先日の27日に東京を歩いて来た話を、今日から書き始めようと思ったのですが、今日は金曜日でした。
最近、土日はブログの休日となっておりますので、ここはやはり、何と云っても、新シリーズの開始は区切りのよい、月曜日から始めたいと思います。
それで、新シリーズ何ですが、いつものように東京の端っこで、スタートは東武伊勢崎線の“曳舟駅”、ゴールは総武線の“平井駅”です。
まぁ。そんなこんなで、今日も雑談という事になりました。
今日は曇り空で雨がパラパラです。ここ2日間はカロリー消費の運動を休んでいます。運動の内容はと云うと、自転車の時は1時間半程度、徒歩の時は1時間程度、近所をウロウロするのです。
一日中部屋の中に居ると、体重の増加が心配になります。1㎏程度は簡単に太るのです。1㎏減量するのは大変ですが、太るのはホントに呆気ないほど簡単です。
太る為のエネルギーと、痩せるためのエネルギーに10倍程度の差がある様に思えます。エネルギー不滅の法則はどうなっているのでしょうか?
これって、エネルギー不滅の法則とは関係無いの?
人間の身体もそろそろ進化して、必要以上のエネルギーを摂取した場合は、脂肪で蓄えたりしないで、即座に排泄するような機能を獲得する段階では?
何か、それに近い、必要以上の栄養を摂取すると、体内に蓄えず排泄するクスリが、動物実験では成功したとの情報を耳にしました。
動物実験の段階ですから、販売される様になるには10年以上はかかるのでしょうね。治験には協力しますので連絡を下さい。
そうなれば、いくら食べても、いくら呑んでも、脂肪とか、コレステロールとか、血糖値とか、血圧とか、心配することの無い、すばらしい時代になるかも知れません。
アフリカでは、10億人の人が飢えに苦しんでいると、ロック歌手?のボノさん?と云う人が叫んでいます。こんな時に、こんな事を、考えるのは不謹慎かも知れません。
それで、あの大富豪のマイクロソフトのビル・ゲイツさんですが、世界から貧困と飢餓を無くす為に財団を創設した話を思い出しました。
財団の資産は10兆円程度あるそうで、その10兆円の資金を原油や、穀物の先物取引で運用し、財団の活動資金に充てているそうです。
原油、穀物価格の上昇要因として、投機資金の流入が指摘されています。価格上昇により得た利益を、飢餓と貧困の救済資金に使う、これは、トテモ、変な話です。
10兆円の極一部なのか、かなりの部分なのか、明らかではないようですが、明らかに“マッチポンプ”に見えてしまいます。
資金の運用方法としては何ら“違法性”は有りません。でも、“そりゃ! ねぇーだろ!”と、普通の人は思わずにはいられないのです。
この辺が、天才的な大金持ちと、普通の貧乏人との、発想の違いなのでしょう。手段としては明らかに“犯罪”ではありません。
ゲイツ財団が先物市場に資金をつぎ込まなくても、市場価格は上昇するのだと云われれば、「ハィ。そうですか」としか云えません・
でも、しかし、道義的には“犯罪的行為”とあまり変わらないと思うのです。これは、やっぱり、金儲けの能力が無い、貧乏人の僻みなのでしょうかね。
それにしても、アフリカですが、貧困と飢餓を救えとボノさんも叫んでいますが、やはり何と云っても、植民地として支配していた旧宗主国の問題です。
ボノさんはアイルランドの方だそうですが、付けは欧米で支払って頂きたいと思います。日本はアジアでもっと貢献すべきだと思うのです。
アフリカの“資源”も重要なのでしょう。常任理事国入りの一票も大事なのでしょう。いろいろと、それなりに、理由はあるのでしょう。
でも、何か、巧いこと云われて、金だけむしり取られている・・・・・・そんな気がしないでもないのです。
“ゼニ金”よりも、しっかりとした“理念”を持っていないと、やはり、世界から尊敬はされないでしょう。
ゲイツさんも、慈善事業に膨大な資金を提供しているようですが、あまり尊敬されていないとの、噂を聞いたことがあります。
それで、“理念”のこと何ですが、そういう大切な事は、いったい?、いつ?、何処で?、どんな人達で?、決めるのでしょうか?
やっぱり国会で、国会議員さん達が決めるんでしょうね。兎に角、国会は国権の最高機関なんだそうですから。
その国会議員を選ぶのが国民ですが、選挙で、飢餓とか、貧困とか、外交政策とか、そんな事はねぇ・・・・・・、ムズカシイのです。
兎に角、少しずつ、ボチボチ、チョットずつ、そんな処なのでしょう。
それにしても、地球の温暖化は「二酸化炭素」が原因なのでしょうか? 二酸化炭素の排出量を減らす事自体はトテモ良いことなのですが・・・・・・・。
でも何か?、恐怖心を煽り商売に繋げる、怪しい詐欺的商売と、何処か同じ根っこを持っているような、そんな匂いがするのです。
それにしても、またぞろ叫ばれ出した“サマータイムの導入”は誰にとって良い事なのでしょうか?
まぁ。兎に角、雑談でした。
それでは、また来週。
突然、寒くなりました4月の気候だそうです、その前が7月の気候ですから、3ヶ月の逆戻り。
“雨がしとしと降る寒い日はボンヤリ外の景色を眺めていたい”、何て事を想いつつ、通勤電車に揺られていた日々もありました。
いまでは、曇りだろうが、雨だろうが、雪だろうが、カンカン照りであろうが、天候に関係なくボンヤリ窓の外を眺めています。
窓の外を眺めていたら、先月の健康診断の結果が届いていない事を思い出しました。15日か18日か、多分その辺りでした。
1ヶ月半を過ぎています。結果の書類が届くのが遅いと云う事は、大きな問題が無いと、勝手に考えてみたり・・・・・・。
いや、もしかして、書類が途中で紛失してしまったのかも知れない、と思っても見たり・・・・・・。
でも、しかし、確認にの為に問い合わせするのも億劫だし、でも、しかし、早く知りたい気もするし、そうあまり早く知りたくもないし、検診結果を見るのは複雑です。
そういえば、最近、テレビを見なくなりました。面白くないのです。特にドラマは詰まらない。
朝の連ドラ“瞳”も、やっと“慣れて”きたところです。毎日それなりに見ていると、それなりに“気になる様に”なります。
以前、“今二、今三”と書きましたが、最近はそれなりに“今一”レベルに思える様になりました。兎に角、連ドラは“慣れ”です。
そうでした、テレビを見なくなった話ですが、やはり、ブログを書くのが面白いからだと思います。
情報は受け取るより、発信する方が面白いのですね、やっぱり。
そんな事を云った後ですが、先日テレビを見ていたら、最近の若者に車離れが広がりつつあると云ってました。
車に“幻想”を抱かなくなったのです。兎に角、我々の青春時代は、車は“夢”であり、“憧れ”であり、“明るい未来”でした。
わたしの車、来月が車検です。もう2年乗る事にしています。今の車は3ナンバーですが、次は、燃費が半分くらいのリッターカーにする予定です。
始めて自分の車を持ったのが“軽のスズキフロンテ”でした。きっと最後は軽で終わると思います。車は移動できればいいのです。
それと、最近、車庫入れが一回で決まらない事があるのです。それも、自分の家の車庫でです。
スーパーなどでも、降りて確認すると曲がっていたり、片側に寄り過ぎていたり、何だか、とっても、マズイのです。
それで、話は変わりますが、先日の27日、久ぶりに東京を歩いて来ました。その話を書こうしているのですが、今日も、その時に撮った写真や、地図を眺めたりしています。
何となく、その時の“余韻”何かを味わってみたり、少し時間を置いてから書いてみたい、何て、そんなことを思ったりしているのです。
そうは云っても、あまり時間を置くと、その時の風景、その時の思い、少しづつ薄らいで来るようでもあり、そうでないようでもあり・・・・・・。
まぁ、兎に角、今日は、雨降り、寒い一日になりそうです。こんな日は、やっぱり“ボンヤリ”に限ります。
それでは、また明日。
我孫子シリーズも終わり、何となくぼんやり気分です。
まぁ、そんな処で、ぼんやりとアフリカの話です。
“そんないい加減な態度でアフリカの話などするな!”と、聞こえてきそうですが、まぁ、兎に角、そんなところで・・・・・・。
このところ、テレビや新聞で「TICAD(アフリカ開発会議)」の話題を眼にします。横浜で開催されているようです。
これがロゴマークだそうです。横浜市が“どうぞ、どうぞ、お使い下さい”とホームページで叫んでいましたので、使わせて頂きました。
1993年から開催されていて、現在までに5年ごとに3回の会議が行われ、今回が4回目だそうです。1~3回の会議はまったく記憶にありません。
アフリカは遠~い世界です。兎に角、アジアの端っこのその先ですから、ヨーロッパの人達と比べれば、日本での関心はさっぱりです。
私も、アフリカと云えば、先ず、貧困、エイズ、飢餓、部族対立、内乱、内戦、集団虐殺・・・・・・、マイナスイメージしか浮かびません。
何で?、どうして?、と思うのですが、その先まではなかなか判らないのです。
兎に角、豊で、健康で、仲良く、楽しく、暮らしたい、誰しもが望む分けですが、なかなか、その方向に、纏まらないようです。
兎に角、いろいろな問題があるようですが、何をやるにも、部族間の対立が激しくうまく纏まらないように見えるのです。
貧しいから対立するのか?、対立するから貧しいのか? ムズカシイ問題です。
かなり大胆な意見になりますが、いつも見たり聞いたりして思うのです。
アフリカの国々(北部を除いて)は、国家を運営する事に無理がある様に思うのです。
現在の国家は、アフリカの事情に関係無く、旧宗主国の都合で勝手に国境を決めた経緯があります。
民族、部族、宗教、言語、習慣、いろいろな要素がゴチャ混ぜになっているようなのです。
自分達で近代的な国家を運営した経験が無いようですし、民主主義の制度を保証する教育も無いまま、生活基盤の産業もないまま、“戦後の流れ”で国家を持ってしまった様に見えます。
この辺で、国連によって統治を代行したほうが、悲惨な現状から抜け出す早道だと思うのです。
兎に角、雑談ですから、兎に角、私としては、そう思うのです。
部族の酋長が、皇帝や王様を勝手に宣言して、他の部族を虐殺したり、不正選挙が行われたり、選挙の結果が生死を分けたり・・・・・・、兎に角、メチャクチャに見えるのです。
国連による統治の代行は、相手国が受け入れる可能性はゼロでしょう。プライドが赦さないでしょし、権力を握っている勢力に取っては死活問題ですから。
ホントにムズカシイのです。兎に角、コツコツ、地道に、教育の援助、経済の援助、医療の援助、そんなやり方しか無いのでしょう。
但し、これからは武器援助、軍事援助は、絶対に止めるべきです。問題解決の手段にはなりません。
それにしても、突然、“鶴田真由さん”ですが、TICADの親善大使をやっているとは知りませんでした。以前からアフリカに関心があったようです。
それにしても、彼女がいつの間にか「38歳」になっていたのでした。これも知りませんでした。驚きでした。
彼女のコメントのなかで、
『お金を得たことで先進国が失ったものを、アフリカの人たちはまだいっぱい持っている・・・。底抜けの明るさ・・・、自然に対して正直な感覚、・・・まっすぐな姿、・・・、笑っている子供の数も日本より多い・・・』
そんな事を云っていました。でも、これって、いいようですが、別な側面がある気がするのです。
“正直、真っ直ぐ、明るい、よく笑う”と云う事は、感情表現が直接的だと云う事になる様な気がするのです。
嬉しい、楽しい、面白い、そんな時はいいのですが、哀しい時、不愉快な時、そして、不当な扱いを受けたとき、怒りの表現が、直接的で、爆発的、で悲惨な状況を招いてはいないか?
そんな風に考えてしまうのです。怒りや憎しみによる争いは、非戦闘員を巻き込み、場所、相手、状況を考慮しないので悲惨です。
感情、憎しみの対立は、トテモ難しいのです。厄介な問題です。
これまでの、先進国の戦争は政治の延長であり、理性的であり計算されていました。
冷戦終結後の紛争は「憎しみの対立」です。トテモ、ヤヤッコシイしいのです。
それで、アフリカの対立も憎しみの対立で“ややこしい”のです。
それでは、また明日。
※追記・・・アフリカと聞いて、筒井康隆の「アフリカの爆弾」を思い出しました。先ほどより本棚を探しているのですが、今だ発見できません。
そうなんです、タイトルの「アフリカの雑談」は、そのパクリでした。
いよいよ、今回で“我孫子シリーズ”の最終回となる予定です。今回は26回シリーズでした。
さぁて、“手賀沼ふれあいライン”をひた走ります。ホントに何も無い普通の田舎道になってきました。サドルに当たるお尻も痛くなってきました。
神社が見えたのでチョットだけ覗いてみるかと、自転車を降りて階段の下に行ったところ、両脇に立つ2本の木の幹に蜂の巣を発見。
大きさから“日本ミツバチ”と思われる大群が、巣穴から出入りしているのです。
右側の枯れた?大木の下のところから、白い“怪しげなモノ”が垂れている処が巣の出入り口です。左側の木にも同じ様な位置に出入り口があります。
両脇の巣に、群がり、飛び回る、日本蜜蜂の集団を突破し、香取神社に参拝するか否か、数分考えたのですが、肉体的な疲労により、恐怖心が好奇心を上回り、撤退を決断しました。
小さくても蜂に刺されたら痛いのです。近寄らない方が賢明です。お尻はずっと前から痛いのですから。
サドルに当たり痛いお尻を、右にズラし、左にズラしペダルを漕いでいると、住宅地に差し掛かりました。
ここらで、丘の上に出たいと思います。この程度の坂はサドルに腰掛けてペダルを漕いでも登れるのですが、お尻の痛みにより自転車を降ります。
造成中の分譲地。
どこでも見かける、外観の造り、外壁の色調です。
ほぼ予想どおりの場所に出ました、午前中、我孫子に向かう時に通った356号線です。
取手に向かって走っていると、突然、耳の脇で“メェー”と大きな鳴き声にビックリ! 遠くを眺めていてヒツジに気が付きませんでした。 子供動物園?
遠くに、村田学園、日本電気が見えます。
村田学園の前に差し掛かると、校門の前には若い男の集団が、出てくる女子学生を待ちかまえていたのです。
合コンの誘い?、集団軟派? それとも何かのセールス? まぁ、若いモンの事は若いモンに任せます。
このコンビニでスポーツドリンクを摂取。取手まで、もう一息です。
水戸街道に出る手前のマンションで眼にしました。
始めてです。今は、こんな事になっているのです。消防法で義務付けられている?
しかし、どう見ても消防車両1台のスペースしか有りません。“消防隊活動用地”っていったい?なん何の?
このマンションの規模からして、火災発生時には、指揮車、放水車、タンク車、はしご車、ポンプ車、救急車、搬送車、広報車、レスキュー車等々が駆けつけて来る筈です。
一台分のスペースでは活動できません。“焼け石に水”と思われるのです。それでも、兎に角、無いよりは益しの活動用地?
6号線に出ました。このマンションは、水戸街道ではそれなりに有名だった“ドライブインかあちゃん”の後にできました。むかし、むかし一度だけ入った事があります。
利根川が見えてきました。橋を渡れば取手です。
出発地点の取手に無事に戻って来ました。この日も良く走りました。
この先の、とある駐車場までもう少しです。自転車をトランクに入れ“一目散”に我が家を目指します。
明るいうちに風呂に入り、冷たいビールを飲む、堪えられません!
これで、我孫子シリーズはお終いです。我孫子には、いろいろなモノが有り、いろいろ楽しめました。
それでは、皆さん、また明日。
先週の続きです。
成田、印西へ向かう“普通の道”である356号線を駅前に向かいます。
駅前の交差点より、住宅地に続く路地を少し入ったところの、普通のお寺です。
普段は、静かで極々普通のお寺だと思います。
しかし、この日、境内にはクレーン車にショベルカーが入っていました。庭を造っているのです。
遠くから眺めていたのですが、なかなか車両は活発な動きを見せず、何やら全員でお話合いをしていました。
大きな石をクレーン車が持ち上げるところを見たかったのですが、暫く話が続きそうなので、本堂にお参りをしました。
こちらの“貘”は牙が一本。良くこの様な“一本牙貘”を見かけるのですが、これは朽ち果て落下したのでは無く、それなりに何か意味がある様に思えます。
寺の住職さんが気が付かない分けがないのです。気が付きながらも、ほったらかしにしている分けが無いのです。
こちらはしっかり2本生えてます。
いつか、きっと、この謎は解かないとなりません。こんど、何処かの、一本牙寺の住職さんに確認してみたいと思います。
まさか、全国的に“貘の牙が外れ易いので、何処でも、誰でも、ほったらかし、の傾向にある”何て事実が明らかに・・・・・・、まぁ、そんな事は無いと思います。
クレーン車も、ショベルカーも動く気配が無さそうなので、興陽寺を後にしました。そろそろ帰路に着く時間です。
“公園坂通り”を下り、“手賀沼ふれあいライン”を走ります。
それで、何ですが、この“ふれあい何とか”が最近増殖中のり様に思われます。
何処にでも、何にでも、そんなに“ふれあい”たいのでしょうか。ふれ合うは、触れ合うで、さわり合うのです。
時代は“触れ合い不足”、触れ合う事に“飢えて”いるのでしょうか?
“ベタベタ”した田舎から、“サラサラ”した都会に向かう時代から、ベタベタの田舎暮らしへの回帰が始まった?
“ふれあい”には、“語り合う”と云う意味も含まれます。心と体の触れ合いで、「少子高齢化社会」からの脱却を図る?
“触れ合い、語り合い、楽しい未来、明るい社会”・・・・・・。何か、そんなの何処かで、見たような? 聞いたような?
まぁ。兎に角です。知らない街、知らない風景、知らない人ばかり眺めてきました。そろそろ、知っている人と“ふれあいたい気分”になってきました。
知らない街を一人で漂うのはそれなりに楽しいのですが、体が疲れて来ると、知らない街は寂しくなって来ます。
やっぱり、世の中も疲れてくると、サラサラからベタベタを望むのでしょうか?
兎に角、疲れてくると、好奇心も薄らいできます。
通りすがりに見た、バーナード・リーチの碑です。自転車に跨ったまま、一枚だけパチリ。
この建物は何だろう?
長閑かな風景です。
そんな風景のなか、爆音が空から降ってきました。見上げると、あの“対潜哨戒機P-3Cオライオン”が着陸態勢に入っています。
飛行機が飛んでいる姿は好きです。少し元気になってきました。
話は変わりますが、小学生の5,6年生の頃まで「ヒコーキ雲」が、飛行機のエンジンから出る排気ガスによってできるとは、まったく知りませんでした。
飛行機の航跡の様に見えるので「ヒコーキ雲」と思っていたのです。雲の先端に飛行機を見た事が無かったのです。ホントに恥ずかしい、そして可愛い想い出です。
それで、唐突ですが、可愛い想い出関連で、あの物真似の“三代目江戸家猫八”が、“ハゲイトウ”は「葉毛糸」で、花から毛糸ができると思っていたそうです。
“ハゲイトウ”が「葉鶏頭」と知ったのは、小学生になって暫くしてからだそうです。
隣に住んでいた“綺麗なお姉さん”が、幼い猫八少年に冗談で云った話を、ずっと、ずっと、信じていたのです。可愛いお話です。
それで、話は対潜哨戒機でした。
この辺りだと“海上自衛隊下総航空基地”に向かっている筈です。あの“ロッキード事件”で有名になった軍用機です。
ホント、昔の事になりました。
取手までは、あと一時間ほどです。
そろそろ、次回で“我孫子シリーズ”は終わりそうです。
それでは、また明日。
今日は勝つと思いました。
今日負けると、明日も負ける事になるのです。悪夢がくり返すのです。千秋楽の決定戦になり、白鵬が優勝する事になってしまうのです。
落ち着いて、自信を持って真っ直ぐに当たって行けば絶対に勝ちます。
安馬は立ち会いで変わる事は絶対にありません。
お父さんが観戦しています。
迷うな!!!
真っ直ぐ、力いっぱいぶつかって行け!!!
やったぁー!!!!!!! 優勝だぁー!!!!!!
初優勝だぁ~!!!
お父さん! おめでとう!!!
これで明日は千代大海に完勝して、14勝1敗。
そして、来場所は全勝優勝して横綱ダァー!!!
頼むぞ!! 琴欧州!!
それにしても、稀勢の里です。
やっぱり、三役での二桁勝利さえおぼつかない様子。
3場所連続の二桁勝利は夢のまた夢です。
もう、諦めました。
さよなら、稀勢の里。
暗いガード下をくぐり抜けます。こちら側は西口になるのでしょうか? 線路を疾走る特急列車、線路脇を俯きトボトボ歩く老人。
駅を離れると線路脇は寂しくなります。この日の散策もそろそろ後半に差し掛かり、気分も少し寂しくなり掛けています。
手賀沼側と反対の駅前広場。
駅前を通り過ぎると、見えて来るのがこの巨大マンション。まさに“立ちはだかって”います。
東京に通勤している頃、帰りは進行方向の左側の景色をいつも眺めていました。我孫子に到着する手前からこの“城壁マンション”が現れます。
巨大建物、巨大工場、巨大鉄塔、巨大は不気味です、威圧します、見下ろされています。そして、見上げてしまいます。
最近、この巨大建造物に人気があるそうです。旅行代理店でそんな“ツアー”が企画され、結構人気があり売れていると、テレビの情報番組で云ってました。
人類は、何故か“巨大”に憧れを抱く傾向があるようです。“ひれ伏し願望”なのでしょうか?
いつか近くで見てみたいと思っていたのです。近づくと確かにデカイ! 歳をとると、高くてデカイ建物は、ココロとカラダに良くないような気がします。
手前のマンションは玄関と云うより、“エントランス”と云う表現がピッタリなホテルのような趣で、兎に角“高そぉー”でした。
ガードをくぐります。手賀沼側に戻ります。
振り返ります。ホントにデカイ! 確かにデカイ! 地震は大丈夫何でしょうか?
こちらは会社に向かう時に眺める景色です。
“成田”そして“印西”、いつもこの文字を見つめていました。
丁字路がいいのです。真っ直ぐ先ではなく、見通せない左方向に365号線を進むと、その先に成田、印西があるのです。
成田から飛び立ち、インドに向かうのです。“印”がインドを想像させたのです。通勤の満員電車の窓から、遠いインドを思い浮かべていたのです。
356号線の矢印の、そして、その先は、インドに繋がる特別な道に思えたのです。
印と西で、西インド諸島にも“飛び立った”こともありました。
今回、自転車に跨り矢印の方向に365号線を曲がりました。
でも、しかし、そこは駅前に続く、ただの“普通の道”でした。
やっぱり、インドは暑いし、埃っぽいし、国内の温泉地でのんびりと、露天プロにでも浸かっているのが・・・・・・と思う、今日この頃になりました。
それでは、また明日。
駅前に戻り、取手方向に線路に沿って走ります。途中、イトーヨーカ堂でトイレを借りました。線路際の出入り口から入って直ぐにトイレはありました。
入って直ぐにトイレがあるのは「裏口」と云うことになります。正面から入りトイレの案内看板に従っていると、店内をイイように引きずり廻されます。
“トイレ客”に最短距離を歩かれると、通路の汚れで「獣道」ならぬ、「トイレ道」が出現してしまうのです。
「案内看板」には、トイレ客を引き回し、“通路の汚れを均一化”する策略が隠されている・・・・・・・との、“噂”が世間の“一部”で囁かれています。
それで、用足しを済ませ落ち着いたところで、出した分の水分を補給し、線路沿いを取手方向に走ります。
この店ですが、東京に通勤していた頃、それと無く気になっていました。“安井家”の店名にしては、「高いやぁ!」の雰囲気を漂わせているのです。
店頭のメニューサンプルを拝見し、品数、ボリューム、彩り、器、盛り付け、食材、調理方法、価格等を検討した結果、「普通やぁ!」との結論に到りました。
長年のモヤモヤが晴れました。安井家は普通家でした。
そう云えば、常磐線の亀有商店街に「まずい屋」と名乗る、“正直”な“おでん屋”さんがありました。
我孫子の話に戻ります。
数分してガードのところに来ました。取手方向に走ったのは、駅の反対側を目指していたからです。
“ガード”は暗く、寂しげで、哀愁があります。くぐり抜けた、その先に何が・・・・・・あるような? ないような?
ガードを見ると、何故か思い出すのが、あの“宮城まり子”が唄う、“ガード下の靴みがき”です。
子供の靴磨きは哀しい風景です。
♪赤い夕日が ガードを染めて・・・
おいら貧しい 靴みがき・・・
夜になっても 帰れない・・・
墨に汚れた ポケット覗きゃ・・・
風の寒さや 冷たさは・・・
なれているから 泣かないが・・・
夢のないのが 辛いのさ・・・・・・・・・。
この歌が身体に刷り込まれているようです。ホントに“夢のない時代”は辛いのです。
世界の何処かで、こんな風景が、いまでもあるような・・・・・・。いゃ、もしかして?、日本の何処かで?、そんな風景が・・・・・・・。
話が段々、寂しく、哀しく、暗くなってきてしまいました。
今日は、予定を変更して、ここで終わることにします。
それでは、また明日。
納豆チャーハンの店の前を通過して駅前に行ってみました。やっぱり、我孫子は白樺派のようです。
立派な石の台座に“白樺派三人衆”の写真が訪れる観光客をお出迎えしております。
【このチビちゃんバックしているのです自転車に追突する処でした】
大正6年(1917年)5月12日、武者小路実篤の誕生記念に実篤邸で撮られたようです。
左から、武者小路実篤、柳宗悦、志賀直哉。
実篤の誕生日にも関わらず、実篤の家で撮られたにも関わらず、真ん中に一番年下の柳宗悦が立っています。こんなところが白樺派なのでしょう。
使用人達と一緒に撮っているのも珍しいです。こんなところも白樺派なのでしょう。
それにしても、昔の人は老けて見えます。この時、実篤32歳、直哉30歳、宗悦28歳です。
前回から白樺派とは離れる筈が、駅前に来て復活してしまいました。これで、間違いなく、白樺派とはお別れです。
そうです! “山下清画伯”の痕跡と形跡を追いかけ我孫子駅に来たのです。先ずは“弥生軒”を探します。
そんな、こんなで、駅前をウロキョロしていると、ゴロゴロと台車を押す音が聞こえてきたのです。
間違いなく、駅構内の“立ち食いそば店”に食材を運んでいるのです。我孫子駅構内の“立ち食い”は“弥生軒”が一手販売なのです。
出てきたと思われる方に行って見ました。探しました、
あっち、こっち、それらしき店、それらしき建物、それらしき倉庫、いろいろ探しました。
ソバ汁の匂い、揚げ物の匂い等が漂って来るのではと、嗅ぎ廻ってもみました、しかし、まったく、それらしきモノは発見できませんでした。
駅の構内とは別に、食堂のような店が有り、店の前には山下清に触れた案内看板でも有ると期待していたのでが残念です。
ホームの弥生軒です。以前、ここで“唐揚げ(鶏)そば”を食べた事があります。唐揚げは「2個入り」と「1個入り」があり、勿論、2個入りを注文しました。
“どうせ、立ち食い蕎麦の唐揚げ何て、ちっちゃいのが乗っかってんだろ”と、侮っていたのです。
ところが、出てきてビックリ。“衝撃的”大きさなのです。丼に大人の“握り拳”が2個乗っかっていたのです。
あまりのボリュームに2個目は衣を剥ぎ中味だけを頂きました。10年ぐらい前のことです、確か380円?ぐらいだったと記憶しています。
後で判ったのですが、この唐揚げ蕎麦、立ち食いファンに“ゲンコツ蕎麦”として、それなりに“名の有る蕎麦”だったのです。
それで、山下清画伯の痕跡ですが、何処にも無く、駅前の観光案内でもまったく採り上げていないのです。
清画伯は、全国を放浪して作品を残しているのですが、我孫子は放浪先ではなく、生活の場であったようで、“我孫子関係”の“作品がまったく無い”ようなのです。
この辺が“我孫子から冷たく”されている、“遠因”になっているような気がします。
それと、人気の割には“芸術作品”としては、業界筋の評価が低い事も、それなりに影響しているかも知れません。
山下画伯は、弥生軒で昭和17年頃から5年間ほど働いていたようです。5年も居たなら、手賀沼の風景でも一枚くらい描いたって・・・・・・と思うのです。
画伯にとって、我孫子の風景は創作意欲を刺激しなかったようです。手賀沼も単なる“水たまり”に映ったのでしょう。
それと、今回知ったのですが、本名は“大橋清治”と云う方だったのです。いままでずっと山下清は本名だと思っていました。
1922年に東京都台東区日本堤に生まれ、1971年に49歳で亡くなっています。
我孫子に山下清の痕跡、形跡は残っていませんでした。
それでは、また明日。
嘉納さんの別荘跡を後にして、天神坂を下り我孫子の駅を目指します。ここらで白樺派とはお別れとなります。
“我孫子に白樺派の痕跡を探る”何って事を以前に書きましたが、痕跡、形跡はあまり有りませんでした。
村川堅固さんの別荘を見学した時には、これは見所満載だと思ったのですが、それ以降の見学スポットは、ホントに“跡地”だけで、当時の匂いを感じる“物証”が有りませんでした。
やはり、当時の建物が残っていたりすると、それなりに興味をそそられるのですが、単なる跡地だけでは、それでは、何とも、致し方ないのであります。
まぁ、兎に角。白樺派のことをほとんど知らなかった訳ですから、まぁ、こんなところなのでしょう。
これより、白樺派を離れます。それで、もう一つ、我孫子と云えば思い出す、あの方の登場です。
そうです。あの“山下清さん”です。清さんが働いていたお弁当屋さんの“弥生軒”を探しもとめ、我孫子駅前に向かいました。
桜が満開(4/3金)の手賀沼公園をチョットだけ覗き、
公園正面口から駅前に続く、メインストリート“公園坂通り”を、渋滞を脇目にペダルを漕ぎます。
何故か気になる、そびえ立つマンション。
平日なのにこの渋滞、公園にお花見に行く車でしょうか? それとも、ここは渋滞スポットなの?
駅前に近づき、渋滞も途切れ、歩道も空いた処で一枚パチリ。狭い歩道が片側にしか有りません。自転車を降り押して登りました。
ここに来るまで、身を捩り、自転車を傾け、下ってくる歩行者を躱し、自転車を躱し大変でした。
駅に続く交差点が見えてきました。
駅前広場です。“以前”に何故か、この右手にある中華屋さんで、中華丼を食べたことを思い出しました。
“以前”とは、退職する数年前でしたから、かれこれ10年ほど前のことになります。
その時、客の一人が納豆チャーハンを注文したのを“ハッキリ”覚えています。納豆とチャーハンを、別々に食べるのであれば理解できます。
しかし、この二つが混ざりあった状態は想像したくありません。私の理解を超えた組み合わせです。
一瞬、振り返り、注文した客の方を見てしまいました。サラリーマン風の若い“ふつうの人”に見えましたが、たぶん“変わった人”です。
納豆チャーハンは、作る方も作る方だが、食べる奴も食べる奴です。これはチャーハンに対する“冒涜”だと思いました。
私はカウンター席に座っていたので、納豆チャーハンを調理する“異様な匂い”が漂って来ないか心配でした。結果として、換気扇が吸い取り被害は被りませんでした。
その時の納豆チャーハンの店は今だ健在でした。未だメニューにあるのか心配です。
話がかなり“清さん”から逸れてしまいました。逸れ序でに、納豆チャーハンの話を続けてしまいます。
いま考えると、納豆の“ネバネバ”がどうしても、チャーハンと結びつき難くしていたのです。
が、しかし、ネバネバを発生させないで、かき混ぜる前の納豆を、高温の中華鍋に放り込み、さっと炒めると、サラサラ、パラパラとなり、匂いも飛び、それなりに“イケそう”に思えてきました。
香ばしさと、旨味が凝縮され、チャーハンとして、それなりの一品かも知れません。
家で作る勇気はありませんが、一度、何処かのお店で見つけたら、試して見る価値はありそうです。
それにしても、あれから10余年、世間で納豆チャーハンが話題になったことが有りません。
やっぱり・・・・・・不味い? 一部のふつうでない人達だけの、マニアックな食べ物なのでしょうか?
明日は間違いなく“山下清さん”の登場です。
それでは、また明日。