第一報がこれでした。
7月21日の茨城版に紙面の四分の一を使って、写真入り7段で大きな記事が眼を引いたのです。
「牛久市が2009年購入史跡整備の土地」
「元地権者7人市長の親類」
「経緯不透明指摘の声」
記事を読むと、史跡ですから、あの教育委員会の、あの“文化財保護審議会”が、それなりに関係しているのです。あの「女化道標問題」以来、久々の文化財保護審議会の登場です。
①2006年7月18日に国際自動車から不動産会社サンヨーホームに土地売却の事前届け出を“県”に提出。
②その6日後、市長が市の幹部に対して、小坂城跡の土地の買い取りと、文化財指定の指示。
③それから1ヶ月後の8月25日、文化財審議会は全員一致で史跡指定に賛成する。
④6日後の8月31日に国際自動車がサンヨーホームに土地を売却。
⑤その3日後にサンヨーホームが「市長の親類」に土地を売却。
⑥6日後の10月31日に、「市長の親類」が文化財指定の申請を文化財保護審議会に提出。
⑦11月24日、審議会は文化財に指定。
そして、この件は、しばらく、動きが止まるのです。それなりに、冷却期間?を置いたのでしょう。
そして、ほぼ2年間、ほとぼりを冷ましていたようです。
⑧2008年12月、市が土地購入の補正予算を計上。
⑨1ヶ月後の、2009年1月26日、「市長の親類」が市に対して土地の買い取りを申請。
⑩1ヶ月後の2月25日、「市長の親類」と、市で売買契約が成立。
こう見てくると、誰が、どう考えても、これは、かなり、ヤバイ話しと云うか、汚いと云うか、ずるいと云うか・・・・・・。
ある所に、ある個人の土地があって、その土地には昔の城跡があって、その土地を不動産会社が購入する動きがあって、それと同時に市長は史跡指定の指示を出し、史跡指定が確実となると、不動産会社が土地を購入し、即、市長の親類に転売。
土地を手に入れた「市長の親類」は史跡指定を申請し、審議会は申請を受理し史跡に指定。指定後に、市が「市長の親類」から土地を買い取る。
本来であれば、国際自動車から、市が直接、土地を買い取り、その後に史跡指定をすれば、簡単明瞭でスッキリなのです。
でも、土地取引に「市長の親類」を間に入れたのは、誰が、どう考えても、疑惑をもたれるのです。「市長の親類」は、購入価格と売却価格との利ザヤを、不当に、不正に、懐にいれたのでは?と、思われてもしかたがないのです。
でも、もしかして、購入価格よりも、売却価格の方が低く、逆ザヤで、市の財政負担を軽減するための、美しくも、清らかな、人間として、市民として、褒め称える行為を、陰で、ひっそりと・・・・・・、何てことは、たぶん、絶対に無いでしょうが・・・・・・。
しかし、こんなことを、堂々と、やってのける、根性と、品性と、人格を持った方が、牛久市長をやっているのです。どんな、言い訳を考えているのか?早く、ホントに、聞きたいものです。
もしかして、なるほど!そうだったのか! 市長!疑ってゴメン! の展開も無い事も?無い?
でも、しかし、なのです、ことの発端は、2006年の7月で、一件落着は2009年の2月25日です。今は、2011年の7月で、2年以上も前の話が、何で、今頃と思ったのです。
この時期に、この事件化も、かなりの“疑惑”です。
いろいろな方面で、いろいろな思惑が、いろいろと絡み、いろいろと複雑に展開して行きそうです。
それで、何で、いまごろ?と、その先の話しは、次回とします。
7月21日の茨城版に紙面の四分の一を使って、写真入り7段で大きな記事が眼を引いたのです。
「牛久市が2009年購入史跡整備の土地」
「元地権者7人市長の親類」
「経緯不透明指摘の声」
記事を読むと、史跡ですから、あの教育委員会の、あの“文化財保護審議会”が、それなりに関係しているのです。あの「女化道標問題」以来、久々の文化財保護審議会の登場です。
①2006年7月18日に国際自動車から不動産会社サンヨーホームに土地売却の事前届け出を“県”に提出。
②その6日後、市長が市の幹部に対して、小坂城跡の土地の買い取りと、文化財指定の指示。
③それから1ヶ月後の8月25日、文化財審議会は全員一致で史跡指定に賛成する。
④6日後の8月31日に国際自動車がサンヨーホームに土地を売却。
⑤その3日後にサンヨーホームが「市長の親類」に土地を売却。
⑥6日後の10月31日に、「市長の親類」が文化財指定の申請を文化財保護審議会に提出。
⑦11月24日、審議会は文化財に指定。
そして、この件は、しばらく、動きが止まるのです。それなりに、冷却期間?を置いたのでしょう。
そして、ほぼ2年間、ほとぼりを冷ましていたようです。
⑧2008年12月、市が土地購入の補正予算を計上。
⑨1ヶ月後の、2009年1月26日、「市長の親類」が市に対して土地の買い取りを申請。
⑩1ヶ月後の2月25日、「市長の親類」と、市で売買契約が成立。
こう見てくると、誰が、どう考えても、これは、かなり、ヤバイ話しと云うか、汚いと云うか、ずるいと云うか・・・・・・。
ある所に、ある個人の土地があって、その土地には昔の城跡があって、その土地を不動産会社が購入する動きがあって、それと同時に市長は史跡指定の指示を出し、史跡指定が確実となると、不動産会社が土地を購入し、即、市長の親類に転売。
土地を手に入れた「市長の親類」は史跡指定を申請し、審議会は申請を受理し史跡に指定。指定後に、市が「市長の親類」から土地を買い取る。
本来であれば、国際自動車から、市が直接、土地を買い取り、その後に史跡指定をすれば、簡単明瞭でスッキリなのです。
でも、土地取引に「市長の親類」を間に入れたのは、誰が、どう考えても、疑惑をもたれるのです。「市長の親類」は、購入価格と売却価格との利ザヤを、不当に、不正に、懐にいれたのでは?と、思われてもしかたがないのです。
でも、もしかして、購入価格よりも、売却価格の方が低く、逆ザヤで、市の財政負担を軽減するための、美しくも、清らかな、人間として、市民として、褒め称える行為を、陰で、ひっそりと・・・・・・、何てことは、たぶん、絶対に無いでしょうが・・・・・・。
しかし、こんなことを、堂々と、やってのける、根性と、品性と、人格を持った方が、牛久市長をやっているのです。どんな、言い訳を考えているのか?早く、ホントに、聞きたいものです。
もしかして、なるほど!そうだったのか! 市長!疑ってゴメン! の展開も無い事も?無い?
でも、しかし、なのです、ことの発端は、2006年の7月で、一件落着は2009年の2月25日です。今は、2011年の7月で、2年以上も前の話が、何で、今頃と思ったのです。
この時期に、この事件化も、かなりの“疑惑”です。
いろいろな方面で、いろいろな思惑が、いろいろと絡み、いろいろと複雑に展開して行きそうです。
それで、何で、いまごろ?と、その先の話しは、次回とします。