歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

Nスペ「ロッキード事件の真実」は政治と金の問題ですか?NO!日米関係の闇に関わる問題です!

2016年07月30日 | 世間話し

NHKスペシャル「ロッキード事件の真実・・・第1部・2部・3部」録画して、先日見ました。

結論から云えば、『ロッキード事件40年目の真実』って何だったの?でした。

どこに、どんな、40年目の!驚くべき!新事実が!描かれていたの?

第一部の冒頭で、ロッキード事件を担当した、東京地検特捜部の主任検事“吉永祐介”が密かに保管していた“極秘資料”を入手したそうで、そこから“40年目の真実”が明らかになる!ようなのです。

いわゆる、ロッキード事件と云えば、“三つのルート”で、①丸紅ルート、②全日空ルート、③児玉ルートでした。

丸紅ルートが5億円、全日空ルートが2億円で、民間会社の旅客機トライスター導入問題です。

児玉ルートは、動いた金が21億円で、自衛隊の対潜哨戒機P3Cで国家的問題。

そして、全日空ルートの2億円の渡った先の“政府高官”は不明。

そして、児玉ルートの21億円の渡った先の“政府高官”は不明。

そして、丸紅ルートの5億円の渡った先は、“田中角栄”で、前総理大臣の逮捕で、公判中に死亡で、事件は終結。

40年前の未解明事件の謎に、今回、新たに、入手した、主任検事“吉永祐介”が密かに保管していた“極秘資料”で、“40年目の真実”に迫る!とのナレーションを聞きつつ、そうか、そうかと、画面を見つめたのでした。

地検特捜が中心に追っていたのが、対潜哨戒機導入問題の児玉ルートで、その児玉に対する臨床尋問の内容が、“吉永祐介”が密かに保管していた“極秘資料”で明らかにされたのが、今回の40年目の真実?のようです。

でも、しかし、再現ドラマで明らかにされたのは、児玉が、ロッキード社の秘密代理人であったこと、21億円を受領を認めた事実のみで、その先の政府高官への工作については証言していないのです。

児玉ルートの真実が40年目にして判明かと、期待しつつみつめていたのですが、40年前と同じく不明でした。明らかになったのは、臨床自問の具体的やりとりだけでした。

そして、第一部の最後に、あの“ピエロ?食わせ者?立花隆”が登場して、ロッキード事件は“政治と金の闇の象徴”と語らせているのです。

しかし、しかし、ロッキード事件は“政治と金”何て、そんな矮小な問題では、絶対にないと、わたくしは、強く、強く、固く、堅く、信じています。

この第一部の冒頭で、

『あの事件は日本にはびこる“闇”のほんの端っこに過ぎない・・・・・・ただあれ以上は触れられない・・・・・・元特捜検事』 

とのテロップと、主任検事“吉永祐介”役の声が、さらりと画面に流れるのです。ここに、事件の核心が、真実が、隠されているのです。

このことは、それとなく、ロッキード事件は単なる「政治と金」の問題ではなく、“日米関係の闇”の問題が深層に隠れていることを、そっと、そっと示唆しているのです。

このあたりが、現状のNHKとして、いっぱい、いっぱいの表現。

ですから、「ただあれ以上は触れられない」のです。そして、そして、いまも、触れてはならない闇なのです。

と、云う事で、第一部の再現ドラマは、児玉ルートを中心に描き、21億円の受領は認め、児玉からその先は不明で終わりとなります。

そして、そして、途中に、田中角栄の怪しさを示唆する内容が織り込まれるのでした。

当時の流をそのままに、ロッキード社の副社長コーチャン氏が、児玉誉士夫から“政商小佐野”を紹介されたと、議会で証言した事実。

政商小佐野と田中は刎頸の友。そうなると、児玉ルートは、児玉→小佐野→田中になるのです。

そしてまた、防衛庁事務次官が、対潜哨戒機の国産化計画を白紙還元したのは、当時首相であった田中角栄と発言。しかし、直ぐに撤回。

これで、対潜哨戒機P3Cの児玉ルートは、その先にいる政府高官は田中角栄との、状況証拠は、印象操作は、創られていったのです。

40年前をなぞるように、ロッキード事件は田中角栄の贈収賄事件として、歴史に刻む意図が伺えるのです。

これって、籾井NHK?として、政府広報?として、それなりの仕事?

と、云う事で、第二部は『角栄VS特捜』がタイトルとなります。

今日はこれまで。

第二部のお話は次回。

それでは、また。

それにしても、毎日暑い! 

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稀勢の里は又々準優勝で過去三場所の成績は準横綱級?で“準横綱”の称号を贈りたいと思います

2016年07月26日 | 相撲の話し

7月場所が終わりました。

日馬富士が優勝しました。

私としては想定外の結果です。

またしても、またしても、稀勢の里にはガッカリなのでした。

でも、まあ、考えて見れば、稀勢の里としては、それなり結果なのです。

これで、三場所続けてそれなりの準優勝でした。まあ、それなりに実力は付けてきているのです。

それにしても、初日の土俵下での“つくり笑顔”には参りました、笑いました、同情しました。

きっと、きっと、メンタルトレーナーの指導の結果なのでしょう。彼も、緊張感を和らげるのに必死なのです。

二日目以降も“ニッタリ”作戦を継続すると思っていたら、初日だけで安心しました。あのまま継続していたら、笑っていられない成績で終わった事でしょう。

それにしても、五日目の栃煌山、十日目の松鳳山に負けたのは、とても、とても、残念でした。それにしても、しかし、今場所は、先場所、先々場所よりも、内容は悪かった。

やっぱり、彼の相撲は、心技体ともに、大関以上横綱未満なのです。

悪い点を指摘されても、ハイ!キタホイ!で簡単に改善される訳は無いのです。30歳で、大関で、2004年に18歳で幕内に上がり、70場所で12年も経っているのです。

稀勢の里に、これからを、期待するのは無理があります。

稀勢の里は、それなりに、精一杯闘っているのです。

稀勢の里は、立派な大関です。

それで、わたしとしては、大関以上横綱未満として、『準横綱』の称号を贈りたいと思います。

それでは、また。

※ ホント!もう、白鵬も日馬富士も、もう、いっぱい、いっぱいで、来場所は絶対にチャンス!

 

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支配する人には自由とか!人権とか!国民主権とか!立憲主義とか!はとても不都合!

2016年07月20日 | 世間話し

え~と、突然ですが、人間は三つに分けられます。

支配したがる人と、大勢に身を任せる人と、支配を嫌う人。

大胆にも、大雑把にも、断言すると、世の中、支配したがる人が10%で、支配を嫌う人が10%、大勢に身を任せる人が80%なのです! これは、かなりの真実!

支配したがる人は、自分は正しい、間違いは犯さない、自分を批判する輩は正しくないと、固く固く信じているのです。

支配を嫌う人は、命令することも、されることも、とても嫌いなのです。

このことは、右も、左も、保守も、革新も、関係ありません。

兎に角、支配したがる人は、ゴチャゴチャと余計なことは云うな、批判は混乱を生むだけ、黙って俺に付いて来ればすべては巧くいく!

少数意見は無視、議論はムダ、と専制的となり、独裁的となるのです。

権力が腐敗するのは、支配したがる人が権力に就くためです。古今東西、政治は、歴史は、支配したがる人達の手にあるのです。

支配する人は、自分のやることに文句はつけさせない、批判を許さない、そして、やがて、腐敗し、堕落し、暴走し、国を滅ぼし、国民は、悲惨に、不幸に、絶望に、打ちひしがれるです。

そして、今日も、支配したがる人は、政治家を目指し、能力と“したがる度”に応じて、市会議員、県会議員、国会議員を目指すのです。

支配を嫌う人は、常に、したがる人の、政権の、批判者に留まります。ですから、いつでも、いつまでも、自らの主張を、意見を、政策として掲げ、政権を執る事に、積極的では無いのです。

と云う事で、支配したがる人が政権を目指し権力を手にし、支配を嫌がる人は常に批判者の立場に、これが世間一般で、世の常なのです。

文句があるなら、自分でやってみろ!対案を出せ!攻撃には、反撃できない、そんなところが、とても、とても、ムズカシイのです。

支配したがる人は必ず腐敗し、支配を嫌う人は批判はするが支配は嫌い、何とも、とても、とても、ムズカシイのです。

そこで、立憲主義で、民主主義で、少数意見の尊重なのです。

ですから、自民党の改憲草案は立憲主義を否定するのです。

それで、本日、大橋巨泉氏が亡くなったとの報道が流ました。先日は永六輔氏が亡くなりました。

時代は過ぎて行く・・・・・・と感じるのは、やぱり、過ぎて行く時代に身を置いている過去の人だから?・・・・・・と、思ったりする、きょうこの頃。

 

それでは、また。

 

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自民も公明も年がら年中身近な人が身近なところで選挙運動!包装紙です!ブランド戦略です!

2016年07月13日 | 世間話し

前回の続きみたいなものです。

自民党は強いのです。

自民党の“公認候補者”は強いのです。

“自民党公認”と云う包装紙で包むと、どこの馬の骨でも?いゃ、チョット言い過ぎ!兎に角です、三原純子でも、今井絵理子でも、それなりに見えてしまう方が多く存在しているのです。

三越の包装紙で包まれた贈答品は、それだけで、何となく、高級で、上等で、良さそうで、有り難がる方が、まだまだ存在するのと同様に、まだまだ、自民党の包装紙には神通力があるのです。

三宅洋平氏を応援した方々に、当選した候補の街頭演説には聴衆はパラパラなのに、街頭にあれだけの大群衆を集めて、獲得票数が第9位とは、納得できない!とか、不正選挙だ!とか、騒ぐ方をネットではチラホラお見受けするのです。

選挙は、選挙期間中だけではありません。毎日、毎日、年がら年中、365日が選挙運動なのです。

自民党は、農協とか、漁協とか、個人後援会とか、町内会とか、自治会とか、PTAとか、消防団とか、同窓会とか、老人会とか、神社の氏子とか、お寺の檀家とか、親類縁者とか、身の回りで、身近に、日常的に接する組織に、深く静かに食い込んでいると云うか、重なり合っていると云うか・・・・・・。

有る意味、自民党は日本そのものなのです。

兎に角、日頃の、身近な、人と組織が選挙でも集票組織として動くのです。

選挙期間中だけ、街頭で鐘や太鼓を打ち鳴らし、群衆を集め大騒ぎしても、ただそれだけで、一部の方のお祭り騒ぎに過ぎないのです。

政治は「まつりごと」ですが「政」と書き、「祭り」とはイコールではありません。

三宅洋平氏が、地方でも、いろいろな方が、いろいろな声を上げ、地方議会に議席を確保し、それらを結集して、国政に!と叫んでいましたが、無所属での立候補では、ムズカシイと思います。

能力に人格に優れ、志も高く、地道に活動する、立派な候補者でも、無名では選挙に勝てません。

候補者が無名でも、それなりの包装紙で、看板で、選挙戦を闘えば、単なる無所属候補よりも集票力はアップします。ブランド戦略が必要です。

“洋平ブランド”で、それなりの政党を立ち上げ、その旗を掲げて選挙戦を闘う必要があると思います。包装紙もOK!中身もOKとくれば勝利間違いなし!

まあ、彼も“百も承知で二百も合点”だとは思いま。これからが勝負です。

彼が街頭演説で、「日本会議」の「長年の地道な取り組み」を評価していました。そうなのです、日頃の地道な活動が必要なのです。

2013年参議院選挙後は政治活動から離れていたようですが、今後は選挙後も政治活動は継続するとの話し、期待したいと思います。

それでは、また。

そうでした! 鳥越俊太郎さんが都知事選挙に野党共闘候補として立候補したようです。「保守分裂」で漁夫の利でなくても、堂々と戦える候補だと思います。

でも、しかし、体力が心配?です。今日のテレビ番組表で、フジのワイドショーが“76歳”を強調していました。フジの面目躍如!で高齢不安・健康不安攻撃!です。

都知事選、面白くなりそうです。

それでは、また。 

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参議院選挙が終わりました“木内みどり”さんホントに!ご苦労様でした!次回は貴女の出番です!当選間違いなし! 

2016年07月11日 | 世間話し

昨日は開票速報を9時頃まで見て寝ました。

まあ、まあ、想定内の結果でした。

心配していたのは「生活の党と山本太朗となかまたち」でした。

朝起きて、NHKの開票速報調べたら、比例区は1,067,308票(開票率99%)で、1議席獲得で青木愛氏が当選してました。


また、新潟選挙区では野党統一候補の森裕子氏が、ホントに、ホントに、超大激戦で自民党に競り勝ち当選しました。


まあ、まあ、ヨカッタ!のでした。

それと、注目していた東京選挙区の三宅洋平氏ですが、何と、何と、あの“横粂勝仁”よりも下の9位で、257,036票でした。

選挙と云うものは、こんなものなのです。

街頭での盛り上がりと云い、SNSでの盛り上がりと云い、もう、もう、ダントツのトップでした。でも、しかし、得票となるとこんなものなのです。

3年前の山本太朗が66万票位?で当選したのですが、その時よりも、盛り上がっていたのですが、得票となると、1/3なのです。

彼を応援した人達は、かなり、かなり、マニュアックで、熱狂的で、“一般の庶民”には、“一般の有権者”には、入り込めない雰気を漂わせてしまいました。

彼の演説には、熱があり、説得力があり、魅力的でした、でも、でも、しかし、マニアック過ぎました。

支持者の獲得が“狭く深く”でした。選挙は数ですので、当然、広く浅くでなくては勝てないのです。

掲げる政策は評価できるのですが、選挙スタイルが、どうにも、こうにも、多数を望んでいるように見えず、仲間内で盛り上がり、他を寄せ付けない雰囲気を漂わせていました。

彼の長髪に髭のスタイルは、彼の生き方を、彼の思想を、表現しているようですが、そのスタイルを変えないで選挙に勝つには、これから長い、長い、年月が必要だと思います。

オジサンとしては、とても、とても、もったいない人材だと思うで、次回は、髭を剃り、長髪を切り落とし、スーツにネクタイで挑んでほしい、と、思うのですが・・・、やっぱり無理か?

それにしても、応援弁士のなかには、かなり、かなり、危ない?雰囲気を、いっぱい、いっぱい、漂わせる方がいました。

その筋の狭い範囲の方々には、それなりの方なのでしょうが、一般有権者には、かなり危ない風体で、かなり危ない表現で、かなり特殊な世界の方と、見えてしまった方が、ちらほらとマイクを握って叫んでいたのです。

もう少し、時代が変わらないと、とても、とても、無理な方達が混じっていました。

山本太朗氏の当選した時と比べて、ホントに、ホントに、熱狂的で、先鋭的で、時代を1歩、2歩先に行きすぎたようです。

それにしても、ホントに、ホントに、ホントに、“木内みどり”サンご苦労様でした。


あんたはエライ!

そうだ!木内さん!次回は貴女が立候補すれば!


それでは、また。



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8月15日を前にして『21世紀の戦争論』を読んで原爆投下・ソ連参戦・ポツダム宣言受諾を考える

2016年07月05日 | 世間話し
前回の続きです。

良く眼にします、耳にしますね、「戦争は始めるのは簡単だが終わらせるのは困難」とのご高説。と云う事は“だからァ~簡単に始めんなァよッ!と云う事になるの?

それにしても、しかし、戦争は今でも、あちらでも、こちらでも、くり返し、くり返し勃発しているのです。

当事者は、それなりに簡単に始めたとは思っていない処が、とても、とても、ムズカシイのです。

それで、真珠湾攻撃で日米が開戦したのですが、まあ、半年で負け戦が濃厚となり、後は、ずるずると終わらせるタイミングを探し続けてきた訳です。

誰が、どう考えても、国力の違いは明白で、当然軍部も短期決戦で戦局有利な時点で、停戦交渉に持ち込み、それなりの成果を!と考えた訳です。

日本は第一次大戦を、総力戦を、近代戦を、経験していないのです。そして、日本海海戦の、日露戦の、勝利を、ずっと、ずっと、胸に抱き続け、戦争を自分に都合良く考えていたのです。

でも、そうは問屋が卸さないで、徹底的に打ちのめし、二度とアメリカに刃向かう事のない日本にしたのです。

そして、そして、いまでも、誰が、どう考えても日本はアメリカの属国なのです。

戦争末期、アメリカもソ連も、次の戦争を考え、終戦処理を計画していたのです。「自由主義とファシズムの戦争」から、「資本主義と共産主義の戦争」を準備していたのです。

常に、一つの戦争が終わると、終戦処理の中に、新たな戦争のタネが蒔かれているのです。

それで、日本の指導層は、ソ連の仲介にずっと、ずっと、期待を抱き続け、ソ連も、それなりに、次の戦争の準備として、ずっと、ずっと期待を抱かせる態度をとっていたのです。

それで、一応、1945年(昭和20年)の出来事を時系列で記ました。改めて、眺めてみてそれなりに、そうか、そうか、と思うのでした。

2月04日 ヤルタ会談 米・英・ソ3ヶ国でヤルタ協定締結。ソ連対日参戦秘密協定締結
4月30日 ドイツ総統ヒトラー自殺
5月07日 ドイツ無条件降伏を受諾
7月16日 アメリカが原子爆弾の実験に成功
7月26日 ドイツのポツダムで英米ソ首脳会談、ポツダム宣言発表
8月06日 米軍広島に史上初の原子爆弾投下

8月09日
・午前0時ソ連宣戦布告し満州に侵攻
・午前11時02分米軍長崎に原爆投下
・未明、御前会議でポツダム宣言の受諾を決定

8月10日 日本、連合国にポツダム宣言受諾を打電により通告
8月15日 敗戦の玉音放送

次の戦争を視野に入れつつ終戦処理を考えている国と、今の戦争を終わらせることだけに四苦八苦の国との駆け引きの歴史です。

ここで問題なのが、よく言われる原爆投下と日本の降伏の関係です。

大胆に、誤解を恐れず、私の見解を述べます。原爆の一発や二発で日本の指導者は降伏など考えていなかったのです。

広島も長崎も犠牲になったのは民間人です。戦力には直接影響は無かったのです。民間人の犠牲など戦争遂行の判断に影響しないのです。

そして、そして、国体の護持、天皇制の護持、日本精神のために、本土決戦も、一億玉砕も、本気で考えていたのです。

原爆投下で、焦ったのはソ連です。日本が降伏する前に参戦して、日本の戦後処理に一枚噛みたかったのです。

その意味では、原爆投下でソ連の参戦が早まり、ソ連の参戦で停戦仲介の夢は消え、日本の降伏を早めたのです。

兎に角、戦争は何故?何のために?始めたのか、政治も、経済も、国民も、もう、そんなことはどうでもよくなっていたのです。

兎に角、一億玉砕で、日本人として、日本精神を誇示し、潔く、清く、美しく、死んでいくとで、すべてを完結しようとしたのです。

もう、現実の世界も、世間も、政治も、経済も、関係無くなってしまっていたのです。

政治を、戦争を、軍人に任せると軍国主義国家となります。

軍人は“軍事のプロ”ですが、“戦争のプロ”ではありません。

戦争は実力行使を伴う政治です。

そして、そして、当時の日本国の軍人は、軍事のプロでもなく、もっと小さな“戦闘のプロ”程度だったのです。軍事も見えていなかったのです。

戦闘だけを考え、玉砕し、特攻し、本土決戦で一億火の玉だったのです。

それで、ポツダム宣言の受諾ですが、軍人達は、いくら何でもこの期に及んで、本音は誰かに止めてもらいたいと願いつつも、受諾など口に出せず、徹底抗戦を主張して、閣議では何も決定できません。

そして、御前会議での天皇の聖断でポツダム宣言の受諾です。

御前会議で軍人が徹底抗戦を主張しつつも、本音では誰かに止めて貰いたいとの空気は、誰が聞いても、誰が見ても、察する事のできる、そんな空気が流れていた?と推測します。

タイトルは『21世紀の戦争論』を読んでとしましたが、少しと云うか、かなりと云うか、本から逸れてしまいました。

兎に角、今日は、これでお終い。


それにしても、東京選挙区の“三宅洋平君”は頑張っているようです。

“街頭演説の様子だけ”を見れば、その勢いは“トップ当選!”かも?


それでは、また。





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