期高齢者と云えば、先日、”認知機能検査・高齢者講習"のお知らせ”が届いたのです。文面に "ハガキが届いたら、直ぐに、検査・講習の予約をせよ!" とあり、直ぐに教習所に電話し予約をとりました。10月8日で8時30分で料金は9千円でした。

認知機能検査については、YouTubeにいろいろあり、ちょこっと試したのですが、かなり難しそうです。しっかり、がっちり、YouTubeで事前訓練をやって臨もうと思っております。

認知機能と云えば、毎日、毎日、同じことを繰り返し、緊張感の無い、刺激の無い、感動の無い、日常を送っていると、認知機能は低下へ向かって一直線だそうです。

そこで、そこで、猛暑も収まりつつある今日この頃、日がな一日ボンヤリ生活から飛び出し、旅に出る、固い決意を固めつつ、なのです。

先ずは、旅の計画です。考えるだけで、検索するだけで、かなりの認知機能の対策にはなりそうです。そして、そして、ブログに公開することで、退路を断つのです。←大げさ

車は運転が面倒、電車は切符を買ったり、乗り換えたりが面倒、ここは、やはり、久しぶりの、空の旅をメインに計画します。

空の旅と云えば、飛行機に最後に乗ったのは、今から・・・、指折り数えて・・・、20数年前、仕事で富山出張の帰りに乗ったのが最後だったかと・・・。確か、ジャンボの2階席で、進行方向左側の窓際の席でした。何か、段々、記憶が蘇ってきました。

そうだ! いつだったか、 何処かの地方空港で、今は亡き、淡谷のり子さんに出会った事がありました。空港の貴賓室から"お付き"の女性に手を取られ、ロングドレスで、ゆっくり、ゆっくり歩く、とても小さなご老人でした。

ついでに、思い出しました。いつだったか、出張からの帰路、羽田でタラップを降り、空港ビルに向かうバスの中で、最後尾席に"おヒョイさん"こと、"藤村 俊二" さんが一人でポツンと座っていたのを発見。

因みに、仕事中に、突然、ヒョイと姿を消すので、おヒョイと云われるようになったようです。調べて見たら、2017年に心不全で82歳で亡くなられていました。

淡谷のり子さんは、1999年に92歳で亡くなられました。因みに、酒は一滴も飲めなかった父の、たたっ一つの持ち歌が彼女の曲『別れのブルース』でした。この曲は昭和12年発売で、100万枚を超える大ヒットだったようです。

最近の記憶は危ないのですが、過去の記憶は辿っていくと、いろいろ芋ずる式に蘇ってきます。

ついでに、初めて飛行機に乗ったのは、20代の後半、忘れもしない、あのボーイング727でした。機内は狭く、座席は通路の両側2席。珍しくて、羽田から山形、あっという間の飛行でした。狭いぶん空を飛んでる感がありました。

思えば、飛行機に乗ったのは、これまで全てが仕事での利用、私用で利用したことは一度も有りません。旅行で行ったグアムも、香港も、費用は会社もちの社員旅行で、一万円の御小遣い付き、懐かしきバブルの時代。

バブルと云えば、あの頃、銀行から家のローンを返済中なのに、ローンで車を買わないかと、行員が会社まで訪問営業をしてくる時代でした。

話を戻します。今度、神戸に行くとしたら、初めての、自腹、私用、私的フライト。

話が逸れました。

空の旅と云えば、我が茨城の、茨城空港からの出発となります。茨城空港は駐車場が無料。我が家からは、たぶん、1時間ぐらいだったと思います。

茨城空港を飛び立ち、向かうは神戸空港、そして、そして、以前より、行ってみたいと思っていた、世界遺産の姫路城を目指します。

下の写真は、出張で行った時の写真。⇓が姫路城です。多分、30数年前のだったような気がします。この時は、姫路城を遠くから眺めるだけでした。それにしても、出張の写真は珍しいです。誰が撮ってくれたのか記憶はありません。

40代で、顔も、身体も、パンパンに膨らんでいました。毎日、毎晩、居酒屋通いに明け暮れていた頃です。

茨城空港は、スカイマークの神戸便が一日3便あります。

一便を考えています。10月25日までは、7時35分発で、神戸着8時50分。飛行時間は1時間15分。10月27日からは、8時35分発となるようです。

神戸空港に着いたら、ポートライナーでJR三ノ宮駅へ約18分。三ノ宮駅から姫路へ40分。10時ごろには姫路城に到着。

お城と好古園の見学は2~3時間、これだけだと、半日程度でお終い。他に、何か、10月末までに、神社仏閣、古刹名刹の類をこれから調べたいと。

兎に角、行くぞ! 待ってろ! 姫路城! なのです。

はい、それでは、また。

 

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足利市 ⑤ 東映プラザ劇場で "まちづくり事業" を考えたりして !

2023年12月19日 | 旅の話し

前回の続きで、最終回です。

"空き地と蔦"の雪輪町を後にして、隣町の井草町に足を踏み入れました。

こちら井草町も、空き地と蔦の町で、そこかしこの空き地には、こんなプレートがぶら下がっていました。

"足利市まちづくり事業用地"として、建設部市街地整備課がいろいろ取り組んでいるようです。

市のHPを見ると、

『現在、市では旧国道50号線と県道飛駒足利線の交差点を「中心市街地の顔」ととらえ、約2,840平米の敷地を整備する予定・・・市としては、この対象地を『まちづくり用地』として、

○賑わいの創出 ○地域活動の活性化 ○観光機能の充実 ○歴史や文化の継承 ○地域資源の活用など 中心市街地の活性化に向けた活用を検討しています』 

アイデアの募集は、今年の10月2日から始めて、12月25日17時00分で締め切りだそうです。

まあ、賑わいが、地域活動が、観光機能が、歴史や文化が、地域資源が、等々の問題は、昨日今日始まった訳でもなく、募集期間の20数日で、すばらしいアイデアを期待するのは、とても、とても、無理な気がします。

まあ、わたしとしては、お金のかからない策として、今の状況を逆手に取って、賑わいは無く、空き地はいくらでも有る、現状を売りにするのも、一つの手だと、思ったりしています。

はい、余計なお世話でした。

はい、駐車場の奥に見えますのが、それなりに有名な元映画館。

ペンキが剥落、変色しています、じっと目を凝らしてみると、劇場通りの文字が見えてきます。

それなりの構えで、それなりの規模で、なかなかの映画館です。

足利東映・プラザ劇場です。

有楽館と云う映画館を改装して、1977年頃に開館し、1999年頃に閉館したようです。東映ヤクザ映画の全盛期に開館し、90年代のヤクザ映画の衰退と共に、閉館を迎えたようです。

閉館後、飲み屋が数件入っていたようです。映画が廃れ、飲み屋が廃れ、今は、廃屋同然?

1990年に始まった、海部自民党政権時代、大蔵省による不動産向けの融資を規制したことで、土地バブルは崩壊し、日本経済はデフレに突入。

そんな世の中で、ヤクザ映画の、博徒映画の、徒花が咲いたのでした。

そもそも、戦後の高度経済成長も、"徒花"だったのかも?

時の政権の政策判断で、地域の産業は衰退し、映画産業にも、映画館にも、その影響は及ぶのでした。

しかし、この側壁を這い上がり、覆いつくす蔦の生命力は素晴らしい。

しかし、この足利東映・プラザ劇場は、いまでは、この廃屋感のある、その佇まい、それは、それで、それなりの観光資源だと思います。

2018年、綾瀬はるか・坂口健太郎主演で公開された、映画監督を夢見る『今夜、ロマンス劇場で』のロケ地となったようです。ほとんど、いや、残念ながら、まったく記憶にない作品です。

兎に角、足利市、賑わいは無く、しかし、空き地は、蔦は、廃屋は、そこかしこに、いくらでも有る、これこそが、これからの売りになるような、そんな気がする今日この頃。

本日は、よそ者が、無責任に御託を並べてしまいました。

 

それでは、また。

 

 

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