久しぶりの“都心シリーズ”で、そして、本日は最終回となります。
今回の“都心シリーズ”歩いたのは、何を隠そう、10月9日でとても暑い日でした。時は流れ、移ろい、本日は11月の23日で勤労感謝の日です。
膝掛け毛布の出で立ちで、暑い日を語る、これは、これで、なかなかの味わいと云うか、風流と云うか、とてもバカバカしいと云うか、兎に角、最終回なのです。
今回のコースは実際に歩くまでは気が付かなかったのですが、起伏の激しいコースでした。首相官邸から六本木交叉点に向かう“六本木通り”はかなりの上り坂、汗を拭きつつ、遠くの高層ビルを眺めつつ一息付きつつなのでした。
坂道を上り終わり、六本木交叉点に近づくと右手には俳優座が、そうでした。六本木交叉点と云えば、俳優座とアマンドなのです。
“じゃじゃ馬ならし”に“夏の夜の夢”ですか、シェイクスピアですか、高級なお芝居です。
交叉点には、ギターを抱えて演奏する女性の像がありました。
調べてみると、“本郷新”と云う方の作品でした。
それで、この作品名は“奏でる乙女”と云うそうです。現在のブロンズ製なのですが、最初の像は1954年(昭和29年)設置されたそうです。その時の像はコンクリート製だったそうです。
その2年後、地下鉄工事で退かされて、近くの三河台公園に移転、その時に腕やギターを壊されたり、人々の心から忘れらたりと、寂しい日々を過ごしていたようなのです。
その後、“奏でる乙女”を懐かしむ人々の強い希望で、1975年(昭和50年)にブロンズ像になって復活したそうです。乙女も、それなりに、いろいろと苦労があったようです。
六本木交叉点を右折して外堀通りを、最終地点の千代田線乃木坂駅を目指して歩きます。
こちらの店先では、かなり苦労した“二宮尊徳さん”のブロンズ像が、周囲の雰囲気とは隔絶し、生真面目に勉学に勤しんでいました。
右手には、“三井物産”が開発した“東京ミッドタウン”
『2007年3月30日、六本木で開業した東京ミッドタウンは、ホテル(ザ・リッツ・カールトン東京)、文化施設(サントリー美術館など)、130に及ぶ商業店舗、オフィス、住居、病院、公園などが集約された複合施設です』
『かつて、ここは、江戸時代 萩藩 毛利家下屋敷でした。明治時代に陸軍駐屯地となり、終戦後には米軍将校の宿舎、日本に返還された後は防衛庁の檜町庁舎として、実に400年あまりの間、一般には閉ざされた土地として使われていました』ホームページより引用
しかし、ホントに別世界“タヘシタモンダヨイナゴのションベン”です。
こういう所に、出入りしたり、働いたり、暮らしたりする方々は、原発事故の放射能汚染とか、少子高齢化とか、財政危機で増税とか、EUの金融危機とか、TPPとか、どう考えているのでしょうか?
こちらミッドタウン前の、かなり高級そうな美容室です。入り口で佇む男女二人。
連れが云うには、この男性はテレビにも顔を出す、かなり有名な美容師だそうです。それで、何故、ここに佇んでいたのかと見ていたら、この後、お金持ち風の50代の女性客を、最敬礼でお見送りしていました。
ホントに、ここいらでは、別世界の風景が繰り広げられています。
ワインの試飲販売?
ホントに“大した”街です、東京ミッドタウン。先ほどの“イナゴのションベン”ですが、“大した”を“田へした”と、捩っている訳です。念の為。
やっと、やっと、乃木坂駅が見えて来ました。
妙な外観のビルだと思って調べてみたら、“桂由美ブライダルハウス”の東京本店でした。我が家の近くの畑の中に、二階建てほどの“桂由美ブライダルハウスつくば”の大きな看板が立っていたのですが、先日通りかかると別の看板に変わっていました。
兎に角、トイレに行きたくなったのです。
この駅は、かなり階段があるのです。
トイレを済ませ、やっと帰途につきました。
今回、歩いた距離は約7㎞でした。表参道駅を出発したのが10時55分、途中でランチを食べて、乃木坂駅到着が14時45分ですから、約4時間コースでした。
起伏がありかなりの運動でした。ホントに東京の真ん中は別世界。これが、日本の、東京の、中心の、最先端の、今なのでした。
ここが、ニッポンの、全体を、端っこを、動かしているのです。たまには、端っこから出て来て、中心を歩くと、何となく、いろいろと別な見方が、できるかも知れません。
これで、15回続いた“都心シリーズ”はお終いです。
それでは、また。
【追記】
“鼻のヒリヒリ・タラ~リ”は、ブタ草アレルギーではなく、単なる鼻風邪だったようです。