一昨日の続きです。
東北道を“宇都宮IC”から日光宇都宮道路に入り“今市IC”で降り、鬼怒川、川治、と北上して湯西川に入る予定でした。
でも、しかし、“タンクローリー事件”で日光宇都宮道路を見失い“西那須野IC”で降り、400号線を西に走り、121号線を南下し湯西川に向かっています。
五十里湖の畔“道の駅湯西川”でトイレ休憩です。この辺りから小雨がパラツキ始めました。
休憩所の前には最近お馴染みの“足湯”がありました。今晩はタップリ温泉三昧ですから、こんなところで、足だけを温泉に漬けてたところで・・・なのです。
※携帯写真でピンボケ
それで、ここまで、予定外のコースを辿っての湯西川、わたしの頭のなかは、現在位置も、全体の位置関係も、何が?、何だか?・・・???状態なのでした。
鬼怒川、川治、五十里湖までは2~3度来ていますが、ここから先の湯西川は未知のコースです。今、地図でみると、もう、湯西川温泉へは一本道で着いたようなものです。でも、この時は、距離感も、方向感も、まったく無いのでした。
都賀西方PAから、ずっと、ずっと、姪の旦那の後に着いて行くだけで、自分の判断で走って居ないのです。すべてにおいて、他人に判断を任せてばかりいると、頭は確実に馬鹿になるのです。
暫く走ると、また、
道の駅?的な建物。でも、しかし、道の駅ではないようです。
小雨の中、一応、確認のために、私だけ降りて、辺りの様子を確認。吊り橋があったので、一応、渡ってみました。付近の住民の為にある“生活吊り橋”ではなく、観光地によくある“観光吊り橋”でした。
それでこの施設を調べてみたら、温泉浴場、食堂、売店、そば打ち体験室、パン工房、多目的ホール等々、いろいろある“湯西川水の里・くらし館”と云う名の施設です。
観光施設と、地域住民の集会所的施設の両方を兼ねているようです。観光施設は入場に500円の料金を取られます。外には足湯もあり、こちらは無料です。
この日は、広い駐車場には他の車は2台で、閑散としていました。土日はそれなりに賑わうのかも知れません。
それと、吊り橋からふり返って撮った写真ですが、ちょっと見づらいのですが、道路を隔てて、一戸建てと集合住宅が、それなりの数?で建っていて、それなりの住宅団地がありました。
山の中に突然現れた、周りの景観とはかなり隔絶された“新興住宅地”、集合住宅も、一戸建ても、同じような時期に建てられたと判断できる、同じ色彩、同じデザイン、同じ新しさで、人の匂いを感じない一画です。
調べてみたら、湯西川ダムによって水没した住民の為の代替え住宅でした。日帰り温泉施設も、ダム建設に協力した事に対する補償処置のようです。
ダムが建設に協力すると、それなりに、道路とか、トンネルとか、観光施設とか、いろいろなメリットがあるようです。
ダム建設は、防災とか、水資源とか、発電とか、その必要性は、それなりに計画当初にはあったのですが、計画から施工までの期間が、とても、とても、長すぎて、完成する頃には、世の中は様変わり、何て、事が、しばしばです。
川俣ダム、五十里ダム、湯西川ダム、この一連の開発は、そも、そも、大正時代に遡るようです。最後?の湯西川ダムが2年前に完成し、鬼怒川水系水資源事業計画は終了したようです。大正、昭和、平成を跨いでの長期事業でした。
観光客の物見遊山には、広く真っ直ぐな道路、その為のトンネルは便利だし、ダムで堰き止められ出来た人造湖、ダムの景観、ダムからの放水等々、観るのはそれなりに楽しいのです。
でも、しかし、なのです。右肩上がりの経済成長は終わってしまいました。ツケは誰が払うの?なのです。単なる経済循環であれば、もう、そろそろ、経済は停滞期から発展期なのですが、どうも、そうではないようです。
ホント、小雨降る鉛色の空の下、立派なダム、立派な道路、立派なトンネル、立派な観光施設等々を眺めつつ、物見遊山にも関わらず、日本の行く末に想いを馳せたりしたのでした。
今日は、ココまで。
湯西川温泉の宿は、もう直ぐです。
それでは、また。