歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

『珈琲屋の人々』最終回 ⑤ ささやかな幸福?・・・ラストはこの世とあの世を結ぶ桜の木の下で結ばれる?

2020年07月05日 | テレビの話し

前回の続きで、最終回です。

予定どうりのと云うか、安心の結末と云うか、すべては、落ち着くところに落ち着いて、ヨカッタ、ヨカッタで、目出度し、目出度しでした。

でも、私としては、ハッピーエンドではなく、いろいろ異なる解釈ができるような、そんな終わり方が・・・・・・。 

と云う思いもあって、更新が遅れてしまいました。

兎に角、いろいろあって、それなりに楽しめました。何といっても、舞台が、背景が、東京は、荒川区で、三ノ輪橋でヨカッタのです。都電荒川線がヨカッタのです。

都電の走る町に暮らす人々がヨカッタのです。まあ、こちらの勝手な思い込みですが、下町感、取り残され感、寂れ感、うらぶれ感・・・、これらがドラマの味付けとなっています。

それに不器用な宗田行介を演じる、不器用な高橋克典の演技と、不幸な柏木冬子を演じる、不幸女優の木村多江のキャスティングがヨカッタ。

それで、自分で誘っておいて、デートをすっぽかした行介。やっぱり気持ちの整理がつかないのです。何たって、殺した相手の奥さんですから、被害者と加害者です。

赦されたとしても、愛してはいけない、愛し合ってはいけないのです。

それにしても、このスケートリンクは何処?気になる!

楽しみにしていたデート、現れなかった行介。章枝に

『あの人の気持ちは良く分かったから、もう、珈琲屋さんには行きません』

『あなたも女の子なのね』

『もう、いいんですから、からかわないでください』

章枝は病院を抜け出し、都電に乗り三ノ輪橋商店街に向かう。

冬子から話に聞いていた、珈琲屋に集う人々の様子を見て回り、一言コメント。

主人がキャバクラ嬢と「浮気」した花屋。

『懐の深~い妻 久子さん』

クリーニング屋では、

『お弁当屋さんに「恋」をした直道さん。元子さん、こちらも辛抱強くよく耐えたわね』

旦那の直道さんは、浮気では無く、本気の恋なのです。この夫婦は奥さんが悪い!旦那に同情します。元の鞘に収まらない方が、私としては・・・。

それに引き換え、花屋の主人は「若いからだ」を目的とした「浮気」ですが、まあ、もっと、上手く、こっそりと・・・やるべきでした。浮気相手を店で働かしてはいけません。

そして、そして、目的の珈琲屋。

店内には英治。そして、キャバクラを辞めた千果。

病院を抜け出した章枝を追って冬子が来る。章枝は「もう行かない」と行った冬子に、行介と合わせる為の機会をつくったのです。

章枝は、

『思いどおりに生きてきたわ。だから一つも悔いはない。だけど、それでも、もしかしたら別の人生があったんじゃないか、何て思うこともあるの。ひとりは気楽。だけど・・・寂しいわ』

『若い頃の私に云ってやりたくなる事があるの・・・ もうちょっと可愛くなりなさいって』

と云って、冬子に、そして、行介に、語りかけているのです。

そして、居酒屋の女将木綿子のDV騒動に巻き込まれる冬子と行介。この話の展開は、かなり無理があります。壇蜜と云うキャスティングもよくない。

木綿子を心配する行介の言葉に冬子は、

『私は。私のことは・・・。私はどうすればいいのでしょう』

『柏木さん・・・あなたの事はいつも幸せを願っています』

『わたしは、あなたのご主人だったひとを・・・』

『それは・・・わたしのなかでは終わった事です』

『毎日コーヒーを淹れて、それをいろんな人が飲みに来てくれて、おいそうに・・・楽しそうに笑ってくれて、友達がいて、ボクシングもあって、ささやかですが、これが幸せかなって。私はじゅうぶん幸せです』

家に戻り冬子は、行介への思いを手紙に綴るのです。

木綿子のDV騒動で重傷を負い生死を彷徨います。そのさなか、章枝から冬子の手紙を受け取る行介。

『ささやかだけれど、いまが幸せだと聞いて、私はスゴくうれしかった。・・・あなたと、私をつなぐものは、あなたを苦しめている過去でした。それは永遠に消えるものではありません。でも、どうしてか、あなたを思うたびに私には笑みが浮かぶのです。コーヒー豆を挽く音、ベルの音、あたたかな空気、そこには、いつも、あなたがいる。それが、わたしにとっての幸せなのです。だけど、一緒にスケートに行きたかった。正直がっかりしました。あなたの幸せの中に私もいられたらいいなって。あなたをもっと知りたいって・・・。いつのまにか思っている自分がいます・・・』これは、とても、とても、素敵なラブレターです。私も貰ってみたい。

冬子の素直な気持ちを知り、行介も、素直に冬子への思いを解き放つのです。

行介の呼びかけに意識をとりもどす冬子。このとき初めて、柏木さん!ではなく、冬子さん!と呼びかけます。

行介の「冬子さん!」は冬子に届いたのです。意識を取り戻すのです。

そして、ラストシーン。

花びらが散り始めるカットから、別々の方向から歩いて来て、桜の木の下で出会う。二人の関係性を表現しています。別々に暮らし、時々は二人で・・・。

わたしとしては、冬子の生死を明らかにするシーンは入れず、そこは見る人の解釈に任せる。ラストシーンは、冬子の消えてゆく意識のなかを描いた心象風景?として・・・。

ラストシーンで、観る人に、疑問を残しつつ、余韻を残しつつ、ENDマーク。

桜は、古来より、あの世と、この世を、結ぶ華?柳田国男もそんな事を、云っていたような、いなかったような・・・。

まあ、それなりに、ドラマの中に入り込めて、それなりに面白い大人のドラマでした。

本日(5日)4時半から再放送があります。

 

それでは、また。

 

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「珈琲屋の人々」④-2 スケート場って何処に?原作者 池永陽のノスタルジー?

2020年06月30日 | テレビの話し

前回の続きです。

最終回は、スケート場のシーンから始まります。

前回のラストで、花屋の愛人だった千果と行介の刑務所仲間だった茂、それなりの仲となった二人から「アイススケート場」のチケットをプレゼントされたのでした。。

何故にスケート場でのデートなの?ドラマの展開にそれなりに必要な訳があるの?と思いつつ画面を見つめていたのです。

でも、しかし、ドラマの展開よりも、アイススケート場の存在が、とても気になって、気になって、ドラマ鑑賞はいったん中止。スケート場探しを始めたのでした。

それで、前回のシーンでチケットのアップが映し出されていたのを思い出し、何か手掛かりが?と思い録画を見直すと、チケットには、

『千住スケートスタジアム ~恋人たちのスケート場・ペアチケット~』

とあります。

それで、三ノ輪橋付近に、千住付近に、アイススケート場はあったけ?と調べて見たら、現在も、放送当時(2014年)も存在しませんでした。

たぶんこれは、東京スタジアムに併設されていたアイススケート場からの発想だと思います。でも、なんで、存在しないスケート場で、行介と冬子をデートさせようとしたのか?

東京スタジアムは1962年(昭和37年)に開場し、1972年(昭和47年)に閉鎖。大映オリオンズの本拠地でした。1977年に解体。

原作の池永 陽氏は1950年生まれで私と同い年。愛知県生まれで、現在は岐阜に在住。推測として、高校卒業後上京し、1972年以前、三ノ輪橋付近で暮らした経験があったのかも?知れません。

と、云う事で、スケート場を登場させたのは池永氏のノスタルジー?で、スケート場での、「甘くほろ苦いデート」の想い出があるのかも?

それで、私にも東京スタジアムの記憶があり、十数年前に東京スタジアムの痕跡が残る風景を探して、近所を歩いた記憶があります。

写真に撮った記憶があるのですが、記録はありませんでした。残念!古い写真を探したのですが、近所のコロッケパンの「青木屋」の写真しかありませんでした。

三ノ輪橋商店街から、北に直線で4~5百㍍の距離に東京スタジアムはありました。南千住野球場のあたりです。

南千住野球場の直ぐ上に、荒川工高の文字が見えます、都立荒川工業高校です。この文字を見て思い出すのです。

友達三人と合格発表を見に行った記憶があるのです。私が練馬工高で、もう1人が王子工高で、もう1人が荒川工高でした。王子工高を受験した1人だけが不合格でした。

それと、荒川工高へは常磐線の南千住駅で降りました。帰りに駅で食べた、生まれて初めての「駅の立ち食いソバ」が、美味しかった記憶があります。私の記憶は食べ物と繋がっているのです。

それと、アイススケートですが、私の初めてアイススケート経験は、池袋の「マンモススケートリンク」です。池袋の駅から、かなり離れた山手線沿いにありました。

夏は「マンモスプール」になります。プールの時も、スケートの時も、両方行った経験があります。たぶん、小学生で板橋区に住んでいた頃です。

中学生の頃には、何故か授業で十条のアイススケート場に行った記憶があります。スケート場は昔の方が多かったと思います。50有余年前はアイススケートが流行っていた?

本日は、ドラマと関係なく、私の思い出話に終始しました。歳をとると、これからよりも、これまでが長いので、昔の想い出を語りたくなるのです。

ドラマの話は次回とします。

 

それでは、また。

 

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「珈琲屋の人々④ 大切なひと」知っていながら知らないふりの冬子!

2020年06月23日 | テレビの話し

これまで三話を見ていたので、まあ、それなりに楽しめ、それなりに面白かったです。

ストーリーの展開は、それなりに予測でき、それなりにハラハラがあり、落ち着く処に、落ち着いて、ヨカッタ!ヨカッタ!の結末。

連続ドラマはその回だけ見ても、ドラマの世界に入り込めず、一歩距離を置いて見るので、何度こりゃ?になります。でも、しかし、嵌まってしまえば楽しめるのです。

東京の外れ、昭和の匂いが残る町で、物語は展開します。

それで、今回は、冬子と殺された旦那との関係を中心に展開か?と、思っていたのですが、その辺にはあまり時間が割かれていませんでした。

予想外に、宗田行介(高橋克典)の出所して来た刑務所仲間、中里茂(渡部秀)と、花屋の主人島木雅大(八嶋智人)の愛人、キャバクラ嬢の南野千果(倉科カナ)との絡みで、ドラマは展開します。

それにしても刑務所から出所して、待っている恋人に会いに行くと、既に彼女には男がいた。よくある話、よくある展開。

前科者には世間は冷たい、女にふられ、また悪の道に・・・。で、ドラマは展開します。

悪の道に引き込むのが、冬子の旦那の仲間、取り立て屋の矢部(津田寛治)です。こいつ思っていたより、ずっと、ずっと悪党でしたした。

単なる取り立て屋ではなく、手下を抱えて、窃盗、強盗、等など、手広く裏街道で稼いでいるのでした。やくざ、組織暴力団とは異なる、所謂、半グレ?

と、云う事は、冬子の旦那も同類なのです。冬子の旦那は、矢部と冬子の会話から、手下ではなく対等な関係にあったと思われます。

矢部は手下を抱え、国産最高級車に乗り、出所して来た茂にマンションに住まわせる等、かなりの羽振り。と、云う事は、冬子と殺された旦那との生活は、それなりの生活をしていたのです。

何をしているのか、よくわからないそんな男を、冬子は何も疑わず、それなりの「甘い生活」を送っていた。冬子を騙すのは赤子の手をひねるようなもの?

それにしても、冬子は、亭主の日頃の服装、言動、立ち振る舞いから、収入の多さから、堅気の人間では無い、と、気づかなかった? 

行介と冬子の会話で、

『青野のやったことを聞いて信じられなかった。ひどい人間だと思いました。でも、私はそんな青野とずっと暮らしていたんです。ちょっとお金を借りただけの真面目な人たちの幸せを踏みにじりながら・・・』

仲間だった矢部に商店街で偶然出会った以降、何度か会い、初めて亭主の仕事を聞かされたのです、がァ・・・。

矢部から『あんたも仲間だ、青野の稼いだ金で飯食ってたんだろ』の言葉。それとなく気付いていた?冬子に、過去の自分に・・・。

『あなたは何も知らなかった訳ですから・・・』

ほんとに知らなかった? ほんとは、それなりに、薄々は、気付いていたが、亭主に問い質すことはしなかった。甘い生活を失う事が怖かった。

『私が青野の妻だった事を隠してあなたに会ったのは、どこかであなたが酷い人だったらいいなんって。もし、そうだたら気が楽になれるって、だけどあなたは、みんなの人生を変えられるような、温かいコーヒーを淹れてくれる人だった。私は狡かった卑怯だった。私は最低の人間なんです』

この言葉から、殺した犯人が悪党であれば、殺された人間は善人で、亭主の悪行の免罪符になる?亭主の事、やっぱり、知っていたのです。

♪知っていながら 知らんぷり 何故!何故!何故なのォ~~! 人間は弱いのです。自分に都合良く解釈するのです。正常性バイアスですか?

それで、結末は、行介、冬子、千果たちの助けで、茂は矢部の魔の手から逃れ、行介と冬子の関係もより近づき、茂と千果は互いに大切な人になり、ハッピーエンド。

千果と茂が鯛焼きを食べるシーンの背景は此処でした。

花屋の主人だけが、千果との関係が切れて、悲しく、寂しく、辛い結末。奥さんに土下座?

でも、最終回ではありません。

次回が最終回で、壇蜜演じる居酒屋の女将を中心に、物語が進行するようです。

 

それでは、また。

 

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「珈琲屋の人々 ③ 恋までの距離」顔立ちが不幸を連想させる?木村多江!

2020年06月17日 | テレビの話し

前回の続きです。

第三回は「恋までの距離」です。

いろいろなカップルの恋の、始まりの、始まりです。

和菓子屋の娘と後輩との、若い二人の恋。

花屋の主人とキャバクラ嬢との、浮気で不倫で、終わりの始まり。 

妻を介護する「元刑事秋元英治(小林稔侍)」と、主人を亡くしたカラオケ教師。これも浮気で不倫。

そして、そして、夫を殺した犯人「宗田行介(高橋克典)」と、夫を殺された「柏木冬子(木村多江)」との恋の始まり。

少しずつ、少しずつ、明るい展開になるのですが・・・。

それにしても、です。元刑事の秋本英治がベットに横たわる妻に、「俺はもう疲れたよ。限界だよ悦子!もう、死んでくれないか!?」と云って、首を絞め、もがき苦しむ様子で我に返る。

老々介護に疲れ果てての悲劇の結末。ときおり報道される話です。

後日、英治は疲れ果てた自分への、つかの間の休息として、ご褒美として、行介に家の鍵を預け、カラオケ教師と温泉旅行。

英治が、風呂に入って、食事をして、これからお楽しみ・・・、と、そのとき、行介から悦子の容態が急変したとの知らせ。ドラマとしてよくある展開。

家に戻った英治に、涙を流しつつ、ふりしぼる「あ・・・な・・・た・・・こ・・・ろ・・・し・・・て」と、悦子。

動くことも無く、言葉を発することも無く、ひたすら横たわる3年間の日々、いろいろな意味と思いを込めて、初めて発した言葉が「あなたころして」でした。

3年間無反応だった悦子の、聴覚だけは正常に機能していたのです。英治の「俺はもう疲れたよ。限界だよ悦子!もう、死んでくれないか!?」は聞こえていたのです。

「死んでくれないか」と云われ、首をしめられた事の、身体的、精神的衝撃で、生体反応が刺激され、意識を取り戻した? あるかも知れない。

英治の、悦子の、辛さ、悲しさ、もどかしさ、3年間の思いが、関を切ったように溢れだし、手をとり、抱き合い、涙を流す・・・・・・。

男と女、いろいろな愛のかたち、その場で、一部終始を見つめていたる行介。

それにしても、配役のテロップに「中原ひとみ」と、これまでもあったのですが、えっ!何処に出ていた?と思っていたら、よく見たら悦子が中原ひとみだったのです。

あの可愛らしいお嬢さんが、婆さん役なんて!イメージが壊れます!こういう役で出演するのは、望ましくありません!いゃ、反対です!

それで、思い出したのですが、十数年前だったか? 映画だったか?テレビドラマだったか?あの華麗なる歌手「雪村いずみ」が、惚けたお婆さん役で、うんこを漏らすシーンがあったのです。旦那役が関西の落語家でした。

そういう役は、吉永小百合さんならば、絶対に!やらないと思います。

それで、話はドラマに戻ります。

「恋までの距離」ですが、行介と冬子の距離が、とても、とても、近づくのです。

それで、今回、行介が冬子の夫「ヤミ金の取り立て屋」を殺した経緯が、元刑事の秋本英治によって語られたのです。

行介の勤める会社の社長が、友人の保証人になり、二人が厳しい取り立てにあい、二人ともに命を絶ったのでした。

そんな取り立て屋が、友人の葬儀の場に現れ、香典を取り上げ、奥さんを手込めにする場を目撃し、取り立て屋を壁に突き飛ばし殺害。

冬子の旦那は、こんな悪党だったのです、最低の男です、最低の人間です。何故、冬子は気付かなかったのか、不思議です。

ふつうだと、こんな悪党の奥さんも、かなりの悪党と考えます。でも、人をころしてしまった事で、行介は自分を責めるのです。

もし、もしも、自分が行介だったら、13年間も苦しみません。二人を死に追いやった悪党です。生かしておいたら、これから先、何人もの犠牲者が出るとして、自分の行為をそれなりに正当化する事でしょう。

行介と冬子、二人で小洒落たレストランで食事をして、それなりに距離を縮めて行くのです。

これまでの展開から、行介と冬子の交わす言葉から、行介は、もしかして?冬子は?と思い始めていたとしても、不思議では無いのです。

その後、命日に墓地で、行介と冬子は出くわし、冬子が、殺した男の奥さんと知るのです。

でも、それなりに、ふつう、命日に墓地へ行けば、かなりの確立で家族と鉢合わせは予想できます。

冬子は、たぶん? 行介が墓参りに訪れる事を、それなりに予想していた。いゃ、期待していた?自分から告げるよりも、こう云うかたちでの告白?

冬子も、行介も、それなりに、予想していた、期待していた墓地での出会い?

次回は、冬子の過去が、悪党の旦那との関係が、いろいろな疑問の答えが、それなりに語られる?

それにしても、木村多江は「日本一不幸役が似合う女優」と、云われているそうです。知りませんでした。

木村多江の文字から、「き・む・ら・た・え」読みの響きから、寂しさ、悲しさ、儚さを感じてしまいます。

顔立ちが、とても、とても、不幸を連想させる?

 

それでは、また。

 

 

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「珈琲屋の人々」②ー2 変わる?変える?変わって見える?それでも冬子の旦那はワル!  

2020年06月14日 | テレビの話し

前回のつづきです。

それで、ドラマの冒頭で、殺された旦那の奥さんで、看護師の柏木冬子(木村多江)が患者の熊谷章枝(吉行和子)から云われた、

『彼はあなたの人生を狂わせた。でも、彼に会えばあなたの人生はもう一度変わる。人って面白いのよ。ある人をとんでもない悪だって云う人もいれば、その同じ人を優しい人だって云う人もいる。あなたも私も。殺されてしまったあなたの旦那さんも、触れあう相手によって変わる。その彼、ホントはどんな人なんだろうね』

と云うことを考えます。

「優しい人だったり、悪だったり、触れあう相手によって変わる」でも、「ホントはどんな人」と云うことを、考えてみます。

まあ、「優しい人」と「悪い人」では対立する尺度が異なります。まあ、ここは、「優しい人=良い人・善人と悪い人」として話をすすめます。

善人と悪人、ホント!その境目は、とても、とても、難しいのです。古今東西、世の中、そんなに簡単には線引きできません。善人と悪人の間はグラデーションです。

そして、また、「ホントはどんな人」の「ホントは」が、これも、とても、とても、難しいのです。ホントのところは、ホン人にも、解らないのです。

人は、それぞれ、いろいろと好き嫌いがあります。人間関係においても好き嫌いがあり、嫌いな人に対する接し方と、好きな人に対する接し方は、それなりに異なるのです。「触れあう相手によって変わる」のは、このあたりのこと?

でも、それでは軽すぎてドラマにならない。

それで、このドラマでは、人を殺してしまった男と、殺された夫の妻との関係がドラマの主要なテーマですから、悪人とは「殺人を犯した人間」で、善人とは? ふつうに、最低限、殺さない、盗まない、騙さない、と云ったところ?

でも、ホントに、ホントに、境目は難しいのです。

相手によって変わるのは、好き嫌いと、私的な場面と、公的な場面での、変わり方です。

殺された冬子の旦那は高利貸しでした。取り立てで見せる顔と、冬子に見せる顔は当然違っていたのです。

でも、しかし、冬子の旦那は、自分が取り立てて死に追いやった男の奥さんに、身体で返せ!と手込めにしようとした男です。「触れあう相手によって変わる」レベルを踏み越えています。相当なワル!です。

冬子に見せていた顔は、偽りの顔で、相手によって「変わる」のではなく、相手によって、意識して、「変えて」いたのです。騙していたのです。

冬子のような、木村多江さんのような女性を騙してはいけません!許せません!かなり個人的好みが・・・。

それで、和菓子屋の主人を自殺に追い込んだ高利貸しは、かつての旦那の仲間でした。和菓子屋の店先で彼と出会った冬子は、

『まだ、あの頃と同じような事を?・・・また、同じ事を繰り返すの?・・・そうやって何人の人を追い詰めれば気が済むの?』

『そういう仕事ですから』

『わたし知らなかった。主人があなた達と何をしていたか、知っていたら何としてもやめさせたのに、そうしたら、今頃、あの人、生きていたのに・・・、生きていてくれたらと、どれだけ思ったことか・・・』

このとき、かつての仲間の男は、それなりに、神妙に、同情的に冬子に接し、去って行く冬子の後ろ姿に、深く頭を下げるのです。

この男は、仕事として金を貸し、仕事として厳しく取り立てる。それは、それで、仕方の無い事して、家族を養う事として、生きる事として、自分を納得させる。これぞ大人の世渡り?

仕事ですからと、公文書を改竄したり、破棄したり、答弁を拒否したり、はぐらかしたり、惚けたり、優秀な成績で官僚になった方々も、仕事だから、家族を養っているからと、自分を納得させているのでしょう。

彼らも、家に帰れば、良い旦那で、良いお父さんなのでしょう、きっと。でも、ホント、家族にはお父さんの仕事は見られたくない? いゃ、あれは、ほんの一面と説明、弁解、している。

話をドラマに戻します。

それで、看護師の冬子ですが、とても優しい看護師さんに見えます。彼女にも別な面があるのか?

あるとすれば、年齢的に見て、ヒラの看護師ではなく、それなりに、主任とか、師長とか、管理職かもしれません。

管理者として、若い部下の看護師の間違いには、厳しく叱責すると思います。そんなとき、叱責された看護師は、人によっては、冬子を恨んだりするかも知れません。

「変わる」と云う事は、「変わって見える」と云う事で、受け取り方の問題にも関係してきます。ホントに難しい。

ホント!人間は、人間関係は、多面的です、複雑です、ややこしいのです。でも、それだから面白い、とも、云えます。

和菓子屋の娘に、淡い恋心を抱き、優しく接する後輩の高校生。家では母親に暴力的で、殺したいとまで口走る。でも、どちらも、ホントの姿なのです。

人間は、とても、とても、多面的で、複雑怪奇。

さて、次回の「コーヒー屋の人々」は如何に?

本日、22時からです。私は録画して後日。

 

それでは、また。

 

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「珈琲屋の人々 ② ひとりじゃない!」 尾張屋はそば屋で!和菓子屋は伊勢屋!変わると変えるの隔たりを考える!そして徳井優!

2020年06月11日 | テレビの話し

二回目、昨日見ました。

いつものように録画し、後でゆっくり好きな時間に見るのです。生ですと、歳の所為で途中でトイレに行きたくなり中断するのです。

それで昨日は昼間の2頃からみたのです。いゃ~、ホント、暗いお話てす。

町のヤミ金?高利貸し?から借金をした和菓子屋の主人が、生命保険で返済しようとして自殺を図るのです。

遺書に気づいた娘と女将さん、そして、「珈琲屋」が、探しだし、排気ガスを引き込んだ車から助け出し、病院に運び込まれ命は取り留める。

父の自殺で、逼迫した家計の状況と、父の愛情を知った高校生の娘が、身体を売って家計を助けようと・・・、そんなお話でした。

それで、和菓子屋の店名が「尾張屋」になっていたのですが、これは、とても、気になるのです。そう、わたくし、詰まらない、些細なことが気になるのです。

東京下町においては、そば屋と云えば「尾張屋」、和菓子屋と云えば「伊勢屋」と決まって?いるのです。江戸の名物は「伊勢屋、稲荷に、イヌの糞」と決まっているのです。

※昭和へのタイムトンネル!

ここまで書いてきて、気が付きました!

店が傾き借金の取り立てに窮して、店主が自殺未遂で、あくまでも東京の外れの商店街となっていまが、でも、映像的には実在の商店街の名前が映し出されます。

と云うことで、実在する和菓子屋さんへの配慮から、和菓子屋では有りえない、でも、下町的匂いのする尾張屋としたのでしょう。きっと、きっと、そうです。

尾張屋の自殺未遂の主人役の「徳井優」がイイです。しょぼくて、かっこ悪くて、愛嬌があって、すこし影があって、癖があって、そんな役柄にはぴったしと云うか、彼が演じると、みんなそんなそんな風に見えてくる?

それにしても、売春を仕切っていたのが、一見真面目な同級生で、始めた理由が自分が強姦された事への反発、復讐、意趣返し、みんな自分のように汚されればいいとは、ちょっと理解できません。

自分の身体が汚れてしまった仕返しが、他の女性も自分と同じ目に遭わせるなんて事を、考えますか? それに、売春行為はそれなりに自分の意思が働いています、強姦とは異なります。

まあ、そば屋の娘は、家の借金と云う経済的強制力が働いている訳ですが、それなりに自分の意思です、強姦とは異なります。

それで、そば屋の娘ですが、土壇場で客を振りはらって逃げ出し、仕切り屋から違約金20万円を請求されます。

そば屋の娘は自分で工面した4万円、残りを珈琲屋のマスターから借金して、仕切り屋へ渡す。

受け渡し場所は珈琲屋の店内、居合わせた木村多江に「そんな事をして自分の未来を汚している」と云われ、「私はとっくに汚れている」と答える。

やり取りを見ていたマスターは、

『コーヒー飲んで下さい。人を殺した手で淹れたれたコーヒーです』と告げるのです。一同唖然! これは衝撃的です。

そして、『私は人を殺しました。何も求めてはいけない人生です。だけど、君は未だ間に合うから、君が汚れきっているなんてことは、絶対にないから!』

と、云われ、仕切り屋の同級生はコーヒーを一口飲み、表情をゆるめて、『美味しい』と云って、違約金は受け取らず、店を後にするのです。

こころの汚れは、一杯のコーヒーで、すこしずつ、すこしずつ、洗い流され始める・・・。

確かに、人を殺してしまった人間、地獄の淵に立った人間からの「君が汚れきっているなんてことは、絶対にないから!」は、これまでの思いが吹き飛ばされるほどの、衝撃だったと思います。

そして、和菓子屋の娘は、

『和菓子屋、売っちゃえばいいんだ、売って、おじいちゃんちに引っ越してお父さんとお母さんは、農業を手伝って、私はガンガンバイトして。お店はまたいつか買い戻してみせる』と云って、父の入院する病院に向かう。

まあ、よかった!ヨカッタ!でした。

それで、ドラマのテーマ、

『人って面白いのよ。ある人をとんでもない悪だって云う人もいれば、その同じ人を優しい人だって云う人もいる。あなたも私も。殺されてしまったあなたの旦那さんも、触れあう相手によって変わる。その彼、ホントはどんな人なんだろうね』

が気になるのです。

触れあう相手によって「変わる」と「変える」、無意識に変わる、意識して変える。この差は、とても、とても、大きいと、思うのです。

 

この話は長くなるので、また、次回。

 

それでは、また。

 

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「珈琲屋の人々」① 殺人犯は善人!被害者は悪人!人は触れあう相手によって変わる!

2020年06月06日 | テレビの話し

ホ~~ウ ホケキョ  ケキョ ケキョ! と トッキョ キョカキョク!と、鳥の声を聞きつつ、ウォーキングする今日この頃。

本日は久しぶりにテレビの話です。

BSプレミアムの「ドラマ10」で現在放送中の「珈琲屋の人々」です。

調べて見たら、2014年の制作で再放送でした。

オープニングは東京の、片隅と云うか、外れと云うか、三ノ輪商店街のシーンから始まりです。

ここで、私、これは面白そう!と思ったのです。

都内唯一残る路面電車、三ノ輪橋と早稲田間を走る「都電荒川線」の町です。

荒川区役所前とか、町屋駅前とか、熊野前とか、小台とか、荒川遊園地とか、飛鳥山とか、庚申塚とか、鬼子母神とか、面影橋とか・・・。

駅名を聞いたり、見たりしただけで、とても、とても、懐かしくも、寂しくも、儚くも、こころは、遠~い、遠~い世界に、旅立つのです。

それにしても「都電荒川線」ですが、現在は「さくらトラム」と云うそうです。

何でもかんでも横文字を使って、それなりに注目度と、それなりの発信力で、それなりの人気を集める、あの東京都知事の発案でしょうか? 

コロナ騒動でも、ステイホームに、東京アラートに、こんな横文字に、乗せられる都民も、都民なのです。

英語が苦手な日本人は、敗戦直後の「ギブミーチョコレート」以来、英語は偉い!が染みついている?

ハィ!話をドラマに戻します。

東京の外れ、昔ながらの商店街、三ノ輪商店街のシーンからドラマは始まります。

この揚げ物屋さんと云うか、精肉店の副業の揚げ物から、揚げ物中心のお惣菜屋と発展し、そして、お惣菜にご飯を一緒にして、お弁当も取り扱い、いまでは、精肉部門は片隅に。

ドラマにも、その品ぞろいの豊富さが移動ショットで流れました。

それでストーリーですが、夫を殺された女性と、刑期を終えて出所し、親父の残した珈琲屋を継いだ元殺人犯が織り成す、下町人情あふれる人間ドラマのようです。

下町の珈琲屋に集う人々の人間模様を絡めて、夫を殺された女性と殺人犯、この関係が、真実を知ることで、犯人の人間性に触れる事で、少しずつ、少しずつ変化していく、まあ、そんな展開だと思います。

何たって、殺人犯が、あの「高橋克典」ですから、見ている人は、きっと、きっと、いい人と解釈します。夫人役は「木村多江」です。

それで、第一回目で、殺人事件の経緯が描かれてしまうのです。キャスティングと、視聴者の期待を裏切る事無く、殺された男は、極悪非道を絵に描いたような男でした。

夫は借金の厳しい取り立てにあい自殺、未亡人に身体で返せと、無理矢理手込めにされそうに、そこに、止めに入った高橋克典、男を壁に突き飛ばし、男は死んでしまうのです。時代劇に出てくるようお話です。

こんな経緯での殺人事件ですから、刑期10年は、とても、とても厳しい判決だと思います。傷害致死で、初犯ですから、ふつうであれば、3年以下の禁固刑で執行猶予だと思います。

それで、ドラマでは、高橋克典は、元プロボクサーだったことと、壁に突き飛ばしたとき、一瞬、殺意を抱いたと、自ら証言し、殺人罪にの問われた、となっています。

高橋克典は刑期に服している間に、何通も、何通も、木村多江に手紙を送っているのです。しかし、手紙は開封されずに、手元に置かれていたのです。

看護師の木村多江は、それなりに事情を知る患者吉行和子に、

『彼はあなたの人生を狂わせた。でも、彼に会えばあなたの人生はもう一度変わる。人って面白いのよ。ある人をとんでもない悪だって云う人もいれば、その同じ人を優しい人だって云う人もいる。あなたも私も。殺されてしまったあなたの旦那さんも、触れあう相手によって変わる。その彼、ホントはどんな人なんだろうね』・・・これがドラマのテーマ!

と云われ犯人に会いに行く。

店の客との会話から、それなりに人柄を知り、思い描いていた犯人像との落差に戸惑い、これまで送られてきた手紙の封を開くのでした。

第二回目は、明日の22時です。第一回目の再放送は16時半から放送されます。全5話。

出演者は、高橋克典、木村多江、吉行和子の他に、八嶋智人、壇蜜、渡辺えり、小林稔侍と、それなりの顔ぶれです。 

それでは、また。

※写真は2005年に私が撮影。15年前と画面に映し出された商店街の風景は変わりませんでした。惣菜屋のおじさんも変わっていない?

 

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松本清張「天城越え」!川端康成「伊豆の踊子」!対立の構図!

2019年12月19日 | テレビの話し

前回、前々回より、二・二六事件関連お話を綴っています。

話はすこしだけ?逸れますが、先日、何処の局だったか?忘れましたがNHKではないBS放送で「松本清張生誕110年」番組(2時間)が放送されました。

いつもの録画視聴ではないので、以下の話に多少の記憶違いが紛れ込んで居るかも知れません。

それで、番組は阿刀田高氏、山本一力氏、それに名前を忘れたお方の、鼎談と資料映像を挟んだ構成。

いろいろ、それなりに語られたのですが、一番印象に残ったのは阿刀田高氏の「天城越え」の出筆動機に対する推測でした。

阿刀田高氏曰く、「天城越え」は、川端康成の「伊豆の踊子」に対して、対抗意識と云うか?敵意むき出しと云うか?そのような作品だとの指摘。

舞台も時代設定も同じで、しかし、天城峠を越えるのも逆コースで、登場人物はエリートと貧乏人、清純な乙女と娼婦。

清張は、純文学の、文壇の、大御所の、川端の、存在に、あまり、快く思っていなかった。

これに、山本一力氏は、なるほど納得!腑に落ちる!目から鱗的な、驚きの反応。

川端康成、明治32年生まれで、東京帝国大学卒、1968ノーベル文学賞。1972年自殺。

松本清張、明治42年生(1909年)まれで、高等小学校卒、昭和28年(1953年)『「或る小倉日記」伝』で芥川賞。

「伊豆の踊子」は昭和元年(1926年)の発表で、松本清張は当時17歳。「天城越え」は昭和34年(1959年)の作品。

舞台は伊豆で同一、時代設定も大正15年(1926年)と同一。

しかし、「伊豆の踊子」は帝大生と行きずりの素朴で清純な踊子との、美しくも哀しい純愛物語。

「天城越え」は、家から逃げ出した貧しい16歳の少年が、行きずりの娼婦に淡い恋心を抱く。しかし、娼婦は客に殺される。ある意味、美しくも哀しい純愛物語。

※1978年NHK製作「天城越え」少年役が鶴見辰吾、娼婦役が大谷直子。いまからほぼ42年前の作品、鶴見辰吾が可愛い!大谷直子も若い! この作品、清張さんがちょい役で顔を出しています。

それで、阿刀田氏の指摘ですが、調べてみたら、以前より、いろいろな方達から指摘されている話でした。

番組の中で、阿刀田氏の話し方、山本氏の驚き方、いかにも、独自の新解釈的に聞こえたのです。

「天城越え」の発表が59年、そして、61年の頃から、松本清張、水上勉らの「社会派推理小説等・中間小説」の台頭で、純文学の位置づけに変化が起きたのでした。

大衆娯楽小説も、中間小説も、純文学も、どれもこれも、低級高級とか、上下とか、左右とかは無いのです。みんな一緒。

私的には「伊豆の踊子」、映画、テレビドラマで何回か見ています。確かに、高等遊民の私小説であり、お花畑的な、甘っちょろいお坊ちゃまの夢想話、と、思ったりしています。

まあ、清張さんと川端、政治的にも、保守と革新、右側と左側で、体型も「細身と太身」、作品も「細身と太身」、生まれも育ちも学歴も、あらゆる面で対立的なのでした。

兎に角、清張さんも、私も、川端は嫌い。

今回、二・二六事件の話が、冒頭から終わりまで、松本清張と川端康成の対立話で、逸れっぱなしでした。まあ、よくあること。

次回は、きっと、間違いなく? 二・二六話に戻ります。

今日も寒い!

それでは、また。

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スカーレット!そろそろ舞台を信楽に移せ!

2019年11月01日 | テレビの話し

今年も、もう、11月になってしまいました。

一年が早い! これまで70年近く生きてくると、一年は人生の70分の一ですから、歳をとるほどに、一年の長さは短くなる? 80歳になると80分の一?100歳になると、一年は人生のうち100分の一? 

 

それで、テレビの話です。

このところ3回連続でテレビの話です。前回も、前々回もドラマの話でした。

一日どのくらいテレビを見ているかと云うと、考えるに、朝食は、ほぼ毎日、7時半頃からで、NHKBS3で朝ドラ時間に合わせているのです。

いまは「おしん」の再放送の終わり部分を少し、そして、「スカーレット」を見て、「こころ旅」を見て、8時前後にウォーキングに出発。約30分の視聴。それと、昼食時の30分。

それにしても、「スカーレット」は面白くない!面白くても、面白くなくても、朝の習慣です。ふつうは一ヶ月ぐらいで、それなりに面白くなるのです。

でも、しかし、一ヶ月が経過しても、スカーレットは面白くない!

ヒロインも、出演者も地味で、存在感が薄くて、脚本も薄っぺら、いろいろな意味で厚っペらなのは、三林京子だけ。ホント!できの悪い吉本新喜劇?

何たって、兎に角、ヒロインが中学生には見えん! いまは18歳、でも、未だ無理がある。子供の頃より台詞が年寄り臭かった。

今回は「大阪製作」です。大阪とは相性が悪い。「ちりとてちん」だけは面白かった。何たって、ヒロインの母親役が「和久井映見」でしたからね!

でも、「ひよっこ」の「愛子さん役」は、あまり良くなかったです。今年で48歳、年齢的にも難しいお年頃かも? 1991年、映画『息子』の時が頂点だったかも?(もしかして主演デビュー作?)

まあ、それでも、朝ドラは朝飯に付きものなので、面白く無くても、退屈でも、見るのです。信楽に戻り、陶工を目指すあたりから面白くなる?

それで、その他でどんな番組を見ているかの話です。

わたしが、それなりに見たい番組が、何故か、ほとんど10時以降なので、録画して後日見ています。

録画を見る時間ですが、1時半頃から3時半頃までの2時間ほど、そして、夕食後の一時間程度です。

そうすると、朝食時の30分、朝食時の30分、録画視聴の2時間、合計で3時間。年間で365日×3=1095時間。PC画面に向かっているのもこの程度の時間ではと、思うのです。

まあ、そんな時間を合計したところで、面白くも、可笑しくも無いのです。つまらん話をしてしまった。

そうだ、それで、どんな番組を観ているのか?ですが、最近は、「迷宮グルメ異郷の駅前食堂」「町山智浩のアメリカの今を知るTV」「ガイロク」「ドキュメント72時間」「駅・空港ピアノ」「ちまたの噺」「バカリズムの30分ワンカット紀行」、時々、「ブラタモリ」「町中華で飲ろうぜ」とかを録画して観てます。

こうしてみると、ふつうの人が出てくる番組を選んでいます。素人の、一般の人の、いわゆる「ふつうの人の話」が面白いのです。
 
ふつうの人の、ふつうの話は、ふつうではないのです。
 
最近の、ふつうでない人が、ふつうでない「つくり話」を演じても、とてもふつうで面白くありません。
 
どんなに自分が、ふつうで、平凡で、面白くなくて、つまらない人生だと思っていても、他人から見ると、それなりに面白い人生に見えるのだ、と、思うのです。
 
まあ、登場するふつうの人は、制作側の、それなりの選択と演出が加えられていますが、やっぱり素材が命。
 
まあ、それだけ、プロによる、プロの為の、プロの番組は、もう、飽きられているのです。
 
そうだ! ひとつ忘れていました。「ポツンと一軒家」は、最近では一番面白かった! そう、過去形なのです。
 
「ポツン」が、あまり「ポツン」で無くなりつつあり、ポツンと暮らす方の話も、それなりにマンネリになりつつあります。わたしは、とても、飽きっぽいたちなので、余計に、そう感じるのでしょう。
 
秋です! テレビよりも、ネットよりも、本を読もう!
 
先日、珍しく「本屋さん」で、本を二冊購入してきました。
 
秋です!読書です!
 
 
それでは、また。 
 
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それでムロツヨシで!古田新太で!田中圭!なかなかやねじゃん!で『Iターン』の話なんです。

2019年10月18日 | テレビの話し

それで『Iターンの』話なんです。

放送は9月の末で全12話が完結しています。テレビ東京の作品です。

何故か、偶々観てしまったのでした。

観ていたら、ヤクザ一家の事務所が、見覚えのある、あの土浦市の歯科医院の建物だったのです。

これ、十数年に撮りました。数十年前のモダン建築。

それからは、背景が気になり、あッ!あそこだァ!これは!あれは!あそこ!と、土浦市街が、いっぱい、いっぱい、映し出されたのでした。

テレビに知っている風景が映し出されると、何故か、嬉しくなると云うか、興奮すると云うか、単純に楽しいのです。ホント!単純!

ストーリーは、かなり、かなり、荒唐無稽で、広告代理店の、成績の悪く、やる気も無く、妻や娘にも見放された駄目男が、地方の業績不振支店に飛ばされて、何故か、そこでヤクザの組長と杯を交わし、騒動を巻き起こすコメディー。

駄目男に「ムロツヨシ」、組長が「古田新太」、対立する組の組長が「田中圭」、行きつけのクラブのママが「黒木瞳」、印刷屋の社長が「笹野高史」と、かなりの顔ぶれ。

それにしてもムロツヨシは人気者になりました。CM出演も複数抱えて生活は安泰。古田新太のCMは観たことがありません。外観的、キャラ的にも、とても、とても無理?

古田新太は、そのまんまでヤクザの組長ですが、対立する組の組長が、田中圭とはエンディングでキャスト名が出るまで、ホント!気がつきませんでした。

田中圭!なかなかやねじゃん!と思ったのでした。

荒唐無稽のストーリーですが、駄目男は組長から、ヤクザの「しのぎ」は命がけ、引いたら負け、前進あるのみ!と、刃物で、拳銃で、脅され、蹴られ、殴られ、身体に叩き込まれ。

そして、そして、一人前の男となり、支店の成績も上がり、目出度く本社勤務に復帰。妻から夫として、娘から父親として認められ、目出度し、目出度しのハッピーエンド。

まあ、兎に角、気楽にたのしめるドラマでした。

 

それでは、また。 

 

 

 

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