歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

早朝玄関先での話し声にもしかして惚けた?

2014年09月29日 | 雑談
前回の更新が9月11日で、あれからもう2週間が過ぎ去りました。

孫の運動会があったり、自転車で近所を走り廻ったり、逸ノ城 が注目され、稀勢の里も遠藤もダメだったり、久しぶりに水海道へ行ったり、“花子とアン”が終わったり、そして、御嶽山が噴火したり、この間、いろいろあったりしました。

それでも、ブログを更新する気にならなくて、何となく、ダラダラの日々を送っているのでした。

“鎌倉のお話”が、終盤の一歩手前で中断し、書き倦ねている事が前に進めない原因?・・・かと・・・、そんな気がする日々なのです。

これを、スッキリ、カッキリ、手仕舞いし、新たなるページを捲らなければ、何て、もう、大袈裟な事を思ったりして・・・。

何か、ブツブツと訳の分からないことを呟いたりして、どうも、やっぱり、やる気が失せている? やっぱり歳の所為か? 

歳の所為と云えば、何と、何と、先日、この私に、市役所から「高齢者のインフルエンザ予防接種のお知らせ」が届いたのです。

とうとう高齢者なんです。体力の衰えはあまり感じることは無いのですが、物忘れはかなり感じるのです。

俳優の名前が出てこなかったり、携帯やカギを探し回ったり、時々、アレッ?今朝は“大を排泄したか?”とか・・・。

それで、何ですが、今朝の1時半(この時刻に朝刊が配達されるのです)、朝刊をとりに玄関に行ったら、外で誰かが、小さな声で何か話しているのです。

こんな時間に玄関先で?それとも路上で? かなり怪しいので玄関の電気を点けたり、階段の電気を点けたり、階段の踊り場から窓のガラス越しに外の様子を窺ったり・・・。

でも、しかし、声はすれども、玄関先にも、路上にも、人の気配はありません。

玄関で耳を澄まし、話し声を聞き取ろうとしていて、はたと気が付いたのです。小さな話し声は、下駄箱の上に置いたラジオにつながるヘッドホンから流れていたのでした。

毎朝のウォーキングの際、ヘッドホンでラジオを聞きながら歩いているのです。スイッチを切るのを忘れていたのです。

音楽が流れていたならば、直ぐに気が付いたのですが、何か、とても、それらしい会話が流れていたので、何だ?何だ?と、なってしまったのでした。

ラジオの消し忘れ、テレビの消し忘れ、ガスコンロの消し忘れ、トイレの行き忘れ、最近になって、時々あるのです。やっぱり高齢者?

それでも、未だ、食事したのを忘れることはありません。


兎に角、兎に角、ボケ防止の為、ブログの更新はしっかりと続けなければ!と、思う今日この頃です。


それでは、また。

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鎌倉高徳院の大仏様は小さかった?

2014年09月11日 | 鎌倉の風景
昨日の続きです。

高徳院の大仏様を目指して裏道?歩いています。

君主蘭?それとも君子蘭?でしたっけ?どちらだかいつも判らなくなるのです。我が家にも二鉢あります。

この際だから調べてみたら、“君子蘭”が正解でした。君子と君主の違いはと云えば・・・、まぁ、興味のある方は、お調べ下さい。

それにしても、ちょっと遅め(5月8日)の開花?室内ではなく室外だから?


久しぶりの自分撮り?


仕舞い忘れた?鯉のぼり。お雛様は早く片付けないと、お嫁に行くのが遅くなる何て云いますが、鯉のぼりの場合は、お嫁さんをもらうのが遅くなる?


高徳院の近くまで来た感じがします。


ありました案内板、あと250メートルです。


高徳院の裏口です。


右に曲がって、また右に曲がって、その先です。


先ずは、真っ直ぐ進みます。でも、何か、変なのです。高徳院の裏口なのに、あの大きな、大きな、大仏様のお姿が見えないのです。頭だけでも見えても良さそうな?と、思いつつ、大仏を目指します。


ここを右折し、右手の美容院の先を右折です。


出ました。あの先に大仏様が居るのです。でも、頭の先さえも見えないのです。そんなに大きく無かった?


未だ見えません。


未だ見えません。


辺りは、もう、典型的な観光地の風景、観光バスも来ています。


ちょっとお蕎麦屋さんを覗いてみます。


親子丼セットが千二百円で観光地価格。


鴨せいろセットは、まあ、そうかな的?価格設定。


“合い盛り”の千百円は絶対高い!だいたいです!うどんか蕎麦のどちらかにしろ!と、オジサンは激しく云いたい!


カレー南蛮も高い。


こちらの“おすすめセット”は、それなりに納得価格。


寄り道しましたが、いよいよ高徳院。でも、大仏は何処に?


見えました!首だけ!


さあ、いよいよ、50数年ぶりのご対面です。

この続きは次回。


それでは、また。


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鎌倉の大仏様を目指し途中で黒木華と壇蜜と錦織圭を思う

2014年09月09日 | 鎌倉の風景
7月17日から途絶えていた鎌倉歩きのお話です。歩いたの5月8日ですから、何と、何と、4ヶ月も前なのです。

しか~しです。写真を眺めていると、写真に写っていない記憶までもが、イモずる式に手繰り寄せられ、鮮やかに?蘇ってくるのです。

記録は記憶を呼び覚ますのです。記録を失うと記憶も失うのです。

それで、前回は、市役所通りを左に折れる処で終わっていました。


長らくお待たせしました。ハイ、ここが折れた路地になります。

小学生のグループがこちらに向かって歩いて来ました。最近の遠足はグループ行動になっています。

すれ違うとき、突然、一人の男の子から“ハロー”と声を掛けられ、何じゃそりゃ?と戸惑って居るうちに、言葉を返すチャンスを逃してしまいました。

少年は大人をからかったのか?それとも、外国人に見えたの?確かに、鎌倉では日本人のように見える、多くの中国、韓国、東南アジアからの観光客を見かけます。でも、しかし、日本人はこんにちは的な挨拶言葉は、英語以外はあまり馴染みがないのです。

今にして思うと、“ニイハオ”とか、“アンニョンハセヨ”とか、“チインタオ”とか、そんな言葉が咄嗟に返せていら・・・と、思うのであります。

それで、高徳院に向かう路地の風景はこんな感じです。


何となく、鎌倉的な匂いの漂う住宅地。


こちらは、とてもお洒落ぽい新築住宅?


裏手の脇道はこんな風で、これは普通。


こちらは廃屋的?住宅で売りに出ています。


こちら側から見ると少し手を加えれば住めそう?


こちらは我が家の近所と変わらない風景。


町内会の掲示板ですが、“アルミ缶はつぶさずに”とあります。これって高齢者にとってつぶす作業が危険だから?スプレー缶も穴を空けずに出す自治体が増えているようです。 


山の中腹と云うか、丘の中腹と云うが、こういう傾斜地の家もナカナカイイナァと、思ったりして、


でも、広島の豪雨での事があったりして、こういうのは危険と考えが変わったりして、こういう条件の土地は価格が下落したりして?


こちらは鎌倉的?な匂いの風景。


こちらも鎌倉的?


こちらの奥の方は、


セメント瓦に昭和の匂いが漂います。


瓦は昔は赤かったようです。赤い屋根の“小さなお家”と云えば、黒木華ちゃんで、花子とアンでは「かよちゃん」です。

その「かよちゃん」と、あの“壇蜜ちゃん”の二人が、昨日?割烹着に“国防婦人会”のタスキを掛けて登場したのです。とても衝撃的で、とても暗示的で、何とも複雑な気持ちになりました。

それと、それと、記憶に留めるために記録するのですが、全米オープンの錦織です。決勝戦の結果はストレート負けでした。私としては、準決勝でのガッツポーズが気になっていたのです。

準決勝が終わってその喜ぶ姿を見て、早いぞ錦織圭と思いました。未だ決勝戦があるとクールに対応すべきでした。でも、準決勝で世界ランキング1位に勝利して、もう勝ち続ける気力と体力はピークを向かえていたのです。残念でした。

選手としてのピークはこれから未だ先にあると信じています。

と、云う、ことで? 鎌倉の話は未だ続くのです。

それでは、また。


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映画『蝉しぐれ』で大八車の“ふく”に涙して

2014年09月05日 | 映画の話し
昨日は、NHKのBSで“蝉しぐれ”を観ました。今回はめずらしく録画ではなく生放送?です。偶々チャンネルを合わせたので、冒頭の数分と、途中トイレに立った数分を見逃しています。

藤沢周平の代表作らしいのです。舞台はいつもの、東北の小藩で、下級武士で、貧しくて、美しくて、悲しくて、叶わぬ恋で、こころに秘めた純愛で、堪えて、堪えて、堪えて、そして、正義の剣で清く正しく美しく物語はラストを向かえるのです。

最後はそれなりに予想できるのですが、それでもやはり、ハラハラドキドキで観てしまうのです。

世の中はそれなりに単純で、いい人とわるい人がハッキリしていて、男と女な関係も清く正しく純粋で、時代劇でしか表現できない世界。

それにしても、泣けました、涙がポロリでした。処刑された父の遺体を一人大八車に乗せ家に連れ帰る息子“文四郎”が、山の坂道で苦闘している時、坂の上から駈け下りてくる“ふく”の姿。

何も語らず“文四郎”を見つめる“ふく”、何も語らず“ふく”を見つめる“文四郎”

大八車を引く文四郎、後ろから押す“ふく”

映像も、音楽も、ここは“泣き処”と、とても、とても、盛り上げるのです。これはもう完全に嵌ります、泣けます、美しかったです。

何処かで見たような?と、思った親友の“島崎与之助”は“今田耕司”で、えっ、もしかして?と、思った親友の“小和田逸平”が、あの“ふかわりょう”でした。

この二人が藤沢周平の世界に出現するとは、普段のキャラが思い出されたりして、ヨカッタような?ヨクナカッタような?

清く、貧しく、美しく、そして、そして、強く・・・・・・、観る人を、気持ち良くさせてくれます。現実の世の中では、眼にすることの無いドラマです。

でも、しかし、このような映画を観て、主人公に己を投影し、それなりにスッキリ!するのも、生きて行くには必要かも?

それにしても、大八車のシーンでの、文四郎を見つめる“ふく”の表情は、とても、とても、忘れられません。オジサンとしては、できることなら、“ふく”を、強く、強く、強く、抱きしめてやりたかった!

と、云う、事で、“蝉しぐれ”でした。


それでは、また。



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連ドラ“花子とアン”で今が?明日が?見えて来るような?

2014年09月03日 | テレビの話し
“花子とアン”はBS7時半の放送を朝食を摂りながら見ています。このところの時代背景は、とても消化によくありません。

挙国一致で、戦意高揚で、時の政権の“政策”に反対するものは、非国民と呼ばれ、辛く、悲しく、暗く、寂しく、密かに片隅で沈黙を強いられるのです。

数十年?・・・十数年?・・・前には、こんな戦前、戦中のドラマを見ても、遠い昔の物語であり、現在の世の中とは、何の関わりも無いと、かなり気楽に眺めていたのです。

でも、しかし、今は、遠い過去のお話ではなく、数年先に起こりえる現実と思えてくるのです。朝飯が不味くなるのです。と、云う事で、今は録画して朝のウォーキングの後に見ているのです。

先月は、8月でしたから、毎度お馴染みの戦争関連の番組が、アチラコチラの放送局で流れていました。戦争の悲惨さを伝えて平和の尊さを、戦争を知らない世代に説く・・・、まあ、そんな主旨なのです。

“戦争体験者”が少なくなり、戦争の悲惨さが語られなくなり、伝わらなくなり、そして、だから、戦争をくり返してしまう・・・、まあ、そう云うことなのです。

戦争体験と云っても、所詮は、怖かった、恐ろしかった、悲しかった、辛かった、腹減った・・・、まあ、そんなところで、だから?どうした?なのです。

挙国一致・戦意高揚、これって、かなり、かなり、気持ちイイのかも? 国の為に、家族の為に、愛する人の為に、自分の命を捧げる、崇高で、純粋で、とても、とても、美しく、頭のてっぺんからつま先まで、陶酔感にどっぷり浸かれ、妖しくて、カッコ良くて、魅力的なのです。

戦争ドラマでは、それなりに反対を表明する“連子さん”とか、それなりに反対でも世間の流れに逆らわず、時が過ぎ去るのを待つ“花子さん”とか、そう云う方がメインに描かれます。

でも、しかし、圧倒的多数は戦争に酔いしれて、バンザイ!バンザイ!だった筈です。でも、こういう方々をメインに描くドラマは、テレビドラマや映画にはなりません。初の女性従軍記者になった“宇田川満代”のような方は端役なのです。

ある特定の誰かが、いつ、どのように戦争反対を叫び、弾圧されたかを描くよりも、ごく普通の庶民が、いつ、どのようにして戦争バンザイ!を叫ぶようになったかを描いた方が、とても、とても、前向きで、積極的で、反戦的で、平和的だと思うのです。

もしかして?そうか!だから!庶民の目に触れる、そういうテレビドラマや映画は作られないのか・・・・・・・。

映画“小さなお家”は、それなりに、そういう映画だった気がします。あの時の“黒木華ちゃん”は、とても、とても、ヨカッタ!です。

でも、“花子とアン”での“かよ”役は、それは、それで、イイのですが、役柄的に花子の“吉高由里子”と、役者としては連子の“仲間由紀恵”の間に入って、目立たないのが残念です。

それで、兎に角、再開第二弾、なかなかキーを叩くまでが億劫で、でも、しかし、書き出すと、考え出すと、それなりにスラスラと言葉が浮かんできて、それなりに云いたい事が、それなりに綴れまたような、そんな気が、しないでも、ない。


と、云う事でした。


それでは、また。


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兎に角、再開、やるぞォ!ボケ防止!

2014年09月01日 | 雑談
もうと云うか・・・、とうとうと云うか・・・、遂にと云うか、9月になりました。ブログの更新が途絶えて、指折り、数えて・・・、数えて・・・、はや、四十と五日?

このところは、涼しいと云うよりも、朝晩は肌寒くなり、数日前より、朝のコーヒーがホットに変わりました。

それにしても、長期間のお休み中、ブログを書きたくなる気持ちが、まったくもって起きないのでした。以前には、夏休みと云いながら、ちょこちょこと更新はしていたのです。

これって、やっぱり、歳の所為かも?と、思って見たりして・・・・・・。もう、あと、数ヶ月もしたら65歳で、法律的にも?高齢者の仲間入りです。

このままでは、このままでは、と、思いつつ、兎に角、何か書いて、少しでも頭を使って、ボケるのを防がなければ、と、云う事で、本日より以前のペースで更新するつもりです。

兎に角、ボケ防止が第一なのです。頭と身体をバランスよく使う、これが一番大事なのです・・・・・・、ウ~ン、これって、何だか、とっても、爺臭い話しの展開になってしまった。

兎に角、身体を使っています。昨日は自転車に乗り、“つくば祭り?”の様子を覗いて来ました。人出も、出店も、大道芸も、以前より賑わっていました。午前中でしたので、本番の夜は、もっと、もっと、なのかも? 主催者側は、今年の人出を45万人と予想しているようです。去年の人出は何人だったの?

祭りでも、花火大会でも、六十数年も生きていると、もう、何度も、何度も、何度も見ています、飽きてくるのです。

歳と共に感性は鈍くなる事もありますが、長年にわたり、いろいろなモノを見たり、聞いたり、経験したり、予ほどの事でないと、感激、感動、興奮、何て事は、しなくなります。

でも、しか~し! それでは、毎日が退屈で、退屈で、そして、一年が短く、中味がスカスカになってしまうのです。

兎に角! 毎日、感激、感動、興奮の、ハラハラ、ドキドキを求めたいと思うのです。生まれて初めてを追い求めたいのです。

でも、こんな事を考えるのは、やっぱり歳の所為? まぁ、ここは、やっぱり、最近の流行にのって、“ありのままで”が良いと云う事で・・・・・・。


兎に角、本日は、雑談でした。


それでは、また。


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