昨日の続きです。
廃墟と「吉田茂」の関係を、早速調べてみました。こちらの方も「割とあっさり」判ってしまいました。
『異界への招待状』という「怪しいHP」に載っていました。
その中で、「洋館」についての説明があり参考文献として、
『龍ヶ崎・牛久・取手の目で見る百年の歩み』・・・「牛久市立図書館所蔵」
と、なっていました。多分これですと「龍ヶ崎市立図書館」にもありそうですね。
では、これが当時の写真です。
二階建で、左手が平屋。土台の「石積み」、窓の「位置、形状」間違いないですね。何故か、この写真で見ると「大きく」感じます。瓦屋根が「無くなって」いる分を「差し引いて」も、昨日の「実物」はもっと「小さく」見えました。
全て建物の周囲に草木が生い茂り、全体を一望できる距離から「眺める」ことが「不可能」だった為でしょうか?
前に並んで立っている人達の「身長」が、建物と「比較」して、かなり「低く」見え、より建物が大きく感じます。
それで、「吉田茂さん」との関係です。
【資料の要約】です
①洋館は「竹内農場」の「一部」であり、他にも、「事務所棟」「農舎」「畜舎」が点在していた。
②農場一帯の土地(現永山町)は、「国有林80町余り」を、大正元年に「竹内綱」が「払い下げ」を受ける。
②農場は「竹内綱」によって「大正8年着工」し「翌年」に完成。総工費は約7万円。建設は、東京の「大田圓七建設部」が請け負う。
③「竹内綱」は、「土佐藩の士族」で「板垣退助」の「自由党幹部」で、明治23年以降、3期代議士をを務める。また、「高島炭鉱」「京釜鉄道」「芦谷炭鉱」「茨城炭鉱」を経営。そして、現関東鉄道の「初代社長」
【 竹内 綱 】
④竹内綱には、長男「明太郎」以下「14人」の子供がいて、「五男」が「茂」である。「茂」は生まれてすぐに、親友の「吉田健二」に引き取られ「養子」となり「吉田」姓を名乗る。
⑤竹内農場は、大正末期の「炭鉱不況」で「経営不振」となり、一部の耕作地と「西洋館」を残して「売却」された。
⑥昭和5、6年頃には関係者の全てが東京へ引き上げて行った。
以上です。
これからすると、「竹内農場」は「大正9年」に始まり、「大正末期」に閉じられています。ホントに「僅か7年」ほどの命でした。
あの「赤煉瓦」の「西洋館」は、華々しい「現役時代」は「僅か7年」、それから「木立の中で」、誰からも忘れられ「ひっそり」と「朽ち果て」続けて「80余年」・・・・・・「何か」ホントに「可哀想」です。
「もう一度」陽の当たる場所に出してあげたい、そんな気持ちになります。
何とかしてあげたいですね。
「諸岡邸」の「赤煉瓦」の「塀」より、何倍も価値のある「建築物」ですよ。ホントに! 龍ヶ崎市として「保存」を考えて頂きたい。
本日、龍ヶ崎の「蛇沼公園」付近にあると「噂」されている、「廃墟」の「洋館」を探しに行って来ました。
この「洋館」については、しばしば「コメント」を頂く、「吉田健太郎」さんの「ブログ」『親愛なる日記in龍ヶ崎』で「取り上げ」ていたので、これは「絶対」に「見て来なければ」と、思っていた場所なのです。
今日は、龍ヶ崎郊外の大型スーパーの駐車場に車を入れ、花粉対策用「超立体マスク」を着用し、自転車で「調査」を「敢行」しました。
先ずは、10分ほどで「蛇沼公園」に到着。
沼の畔にある「広場」から公園入り口方向を見ている写真です。「蛇沼公園」の「シンボル」の「蛇」の「彫刻」です。
口の中を見ると、「一円、五円、十円等」の「コイン」を十数枚「くわえて」いました。何かの「お呪い」でしょうか?
この「へび」どう見ても、「海」に居る「わらすぼ」のように見えます。失礼!
散策コースに沿って公園内を歩き、「廃墟」の「有りそうな」場所を「探って」見ました。当然、「公園」の「コースガイド」には「廃墟」の案内はありません。
沼縁を歩いていると、中高年の「探鳥」グループに出会いました。偶々、「リーダーらしき」男性と「眼が合い」、お互いに軽い会釈をしました。
何か話した方が良いと思い、
『この辺にある、赤煉瓦の廃墟をご存知ですか?』
と、聞いたのです。彼は「怪訝」そうな「顔」をして、
『エッ!? ハイキョ? さァー。知りませんねぇー』との答えが返って来ました。
公園に「廃墟」を探しに来る人は、あまり居ませんからねェ。かなり「怪しいおやじ」と思ったことでしょう。
沼の片側が公園になっており、反対側の岸に渡る「道」はありませんでした。
沼の対岸の林の中が「臭い」と感じたのです。
※帰宅してこれを書く前に、「健太郎さん」のブログを覗いたら、「コメント」のところに、「沼の反対側」と書いてありました。行く前に見ないで良かった、探す楽のしみが減りますからね。
公園を出て、暫くは住宅街を走りました。道は「沼から」遠ざかる方向にしかありませんでした。住宅街を抜けたところで、対岸に行く「だろう」と「思われる」道を見つけてました。
その道は「未舗装」の砂利道で、両側は畑です。暫く行くと行き止まりになっていました。
突き当たった所は、右側の林に沿ってパイプの柵があり、左側は「墓地」になっています。一旦は、引き返そうと、ハンドルを切ったのですが、そのまま360度回転して、墓地と柵の「隙間を突破」する事に決めました。
パイプに沿った先が「墓地」の入り口です。入り口から出て「未舗装」の道を少し行った所で、右手の林の中を覗いたら、
『ありゃ! なぁーんだ! こんな所に!』
そうです! あったのです!「赤レンガ」の「洋館」が!
発見した「喜び」はありましたが、あまりに簡単に「探し当て」てしまった事で「チョッピリ」残念な「気持ち」もしたりして・・・・・・。
やはり「探す」「苦労」多ければ、それだけ「見つけた時」の「喜び」も「大きい」ですからね。
「健太郎さん」に『探すのは大変ですよ、楽しんで探して下さい』と云われていたので、それなりの「心づもり」をしていたので・・・・・・・。少し「ガッカリ」でした。
「廃墟」へは、「笹」をかき分け、頭を下げて、足下に注意しての、ちょっとした「探検気分」です。
草木に「浸食」され、苔生した「赤レンガ」の「洋館」です。
この内部の「朽ち果て感」は、「朽ち果て」を「絵に描いた」ような「素晴らしさ」です。
内部の壁は「白漆喰仕上げ」です。
これは、正面玄関を内部から見たものです。この建物、二階建てで「階高」は「それなりに」ある様ですが、「正面玄関」の「ドア」も、脇の「ドア」も、「高さ」が「低く」、「幅」も狭いのです。
高さは180㎝弱ですし、幅は90㎝弱です。「洋館」ですが、所謂「尺モジュール」で作られているようでした。
玄関を入った部屋の下は、床板が抜けて「地下室」が露出しています。この地下室は「ワインセラー」に「ピッタリ」の気がしました。
建物内部に生えた木は、樹齢が「2~30年」といったところでしょうか?
苔に覆われた「赤レンガ」。いいです!
この建物は、「健太郎さん」の「ブログ」によると、「吉田茂」の「父親」か「兄」の「別荘」だったそうです。
私も、「吉田茂」と「龍ヶ崎」の「関係」を調べて見たくなりました。
帰りは、畑の先に広い通りが見えたので、そちらに向かいました。48号線でした。こちら側から入ると判り易いですね。
48号線を土浦方向に向かい、この「ONIX 龍ヶ崎店」の先を左折、写真で「宅急便」のトラックが出て来ています。
未舗装の道を、「ビニールハウス」の間を抜けて500㍍ほど行くと、右側の林の中に「赤煉瓦」の「洋館」が見えて来ます。
帰ってから、「くしゃみ、鼻水、眼の痒み」の発症なし、「超立体マスク」は「OK」のようです。
それでは、「洋館」で「吉田茂・・・私と誕生日が同じなのです」と「ワイン」を「酌み交わす」夢でも、見るとしますか・・・・・・
今年は暖冬で、1月末から「飛んで」いるそうですが、朝「くしゃみ」の連発と「鼻水タラーリ」が無いのです。
「花粉」の「飛散量」が「少ない」との事でしたが、もしかして?「30有余年」の「くしゃみ・鼻水・眼の痒み・生活」から「解放された」と、つい先日まで思っていたのです。
ここ数年は、「症状」も「穏やか」になって来ていたのす。これも「歳のせい」で、「抗体反応」が「鈍く」なってきたとの「解釈」をしていました。
そして、とうとう「花粉」に「反応」しない「身体」に、なってしまったと「思い」始めた、その矢先、反応があったのです。
その日は天気が良く、午後、スーパーへの買い物がてら、2時間ほど自転車に乗り、近所を走り回って帰宅しました。すると「反応」が現れたのです。
スーパーで買い物中に「鼻」の「違和感」を多少感じてはいたのですが、「くしゃみ」が出るほどの「反応」は有りませんでした。
しかし、帰宅後、直ぐに「眼の周囲」に「痒み」感じ、「くしゃみ」の連発が起こり、「鼻水タラ~リ」の現象が発生しました。
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しかし、何故か?『オウ!ヤッパリ来たか!』。『そうか、そうか』、『うん。そうだよなァ』」と云う、一年ぶりの「再開」を「喜んで」いる「気分」になっていたのです。
花粉症歴「30有余年」。やはり、「毎年」季節と供に、必ず「訪れる」ものが、突然、「予告」もなく「訪れ」なくなると、一抹の「不安」というか、「寂しさ」を感じます。
その日、症状は「風呂」に入った後は「消えて」しまいました。就寝前に念のため「鼻炎のクスリ」を飲んで寝ました。翌朝は「くしゃみ」も「鼻水」もありませんでした。
今年は「飛散量」が少ないので、「外」に「長時間」居なければ、「発症」しないようです。
私の身体も、未だ「若く」、「立派」に、「抗体反応」があり、「安心」しました。
「花粉」に対して「反応」しなくなるのは、「生命力」の「低下」ではとの、「不安」は、「くしゃみ・鼻水・眼の痒み」により、「完全」に「払拭」されたのです。
ホントによかった!?。。。。。。。
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「談合」が、「土木建設関連」の「業者」と「くっついて」来ると、「問題」になって来る訳です。
事前に話し合い、「落札価格」、「落札業者」を決めているのが「いけない」と云う事です。「独占禁止法」に違反する訳です。
・・・・・・競争していないから、価格が「高く」なる。「税金」が「無駄」に使われる。「納税者」が「損」してる。業者が「得」してる・・・・・・
「競争」すると「価格」が下がり、「談合」すると「価格」が上がる。そのことは「価格」が下がる事は「良いこと」が、前提にあるわけですね。
『そんなに単純に「考えて」いいのかな?』と、思ったりしているのです。ホントに「安い」事は「良いこと」なのでしょうか?
「入札」に対しての「談合」は、入札制度が始まった、豊臣秀吉の時代からあったそうです。もしかして? これは「日本」の「文化」とも云える?
「安い」事は「良いこと」に「疑問」を「抱いた・・・それほど大げさではないのですが」のは、「あの」あれです!「立地法」が成立して、「大店法」が廃止された件のことです。
※立地法・・・・・・『大規模小売店舗立地法』
大規模小売店舗法(大店法)に代わる法律として成立。中小商店の保護ではなく,地域の生活・環境保護を目的としている。1998 年(平成 10)制定。2000 年施行。
※「大店法」・・・・・・『大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律』
デパートやスーパーなど一定規模以上の店舗面積を有する大型店が出店する場合に,事前に周辺の中小の小売商と調整することなどを定める。1973 年(昭和 48)制定。
その結果、「地方都市」の「駅前商店街」の「消滅」、そして「地方文化」が消えかかっていることです。
「物」の「買う」行為は、単に「金銭」の「やりとり」だけではく、「会話」の「やりとり」があり、「人と人」の繋がりあり、「人」の「繋がり」が、「暮らし」であり、そこから「文化」が生まれて来る・・・・・・。
「風が吹けば、桶屋が儲かる」方式で、「原因」に対して、「結果」の現れ方が、時間的にも、距離的にも「隔たり」があると、気が付いた時には「後の祭り」になってしまう・・・・・・そう思うのです。
その時は、「安く」買って「得」をした「気分」でいても、「長~い眼」で見たら、かなり「高い買い物」させられていた・・・・・・そう思いませんか?
それで何です。あの時の「大店法」の廃止。そして現在の「建設談合」の「取り締まり強化」は、あの「アメリカ」の「要求」何です。
出所は、あの「年次改革要望書」です。毎年日米両政府間で交換される。
正式には『日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書』です。
何かが「見えて」来ます。怪しい「匂い」が「漂って」います。
「グローバルスタンダード」と云うなの「アメリカンスタンダード」。
「競争こそ正義」、「格差が競争」の原動力、「競争」が「発展」を作り出す。
「市場原理主義」です。「小泉構造改革」です。「官」よりも「民」が「生産性」が「高い」、「効率が良い」、「安い」、「安いは正義」・・・・・・。
全てを「生産性」で考える、「銭金」を「全て」と考えている「人達」の「発想」ではないでしょうか? 世の中は「銭金だけ」では「無い」のです。
それで「談合」何ですが。
談合は「見えないところ」で「密か」に行われるので、「怪しい」ことは「確かのです。「怪しい」人達が周りに「群がり」ました。
しかし、「談合体質」への「非難」は、「大店法」の「二の舞」になる「危険性」があります。
「銭金の視点」だけではなく、「広~く」「長~い」視点で考えないと、「後の祭り」になりそうな、そんな「気が」するのです。
それでは。。。。。。。
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「阿部定事件」が、気になり「いろいろ」調べてしまいました。昨日の続きになります。
それで、家の「本棚」の「隅に」あった『朝日新聞100年の重要誌面』を引っぱり出しました。
ありました。「阿部定事件」。昭和11年(1936年)5月21日(水曜日)の紙面です。
『妖婦お定遂に就縛』の見出し。「妖婦」ですよ! 辞書によれば『あやしいまでの美しさをもち、男を惑わす女性』だそうです。
多少「不鮮明」ですが、確かに「あやしい」「美しさ」を感じますね。「定さん」は犯行時「31歳」です。現在の同年齢の女性と比較すると「10歳」程度は「老けて」みえます。
逮捕時に「微笑んで」いるのが「怖い」ですね。
記事には、
『荒川区尾久の「紅燈街」に「被害者」の「吉田吉蔵(42歳)」と一週間「居続け」、「情痴」の「限りを尽くした上」に「絞殺」。怪奇な血文字を残したまま逃走』
「情痴」です。辞書によると「色情に溺れて理性を失うこと」とあります。「情痴」の「限りを尽くした」んです。それも「一週間も居続けて」。
凄いです! 想像を絶する! 情欲・愛欲の世界が! 一週間も続いたのです!
これはもう「病気」でしょう。
※事件の詳細は「ネット」でお調べ下さい。いろいろあります。
事件の3ヶ月前に、「2.26事件」がありました。
事件後の11月26日には「日本」と「ドイツ」が「日獨防共協定」調印を報じた記事がありました。
「歴史」を、当時の新聞紙面で「読んで」みると、歴史書では感じる事ができない、「臨場感」が味わえます。
「今」も「いつか」は「歴史」になるのです。
世の中を「過去」から、そして「未来」から、そんな「長い」時間軸で見ると、「今」が「別な形」で見えるのかもしれませんね・・・・・・。
酔っぱらっている割には「まとも」な「締め」でした。
それでは。。。。。。。
銅の表面が「腐食」して「緑青」に覆われています。この「みどりあお」と、云うよりも「暗緑色」という感じに見えます。
小さい頃に「緑青」は「毒」だと「教わった」記憶があります。しかし、数年前に「毒物」ではないと知りました。
「製錬技術」が未発達な時代の「銅の中」に多量の砒素が混入していたので「中毒」を起こしたそうです。今の「緑青」には「毒」はないそうです。
しかし、いまでも「銅板張り」を見ると「緑青」、そして「毒」と連想してしまいます。「暗~い」裏街の、陽のあたらない「湿った」路地、犯罪の匂いがしてくるのです。
そうなんです。何故か?「あの」あれです。「猟奇殺人」と云われた「阿部定事件」の事が「イメージ」されるのです。
「阿部定事件」は「荒川区尾久」の「待合い茶屋」で、昭和11年に発生しました。今から70年も前のことです。
戦争を前にした「昭和11年」これもピッタリときます。そして、「荒川区」で「尾久」で「待合い」です。舞台として「何か」が起きる「雰囲気」です。
そういえば、「仲間由紀恵」と「阿部寛」の出演したドラマ「トリック」で、手品師役の「仲間由紀恵」が住んでいた「木造アパート」も「尾久」でした。
「大学教授役」が、そう!何と。「阿部定」と「一字違い」の「阿部寛」でした。それにです。手品師役は「貧乳」で、何故か?教授役は「巨根」の設定でした。
このドラマで「仲間由紀恵」の「ファン」になりました。彼女には「独特の雰囲気」があります。「トリック」での「手品師」は「最高」でした。
この「ドラマ」を「面白く」していた「一つ」に、荒川区の尾久が「舞台」として登場している事です。不思議な「感覚」を「醸し出して」いるのです。
そうです。「銅板張り」です。私にとって、「緑青」の「色」は、「阿部定事件」に「タイムスリップ」する、「不思議」な存在です。
それでは。。。。。。。
今朝、友人より「こんなデータ」が送られてきました。
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友人の説明では、このグラフは「ニューヨーク金市場」の「スポット価格」のグラフだそうです。1オンス(31.1035㌘)価格が、650ドル台から670ドル台に急騰したそうです。
この結果から、今日の「東京工業品取引所」の「金取引」は「ストップ高」だそうです。国内の「円建て価格」は「円安」も影響して、「20数年」ぶりの「高値」だそうです。
友人の解説では、上昇要因は「イラン情勢の緊迫」が大きいとの事でした。それと、「一時的」に「様子見状態」の「原油価格」が「上昇傾向」に「変化」しつつあるそうです。
これは「イラン開戦」間近の観測が「市場」で「囁かれ」、価格に反映され始めた「らしい」との事です。「原油価格」のグラフも送られて来ました。
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それとです。「チェイニー副大統領」の「訪日」は、「イラン開戦」にあたって、「日本」の「支援要請」が「目的」ではないかと、友人は云っていました。
友人の「予測?」「予想?」は「金価格」の「上昇期待」が「バイアス」されていますので、かなり「割り引いて」受け取りました。
それで、「チェイニー」の相手をした「安倍総理」何ですが、「日経BP」に掲載されている「立花隆のディアソシオ-ポリティクス」という「コラム」でこんな事が書かれていました。
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タイトルは
【政権の命取りになるか 安倍首相の健康問題】
『先の突然の人間ドック入り(2月10日、慶応大学病院)はどう考えてもおかしい。かなり先までスケジュールがガチガチに入っているはずの内閣総理大臣が、突然病院に入り、しかも長時間にわたって全く外部に出てこないなどということは、大げさにいえば、国家の一大事である。なにしろ午前8時に入って、午後1時50分まで出てこなかったのだ。これがただの定期健康診断(官邸側の発表)のはずがない。なにか相当の異常が起きていて、緊急の精密検査プラス治療が必要だったということだろうと私は解釈している』
『私は安倍首相の姿をテレビのニュース映像を通してしか見ていないが、それだけでしばらく前から何かおかしいという気がしていた。何がおかしいかというと、安倍首相が急に老けこんでしまったように感じられることだ』
『最近の報道によると、安倍首相の持病は、潰瘍性大腸炎(厚労省指定特定疾患の難病)であり、その症状をおさえるためにステロイド剤を常時服用しているという』
『ステロイド剤の副作用として、まっ先にあげられるのが「皮膚萎縮」であり、「萎縮性皮膚腺条」(老人性の皮膚のシワシワ)なのだ。それにつづいて「乾皮症」「毛細血管拡張」「色素異常」「ステロイド紫斑」などがあらわれてくる』
『国会中継で安倍首相の顔がアップにされたときに、安倍首相の首筋の異常なシワに気がつき、ギョッとした。それはどう見ても50代に入ったばかりの男の首筋ではなかった』
『安倍一族は短命の家系である。一族の墓誌を丹念に調べた人の報告によると、40代50代で死んでいる人が沢山おり、男子の平均寿命は40歳代だという』
『このままいくと、参院選前に安倍首相がつぶれるということだって大いに考えられる気がしてきた。4月の統一地方選で自民党が敗北したらもちろん、敗北までいかなくても大いに苦戦ということになったら、政界(特に参院)には「安倍おろし」の空気が出てくるのではないか』
という事なんですが、近いうち、国内でも、海外でも、将来を決定づける「大きな変化」が起きそうな・・・・・・、そんな「予感」がしてきました。
今日は「暗~い」話題でした。。。。。。。
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この辺は、「安値地域」なので「全国平均」より「約10円」安いみたいです。一番安い時は「80円」位だった記憶があります。
去年、原油価格が一時的に「1バーレル(約158.9L)80ドル」を越えたことがありました。その頃「1バーレル100ドル」まで上昇する何て「噂」がありました。
5年ほど前までは「20ドル」台でしたから、現在は60ドル前後ですから、3倍です。これは「イラク戦争」が「一番」の原因だそうです。
原油が上がり始めた時に、一般的な経済予測で、40ドル台迄であれば日本経済への影響は「小さく」、「60ドル台」に入ると「第二次石油ショック」が「起こる」と云われました。
しかし、70ドル台になっても「何も」起こりませんでした。「運送業」等では、「深刻」な影響があったようですが、日本経済に「ショック」は起こりませんでした。
身近な影響としては、「ちくわ」が短くなり、「納豆」の1パックの量が減った事が「新聞」や「テレビ」で話題になった程度です。
アメリカの「イラク戦争」で「ちくわ」が短くなるとは、「風が吹けば、桶屋が儲かる」話しのようです。
それで、アメリカの「イラク戦争」を予測して、原油を安値で買って、高値で売り抜け、儲けた人達もいます。この「投機的」な「売買」が、より「価格の高騰」を招いているとのことです。
原油価格も、今は、「投機筋」が「様子見」だそうです。今年の「前半」に、アメリカが「イラン空爆をやるのでは」との、「噂」が出始めているので、上昇するかもしれません。
「上がれ」ば、いつかは「下がり」、「下がれ」ば、いつかは「上がる」のが「相場」だそうです。
それで、この「投機」なんです。お金のある人達の「資金」が、生活物資を「投機」の対象として、「商品取引市場」に入ってきているそうです。
世界中で「お金」が余り、「投機対象」を求めて、世界を彷徨っているそうです。
「投機」なのか「投資」なのか、「投機」は短期の利益を目的として、「投資」は長期の利益を目的していて、市場を混乱させるのは「投機」であると云われますが、どちらも「実需」とは「異なる」動きで、「価格」を変動させる訳ですから、「同じ穴の狢」でしょう。
「大豆、トウモロコシ」が「バイオエネルギー」の原料として注目されると、大豆トウモロコシ市場に「投機資金」が流れ、「実需以上」に「価格」が上昇しているそうです。
しかし、何処に「お金」があるのでしょう? 誰が「ばらまいて」いるのでしょうね?
専門家に聞くと「アメリカ」が「ばらまいて」いるそうです。アメリカには「双子の赤字」と云われる、「国家財政の赤字」と「国際収支の赤字」があるそうです。
この赤字は、「稼ぎ」に対して、「借金」をして、「稼ぎ以上」の「暮らし」をしている事になるそうです。
この「借金」の「穴埋め」は「基準通貨」の「ドル」を「印刷」すれば済むのです。当然、「流通量」が増えれば、「ドル」の「価値」は低下しますよね。
しかし、基準通貨としての「ドル」に対する「信頼」が「価値」をささえているようです。そして、その「信頼」から日本と中国が「大量に「ドル」を買って、支えているのです。
単なる紙の印刷物に「通貨」としての「価値」があるのは、「金」との「交換」を前提として「価値」が保証されているからです。
しかし、いまから30年以上前、ニクソン大統領の時代に「金・ドル交換」は停止されました。でも、「ドル」が「通貨」として現在も「世界」で通用しているのは、何故なんでしょうね。
専門家の話しでは、アメリカの「圧倒的」な「軍事力」と「経済力」が「ドル」の「価値」を保証しているそうなのです。
そうすると、「経済」と「軍事」において、「圧倒」する「地位」に「陰り」が見えたとき、「ドル」は「紙屑」になる訳です。
そうするとです。アメリカの「経済」については、自動車産業に代表されるように、国内の製造業は「国際競争力」はなくなりました。
金融業は「国際競争力」が残っていますが、所詮、独自に「富み」を作り出せず、製造業に「寄生」している訳ですから、落ち目になるそうです。
軍事力は当然に「経済力」に依存しているので、これも落ち目になるでしょう。
すると!そうなんです! 「ドル」の「暴落」が起きます。
そういう背景で「ドル暴落」の「危険回避」として、「金・ゴールド」が買われているのそうです。
私の知人で、数年前に「1500円/㌘」で金を買い、去年、「2600円/㌘」で売り、かなり儲けたと云っています。
彼はハッキリ云いませんでしたが「3~5㎏」持っていたようです。それから計算すると「330万~550万」の利益ですね。
こんな事していいのですかね。彼は、大豆やトウモロコシと異なり、「金」の価格変動で「普通」に「生活」している人には、特に影響はないと弁解していました。
毎日々働いても、結婚もできない「ワーキングプア」がいる状況で、働かないで儲ける人がいるのは不公平?不自然?不健全?
「お金」を働かせる時代になったようです。「お金」のある人に「より」「お金」が集まり、「ない人」は「それなり」の生活しかできない、そんな時代になってきたようです。
今月、財務省が発表した2006年の国際収支によると、モノやサービスの取引などを示す経常収支の黒字は前年比8・7%増の19兆8390億円となり、過去最高を更新したそうです。
「モノ」の取引を示す貿易収支の黒字は、原油高などにより「8・5%減」の9兆4596億円と2年連続で縮小した。
一方、海外子会社の「収益」や海外株式の「配当」などを示す「所得収支」の黒字は「20・8%増」の13兆7449億円と、4年連続で拡大して過去最高となったそうです。
「所得収支」の黒字が「貿易収支」黒字を上回るのは2年連続で、日本経済が「輸出中心」から、海外への「投資」で「収益を稼ぐ」構造へ変化しているそうです。
「お金」を働かす時代なんですね。物を作るより、「お金」を動かして「儲ける」世の中。
でも。しかしです。身体を動かして、汗を流して「働く人」がいないと、ご飯は食べられず、寒さ暑さからも、身を守ることはできないのです。
「お金」で「お金」を作るのは、「物を作る」事に対して、結局は「寄生虫」的な行為です。不健全、不公平、不自然です。
このままでは「実体経済」が、「金融投機的行為」により破壊されると経済専門家が指摘しています。
実際に、外国為替取引も貿易決済取引の「数倍」の投機資金が入っているそうです。「金」もこれまで「実需」が「8割」だったのが、現在は「6割」程度で、投機資金が4割に増加したそうです。
投機は「博打」ですから、「博打経済」になったと云えるでしょう。
これから、大変な世の中になりそうです。
飲みながら書いていたら、止まらなくなりました。
この辺で終わります。。。。。。。
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これも隅田川と「小名木川」の合流地点に架かる「萬年橋」。「奥の細道」の出発地点。芭蕉と曾良はこの橋の下から船で千住に向かった。昭和5年1930年架設。
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中央部が開閉できる跳開橋の「勝鬨橋」。私が「幼稚園」の頃、「遠足」で「開いた」勝鬨橋をバックに撮った「記念写真」があるのです。
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たった今、書いている途中で探したのですが、見つかりません。もう一度「開いた」光景が見たい! 昭和15年架橋
神田川と隅田川の合流点に架かる「柳橋」。この「ランプ」、「いいですねぇー」昔は「こういう処」にも「凝って」いました。「遊び」を感じます。昭和4年1929年架橋
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袂の「柳」と「佃煮」の「小松屋」。風情です。江戸情緒です。粋です。
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「厩橋」。側に米を運ぶ荷役用の馬の「厩」があったことから、その名前が付けられたそうです。
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「暗い緑」の塗装のせいで、橋全体が「暗い」印象の橋です。しかし、この「ランプ」は「お洒落」です。昭和4年1929年に架橋
旧武蔵国・下総国の両国をつなぐことから「両国橋」。「がっしり」と「力感」のある橋です。橋脚下部の「半球型」に「安定感」があります。昭和5年架橋
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「朱色」が「鮮やか」な「吾妻橋」。浅草に一番近い橋で、私の隅田川散策の、スタート地点、ゴール地点になっています。昭和6年1931年架橋
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隅田川で一番「若い橋」の「桜橋」。歩行者専用橋。昭和60年85年架橋
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中央部に貼られていた「注意表示板?」。
何なんだ?『やる事はできません』とは? そんな「日本語」はないぞ!
「きつい表現」では「反発」されるから、兎に角「間接的」な「表現」で、「柔らかく」「穏やか」に、相手の「善意」を「信じる」姿勢を示している、「つもり」なのでしよう。
「当たり障りのない」表現は、何か「事」が起こった際の「責任回避」の「逃げ道」を「作って」いるように見えます。
「公園緑地管理事務所長」さん、「正々堂々」「はっきり」「スッキリ」「きっぱり」と云って下さい。
『スケートボード禁止』
と、「簡単明瞭」に、それでいいのです。 ねぇ ! 「所長」
さて。私も「きっぱり」と云います。
「焼酎おかわり、もう一杯!」
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一曲目は、72年の曲「喝采」でした。
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『♪いつものように幕が開き・・・・・・・』
「ちあきなおみ」と云えば「この曲」が最初にきますね。私が「彼女」を「意識」したのも「この曲」の頃でした。しかし、多少気になる程度で、特に「ファン」と云うほどでもありませんでした。
それまでの「四つのお願い」的、「アイドル路線」から「大人ぽい」歌手として、スタートし「大ヒット」した曲だったので「覚えていた」、そんな程度でした。
その後は、「タンスにゴン」の「コマシャール」で「コミカル」な「おばさん」を演じていた記憶がある程度です。
78年に「郷治」と結婚したの事も、92年に「郷治」が「肺ガン」で亡くなり、その後「芸能活動」を「休止」していた事も「まったく」知りませんでした。
「最近」になって、「コマーシャル」で流れた「黄昏のビギン」を聞いて、
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『ふ~ん。なかなかイイ歌だなぁー』
と思ったのです。「気持ちの中」に「すぅ~と」と入り、「耳」にも「心地良く」、「詩」も「メロディー」も素敵な曲だと思ったのです。
歳をとると「最近」が「かなり前」の事なので、調べてみたら、91年の「京成電鉄・スカイライナー」と「99年~03年「ネスカフェ・プレジデント」のコマーシャルでした。
去年だったか「NHK」で「特集番組」が放送されました。その時に始めて、
『へぇ~。「ちあきなおみ」って、こんな「歌手」だったんだぁ~』
と、思ったのです。
歌手活動の後半は「芝居」に興味が移り、歌が「少し」ある「ひとり芝居」など演じていたようです。かなり、「マニアック」な世界に入り込んでいるように見えました。
それで、「今回」の「放送」何ですが、「朝日のあたる家」の間奏での「小芝居」、そして、あの「夜へ急ぐ人」、観ました、聞きました、「いゃ~、参りましたねェ」
歌は「3分間のドラマ」何て云いますが、「あまりにも」「しつこい」です。「演技過剰」です。
『もう!観ていられない。もう!聞いていられない』、「脂っこく」「粘っこく」、胃にもたれます。
ハッキリ云います。「あれこそが!臭い!芝居!」と云います。自己満足ですね。ここまで「ぼろくそ」に云うのは、「たけし」が「やたら、めったら、手放し」でほめた事の「反動」かもしれません。
私は「黄昏のビギン」を唄う「ちあきなおみ」が「好き」です。芝居がかった歌では、「紅とんぼ」迄が「許容範囲」ですね。
「表情、動作、声」によって、「激しく」、「ストレート」な「感情表現」を「好む」人達を否定しませんが、私は「嫌い」です。
本人は「感情表現」の「激しい」人だったようです。旦那の「郷治」が亡くなった時、火葬場で「棺」に泣き伏して、
『わたしも一緒に焼いてェ~!』と、大声で叫んだそうです。凄い人なんです。
兎に角、「芸能活動」を再開して貰いたいと思います。活動休止を「本人」は一度も「宣言」していないようですから、あり得るかもしれません。
その時は「大人」の「演歌路線」でお願いします。「静かに」「しっとり」「やわらかく」「ささやく」ようにお願いします。、感情表現は極力抑えて下さい。
しかし、「不透明」で「不安」で「閉塞感」が漂う世の中に、「暗く、寂しく、切ない」歌は・・・・・・・どう何でしょうかね? だからと云って、「元気ハツラツの明るい」歌も「かなり変」ですけど・・・・・・。
まぁ。兎に角です。もう一度「顔」を見せて下さい。
彼女は私より「三歳」上で、今年の9月で「60歳」になります。同じ「板橋区」の生まれでした。
昔、何処かで「すれ違って」いたのかも・・・・・・・・・。
待ってま~す。。。。。。。
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